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19 最期のとき
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沼の底から浮上するような感覚がした。ゆっくりと瞼を開けると見慣れた天井が目に映る。
(……なんてひどい夢だ)
額を嫌な汗が流れ落ちた。おそるおそる下肢に手を伸ばし、濡れた感触がないことにホッとした。
(……身を清めなくては)
上半身を起こすがいつもより体が重い。これも夢のせいだろうか。それとも最後の朝だと無意識に緊張しているのだろうか。頭を二、三度ゆるく振ってベッドから出た。本当は水でもいいから頭から被ってしまいたいが、寝室を出ればヨシュアに気づかれてしまう。
(気づかれてもかまわないが余計なことを考えてしまいそうだ)
そう思って水差しの水を使うことにした。洗顔用に用意されている洗面器に水を注ぎ、そこに手拭いを浸してから顔を拭う。次に服を脱いで全身を拭い清めた。夢の残滓を拭い取るように何度も何度も全身を擦る。
カーテンの隙間から差し込む光はまだ弱い。おそらく陽が昇り始めたばかりなのだろう。将軍は昼には戻ると話していた。屋敷に戻った途端に迷惑をかけることになるなと思いながら、もう一度メレキア風の服を着て身支度を整えた。
枕の下に隠しておいた短剣を手にした。少しくらいは温まってもよさそうなものなのに、柄も鞘も夏とは思えないほど冷たい。
(短剣をこのように使うことを気に病まないでほしいが……)
脳裏をよぎったのは短剣を渡されたときのことだった。まるで短剣に嫉妬するかのような将軍の言葉を思い出し、下肢がズクンと疼く。あれほど淫らな夢を見たというのに、まだ物足りないというのだろうか。
(なるほど、わたしは将軍にああしたことをしてほしいと思っていたのか)
抱きしめられるだけでは飽き足らず、あんなにも浅ましくいやらしい欲望を抱いていたとは……。しかも尻に感じる将軍の股間に興奮さえしていた。
(わたしは将軍に抱かれたかったのだな)
愛しいと思うことはあったが、こんなふうに具体的な欲を感じたのは初めてだ。以前なら困惑し否定しようとしたかもしれないが、今はそこまで想える相手が将軍でよかったとさえ思っている。
(わたしは将軍を守りたい。それが初めて自分で選んだ道だ)
短剣を鞘から抜いた。鋭く光る刀身は手入れが行き届いているようで、これなら間違いなく一突きで終わるだろう。腹がいいだろうか、それともやはり胸だろうか。
(いや、喉が確実か)
腹や胸は場所がずれたり骨に当たったりすれば面倒なことになる。だが、喉ならば間違いなく一瞬で終わるだろう。そのぶん血が飛び散ってしまうのが心残りだが、ひと思いにという気持ちのほうが強かった。
床に両膝をついて背を伸ばした。右手を胸に当てながら最後の祈りを捧げる。女神の愛し子と呼ばれながらこのようなことになるとは、女神は許してくださるだろうか。許しが得られるまでひたすら祈り続けるしかない。「あの世では時間もたっぷりあるしな」と思いながら目を開いた。
「命を自らの手でお還しすること、お許しください」
そして叶うことなら将軍に祝福をお与えください。自分が果てたことをアトレテス王に責められることなく、この先も大陸一の武人として生涯をまっとうできるようにと加護を願う。
「どうか、愛し子の最後の願いを叶えてくださいますよう」
結局最後まで頭に浮かんだのは将軍のことだった。自嘲の笑みを浮かべながら短剣を構えて目を閉じる。天を望むように顎を上げて剣先を喉元に当てた。
「その短剣は殿下の命を守るためにお渡ししたのですが」
聞こえてきた声にハッと目を見開いた。「まさか」と振り向くと、開いた扉の向こう側に将軍が立っている。
「どう……して」
「御身お守りすると申し上げたはずです」
将軍がゆっくりと近づいてくる。まさかまだ夢の中にいるのだろうか。いや、そんなはずはない。淫らな夢を拭い取るように身も清めた。握る柄は間違いなく現実のもので……では、なぜいないはずの将軍が目の前にいるのだろうか。
