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2 敗戦の将2
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アトレテスの武人たちに連行された先にあったのは堅牢な建物だった。おそらくこの一帯を監視するために建てられた砦代わりなのだろう。
「入れ」と言われておとなしく中に入る。石造りの建物だからか外よりも寒く感じた。コツコツと響く足音を聞きながら進むと、こぢんまりとした部屋に到着した。質素な内装に尋問のための部屋なのだろうと想像する。
(もしくは首をはねるための部屋か)
どの国でも捕まった敗戦の将は首をはねられる。願わくば少しでいいから大地の女神への祈りの時間がほしいところだが……そこまで考えて笑いたくなった。
(わたしは最期まで神官でいるつもりなのか?)
神官兵としては当然の行為でも武人なら女神に祈ったりはしないはずだ。あれほど武人になりたいと思い隠れて鍛錬までしてきたというのに、神官としての自分が抜けないでいるのがおかしくて仕方がない。「二十年も神官でいればそうなるか」と小さくため息をついた。
(女神にはあの世で許しを乞うことにしよう)
兜を脱ぎ、静かにそのときを待つことにした。ところが「こちらへ来い」と、さらに奥の部屋へと連れて行かれる。
(ここは……)
先ほどまでの部屋と違い、質素な造りながら床には上等な敷物が敷かれ窓もあった。その窓には質の良さそうな分厚いカーテンがかけられている。正面には立派な椅子が一脚置かれていて、それがやけに目立っていた。
(ここが尋問の部屋ということか)
自分の名前を知っているということは元王子だということも知っているのだろう。これから尋問し、必要な答えを得てから首をはねるに違いない。「それにしても立派な椅子だな」と見ていると「跪け」と命じられた。言われるがまま両膝を床について頭を垂れる。
しばらくそのままでいると二人分の足音が聞こえてきた。足音が止まり、椅子に腰かけるような音がする。それを待っていたかのようにそばに立つ武人が「陛下」と口にした。
(陛下……?)
アトレテスの武人が「陛下」と呼ぶ相手は一人しかいない。床を見つめながら「まさか」と驚いた。王自ら敗戦の将に会うなど聞いたことがない。「なぜアトレテス王がここに?」と考えるが、もちろんわかるはずもなかった。
(まさか王自らが尋問を……? そんな馬鹿な)
たしかに自分は第二王子ではあったが、それも五歳までのことだ。王自ら尋問するような相手ではない。それに尋問は専門の者がやるはずだ。戸惑いながら床を見つめていると「さて」と威厳のある低い声が聞こえてきた。
「本来なら敵将は首をはねるのが常だが、どうしたものかと考えあぐねている」
アトレテス王は齢六十と聞いている。だが声には張りがあり力強く聞こえた。父王であるメレキア王とは違う恐ろしさを感じ、うなじが総毛立つ。
「陛下、メレキア王国には民たちに大層慕われている神官がいると耳にしたことがあります」
前方から王とは別の男の声が聞こえてきた。穏やかながら冷たい声が告げた「大層慕われている神官がいる」という言葉にドクリと心臓が跳ねる。
「その稀有な神官は、たしか恵み深き女神の左手、“へーニア”と呼ばれていたと記憶しています」
男の言葉に「そういうことか」と目を瞑った。自分を捕らえたのは元王子だからでも敗戦の将だからでもなく、神官としての価値があると踏んでのことだったのだ。
「ほう、女神の左手とな」
「大地の女神が愛と慈しみを授ける左手、それに例えられるかの人物は、王よりも民に愛され慕われる存在だと聞き及んでおります。その神官は黒き髪を持ち、王家の血を引く武人でもあるとか」
メレキア人に黒髪は少ないもののいないわけではない。だが王家の人間で黒髪は自分しかいなかった。「すべて知っていて捕まえたのか」と思ったものの、もしかしてと別の考えが脳裏をよぎった。
(わたしがいた隊だけが難なく最前線に進むことができた。皆、女神の導きだと言っていたが、あれはもしかして……)
自分を捕らえるため、あえてアトレテス領土内に招き入れたのだとしたら……ゆっくりと目を開くと、自分の黒髪が視界の端でわずかに揺れるのが見えた。
(最初からわたしを捕らえ、道具として利用するための作戦だったのか)
