悪役令嬢断罪プログラム

朏猫(ミカヅキネコ)

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19 これから始まる二人の物語③グラニーテ公の記憶

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「わたくしとボンボール公が……?」
「そうだ。初めて社交界にやって来たきみをひと目見た瞬間、僕が恋に落ちてね。十二歳も年下のきみにイチコロだったというわけだ。すぐさまガトーオロム家に婚約を申し入れ、きみのお父上ときみは僕の気持ちを受け入れてくれた。そして婚約者になった」

 かつてを思い出しているのか、グラニーテ公が懐かしむような眼差しを向ける。その表情にオペラはまたもや既視感を覚え、胸がとくんと鳴るのを感じた。

「だが、気がつけばきみには悪い噂ばかりがつきまとうようになっていた。あの頃僕は噂どおりの男でね。きみに恋をするまでたくさんの火遊びをしていた。その報いだと反省したりもした」

 自分こそがグラニーテ公の妃にふさわしいと考える令嬢が、グラニーテ公の周囲には大勢いた。それなのに社交界に出てきたばかりの小娘に妃の地位を横取りされてしまった。そう感じた令嬢たちはオペラに関するよくない噂をばら撒き、噂は次第に大きくなり収拾がつかなくなった。ガトーオロム公爵家の力を持ってしてもどうにもできない状況だった。

「反省なんて甘い考えだったよ。僕がどうにかしようとしたときには、もうどうにもできなくなっていた。周囲はきみが僕の財産と権力を狙っていると声高に言い、妃の地位を手に入れるためにほかの令嬢たちを陥れた悪女だと罵った。そしてきみは断罪され……断頭台へと向かうことになった。まだ十七歳だった」

 グラニーテ公の瞳がつらそうに細くなる。それを見たオペラの胸がぎゅうと締めつけられた。自分にはそうした記憶はまったくなかったが、グラニーテ公の表情に胸が痛んだ。

「僕は何もかもに絶望してね。自暴自棄になっていたときに現れたのがあの神だ」

 全身真っ白な服を身に纏った神は、グラニーテ公に「きみにチャンスをやろう」と告げた。時間を巻き戻してやるから別の結末を目指してみるといいと囁いた。

「気がついたらきみが社交界に現れる一年前に戻っていた。あれには驚いたな。同時に神が実在するのだと初めて思ったときでもあった。これは神が憐れな僕に与えたもうた二度目の人生だと考え、喜び勇んできみを再び妃にと考えた。……でも、駄目だったよ」
「わたくしは再び許嫁となり、悪役令嬢として断罪されたのですか?」

 オペラの言葉に首を横に振り、「いや、結末は同じか」と答え直す。

「社交界に出たばかりのときに声をかけたからよくなかったのだと考えた僕は、しばらく様子を見ることにしたんだ。ところがある日、王太子候補としてきみの名前が挙がった。まったく前触れもなくだ。そのとき、再び神が僕の前に現れた」

 白いシルクハットをくるりと回しながら「最後まで残った王太子妃候補の二人、そのどちらかが悪役令嬢になりまぁす!」と宣言したのだという。初めて夢で見たときの神の様子を思い出したオペラは眉をひそめ、そして膝に置いた手をギュッと握り締めた。

「僕はなんとかしようと動いた。そして、きみもなんとかしようとしていたことに気がついた。そうした痕跡が見つかったからね。ただ、それを見つけたのはきみが断罪された後だった」

 それから二度、時間が巻き戻ったのだとグラニーテ公は話した。三度目はなんとか王太子妃候補にならないように手を回すことに成功し、その結果オペラは悪役令嬢にならずに済んだ。ところがグラニーテ公が求婚する直前に事故で命を落としてしまった。
 四度目は様子を見ていても変わらないのだと痛感し、一年前から妃にするべく用意周到に準備をした。ところが途中で不自然なほどオペラへの悪い噂話が流れ、結局断罪される道へと戻ってしまった。「それほどプログラムの強制力は強かった」とグラニーテ公がつぶやく。

「そんな中でもわずかに希望はあった。それがきみの行動力だ。三度目、四度目のとき、やはりきみも何かしらに気づいたんだろう。プログラムの強制力に抗おうとした痕跡がいくつも見つかった。そのたびに僕は一人で抗っているわけではないと実感した。そう思うたびに励まされ、次こそはと気持ちを奮い立たせることができた」

 腰を上げたグラニーテ公が隣に座った。近づいたグラニーテ公から、かすかにふわりと薔薇の香りがする。その香りを嗅いだ瞬間、オペラの胸がとくんと震えた。

(わたくしはこの香りを知っているわ。……そういえば、二人でのお茶会のときの薔薇の香りに似ているような……)

 あのときは薔薇のいい香りだとしか思わなかったが、いまは香りを嗅ぐだけで胸がときめくように震える。もしかして、かつての自分もこの香りを嗅いでいたのではないだろうか。そう思うとトクトクと鼓動が速まった。

「四度目があるということは五度目があるに違いない。そう考えた僕はあらゆる場面で事細かに周囲を観察することにした。誰が誰と会い、その後どうなったか。きみの周りに誰が近づき誰が離れていったか。僕の周りで誰がどう動いたか」

「そして僕ときみがどう出会うのかも観察した」と言い、じっとオペラを見つめた。

「そうしてあることに気がついたんだ。プログラムに抗うためにはフラグというものが重要だということにね。そして今回、それを使ってプログラムを沈黙させることに成功した」

