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6 ディエイガーという男
将軍の言葉どおりそれから二日後、再び会うことになった。緊張とわずかな期待に鼓動が忙しなくなる。それを誤魔化すように服を整えていると視線を感じて顔を上げた。
少し離れたところにヨシュアが立っている。いつもなら昼食が終わるとすぐに部屋に戻るのに、今朝の「後ほどお迎えにまいります」という執事の言葉が気になって残っているのだろう。眉間には深い皺が寄っていて、まるで睨みつけるようにこちらを見ていた。
「言いたいことはわかっている」
敵国の将軍と会うのはいかがなものかと言いたいに違いない。浮き足立っている自覚があるからか後ろめたい気持ちになった。何も言われていないのに、つい「立場を忘れたりはしない」と続けたが、ヨシュアは何も言わず静かに寝室に消えた。
(わかっている。わたしは囚われの身だ)
そして利用価値があるからこうして手厚く扱われているだけにすぎない。それでも二十年間憧れてきた人と言葉を交わせる喜びは誤魔化せなかった。
(わたしは最低だな)
散っていった神官兵たちを思えば浮かれてなどいられない。それでも興奮を抑えきれないのは、生まれて初めて心から求めてきた存在に会えるからだろうか。
(いや、初めて求めたのは剣だったか)
将軍を見てからすぐに剣を手に入れたいと思うようになった。もちろん五歳児の周りにそんなものがあるはずがない。それでも探し回り、ようやく短剣を見つけたところで王妃に見つかってしまった。部屋に呼ばれ、甲高い声でなじるように叱られたことが蘇る。
思えばあのときから王妃の態度がより厳しくなったような気がする。もしかして短剣をよからぬことに使うのではと疑われていたのだろうか。
(子どもだったとはいえ愚かなことをした)
苦い気持ちを振り切るように頭を振り、ちょうどやって来た執事の後をすがるように付いていった。
それからも二、三日に一度、将軍に呼ばれるようになった。呼び出される時間はまちまちで、朝食後のときもあれば夕食前のときもある。おそらく手空きの時間が日によって違うのだろう。気がつけばいつ呼ばれるかわからない時間を心待ちにするようになっていた。
(まるで子どもの頃に戻ったみたいだ)
そんな自分に恥ずかしくなるが、よく考えれば三十八歳の将軍にとって二十五の自分は子どものようなものかもしれない。
(それにしても将軍がそんな歳だったとは)
年齢を聞いたとき、正直驚いた。たしかに貫禄はあるものの四十手前のようには見えない。周囲にいた四十前後の人たちを思い浮かべても驚くほど若かった。
(やはり鍛えているから違うのだろうか)
想像していたより将軍の体は惚れ惚れするほど逞しかった。まず、カップを持つ手の力強さからしてまったく違う。腕を動かすたびに服の下の筋肉が動くのがわかった。とくに肩周りはガッシリとしていて、だから背丈ほどある大剣でも軽々と扱えるのだろう。腰回りの太さも想像以上で、お茶を用意している後ろ姿を見るたびに感嘆にも似たため息が漏れそうになった。
(そういえばメレキアのことは何も聞かれないな)
王家のことや神殿のことを聞くために呼び出されているのだとばかり思っていた。ところが話すのは日常的なことがほとんどで、何かを探るような素振りを見せることもない。
(それにわたしを特別な神官だと見ているふうでもない)
それが一番嬉しかった。小さい頃から特別視されることには慣れているが、将軍は自分自身を見てくれているような気がして胸がくすぐったくなる。
トントン。
扉を叩く音がした。「失礼いたします」と姿を現したのはいつもの執事で、顔を見るだけでこの後のことが浮かんでトクンと鼓動が跳ねる。
「ご用意はお済みでしょうか」
「あぁ」
「では、ご案内いたします」
すっかり聞き慣れた言葉だというのに、聞くといまだに少しだけ緊張する。深呼吸するように小さく息を吸い、将軍が待つ部屋へと向かった。
部屋では今日も将軍自らお茶を淹れ、それを前に他愛もないことをあれこれ話す。そうこうしているうちに気がつけば将軍の母親の話になっていた。
「では、あの女将軍が母君だったのですか」
母親が将軍だということは聞いていたが、まさかメレキアでも有名な女傑が母親だったとは……。思わず目を見開くと「殿下もご存じでしたか」と言われて大きく頷いた。
「大変強い方だと聞いています」
