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37 新たな難題1

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「姫君たち、全員をですか?」

 こくりと頷く殿下の姿に、もう一度驚いてしまった。

「あの、全員というのは、三十人近くいた全員ということでしょうか」
「そのとおりだ」
「全員を、家や国に帰したのですか?」
「……不満なのか?」
「いえ、そんなことはありませんが……」

 不満なんて僕にあるはずがない。ただ、それが王太子としてやってもよいことだったのかと思ってしまっただけだ。

「前にも話したとおり、わたしはランシュ以外を妃に迎えるつもりはない。それなのに、いつまでも後宮に大勢のΩを住まわせておく必要はないだろう? だから帰したまでだ」
「たしかに、そうするのがよいとは思いますが」
「……それとも、ランシュは姫たちがいるほうがよいと思っていたのか?」

 低くなった殿下の声に、慌てて首を横に振った。

(僕だって、殿下の後宮があのままでよいとは思ってはいなかったんだ)

 月桃宮でリュネイル様と話してからは、とくにそう思うようになった。
 ノアール殿下に新たな妃を迎える気がないのに姫君たちを後宮にとどめておくのは、あまりに不憫で残酷だ。一度は僕も考えたことだが、望みがないなら早くつぎに進んだほうがいい。家や国を背負って後宮に来ていた姫君たちにもいろいろあるだろうが、妃になれないまま後宮に留め置かれるほうがつらいはずだ。

(それに、僕が王太子だったとしても同じことをしただろうしな)

 そういう意味ではノアール殿下の行ったことは間違っていない。しかし、大国ビジュオールの王太子としては問題が出てくる。

(もし僕に子ができなかったら、どうするつもりなんだ……?)

 直系の王族はノアール殿下しかいない。その殿下に子ができなければ、すなわち後継ぎがいなくなるということだ。それを防ぐために後宮が存在するのだし、せめて僕に子ができるか見極めてからでも遅くはなかった気がする。

「ランシュが考えていることはわかっている」
「殿下」
「王太子だったきみは、真っ先に国のことを考えるだろう。とくにこの国のαの現状を知ったいま、ランシュなら後継ぎの心配をするはずだ」
「……はい」

 返事をした僕の頬を、殿下の指がそっとひと撫でした。

「国を思う気持ちはわたしも同じだ。もちろん後継ぎの問題は大きい。それに……、ランシュに必要以上のものを背負わせてしまうだろうことも考えた」

「それはわたしの本意ではない」と告げた殿下が、もう一度僕の頬に触れる。

「それでもわたしは、自分の意志を貫くほうを選択した。わたしは今後一切、新しい妃は迎えない。生涯わたしの妃はランシュだけだ。それを国の内外に示す必要があった。そのためには後宮を空にするのが一番早いし、わたしの決意をはっきりと知らしめることができる」
「殿下、」
「これから起きるであろう困難や壁は、二人で乗り越えていけばいい。わたしが全力をもってランシュを守ると誓う」

 殿下の瞳が夜空のようにキラキラと瞬いている。あぁ、なんと力強くも美しいのかと見惚れてしまった。
 凛々しい顔をじっと見つめながら、ふと、頬に触れている殿下の指先がほんの少し震えたことに気がついた。おそらく僕に様々な負担を強いることを危惧しているのだろう。

「殿下、僕は守られるだけの男ではありません。困難があればともに立ち上がり、殿下を助けていきたいと思っています」
「……そうだった。きみは元王太子だったな」
「小国ではありますが、国を支える心構えは学んでいます。まぁ貧乏国だったので、金銭的なことばかりが悩みの種でしたが……お恥ずかしい限りです」

 僕の言葉に殿下がふわりと微笑んだ。意図してこんな話をしたとわかったのだろう。僕には何の力もないが、こうして殿下が笑顔を浮かべる手助けくらいはしたい。
 いくら僕が元王太子だったとしても、小国アールエッティと大国ビジュオールでは何もかもが違う。国の規模もだが抱えている問題も状況も、すべて僕が想像できる範囲を超えている。
 そんな僕に殿下を手助けする力などないに等しい。わかってはいるが、だからといって何もしないわけにはいかない。何もできないと最初から諦めることは絶対に嫌だった。