つまり、あの段階でアトレテスはすでにメレキアをどう併合するか考えていたということだ。そして最前線にいるのが自分だと知り、懐に誘い込む作戦を練ったのだろう。
(わたしはどこにいても道具なのだな)
もはやため息すら出なかった。メレキアでは父王の道具として扱われ、今度はアトレテスのための道具として囚われの身となる。所有者が変わっただけで自分の役目は変わらない。
(しかし今の自分に道具としての価値があるのかどうか……)
戦争前はたしかに女神の左手、女神の愛し子と呼ばれ慕われていた。大勢の民たちを見るたびに自分の立場を実感し、だからこそ神官としての務めを果たしてきた。
だが、メレキア神官軍は戦争に負けた。こうして敗戦の将となった自分を祖国が受け入れてくれるとは思えない。
(それでもアトレテス王はわたしを所有したいと思うだろうか)
そう、これは所有権の移動だ。どこにいても道具としての価値しかないのだと思うと、情けなさをとおりこして笑いたくなる。
(そもそもわたしに女神の左手としての力などないのに)
もし本当に女神の愛し子と呼ばれるほどの力があるのなら敗戦の将として捕らえられることはなかったはずだ。たとえ意に沿わない戦争だったとしてもメレキア王国を勝利に導き女神の祝福を得ていたはずだ。
(だが、現実はこうだ)
女神の威光を讃える鮮やかな緑色のメレキア軍旗は踏み荒らされ、大勢の神官兵たちが命を落とした。捕まった将も多く、すでに首をはねられた者もいるだろう。
「そういえばメレキア国王夫妻と王太子が捕らえられたこと、貴殿はご存じかか?」
思わず顔を上げそうになり、慌てて両手で拳を作った。
(陛下と王太子が捕まった……?)
自分が動揺しているのがわかったのか、冷たい声が「おや、知りませんでしたか」と呆れたように言葉を続けた。
「三人が捕らえられたのは半年ほど前のことです。メレキア王都が陥落したのも同じ時期。このような大事なことを最前線に立つ将軍に伝えないとは不思議な国ですね」
握り締めていた拳から力が抜けた。
(半年も前に祖国は陥落していたのか……)
そうとは知らずに戦い続けてきたこの半年はなんだったのだろうか。悲しみよりも虚しさがわき上がってきた。同時に伝令が来なかった理由を考える。
(……まさか、わたしを最後まで戦場に立たせるために伝えなかったのか?)
不意に浮かんだ考えにグッと目を閉じた。もしその考えが本当だとしたら、戦場にも王太子の意向を汲む者たちがいたということだ。
王妃と王太子は以前から自分の存在を疎ましく思っていた。だが、国王の意向や神官としての影響力を考えると完全に排除することはできない。しかし戦場ではどうだろうか。敵国との戦いで華々しく散ったのだとすれば民の心を揺さぶることができる。なにより自分たちの手を汚さずに邪魔者を効果的に排除することができる。
思わず「はは」と吐息のような笑い声が漏れた。神官らしからぬ考えに嫌悪感を抱きながら、「わたしはなんと罪深い存在なのだろう」と泣きたくなった。
(わたしのせいで多くの神官兵が巻き込まれたかもしれないのか)
これまで何を言われても何をされても王妃や王太子を憎んだことはなかった。自分の存在が疎まれる原因を痛いほどわかっていたからだ。だが、今胸の中に渦巻く感情は怒りだった。自分だけならまだしも大勢を巻き込むようなことをなぜしたのかと、いつも苦々しい表情で自分を見ていた異母兄の顔が蘇る。
「ふむ」
アトレテス王の声にゆっくりと目を開いた。叶うなら早く首をはねてほしいと願いつつ、じっと王の言葉を待つ。
「メレキアでの思惑に興味はない。だが、民に慕われている存在には興味がある。であれば首をはねるのは今である必要はなかろう」
王の言葉に絶望にも似た感情が広がった。自分はまた道具として生かされるのだ。そのことで祖国がどうなるのか考えるとやるせない気持ちがわき上がってくる。
握り締めた拳の中で、手のひらに爪がググッと突き刺さった。痛みを感じながら「わたしはまた流されるまま生きることになるのか」と諦めにも似た言葉が浮かぶ。ところが続くアトレテス王の言葉に頭を殴られたような衝撃を受けた。
「将軍、いやグレモンティ公爵、この者の身柄はおまえに預ける。よいな?」
怒りや情けなさに震えていた手がぴたりと止まった。
(今、アトレテス王はなんと言った……?)
