美しき神官は戦神の宝珠となる

朏猫(ミカヅキネコ)

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7 苦悩

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(今日は将軍に会えるだろうか)

 朝食を食べながら、ふとそんなことを考えている自分に気がついた。以前は朝食のときに執事が伝えてくれていたのだが、最近はまた忙しくなったようで直前にならないとわからない。それなのに五日と空けず呼ばれるのは「話し相手を務める」と約束したからなのだろう。

(前回会ったのは三日前だから、そろそろだと思うんだが……)

 まるで指折り数えているような状態に、つい苦笑めいた笑みを浮かべてしまった。慌てて頬を引き締めながら水を飲む。そうしながらも考えることは何を話そうかということばかりだ。

(これまで剣術には触れないようにしてきたが、少しくらい尋ねてもよいだろうか)

 それとも逃亡の意志があるのではと疑われるだろうか。疑われるのは困るが、いつまで将軍と会えるのかわからない。それなら会えるうちに剣術について聞いておきたかった。聞いたところで再び剣を握ることはないが、憧れの人の話を聞けるだけでもきっと満足できる。

(わたしは随分欲深くなってしまったな)

 神殿で過ごしていたときとは大違いだ。心の中で女神に許しを乞いながら将軍の顔を思い浮かべた。

(そいうえば頬の傷は若い頃に負ったものだと言っていたか)

「情けないことです」と苦笑いしていた将軍の顔を思い出した。そんなことはないと強く否定したが将軍に伝わっただろうか。

(わたしの背中の傷に比べれば情けないことなどあるものか)

 そう思ったからか古傷が疼いたような気がした。
 背中には十代のときに負った傷痕が今も残っている。あのときどういう状況だったのかはっきりしないままだが、すべて自分の至らなさが招いた結果だ。「もっと剣に集中していれば傷など負わなかったはずだ」と思いながらコップをテーブルに戻した。

(背中の傷のこと、将軍に話してみようか)

 武人として背中に傷を負うのは恥でしかない。だが、そうした話も将軍としてみたいと思った。将軍ならどんな自分もきっと受け止めてくれる。いや、受け止めてほしい。そんなことを考えている自分に気がついて驚いた。

(わたしは何を考えているんだ)

 受け止めてほしいなど傲慢すぎる。それでも将軍なら本当の自分を見てくれるのではと期待せずにはいられなかった。「何を勝手なことを……」と頭を何度か振っているとチリチリと焼けつくような視線を感じた。
 少し離れたところに立つヨシュアがこちらを見ている。相変わらず一緒に食事を取ることはなく、こうして食べ終わるのをじっと待っていた。それにしては視線がいつもより厳しいように見える。

「どうかしたのか?」

 そう声をかけると無言でテーブルに近づいてきた。

「殿下はよもやお立場をお忘れではありませんか?」
「どういう意味だ」
「グレモンティ将軍は祖国の敵、我らが女神の軍に多大な損害を与えた人物です。なによりアトレテス王国は我が国を滅ぼそうとしている仇。それをお忘れではないかと申し上げているのです」

 茶色の目が細くなった。その目を見返しながら「滅ぼそうとしている、か」と複雑な気持ちになる。
 祖国メレキア王国はすでに滅んでいるといってもいい。国王も王太子も捕らえられた今、祖国復興を願ったところで叶うことはないだろう。それなのにヨシュアはまだ滅んでいないというのだろうか。いや、そう思いたいだけなのかもしれない。

(わたしがいれば滅ばないなどと……わたしにそんな力はないというのに)

 いくら女神の愛し子と呼ばれていても、アトレテス軍を一掃するような奇跡を起こせるわけじゃない。それでも祖国のことを強く思っているヨシュアを否定することはできなかった。

「忘れてなどいない」
「それならけっこうです。たしかに将軍はよくしてくれているとは思いますが、それは殿下が女神の愛し子でいらっしゃるからです。それに殿下は女神の左手へーニアでもいらっしゃる。将軍はメレキアを手に入れるために殿下を大事にしているにすぎません。そのような相手に絆されてはなりません。これからの祖国は殿下の腕にかかっているのだということをお忘れになりませんように」
「……わかっている」
「殿下のお言葉があれば祖国の民は喜んでアトレテスの支配を受け入れるでしょう。それを狙ってのことだと、くれぐれもお忘れなきよう」
「わかっていると言っている」

 つい語気が荒くなってしまった。そんなことはヨシュアに言われなくてもわかっている。わざわざ辺鄙な場所までアトレテス王が姿を見せたのも、王が信頼しているディエイガー将軍に預けられたのもすべてはメレキア王国を手に入れるためだ。
 大地の娘と尊ばれる母に匹敵するほどの信仰心を集めていることは自分が一番よくわかっている。そんな自分を使えばアトレテス王国は苦労することなくメレキア王国を手に入れられるだろう。だからこそ将軍が気を遣ってくれていることに気づいていないわけじゃない。心の中でそう言い返しながらも胸がチクリと痛むのを感じた。

「今このときも陛下や王太子殿下は幽閉され、理不尽な扱いを受けておいでなのです。そのことを忘れ、敵国でただ生きていることなど許されないお立場です。そんなことをすれば殿下は国を、民を裏切ることになるのですよ」