(そうだ。僕は昔から諦めが悪いんだ)

 諦める気持ちなど、小さい頃にうっかり絵筆を折りかけたときに捨て去った。まぁ、殿下の妃になることではちょっと諦めてしまいそうになったが、もう二度と諦めたりしない。

「きみとなら何が起きても大丈夫だと思える。こんなふうに思ったのは初めてかもしれない」
「一緒に乗り越えていきましょう!」

 そう言って自分の胸をドンと叩くと、殿下が「ぷっ」と小さく吹き出した。その顔は普段の大人びた表情とは違い、「そういえば殿下は二十六歳だったな」ということを思い出した。
 僕と殿下は二歳しか違わない。それなのに、殿下は僕よりもずっと大きく重いものを背負って生きている。その重荷をほんの少し、せめてこぶし大くらいでも僕が肩代わりできればと思わずにはいられなかった。
 そのためにも僕は殿下と結婚式を挙げて、正式な王太子妃になる。

(それに、アールエッティ王国のことも考えなければいけないしな)

 祖国の財政難も何とかしなければならない。できればアールエッティ王国とビジュオール王国の両方に益をもたらすようなよい案が浮かぶといいんだが……。
 それに、一番の問題は子のことだ。殿下が本当に僕以外の妃を迎えないと決めたのなら、後継ぎを生むのは僕しかいない。

(……いや、気負ったら駄目か)

 リュネイル様もそうおっしゃっていた。気持ちを和らげ、考えすぎないことが男のΩの体調を安定させる一番の近道なら、まずはそれを心がけなければ。そうして発情を安定させることができれば、きっと子もできるはずだ。

(そうすれば、殿下の大きな重荷が一つ減ることになる)

 それに、僕だって好きな人との子はほしいと思っている。できれば二人くらいはほしい。そうして僕のように絵を描いたり、妹のルーシアのように香水のような新しい分野に挑戦する子に育ってくれればうれしい。

(いや、芸術ばかりに目を向ける子では駄目か)

 それでは大国を背負うのは厳しいだろう。それなら趣味として、息抜きとして芸術を楽しんでくれればいい。元々芸術とは心を豊かにするものだ。もし好きになったのが絵なら、僕が教えてやることもできる。

(そうか、それなら子と一緒に絵を描く楽しみもできるな)

 不意に、まだ見ぬ子と僕が大きなキャンバスに絵を描いている景色が見えた。それを殿下が笑顔で眺めている様子が脳裏に浮かぶ。

(……って、まだ子ができるかもわからないのに、僕は何を想像しているんだ……!)

 気が早すぎるにも程がある。

「顔が赤いが、どうかしたのか?」
「な、なんでもありません!」
「本当に? もし体調が優れないのなら、一人で寝たほうが」
「大丈夫ですから! さぁ殿下はこちらの枕に、僕はこっちの枕を使いますから!」

 右側の枕をポンポンと叩き、殿下に「さぁ、寝ましょう!」と促す。そうして僕自身は左側に置かれた枕に右頬を押しつけるように横になった。殿下に背を向けるように横になったのは、なんとなく気恥ずかしくて顔を見られたくなかったからだ。

「おやすみ、ランシュ」

 少し笑っているような殿下の声とともに、頭にチュッと口づけされた。それでますます顔が熱くなった僕は「おやすみなさい!」と早口で返事をし、うるさい鼓動を無視するようにギュッと目を瞑った。



 まだ結婚式の正式な日程は決まっていないが、準備のほうは着々と進んでいる。婚礼服を仕立てるための採寸も終わったところだ。どういった服になるのか詳しくは聞いていないが、デザインや生地などはノアール殿下と色違いのお揃いになるらしい。

「馬子にも衣装な感じにならないか……?」

 背が高く骨格がしっかりした殿下に似合うデザインを、痩せて貧弱な僕が着たら似合わない気がする。ただでさえ王子として情けない体つきだというのに、それがますます強調されてしまいそうだ。