茫然と見つめている間に将軍が近づいてきた。はしばみ色の目が睨んでいるように見えて息を呑む。ところが短剣を持つ腕を掴む手つきは優しく、惚けている間に短剣を奪われてしまった。
「言ったはずです。戦神の剣の名にかけてお守りすると」
「しょう、ぐん」
「ご自分を害するというのなら、殿下自身からもお守りします」
頬に大きな手が触れた。武人らしいゴツゴツした手のひらは昨日と同じ温かさで、優しい手つきに目尻が熱くなる。
「間に合ってよかった」
囁くように漏れた言葉に胸が抉られた気がした。もしあのまま短剣を突き立てていたら、血の広がる床に自分が倒れていたら、将軍の心をどれだけ傷つけていただろうか。頬に触れる親指に目尻を撫でられ、将軍の顔が少しずつ滲んでいく。
「さて、おまえにはいくつか確認したいことがある」
そう言いながら将軍が振り返った。視線を追うと部屋に入ってすぐのところにヨシュアの姿がある。いつの間に入ってきたのだろうか。まるで祈りを捧げているように床に両膝をつき、しかし表情は険しく睨むようにこちらを見ていた。その後ろにはエルドの姿もある。
「これはおまえがそそのかした結果か?」
「殿下ご自身で決められたことです」
「それを促したのはおまえではないのか?」
淡々と尋ねているように聞こえるが将軍の声には逆らえない恐ろしさがあった。ヨシュアもそれを感じたのか、何も言うことができないまま開いた口を閉じた。
「もう一度問う。この状況を作り出したのはおまえだな?」
やはり声が出ないのだろう。それが悔しいのか目尻をこれでもかとつり上げた。
「答えたくないならそれでもかまわない。だが、黙ったところでおまえの罪は明らかになっている」
「……罪、とは」
かろうじて聞き取れたヨシュアの言葉に「おまえの主はすでに口を割っている」と将軍が返した。
「な、んだと……?」
「言葉のとおりだ。幽閉の身でありながらあそこまで事を進めていたのは見事と言えよう。だが、すべて我らの手のひらで行われていたこと。はじめから成功することはない」
「……おのれ……」
ヨシュアの表情が怒りとも憎しみとも取れるものに変わった。奥歯をギリギリと噛み締めながら将軍を激しく睨みつける。
「まさか本気で事が成せると思っていたのか? 生憎だがアトレテスはそんなに甘くはないぞ」
「……野蛮な国の民が偉そうに……」
「さて、どちらが野蛮だろうな。手を差し伸べた友好国に対し宣戦布告するとは、慈悲深き女神の国とは思えないが」
「黙れ!」
「そもそも王族をただ幽閉するだけで済ませるはずがないだろう? 首をはねなかったのは愚か者たちをあぶり出すためだ。おかげでメレキア各地に潜んでいた王太子派と呼ばれる者たちを一掃することができる。アトレテス内に潜り込んでいた輩もすでに捕らえた。王太子への処分もじきに下される」
「……殿下をどうするつもりだ」
「おまえには関係のないことだ」
ヨシュアの顔がぐにゃりと歪んだ。怒り、悲しみ、恨み、憎しみ、そうした感情がすべて混ぜ合わさったような醜悪な顔が自分を睨みつける。
「はは……何が女神の愛し子だ」
渇いた笑い声が響いた。戦場にいたときでさえ冷静だった様子は欠片もなく、憎悪を宿した眼差しを向けられて背筋がゾッとした。
「何が女神の左手だ。我が国を守ることもできず、未来のメレキア王となられるアレクィード殿下の役に立つこともせず、こうしてのうのうと生き延びているだけではないか。我が祖国が滅びの道を進むのは、すべてイシェイド殿下のせいではないか」
「なんとも醜悪な言葉だな」
「黙れ野蛮人が! こんな男一人籠絡できないとは、その顔はなんのためにあるのですか? アレクィード殿下のために仇を討つならよし。たとえ返り討ちにあったとしても、立ち向かった事実は祖国の民や神官兵を鼓舞しアレクィード殿下の力となる。あなたにはそうした役目が与えられたというのに、なんとうザマでしょうね」
吐き捨てるようにヨシュアが舌打ちした。
