美しき神官は戦神の宝珠となる

朏猫(ミカヅキネコ)

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14 無情

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(いったい何が起きているんだ?)

 部屋に戻ってからもそのことが気になって仕方なかった。手合わせを提案されたときも驚いたが、短剣はそれとはまったく違う。捕虜に短剣を渡したのだと露呈すれば将軍は間違いなく重い罰を与えられるだろう。国によっては処刑されてもおかしくない行動だ。

(なにより知られればわたし自身の命もない)

 それでも将軍は「肌身離さず」と言った。そう言わざるを得ないほどの何かが起きつつあるということだ。

(短剣が必要になるようなこと……)

 考えられるのはこの身に何かが起きようとしていることだ。メレキアの王宮ならあり得なくもないがここはアトレテス、しかもディエイガー将軍が住む屋敷だ。アトレテスの誰かが将軍の屋敷に潜り込んでまで自分の命を狙ったりするだろうか。

(そもそもわたしを殺せばアトレテス王の考えに反することになる)

 武人の頂点に立つ王に逆らってまで事を起こす者がいるとは思えない。そういう意味では王妃や王太子に存在を疎まれていたメレキアより安全かもしれなかった。

(アトレテス側に狙われているのではないとしたら、いったい誰が……)

 不意に王太子の顔が浮かんだ。鮮やかな金髪を揺らしながら整った顔で薄く笑う様子を思い出し、眉間に皺が寄る。
 こうした状況でも自分をどうにかしたいと願うのは王太子くらいだろう。だが王太子は幽閉の身だ。そんな状態で何かできるとは思えない。

(それとも王妃が……? いや、いくら王妃の兄が高位神官だったとしても力が及ばないこの地で何かできるとは思えない)

 それに自分が神殿に入ってからは王妃からの接触はなかった。王妃の兄とも顔を合わせたことはない。疑心暗鬼に揺れる自分に苦々しい気持ちになった。愛をもっとも尊いものだと説く女神に仕える神官がこんなことでどうする。
 預かった短剣を取り出した。神殿でもこうした武器を持つことはなく、だからかやけに重く感じる。「普段は細剣を振り回しているのにな」と自嘲の笑みが漏れたところで扉を叩く音がした。急いで懐に短剣を仕舞い、「入れ」と返事をする。

「失礼します」

 振り向くと扉の外にヨシュアが立っていた。わざわざ寝室を尋ねてくるのは初めてだ。いつにも増して鋭い眼差しをしていることに気づき、短剣のこともあるからか緊張が走った。

「何かあったのか?」
「何かあったのは殿下のほうではありませんか?」
「なんだと……?」

 鋭さを増した目に「まさか短剣のことを気づかれたか?」と焦った。しかしヨシュアの視線が胸のあたりを見ることはなく、なおもじっと顔を見ている。

「どういう意味だ?」
「殿下と将軍の手合わせを拝見しました」
「な……」

 思わず「なんだと」と言いかけた言葉を呑み込んだ。

(なぜそのことを知っている? ヨシュアはこの部屋から出られないはずだ)

 この部屋から中庭を望むことはできない。それなのになぜ手合わせのことを知っているのだろうか。そもそも中庭のことは執事も口にしたことはなく、どうして場所まで知っているのだろうか。

「なぜとお思いですか?」

 ヨシュアがにやりと笑った。続けて「この目で見たからですよ」と告げる。

「まさか部屋を抜け出したのか?」
「屋敷に連れて来られたときから、わたしは祖国メレキアのために動いております。ただ愚鈍に寝室に籠もっているだけだとお思いでしたか?」

 嘲るような笑みにグッと拳を握った。まさかヨシュアがそこまでするとは思わなかった。もし誰かに見つかればその場で斬り捨てられてもおかしくないことを平然とやってのける胆力にも驚いた。

(戦場では一度も剣を握る姿を見なかったが、形式だけの神官兵ではなかったということか)