「……いや、Ωの体つきとしては普通なんだろうけど」

 自分の体格にため息をつきたくなるのは昔からだが、いい加減慣れなくてはいけない。わかっているのに、つい昔から抱いていた気持ちがよぎってしまう。

「殿下とは四度も夫婦の営みを経験したんだし、いい加減Ωとしての自覚をしっかり持たなくては」

 発情を三度も経験し、うなじも噛まれ、殿下のαの香りもわかるようになった。それ以外のαの香りは相変わらずわからないが、とくに困ることもない。

「……ヴィオレッティ殿下に小馬鹿にされるのは気に入らないが」

 先日、久しぶりにヴィオレッティ殿下に会った。僕がノアール殿下の執務室で絵を描いているときに出くわしたのだ。
 なんでもヴィオレッティ殿下はいま、ノアール殿下の手伝いのようなことをやっているらしい。それで僕と遭遇することが増えてしまったのだが、会うたびにニヤッと笑われるのが若干腹立たしかった。

「そもそも、ヴィオレッティ殿下はいろいろわかりにくいんだ」

 自分の妃たちのことを「俺に乗り換えたんだ」と言っていたが、実際には暴漢から救ってくれた殿下に惚れただけだった。ノアール殿下のことも「気に入らない」と言って僕にちょっかいをかけてきたきたが、本気ではなかったということもわかっている。

「もしあのとき本気だったら、間違いなく発情させられて噛まれていたんだろうからな」

 ベインブルで襲われたとき、威嚇はされたが強制的に発情させられることはなかった。ノアール殿下の話ではヴィオレッティ殿下にもその力があるということだから、本気で僕を襲うつもりはなかったんだろう。
 再会したとき、にやりとしながら「これで次代の国王も安泰だな」と言った言葉こそが本心だったに違いない。そうでなければ、ノアール殿下がそば近くに置くとは思えなかった。

「まったく、なんて面倒くさい男なんだ」

 自分で言った言葉ながら、「言い得て妙だな」とポンと手を打った。
 そんな厄介な性格の男でも、ノアール殿下に必要だということは理解している。王族αが減ってきているいま、性格に難があっても優秀なら手元に置いておきたいと思うのは王太子として当然だ。

「……ルジャン殿下も、本当はそうだったんだろうな」

 僕の一件があってからいままで、大きな罰を下されたという話は聞いていない。王宮で見かけることがなくなったということは、謹慎処分で落ち着いたということだろう。
 ノアール殿下が一度だけ、ヴィオレッティ殿下の後ろ姿を見ながら「あの男も優秀だったんだが」と口にしたことがある。「あの男」とは、おそらくルジャン殿下のことだ。漏れ聞こえた話では、官僚とのやり取りに長けていたらしい。二十五歳の若さで狐狸の多い官僚と渡り合えるというのはたしかに優秀だ。そういう王族が一人でも欠けてしまうのは、僕も惜しいと思う。

「いや、表舞台のことを僕があれこれ言うわけにはいかないか」

 僕はあくまで王太子妃としてこの国にいる。異国から嫁いできた妃が表のことに口を出すのはあまりよくない。しかも僕はまだ正式な王太子妃ですらないのだ。

「それでも、少しでも殿下の力になれればと思っている」

 そのためにも、まずは数日後に迫っている国王との謁見を無事に終えなくてはいけない。
 国王とノアール殿下の仲がかんばしくないというのは、それとなく確かめた侍女たちの反応からも間違いないだろう。そんななか殿下が後宮の姫君たちを全員帰したため、国王との間で一悶着起きたらしい。ヴィオレッティ殿下は「最後はノアールが勝ったってわけだ」と笑っていたが、笑いごとでは済まない話だ。さらに、殿下が国王に自分の意見を押しとおしたのは今回が初めてだったとも聞いている。

「つまり、その原因となった僕を国王が快く思っていない可能性は高いというわけだ」

 そう考えるといろいろ気が重くなるが、そこを乗り越えなくては殿下との結婚式にはたどり着けない。

「さっそく乗り越えなくてはいけない壁が出てきたな」

 いや、この壁を乗り越えられないようでは、この先殿下と一緒に困難に立ち向かうことなどできないだろう。そう思い、僕はグッと拳を握りしめた。
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