「ははは、たしかに凶暴なほど強い人でした。大陸中に名を轟かせていますが、そのほとんどが凶暴さゆえだと思っています」
「そうなのですか?」
「はい。我が国では“恐将軍”と呼ばれているほどです」
「きょう、将軍?」
「“恐ろしい将軍”ということです。もともとは凶報や凶行という意味を込めて“凶将軍”と呼ばれていましたが、さすがにそれはどうだろうということで、今では恐ろしい将軍と呼ばれるようになりました。まぁどっちもどっちという感じですが」
自国民にそう呼ばれるとは、いったいどんな人なのだろうか。あれこれ想像していると「屋敷にはおりませんのでご安心を」と言われて首を傾げた。
「一緒に住まわれていないのですか?」
「随分前に人相手の戦争には飽きたと言って出て行きました。今はどこぞの魔獣を狩っているという噂です」
魔獣という言葉にギョッとした。大陸の南側にある深い森には魔獣と呼ばれる恐ろしい生き物が棲息している。その姿はおよそ獣とは言えず、中には角持ちや三ツ目、頭が二つあるものまでいると言われていた。
幸いなことにメレキア王国は大地の女神の加護のおかげで魔獣に侵入されることはなかったが、南方の国々では魔獣対策に日々追われていると聞いている。そんな場所に自ら赴くなど正気の沙汰ではない。
「だから“凶将軍”と呼ばれているのですよ」
心配するふうでもない将軍の様子に、アトレテスの武人がいかに強いのか垣間見えたような気がした。そんな国に戦争を仕掛けるなど、なんて愚かなことをしたのだろうか。
(やはりもっと真剣に止めるべきだった)
たとえ国王や王太子が聞く耳を持っていなかったとしても、自分の立場なら神殿を動かすことができたかもしれない。完全に止めることができないまでも神官軍の出発を遅らせ、その間に何か対策が打てたのではないだろうか。
後悔先に立たずというが、それにしてもと胸が痛んだ。思わず眉を寄せたからか、将軍が「お気になさらず」と口にする。
「母は魔獣に負けるような人間ではありません。それでも気になるとおっしゃるなら、どうぞなんでもお話しください。心配事は口に出せば少しは軽くなるものです」
一瞬、将軍の母親のことかと思った。しかし自分を見るはしばみ色の目に、そうではないのだと気づく。おそらく将軍は多くのことを見透かしているに違いない。もしかするとメレキアでの自分の立場も知っているのかもしれない。
(いつか腹を割って将軍と話せる日が来るだろうか)
そんなことを思っている自分におかしくなった。道具としての役目を終えればこの命も終わる。国王の血を引く元王子を生かしておくほどアトレテス王国は愚かでも優しくもないはずだ。膝の上でグッと拳を握り、顔を上げた。
「あまりの豪傑振りに驚きました」
将軍の優しさにあえて気づかない振りをしながらそう口にすると、将軍が苦笑するように口元を緩めた。
「ああいうのを戦馬鹿というのでしょう。わたしと同じように身の丈ほどの大剣を扱い、鎧を着た人間でも一度に数人まとめて斬り捨てるような人です。あまりの強さに人ではないのではと言われることもありましたか」
「一度に数人……」
「将軍になるのも早かったと聞いています。武人の国と言われる我が国ですが、それでも母は別格だったようで、長く人ならざる者と言われていたそうです。その後、わたしを生んだことで一応は人だったのかと噂になったとか。母が誰かと結ばれるどころか子を生むとは誰も思っていなかったのでしょうね」
「お父上はアトレテス王の弟だと聞いています」
「はい。そんな父も五年前に病で亡くなりました」
「……すみません」
「お気になさらず。それに最後までしんみりするような人ではありませんでしたからね」
何かを思い出すように将軍がため息をついた。
「それまで音沙汰無しだった母が父の葬儀には姿を見せたのです。そこまではよかったのですが、父の亡骸に向かって『わたしを孕ませたことはあの世に逝っても許さん』と吐き捨てたのですよ。あれにはさすがのわたしも頭を抱えました」
「それは……なんというか……」
「母がそういう性格なのはわかっているのでなんとも思いませんが、さすがに正妻の前でそれはないだろうと」
「え? 正妻……ということは……」
「わたしは父の長子ですが母とは正式な婚姻を結んでいません。母がそれを望まなかったからです。それでも父はわたしを実子と認め、というよりでかしたと大喜びしていたそうですが」
「そうだったのですか」