グレモンティ公爵と言わなかっただろうか。グレモンティ公爵というのはディエイガー将軍の家名だ。「まさか」と顔を伏せたまま視線だけをちらりと動かす。いつからそこにいたのか、斜め前に真っ黒な靴が見えた。自分より随分大きな足に鼓動が跳ねた。
(これほど大きな足は将軍しかいない)
頭にカッと血が上った。
「承知しました」
低く艶やかな声に全身が粟立つ。
(まさか、この身は将軍に預けられる……そういうことか?)
止まっていたはずの両手がブルブルと震えだした。こんな状況だというのに喜びにも似た感情次々とわき上がってくる。
(駄目だ、しっかりしろ! わたしは道具として囚われるのだぞ。何を喜んでいるのだ!)
心の中で何度も自分を叱咤した。ギリギリと音が聞こえそうなほど拳に力を入れるが、いくら言い聞かせても胸の奥に広がる歓喜を止めることができない。
グッと奥歯を噛み締めた。敗戦の将として生きるのだと何度も言い聞かせているうちに一つの願いが頭に浮かんだ。
(願わくば最期は将軍の手で果てたい)
将軍に預けられるのなら首をはねるのも将軍ということだ。それがいつになるかはわからないが、少なくとも道具としての価値がなくなればそうなるはず。
(もはやわたしの生きる希望はそれだけだ)
死ぬために生きるというのは女神の教えに反している。それでも将軍の手でと願わずにはいられなかった。憧れ続け、将軍のような武人になりたいとすがるように抱いてきた二十年間の思いはもはや信仰にも等しい。
(将軍に命を奪われるなら本望だ)
神官としてあるまじきことだとわかっていても将軍の手にかかることを願わずにはいられなかった。
メレキア王国の元第二王子であり将軍であり、女神の愛し子という稀有な神官であるイシェイドは、こうして敵国の将軍に預けられることになった。
「入れ」と言われておとなしく中に入る。石造りの建物だからか外よりも寒く感じた。コツコツと響く足音を聞きながら進むと、こぢんまりとした部屋に到着した。質素な内装に尋問のための部屋なのだろうと想像する。
(もしくは首をはねるための部屋か)
どの国でも捕まった敗戦の将は首をはねられる。願わくば少しでいいから大地の女神への祈りの時間がほしいところだが……そこまで考えて笑いたくなった。
(わたしは最期まで神官でいるつもりなのか?)
神官兵としては当然の行為でも武人なら女神に祈ったりはしないはずだ。あれほど武人になりたいと思い隠れて鍛錬までしてきたというのに、神官としての自分が抜けないでいるのがおかしくて仕方がない。「二十年も神官でいればそうなるか」と小さくため息をついた。
(女神にはあの世で許しを乞うことにしよう)
兜を脱ぎ、静かにそのときを待つことにした。ところが「こちらへ来い」と、さらに奥の部屋へと連れて行かれる。
(ここは……)
先ほどまでの部屋と違い、質素な造りながら床には上等な敷物が敷かれ窓もあった。その窓には質の良さそうな分厚いカーテンがかけられている。正面には立派な椅子が一脚置かれていて、それがやけに目立っていた。
(ここが尋問の部屋ということか)
自分の名前を知っているということは元王子だということも知っているのだろう。これから尋問し、必要な答えを得てから首をはねるに違いない。「それにしても立派な椅子だな」と見ていると「跪け」と命じられた。言われるがまま両膝を床について頭を垂れる。
しばらくそのままでいると二人分の足音が聞こえてきた。足音が止まり、椅子に腰かけるような音がする。それを待っていたかのようにそばに立つ武人が「陛下」と口にした。
(陛下……?)