 副官の力量さえ見定められなかったとは……噛み締めた奥歯がギリリと軋む。

「残念ながらわずかな時間しか拝見できませんでしたが、なるほどと納得しました」
「……どういう意味だ」
「おや、ご自分のことですよ? わたしの口から申し上げるまでもないでしょう。それとも指摘させていただいたほうがよろしいですか?」

 ヨシュアが部屋に入ってきた。一歩、また一歩と近づいてくる。

「わたしは剣に詳しくありませんが、少しの時間拝見しただけでも気づきました。殿下の動きはグレモンティ将軍によく似ていらっしゃる。さすがは武人を目指していらっしゃるだけのことはあると感服しました」
「……なぜそのことを知っている」
「殿下が密かに訓練所に潜り込み剣の腕を磨いていたことは将軍、副官なら存じ上げていますよ」

 王太子が吹聴したのだろう。だから最前線へ進めという命令に誰も異を唱えることなく、そして誰も付いてくることなく自分の隊だけが先頭に立たされたのだ。

「殿下の様子はまるでグレモンティ将軍の弟子か子飼い。アトレテスの武人なら誉れでしょうが、殿下はメレキアの神官です。女神の愛し子であり大地の女神エレツィーアでいらっしゃる。これからの祖国は殿下の肩にかかっていると申し上げたはずですが、わたしの言葉は心に届きませんでしたか」
「そんなことはない」
「そんなことは大いにあるでしょう? グレモンティ将軍に心酔しているのだと考えれば手合わせのときの殿下の表情にも納得できます」

 ヨシュアの目がギラリと光った。その目に何度も見てきた王妃と王太子の眼差しが重なる。

 ――何が“女神の愛し子”です。所詮は陛下のための道具でしかないというのに忌々しい。
 ――あちこちに愛想を振りまいて、王族として恥ずかしくないのですか?
 ――誰もおまえのことなど好きになるわけないだろう。母にも好かれていないくせに勘違いするな。
 ――姿だけは女神のようだな。その顔で今度は誰をたらし込むつもりだ?

 望んで黒髪で生まれたわけではなく好きでこの姿になったわけでもない。何度も憎悪を向けられた記憶が蘇り心がグッと重くなった。将軍との手合わせで忘れていた重苦しいものが体の深いところから泥のようににじみ出てくる。

「殿下はグレモンティ将軍を慕っていらっしゃいますね?」
「な、にを」
「隠さなくても結構です。まさか仇に恋をするとは、なんと恥知らずな」

 茶色の目が睨みつけるように鋭くなった。

「殿下は祖国のことを忘れ、民のことを忘れ、そうして仇である敵国の将軍にうつつを抜かしていらっしゃる。神官としての魂も第二王子としての気概もお忘れか」
「そのようなことは断じてない」
「言い訳はけっこう」

 鋭い言葉に反論することはできなかった。

「あれほど申し上げたというのにこの体たらくとは……。陛下も王太子殿下もどうお思いになることか」

「嘆かわしい」と言いながら額に手を当てた。

「祖国のために将軍を籠絡するということなら納得できます。殿下ほどの美貌ならあのいかつい将軍でも手玉に取ることができるでしょう。ところが祖国を忘れ、陛下や王太子殿下のことを忘れ、ただの色恋に身を落とすなどなんと嘆かわしいことか」
「忘れてなどいない」
「では、いつまで手合わせなどという武人の真似事を続けるおつもりだったのですか? 今も陛下は、王太子殿下は、そして民たちはアトレテスに苦しめられているというのに、殿下は将軍に骨抜きにされているだけではありませんか」
「それは、」
「殿下、我が国の女神は大変寛容なお方です。ですが、女神の愛し子である殿下が我が国を滅ぼそうとしている相手と結ばれることは決してお許しにならないでしょう。殿下が成すべきこと、成さねばならぬことをもう一度よくお考えください」
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