「アトレテス一の武人が庶子ということに驚かれましたか?」
「いえ……わたしも似たような立場ですので……」
「ご母堂はたしか大地の女神の高位神官でしたか」
「はい」
それ以上将軍の言葉はなかったが、すべてを知られているのだとわかった。母が大地の娘と呼ばれるような神官であることも、父王が道具にするために自分を生ませたことも知っているに違いない。
(そして今も道具としてここにいる)
久しぶりに気持ちがグッと重くなった。これまでの苦い思い出が蘇っては消えていく。
「殿下とわたしは大いに違います。そもそも母は恐将軍と呼ばれるような女傑で、しかも父は自分より強い女を組み敷きたいと公言していたような男でした。そんな二人の間に生まれたわたしと似たような立場だ、とはおっしゃらないほうがよろしいかと」
内容はとんでもないが卑下しているような様子はなく、むしろ冗談のように明るい声だ。
(もしかして気を遣ってくれているのだろうか)
はしばみ色の目は優しく穏やかで、その目を見るだけで心がスッと軽くなった。
「そんな両親でしたから、わたしは幼い頃から奇異の目で見られてきました。ですが、そのおかげで強靱な精神力と剣一筋に生きてこられたのだと思っています。まぁ、剣を振るうしか能がないと言ったほうが正しいかもしれませんが」
「そんなことはありません。それに将軍を見たからこそわたしは武人になりたいと思ったのです。そう思った人はきっと大勢いるはずです」
つい熱心に答えてしまった。ハッと気づき、気恥ずかしいのを誤魔化すようにお茶を一口飲む。
「以前もわたしと見たとおっしゃっていましたが、どこかでお目にかかったことがありましたか?」
「二十年前に王宮で……といっても、わたしが一方的に見ていただけですが」
「二十年前……あぁ、もしや親善のときの……。ですが、あのときは武人だけでも百人はいたはずです。それにわたしは将軍ではなく一介の武人、よく覚えていらっしゃいますね」
「忘れられるはずがありません。将軍は周りの誰よりも大きく、そして雄々しく凛々しかった。メレキアでは見たことがない姿に衝撃を受けました」
五歳だった自分は将軍の姿に心を揺さぶられ、そして将軍の姿に神を見た。
「自分もいつかあなたのような武人になりたい、あのように逞しい人になりたい、そう思ったのです。……はばかりながら将軍はわたしの憧れであり目標なのです」
「そうでしたか」
ついに言ってしまった。気恥ずかしさはあるものの、口にしてしまえば誇らしささえ感じる。
(憧れ目指してきたのは本当なのだから恥じることはないもない。ただ、目指していたと言いながら未熟なままの腕は恥ずかしいが)
それでも本人に直接伝えることができてホッとする気持ちのほうが強かった。
「二十年前というと、殿下はまだ子どもでいらっしゃったのでは?」
「五歳でした。その後、すぐに神殿に入ったので武人になる道は選べませんでしたが……」
「五歳ですか」
将軍が思案するような表情を浮かべている。さすがに二十年も憧れてきたというのは君が悪かっただろうか。
膝の上で握り締めていた拳を開いた。そこには神官らしからぬ剣ダコがあり、手の皮も人より随分分厚くなっている。そうなるほど鍛練を積んだものの将軍のような武人にはなれないままだ。悔しいやら情けないやらなんとも言えない気分になる。
「わたしのせいでこれほど美しい人が武人の道に進んでしまったと考えると、いささか心苦しくなります。大地の女神もさぞやお怒りのことでしょう」
何を言われたのかわからず顔を上げた。
「あの、今なんと……」
「これほど美しい人に剣を持たせてしまったのかと思うと申し訳ない気持ちになる、と申し上げたのです」
「……わたしは美しくなど……」
そうした言葉はこれまで嫌になるほど聞いてきたた。暗に母に似ていると口にすることで女神の愛し子だと強調したかったのか、それとも「美しい」という言葉が賛辞だと思っているのか、とくに貴族たちには何度言われてきただろうか。
(そうした言葉も母との関係を言われているような気がして苦しかった)
聞くたびに感じていた嫌な気分を思い出し、ほんのわずか眉が寄る。
「申し訳ありません。無骨ゆえに言葉を知らず、不快にさせてしまいましたか」
「いえ、そうではないのですが……ただ、以前からそうしたことを言われることがあって……」
そもそも武人を目指しているのに「美しい人」と言われるのはどうなのだろうか。「おまえでは武人になれない」と言われているような気がしてやるせない気持ちになる。