アトレテスの武人が「陛下」と呼ぶ相手は一人しかいない。床を見つめながら「まさか」と驚いた。王自ら敗戦の将に会うなど聞いたことがない。「なぜアトレテス王がここに?」と考えるが、もちろんわかるはずもなかった。
(まさか王自らが尋問を……? そんな馬鹿な)
たしかに自分は第二王子ではあったが、それも五歳までのことだ。王自ら尋問するような相手ではない。それに尋問は専門の者がやるはずだ。戸惑いながら床を見つめていると「さて」と威厳のある低い声が聞こえてきた。
「本来なら敵将は首をはねるのが常だが、どうしたものかと考えあぐねている」
アトレテス王は齢六十と聞いている。だが声には張りがあり力強く聞こえた。父王であるメレキア王とは違う恐ろしさを感じ、うなじが総毛立つ。
「陛下、メレキア王国には民たちに大層慕われている神官がいると耳にしたことがあります」
前方から王とは別の男の声が聞こえてきた。穏やかながら冷たい声が告げた「大層慕われている神官がいる」という言葉にドクリと心臓が跳ねる。
「その稀有な神官は、たしか恵み深き女神の左手、“へーニア”と呼ばれていたと記憶しています」
男の言葉に「そういうことか」と目を瞑った。自分を捕らえたのは元王子だからでも敗戦の将だからでもなく、神官としての価値があると踏んでのことだったのだ。
「ほう、女神の左手とな」
「大地の女神が愛と慈しみを授ける左手、それに例えられるかの人物は、王よりも民に愛され慕われる存在だと聞き及んでおります。その神官は黒き髪を持ち、王家の血を引く武人でもあるとか」
メレキア人に黒髪は少ないもののいないわけではない。だが王家の人間で黒髪は自分しかいなかった。「すべて知っていて捕まえたのか」と思ったものの、もしかしてと別の考えが脳裏をよぎった。
(わたしがいた隊だけが難なく最前線に進むことができた。皆、女神の導きだと言っていたが、あれはもしかして……)
自分を捕らえるため、あえてアトレテス領土内に招き入れたのだとしたら……ゆっくりと目を開くと、自分の黒髪が視界の端でわずかに揺れるのが見えた。
(最初からわたしを捕らえ、道具として利用するための作戦だったのか)
つまり、あの段階でアトレテスはすでにメレキアをどう併合するか考えていたということだ。そして最前線にいるのが自分だと知り、懐に誘い込む作戦を練ったのだろう。
(わたしはどこにいても道具なのだな)
もはやため息すら出なかった。メレキアでは父王の道具として扱われ、今度はアトレテスのための道具として囚われの身となる。所有者が変わっただけで自分の役目は変わらない。
(しかし今の自分に道具としての価値があるのかどうか……)
戦争前はたしかに女神の左手、女神の愛し子と呼ばれ慕われていた。大勢の民たちを見るたびに自分の立場を実感し、だからこそ神官としての務めを果たしてきた。
だが、メレキア神官軍は戦争に負けた。こうして敗戦の将となった自分を祖国が受け入れてくれるとは思えない。
(それでもアトレテス王はわたしを所有したいと思うだろうか)
そう、これは所有権の移動だ。どこにいても道具としての価値しかないのだと思うと、情けなさをとおりこして笑いたくなる。
(そもそもわたしに女神の左手としての力などないのに)
もし本当に女神の愛し子と呼ばれるほどの力があるのなら敗戦の将として捕らえられることはなかったはずだ。たとえ意に沿わない戦争だったとしてもメレキア王国を勝利に導き女神の祝福を得ていたはずだ。
(だが、現実はこうだ)
女神の威光を讃える鮮やかな緑色のメレキア軍旗は踏み荒らされ、大勢の神官兵たちが命を落とした。捕まった将も多く、すでに首をはねられた者もいるだろう。
「そういえばメレキア国王夫妻と王太子が捕らえられたこと、貴殿はご存じかか?」
思わず顔を上げそうになり、慌てて両手で拳を作った。
(陛下と王太子が捕まった……?)
自分が動揺しているのがわかったのか、冷たい声が「おや、知りませんでしたか」と呆れたように言葉を続けた。
「三人が捕らえられたのは半年ほど前のことです。メレキア王都が陥落したのも同じ時期。このような大事なことを最前線に立つ将軍に伝えないとは不思議な国ですね」
握り締めていた拳から力が抜けた。
(半年も前に祖国は陥落していたのか……)
そうとは知らずに戦い続けてきたこの半年はなんだったのだろうか。悲しみよりも虚しさがわき上がってきた。同時に伝令が来なかった理由を考える。
(……まさか、わたしを最後まで戦場に立たせるために伝えなかったのか?)