 ヨシュアの言葉に胸の深い場所を引っ掻かれた気がした。

「わかっている」

 答える声が掠れた。ヨシュアにここまで言われたのは初めてだ。おそらく自分が浮き足立っていることに気づいているのだろう。あれだけ隠さなくてはと思っていたのになんというざまだろうか。

「殿下はただの神官ではありません。女神の愛し子であり第二王子でいらっしゃる。そのときが来るまで、最後まで祖国のために生きなくてはならないお立場なのです。女神の愛し子であり第二王子でもあるあなた様は、いずれ仇を討ち祖国を取り戻さなくてはなりません。それをお忘れになっては困ります」

 最後まで強い口調で言い切ったヨシュアは、朝食を食べることなく与えられた部屋へと姿を消した。
 久しぶりに聞いた「第二王子」という言葉に目を閉じた。神殿に入ってからは聞くことがなかった肩書きだが、王太子が幽閉された今、次に玉座に近い王族としての責務も負わなくてはならない。

(神官であり王子であり……わたしはいったい何者なのだろうな)

 求められるいずれも自ら欲したものではなかった。自分が唯一望んだのは武人として生きる道だったというのに、その道だけが閉ざされてしまっている。将軍として最前線に立ったが、武人としてではなくあくまで女神の代理人として据えられただけだ。
 窓の外を見た。薄曇りに見える空は春の特徴らしく、そう教えてくれたのは将軍だった。同じ春でもメレキアとは随分違っている。それが不思議でメレキアの話をすると「北方と東方ではこうも違うのですか」と熱心に耳を傾けてくれた。

(話をするだけで心がどれほど軽くなっただろう。わたしはただ将軍のそばにいたいだけなのにな)

 トントンと扉を叩く音にハッとした。「失礼いたします」と言って姿を現したのは執事だ。

「主がお呼びでございます」
「……わかった」

 あれほど心待ちにしていたのに胸の奥がズキズキと痛む。執事の声は寝室にいるヨシュアにも聞こえただろう。自分を見る茶色の冷たい眼差しを思い出し、右手にグッと力が入った。

(どうするのが正解なのだろうか)

 考えなくても結論は出ている。それなのに未練がましくそんなことを考えてしまう自分に笑いたくなった。
 いつもなら心地よい緊張と興奮を感じるが、廊下を歩いている間も部屋に入ってからもヨシュアの言葉が頭から離れない。将軍が手ずから入れてくれるお茶に舌鼓を打つこともなくじっとカップを見つめる。

「どうかしましたか?」

 近いところから聞こえてきた声にハッと顔を上げた。いつの間にか将軍がすぐそばに立っている。

「何度声をかけても返事がありませんでしたので、どうかされたのかと」
「すみません」

 答える声にも力が入らない。「謝る必要はありません」と返ってくる優しい言葉に胸がギュッと締め付けられるような気がした。

(こうして気遣ってくれるのも道具として価値があるからだ)

 わかっている。それなのにそうじゃないと思いたがっている自分がいた。

(わたしは将軍の特別になりたいのか……?)

 カップを見つめたまま口元が歪むのがわかった。これでは本当に恋をする乙女のようじゃないか。それとも二十年間憧れ続けてきた人物が目の前にいることで欲深さの底が抜けてしまったのだろうか。

「やはり部屋にいてばかりだと気が沈みますか」

 将軍の声はどこまでも優しかった。それがかえって苦しい。それでも返事をしなくてはと思って顔を上げるが将軍を見ることはできなかった。

「そのようなことはありません。それに……いえ、よくしてもらっていると感謝しています」

 声が少しだけ震えてしまった。「それに道具の身だというのに」という言葉を呑み込み、傍らに立つ将軍にそっと視線を向ける。はしばみ色の目が自分を見下ろしていた。そうしながら何か考えるように腕を組んでいる。「ふむ」と聞こえてきたため息にも似た声にドキッとした。

「できるだけ健やかに過ごしていただきたいと思い話し相手を務めてきましたが、やはり気鬱になられているようですね」
「いえ、そんなことは……」
「人も生き物、外の空気を吸わねば心身によくないと聞きます。そうですね……では、気晴らしに手合わせなどいかがですか?」
「え……?」

 まさかの提案に目を見開いた。

「あの、手合わせ、ですか?」
「はい。捕虜の身とはいえ、まったく体を動かさないのはよくないでしょう。それに殿下の剣さばきを見てみたい気持ちもあります」

 本気だろうか。優しく自分を見つめるはしばみ色の目を呆けたように見つめ返した。

「もしや、わたしが相手ではそうした気分になりませんか?」
「そんなこと、思うはずがありません」

 咄嗟にそう答えていた。叶うなら一度でいいから将軍と手合わせしてみたいとずっと思っていた。訓練所で誰かと剣を交えるたびにそう思った。
 それが叶うということだろうか。「まさかあり得ない」と思いながら興奮に体が震えるのを感じた。断らなくてはと思っているのに、わき上がる感情を抑えることができない。

「殿下、わたしと手合わせ願えますか?」
「は、はい」

 気がつけばそう答えていた。
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