「殿下が美しいのは否定しようのない事実です。ですが武人として殿下が努力されてきたこともまた真実。だからこそ大地の女神に許しを乞わなくてはと思ったのです」
「努力はしてきました。……ですが、それだけです」
「謙遜することはありません。鍛錬を積んでいることは体つきを見ればわかります。服の上からではありますが、しっかりと筋肉が付いているのもわかります。戦場では細身の剣を使われていたようですが、ご自分に向いている剣術もきちんと心得ていらっしゃる。武人として恥じるところなどありません」
自分を見るはしばみ色の目は真っ直ぐで嘘をついているようには見えない。もし本心からそう思ってくれているのだとしたらこれほど嬉しいことはなかった。
(それにしても見ただけでいろいろわかるのだな)
なんとすごい人なのだろう。こうして将軍と話をするたびに憧れの気持ちがますます強くなった。自分が置かれている立場を忘れてしまいそうになるほどだ。
「本当は……将軍のような大剣を振るいたいと思っていたのです。ですが、わたしの腕力ではそれは叶いませんでした」
「わたしが使うような大剣は戦場には向いていません。あのように大きくては振り上げることすら難しいですからね」
「ですが、将軍は長年大剣を使っていると聞いています」
「この体ですから細身の剣では剣のほうが駄目になってしまうのです。ですから殿下は大剣を目指すのではなく、そのまま細剣を使うのがよろしいかと」
「……ありがとうございます」
太刀筋を見てもらったわけでもないのに、正しい選択をしたのだと言われたような気がして嬉しくなった。これまで隠れてまで積んできた鍛錬は無駄ではなかったのだと誇らしい気持ちになる。
「あぁいや、こういうことを言ってはよくないな」
「将軍?」
「わたしには弟妹が一人ずついるのですが、つい先日も妹にせがまれるまま剣の話をして義母に嫌がられたのを思い出しまして」
「妹君がいらっしゃるのですか?」
「正妻の娘なので異母妹ではありますが、なぜか幼い頃からわたしの後をついて回るような妹で……今ではドレスより剣だと言って義母を悩ませているようです。おかげで義母との関係は悪化の一途をたどっています。弟のほうはわたしを毛嫌いしているので、もう数年ほど顔も合わせていません……っと、しまった。このような話は殿下のお耳を汚すだけですね」
「そんなことはありません。その、将軍のことを少しでも知ることができて嬉しいと言いますか……」
「それならよかった」
微笑む将軍の顔に胸が高鳴った。こうして家族の話をするのもすぐ思い悩んでしまう自分を気遣ってのことに違いない。捕虜でしかない自分に気を配ってくれる姿に胸が熱くなった。なんて優しい人なのだろうか。武人としてもだが、人としても強烈に惹かれる。
(もっと将軍と話をしたい)
気がつけばそんなことを思っていた。あと何度言葉を交わせるかわからないが、最期のそのときまで将軍とこうして話をしたいと願わずにはいられない。
(はは、そんなことを思うなんて、これではまるで恋をしているようだな)
ふと浮かんだ言葉に耳が熱くなった。「何を考えているんだ」と自分を叱咤しながら黒髪で顔を隠すようにカップに視線を落とした。
少し離れたところにヨシュアが立っている。いつもなら昼食が終わるとすぐに部屋に戻るのに、今朝の「後ほどお迎えにまいります」という執事の言葉が気になって残っているのだろう。眉間には深い皺が寄っていて、まるで睨みつけるようにこちらを見ていた。
「言いたいことはわかっている」
敵国の将軍と会うのはいかがなものかと言いたいに違いない。浮き足立っている自覚があるからか後ろめたい気持ちになった。何も言われていないのに、つい「立場を忘れたりはしない」と続けたが、ヨシュアは何も言わず静かに寝室に消えた。
(わかっている。わたしは囚われの身だ)
そして利用価値があるからこうして手厚く扱われているだけにすぎない。それでも二十年間憧れてきた人と言葉を交わせる喜びは誤魔化せなかった。
(わたしは最低だな)
散っていった神官兵たちを思えば浮かれてなどいられない。それでも興奮を抑えきれないのは、生まれて初めて心から求めてきた存在に会えるからだろうか。
(いや、初めて求めたのは剣だったか)