 オペラはふと、紙に書いた「停止の方法」という文字を思い出した。神の中にない出来事を増やせば“ぷろぐらむ”に不具合を起こせると考えたが、その“神の中にない出来事”がグラニーテ公の言う“ふらぐ”なのではないだろうか。

「わたくしもボンボール公と同じことを考えていましたわ」
「僕と同じこと?」
「えぇ。神様のおっしゃることで、現実のわたくしやホワイトに当てはまらないことがいくつかありましたの。そのことで“ぷろぐらむ”に不具合が起きたように感じましたわ。だから神様がおっしゃらなかった方法で王太子妃候補を降りれば、誰も悪役令嬢にならなくて済むのではと考えましたの」
「もしかして、王太子妃になる前に誰かに見初められること……だったりするかな?」
「気づいていらっしゃったのですか」
「ホワイト嬢がマログラッセ伯爵子息とよい仲だという噂に、僕は疑問を抱いていたからね。あの神はそうした展開を好まない。それなのに瞬く間に噂は広がっていった。きみならそこに気づくかもしれないと……そうか、それで急に接触できるようになったのか」
「接触……もしかして、わたくしにですか?」
「そう。今回は最初から出会わないように仕組んだのか、きみが社交界に現れる前に僕はボンボール領に住まなくてはいけなくなってしまった。これも神が邪魔をしているものだとばかり思っていたんだが、急にカラム殿下から会いたいという手紙が届いて驚いたんだ。……なるほど、きみが動き出したことで僕とは関係ないところでもフラグが生まれたんだろう」

 オペラの手に触れたグラニーテ公が「やはりきみはすばらしい」と熱く見つめた。

「そもそも神があんなに目立つのはおかしいと思わないかい? 神は民を見守るもの、教会でもそう説いている。それなのにあの神は少々出しゃばりすぎだ。そういう性格なのか、彼が言うところの物語に必要なことなのかはわからないがね。だが、おかげでこうしてお互いにフラグを生み出し、再び婚約者になることができた」

 触れていた左手を持ち上げたグラニーテ公は、「ようやくここまできた」と微笑みながら手の甲に口づけた。その様子にオペラの目元がわずかに赤くなる。

「ボンボール公は、それほど長い間わたくしを想い続けてくださったのですね」
「想いはますます強くなる一方だよ」

 熱心な眼差しにオペラの胸が高鳴った。しかし気持ちとは裏腹に表情は決して明るくない。

「どうかしたかい? それともほかにも何か疑問が?」
「そうではありませんわ。ただ、わたくしには五度目だという実感がありませんの。それに……」

 視線を口づけられている手に移し、ゆっくりと引いて膝の上に戻す。そうして再びグラニーテ公の目を見た。

「わたくしが求婚を受け入れたのは“ぷろぐらむ”のせいではないかと思って……」

 神は“ぷろぐらむ”は永久に動き続けると話していた。いまはただ沈黙しているだけで、オペラが王弟妃になった途端に再び動き出すのではないだろうか。

「わたくし、正直ボンボール公をお慕いしているのかわかりませんの」

 そう告げると、慌てて「どうぞお気を悪くなさらないで」と続けた。

「……ただ、恋とはこの程度の気持ちなのかと不安に思うばかりで……。それに、この先心からお慕いすることになったとしても、それが“ぷろぐらむ”のせいではないと言い切れないのではと思えてなりませんの」

 オペラは自分の気持ちに自信が持てなかった。グラニーテ公の自分に対する想いは本物なのだろう。神に翻弄されながら五度目の今回こそはという情熱は並大抵のものではない。
 しかし、自分にグラニーテ公ほどの想いがあるだろうか。ときめくことはあっても、はたしてこれは自分自身の感情なのだろうか。これも“ぷろぐらむ”の一環で、そうなるようにはじめから用意されているのではないだろうか。

(それに……わたくしには過去四度の記憶がないわ)

 オペラの美しい眉がわずかに寄る。そんなオペラの頬にグラニーテ公の手が触れた。

「不安がらせたのは僕の落ち度だね」
「そうではありませんわ」
「いいや、狡賢い僕のせいだ」
「ボンボール公……?」
「僕はとても狡賢い。そもそも今回が五度目だとしても、これまでのことを詳しく話して聞かせる必要はなかった。ただ神と出会い、同じような時間を過去に四度経験したと言うだけでいい。それなのに、こうしてかつてのきみがどういう結末を迎えたかを話した。それはきみの気を引きたい表れだ」

 グラニーテ公の顔に自嘲するような笑みが広がる。

「同情を買ってでもきみを手に入れたいというずるい気持ちの表れでもある。僕がどれほど必死で、これまでどれほど心を痛めたか聞かせることで関心を引き、今度こそそばにいてほしいという姑息な手だ。……僕はひどい男だろう?」

 眉尻を下げた微笑みに、オペラは胸がズキンと痛むのを感じた。これもグラニーテ公が言うには作戦の一つなのかもしれないが、それだけ必死だという気持ちはよくわかった。

「ボンボール公はひどい方ではありませんわ。だって、こうして最後にはお話くださったのですから」

 微笑むオペラに「ありがとう」と囁いたグラニーテ公が、右手でオペラの頬に触れた。そうして触れていない反対側の頬に顔を寄せ、触れるだけの口づけを落とした。まさかそんなことをされるとは思っていなかったオペラは目を見開いて驚き、口づけられたところに手を添えながら目元を赤くした。

「さらけ出すのも狡賢い大人の考えることなのだけれどね」
「ボンボール公……?」

 にこりと微笑んだグラニーテ公は再び顔を寄せると、頬を押さえているオペラの手の甲に優しく口づけた。
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