不意に浮かんだ考えにグッと目を閉じた。もしその考えが本当だとしたら、戦場にも王太子の意向を汲む者たちがいたということだ。
王妃と王太子は以前から自分の存在を疎ましく思っていた。だが、国王の意向や神官としての影響力を考えると完全に排除することはできない。しかし戦場ではどうだろうか。敵国との戦いで華々しく散ったのだとすれば民の心を揺さぶることができる。なにより自分たちの手を汚さずに邪魔者を効果的に排除することができる。
思わず「はは」と吐息のような笑い声が漏れた。神官らしからぬ考えに嫌悪感を抱きながら、「わたしはなんと罪深い存在なのだろう」と泣きたくなった。
(わたしのせいで多くの神官兵が巻き込まれたかもしれないのか)
これまで何を言われても何をされても王妃や王太子を憎んだことはなかった。自分の存在が疎まれる原因を痛いほどわかっていたからだ。だが、今胸の中に渦巻く感情は怒りだった。自分だけならまだしも大勢を巻き込むようなことをなぜしたのかと、いつも苦々しい表情で自分を見ていた異母兄の顔が蘇る。
「ふむ」
アトレテス王の声にゆっくりと目を開いた。叶うなら早く首をはねてほしいと願いつつ、じっと王の言葉を待つ。
「メレキアでの思惑に興味はない。だが、民に慕われている存在には興味がある。であれば首をはねるのは今である必要はなかろう」
王の言葉に絶望にも似た感情が広がった。自分はまた道具として生かされるのだ。そのことで祖国がどうなるのか考えるとやるせない気持ちがわき上がってくる。
握り締めた拳の中で、手のひらに爪がググッと突き刺さった。痛みを感じながら「わたしはまた流されるまま生きることになるのか」と諦めにも似た言葉が浮かぶ。ところが続くアトレテス王の言葉に頭を殴られたような衝撃を受けた。
「将軍、いやグレモンティ公爵、この者の身柄はおまえに預ける。よいな?」
怒りや情けなさに震えていた手がぴたりと止まった。
(今、アトレテス王はなんと言った……?)
グレモンティ公爵と言わなかっただろうか。グレモンティ公爵というのはディエイガー将軍の家名だ。「まさか」と顔を伏せたまま視線だけをちらりと動かす。いつからそこにいたのか、斜め前に真っ黒な靴が見えた。自分より随分大きな足に鼓動が跳ねた。
(これほど大きな足は将軍しかいない)
頭にカッと血が上った。
「承知しました」
低く艶やかな声に全身が粟立つ。
(まさか、この身は将軍に預けられる……そういうことか?)
止まっていたはずの両手がブルブルと震えだした。こんな状況だというのに喜びにも似た感情次々とわき上がってくる。
(駄目だ、しっかりしろ! わたしは道具として囚われるのだぞ。何を喜んでいるのだ!)
心の中で何度も自分を叱咤した。ギリギリと音が聞こえそうなほど拳に力を入れるが、いくら言い聞かせても胸の奥に広がる歓喜を止めることができない。
グッと奥歯を噛み締めた。敗戦の将として生きるのだと何度も言い聞かせているうちに一つの願いが頭に浮かんだ。
(願わくば最期は将軍の手で果てたい)
将軍に預けられるのなら首をはねるのも将軍ということだ。それがいつになるかはわからないが、少なくとも道具としての価値がなくなればそうなるはず。
(もはやわたしの生きる希望はそれだけだ)
死ぬために生きるというのは女神の教えに反している。それでも将軍の手でと願わずにはいられなかった。憧れ続け、将軍のような武人になりたいとすがるように抱いてきた二十年間の思いはもはや信仰にも等しい。
(将軍に命を奪われるなら本望だ)
神官としてあるまじきことだとわかっていても将軍の手にかかることを願わずにはいられなかった。
メレキア王国の元第二王子であり将軍であり、女神の愛し子という稀有な神官であるイシェイドは、こうして敵国の将軍に預けられることになった。
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