将軍を見てからすぐに剣を手に入れたいと思うようになった。もちろん五歳児の周りにそんなものがあるはずがない。それでも探し回り、ようやく短剣を見つけたところで王妃に見つかってしまった。部屋に呼ばれ、甲高い声でなじるように叱られたことが蘇る。
思えばあのときから王妃の態度がより厳しくなったような気がする。もしかして短剣をよからぬことに使うのではと疑われていたのだろうか。
(子どもだったとはいえ愚かなことをした)
苦い気持ちを振り切るように頭を振り、ちょうどやって来た執事の後をすがるように付いていった。
それからも二、三日に一度、将軍に呼ばれるようになった。呼び出される時間はまちまちで、朝食後のときもあれば夕食前のときもある。おそらく手空きの時間が日によって違うのだろう。気がつけばいつ呼ばれるかわからない時間を心待ちにするようになっていた。
(まるで子どもの頃に戻ったみたいだ)
そんな自分に恥ずかしくなるが、よく考えれば三十八歳の将軍にとって二十五の自分は子どものようなものかもしれない。
(それにしても将軍がそんな歳だったとは)
年齢を聞いたとき、正直驚いた。たしかに貫禄はあるものの四十手前のようには見えない。周囲にいた四十前後の人たちを思い浮かべても驚くほど若かった。
(やはり鍛えているから違うのだろうか)
想像していたより将軍の体は惚れ惚れするほど逞しかった。まず、カップを持つ手の力強さからしてまったく違う。腕を動かすたびに服の下の筋肉が動くのがわかった。とくに肩周りはガッシリとしていて、だから背丈ほどある大剣でも軽々と扱えるのだろう。腰回りの太さも想像以上で、お茶を用意している後ろ姿を見るたびに感嘆にも似たため息が漏れそうになった。
(そういえばメレキアのことは何も聞かれないな)
王家のことや神殿のことを聞くために呼び出されているのだとばかり思っていた。ところが話すのは日常的なことがほとんどで、何かを探るような素振りを見せることもない。
(それにわたしを特別な神官だと見ているふうでもない)
それが一番嬉しかった。小さい頃から特別視されることには慣れているが、将軍は自分自身を見てくれているような気がして胸がくすぐったくなる。
トントン。
扉を叩く音がした。「失礼いたします」と姿を現したのはいつもの執事で、顔を見るだけでこの後のことが浮かんでトクンと鼓動が跳ねる。
「ご用意はお済みでしょうか」
「あぁ」
「では、ご案内いたします」
すっかり聞き慣れた言葉だというのに、聞くといまだに少しだけ緊張する。深呼吸するように小さく息を吸い、将軍が待つ部屋へと向かった。
部屋では今日も将軍自らお茶を淹れ、それを前に他愛もないことをあれこれ話す。そうこうしているうちに気がつけば将軍の母親の話になっていた。
「では、あの女将軍が母君だったのですか」
母親が将軍だということは聞いていたが、まさかメレキアでも有名な女傑が母親だったとは……。思わず目を見開くと「殿下もご存じでしたか」と言われて大きく頷いた。
「大変強い方だと聞いています」
「ははは、たしかに凶暴なほど強い人でした。大陸中に名を轟かせていますが、そのほとんどが凶暴さゆえだと思っています」
「そうなのですか?」
「はい。我が国では“恐将軍”と呼ばれているほどです」
「きょう、将軍?」
「“恐ろしい将軍”ということです。もともとは凶報や凶行という意味を込めて“凶将軍”と呼ばれていましたが、さすがにそれはどうだろうということで、今では恐ろしい将軍と呼ばれるようになりました。まぁどっちもどっちという感じですが」
自国民にそう呼ばれるとは、いったいどんな人なのだろうか。あれこれ想像していると「屋敷にはおりませんのでご安心を」と言われて首を傾げた。
「一緒に住まわれていないのですか?」
「随分前に人相手の戦争には飽きたと言って出て行きました。今はどこぞの魔獣を狩っているという噂です」
魔獣という言葉にギョッとした。大陸の南側にある深い森には魔獣と呼ばれる恐ろしい生き物が棲息している。その姿はおよそ獣とは言えず、中には角持ちや三ツ目、頭が二つあるものまでいると言われていた。
幸いなことにメレキア王国は大地の女神の加護のおかげで魔獣に侵入されることはなかったが、南方の国々では魔獣対策に日々追われていると聞いている。そんな場所に自ら赴くなど正気の沙汰ではない。
「だから“凶将軍”と呼ばれているのですよ」
心配するふうでもない将軍の様子に、アトレテスの武人がいかに強いのか垣間見えたような気がした。そんな国に戦争を仕掛けるなど、なんて愚かなことをしたのだろうか。
(やはりもっと真剣に止めるべきだった)
たとえ国王や王太子が聞く耳を持っていなかったとしても、自分の立場なら神殿を動かすことができたかもしれない。完全に止めることができないまでも神官軍の出発を遅らせ、その間に何か対策が打てたのではないだろうか。
後悔先に立たずというが、それにしてもと胸が痛んだ。思わず眉を寄せたからか、将軍が「お気になさらず」と口にする。
「母は魔獣に負けるような人間ではありません。それでも気になるとおっしゃるなら、どうぞなんでもお話しください。心配事は口に出せば少しは軽くなるものです」
一瞬、将軍の母親のことかと思った。しかし自分を見るはしばみ色の目に、そうではないのだと気づく。おそらく将軍は多くのことを見透かしているに違いない。もしかするとメレキアでの自分の立場も知っているのかもしれない。
(いつか腹を割って将軍と話せる日が来るだろうか)
そんなことを思っている自分におかしくなった。道具としての役目を終えればこの命も終わる。国王の血を引く元王子を生かしておくほどアトレテス王国は愚かでも優しくもないはずだ。膝の上でグッと拳を握り、顔を上げた。
「あまりの豪傑振りに驚きました」
将軍の優しさにあえて気づかない振りをしながらそう口にすると、将軍が苦笑するように口元を緩めた。
「ああいうのを戦馬鹿というのでしょう。わたしと同じように身の丈ほどの大剣を扱い、鎧を着た人間でも一度に数人まとめて斬り捨てるような人です。あまりの強さに人ではないのではと言われることもありましたか」
「一度に数人……」
「将軍になるのも早かったと聞いています。武人の国と言われる我が国ですが、それでも母は別格だったようで、長く人ならざる者と言われていたそうです。その後、わたしを生んだことで一応は人だったのかと噂になったとか。母が誰かと結ばれるどころか子を生むとは誰も思っていなかったのでしょうね」
「お父上はアトレテス王の弟だと聞いています」
「はい。そんな父も五年前に病で亡くなりました」
「……すみません」
「お気になさらず。それに最後までしんみりするような人ではありませんでしたからね」
何かを思い出すように将軍がため息をついた。
「それまで音沙汰無しだった母が父の葬儀には姿を見せたのです。そこまではよかったのですが、父の亡骸に向かって『わたしを孕ませたことはあの世に逝っても許さん』と吐き捨てたのですよ。あれにはさすがのわたしも頭を抱えました」
「それは……なんというか……」
「母がそういう性格なのはわかっているのでなんとも思いませんが、さすがに正妻の前でそれはないだろうと」
「え? 正妻……ということは……」
「わたしは父の長子ですが母とは正式な婚姻を結んでいません。母がそれを望まなかったからです。それでも父はわたしを実子と認め、というよりでかしたと大喜びしていたそうですが」
「そうだったのですか」
「アトレテス一の武人が庶子ということに驚かれましたか?」
「いえ……わたしも似たような立場ですので……」
「ご母堂はたしか大地の女神の高位神官でしたか」
「はい」
それ以上将軍の言葉はなかったが、すべてを知られているのだとわかった。母が大地の娘と呼ばれるような神官であることも、父王が道具にするために自分を生ませたことも知っているに違いない。
(そして今も道具としてここにいる)
久しぶりに気持ちがグッと重くなった。これまでの苦い思い出が蘇っては消えていく。
「殿下とわたしは大いに違います。そもそも母は恐将軍と呼ばれるような女傑で、しかも父は自分より強い女を組み敷きたいと公言していたような男でした。そんな二人の間に生まれたわたしと似たような立場だ、とはおっしゃらないほうがよろしいかと」
内容はとんでもないが卑下しているような様子はなく、むしろ冗談のように明るい声だ。
(もしかして気を遣ってくれているのだろうか)
はしばみ色の目は優しく穏やかで、その目を見るだけで心がスッと軽くなった。
「そんな両親でしたから、わたしは幼い頃から奇異の目で見られてきました。ですが、そのおかげで強靱な精神力と剣一筋に生きてこられたのだと思っています。まぁ、剣を振るうしか能がないと言ったほうが正しいかもしれませんが」
「そんなことはありません。それに将軍を見たからこそわたしは武人になりたいと思ったのです。そう思った人はきっと大勢いるはずです」
つい熱心に答えてしまった。ハッと気づき、気恥ずかしいのを誤魔化すようにお茶を一口飲む。
「以前もわたしと見たとおっしゃっていましたが、どこかでお目にかかったことがありましたか?」
「二十年前に王宮で……といっても、わたしが一方的に見ていただけですが」
「二十年前……あぁ、もしや親善のときの……。ですが、あのときは武人だけでも百人はいたはずです。それにわたしは将軍ではなく一介の武人、よく覚えていらっしゃいますね」
「忘れられるはずがありません。将軍は周りの誰よりも大きく、そして雄々しく凛々しかった。メレキアでは見たことがない姿に衝撃を受けました」
五歳だった自分は将軍の姿に心を揺さぶられ、そして将軍の姿に神を見た。
「自分もいつかあなたのような武人になりたい、あのように逞しい人になりたい、そう思ったのです。……はばかりながら将軍はわたしの憧れであり目標なのです」
「そうでしたか」
ついに言ってしまった。気恥ずかしさはあるものの、口にしてしまえば誇らしささえ感じる。
(憧れ目指してきたのは本当なのだから恥じることはないもない。ただ、目指していたと言いながら未熟なままの腕は恥ずかしいが)
それでも本人に直接伝えることができてホッとする気持ちのほうが強かった。
「二十年前というと、殿下はまだ子どもでいらっしゃったのでは?」
「五歳でした。その後、すぐに神殿に入ったので武人になる道は選べませんでしたが……」
「五歳ですか」
将軍が思案するような表情を浮かべている。さすがに二十年も憧れてきたというのは君が悪かっただろうか。
膝の上で握り締めていた拳を開いた。そこには神官らしからぬ剣ダコがあり、手の皮も人より随分分厚くなっている。そうなるほど鍛練を積んだものの将軍のような武人にはなれないままだ。悔しいやら情けないやらなんとも言えない気分になる。
「わたしのせいでこれほど美しい人が武人の道に進んでしまったと考えると、いささか心苦しくなります。大地の女神もさぞやお怒りのことでしょう」
何を言われたのかわからず顔を上げた。
「あの、今なんと……」
「これほど美しい人に剣を持たせてしまったのかと思うと申し訳ない気持ちになる、と申し上げたのです」
「……わたしは美しくなど……」
そうした言葉はこれまで嫌になるほど聞いてきたた。暗に母に似ていると口にすることで女神の愛し子だと強調したかったのか、それとも「美しい」という言葉が賛辞だと思っているのか、とくに貴族たちには何度言われてきただろうか。
(そうした言葉も母との関係を言われているような気がして苦しかった)
聞くたびに感じていた嫌な気分を思い出し、ほんのわずか眉が寄る。
「申し訳ありません。無骨ゆえに言葉を知らず、不快にさせてしまいましたか」
「いえ、そうではないのですが……ただ、以前からそうしたことを言われることがあって……」
そもそも武人を目指しているのに「美しい人」と言われるのはどうなのだろうか。「おまえでは武人になれない」と言われているような気がしてやるせない気持ちになる。
「殿下が美しいのは否定しようのない事実です。ですが武人として殿下が努力されてきたこともまた真実。だからこそ大地の女神に許しを乞わなくてはと思ったのです」
「努力はしてきました。……ですが、それだけです」
「謙遜することはありません。鍛錬を積んでいることは体つきを見ればわかります。服の上からではありますが、しっかりと筋肉が付いているのもわかります。戦場では細身の剣を使われていたようですが、ご自分に向いている剣術もきちんと心得ていらっしゃる。武人として恥じるところなどありません」
自分を見るはしばみ色の目は真っ直ぐで嘘をついているようには見えない。もし本心からそう思ってくれているのだとしたらこれほど嬉しいことはなかった。
(それにしても見ただけでいろいろわかるのだな)
なんとすごい人なのだろう。こうして将軍と話をするたびに憧れの気持ちがますます強くなった。自分が置かれている立場を忘れてしまいそうになるほどだ。
「本当は……将軍のような大剣を振るいたいと思っていたのです。ですが、わたしの腕力ではそれは叶いませんでした」
「わたしが使うような大剣は戦場には向いていません。あのように大きくては振り上げることすら難しいですからね」
「ですが、将軍は長年大剣を使っていると聞いています」
「この体ですから細身の剣では剣のほうが駄目になってしまうのです。ですから殿下は大剣を目指すのではなく、そのまま細剣を使うのがよろしいかと」
「……ありがとうございます」
太刀筋を見てもらったわけでもないのに、正しい選択をしたのだと言われたような気がして嬉しくなった。これまで隠れてまで積んできた鍛錬は無駄ではなかったのだと誇らしい気持ちになる。
「あぁいや、こういうことを言ってはよくないな」
「将軍?」
「わたしには弟妹が一人ずついるのですが、つい先日も妹にせがまれるまま剣の話をして義母に嫌がられたのを思い出しまして」
「妹君がいらっしゃるのですか?」
「正妻の娘なので異母妹ではありますが、なぜか幼い頃からわたしの後をついて回るような妹で……今ではドレスより剣だと言って義母を悩ませているようです。おかげで義母との関係は悪化の一途をたどっています。弟のほうはわたしを毛嫌いしているので、もう数年ほど顔も合わせていません……っと、しまった。このような話は殿下のお耳を汚すだけですね」
「そんなことはありません。その、将軍のことを少しでも知ることができて嬉しいと言いますか……」
「それならよかった」
微笑む将軍の顔に胸が高鳴った。こうして家族の話をするのもすぐ思い悩んでしまう自分を気遣ってのことに違いない。捕虜でしかない自分に気を配ってくれる姿に胸が熱くなった。なんて優しい人なのだろうか。武人としてもだが、人としても強烈に惹かれる。
(もっと将軍と話をしたい)
気がつけばそんなことを思っていた。あと何度言葉を交わせるかわからないが、最期のそのときまで将軍とこうして話をしたいと願わずにはいられない。
(はは、そんなことを思うなんて、これではまるで恋をしているようだな)
ふと浮かんだ言葉に耳が熱くなった。「何を考えているんだ」と自分を叱咤しながら黒髪で顔を隠すようにカップに視線を落とした。
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獣人が支配する貴族社会。
魔力こそが価値とされ、
「弱い人族」は守られるべき存在として扱われる世界で、
レオンは常識の違いに戸惑いながらも必死に生きようとする。
そんな彼を拾ったのは、
辺境を治める獣人公爵アルト。
寡黙で冷静、しかし一度守ると決めたものは決して手放さない男だった。
溺愛され、守られ、育てられる日々。
だが、レオンはただ守られるだけの存在で終わることを選ばない。
学院での出会い。
貴族社会に潜む差別と陰謀。
そして「番」という、深く重い絆。
レオンは学び、考え、
自分にしかできない魔法理論を武器に、
少しずつ“並び立つ覚悟”を身につけていく。
獣人と人族。
価値観も、立場も、すべてが違う二人が、
それでも選び合い、家族になるまでの物語。
溺愛×成長×異世界BL。
読後に残るのは、
「ここに居場所があっていい」と思える、あたたかな幸福。
【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】
古森きり
BL
【書籍化決定しました!】
詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります!
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政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。
男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。
自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。
行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。
冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。
カクヨムに書き溜め。
小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。
幽閉王子は最強皇子に包まれる
皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。
表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。