「将軍を討つ機会を与えられながら色恋にうつつを抜かすとは、恥を知れ。そのような汚らわしい武人もどきの女神の左手など我が祖国に必要ない。そもそも大地の女神の恵みはあなたの前には広がっていなかった。生きているだけで殿下の邪魔になる存在など、さっさと自死すればよかったのだ!」
この男は本当にヨシュアなのだろうか。十カ月以上を近くで過ごしてきたというのに誰なのかわからなくなった。ヨシュアと呼びかける声すら出てこない。
「言いたいことはそれだけか?」
静寂を取り戻した部屋に将軍の声が響く。自分に向けられたものではないのに体がブルッと震えた。
「メレキアの王太子が何を考え何をしようと興味はない。おまえについても同様だ」
将軍が一歩、また一歩とヨシュアに近づいた。先ほどまで威勢よく声を荒げていたヨシュアも将軍の気配に圧倒されたのか、グッと唇を閉じ頬を引きつらせた。
「だが、イシェイド殿下に手を出すというなら話は別だ」
将軍の手が腰に下げていた剣をスッと抜いた。身の丈ほどある愛剣よりはるかに小振りな片手剣は、おそらく普段身に着けているものなのだろう。
窓から差し込む光に刀身がキラリと光った。カーテンが固く閉じられたままの部屋だからか、その光がやけに眩しく感じられる。
「イシェイド殿下を傷つける者は何人たりとも許さん」
「おいっ、ちょっと待て……!」
エルドの止める声を無視するように刀身が閃いた。直後、シュッと風を切るような音とドサリと重さのある音が聞こえてくる。将軍の体が壁となって、その奥にいるはずのヨシュアの様子を見ることができない。それでもブシュッと何かが噴き出す音とパパッと散った赤いものに何が起きたのかわかった。
少しして、ドサリという音とともに床に倒れたヨシュアの足が見えた。背中から倒れたのか足しか見えないが、将軍の足の影に見覚えのある茶色の髪らしきものが見える。
「ったく、本当に斬り捨てやがったな」
濃厚な血の臭いに満ちた部屋に、場違いなほどのんびりとしたエルドの声がした。
(……なんてひどい夢だ)
額を嫌な汗が流れ落ちた。おそるおそる下肢に手を伸ばし、濡れた感触がないことにホッとした。
(……身を清めなくては)
上半身を起こすがいつもより体が重い。これも夢のせいだろうか。それとも最後の朝だと無意識に緊張しているのだろうか。頭を二、三度ゆるく振ってベッドから出た。本当は水でもいいから頭から被ってしまいたいが、寝室を出ればヨシュアに気づかれてしまう。
(気づかれてもかまわないが余計なことを考えてしまいそうだ)
そう思って水差しの水を使うことにした。洗顔用に用意されている洗面器に水を注ぎ、そこに手拭いを浸してから顔を拭う。次に服を脱いで全身を拭い清めた。夢の残滓を拭い取るように何度も何度も全身を擦る。
カーテンの隙間から差し込む光はまだ弱い。おそらく陽が昇り始めたばかりなのだろう。将軍は昼には戻ると話していた。屋敷に戻った途端に迷惑をかけることになるなと思いながら、もう一度メレキア風の服を着て身支度を整えた。
枕の下に隠しておいた短剣を手にした。少しくらいは温まってもよさそうなものなのに、柄も鞘も夏とは思えないほど冷たい。
(短剣をこのように使うことを気に病まないでほしいが……)
脳裏をよぎったのは短剣を渡されたときのことだった。まるで短剣に嫉妬するかのような将軍の言葉を思い出し、下肢がズクンと疼く。あれほど淫らな夢を見たというのに、まだ物足りないというのだろうか。
(なるほど、わたしは将軍にああしたことをしてほしいと思っていたのか)
抱きしめられるだけでは飽き足らず、あんなにも浅ましくいやらしい欲望を抱いていたとは……。しかも尻に感じる将軍の股間に興奮さえしていた。
(わたしは将軍に抱かれたかったのだな)
愛しいと思うことはあったが、こんなふうに具体的な欲を感じたのは初めてだ。以前なら困惑し否定しようとしたかもしれないが、今はそこまで想える相手が将軍でよかったとさえ思っている。
(わたしは将軍を守りたい。それが初めて自分で選んだ道だ)
短剣を鞘から抜いた。鋭く光る刀身は手入れが行き届いているようで、これなら間違いなく一突きで終わるだろう。腹がいいだろうか、それともやはり胸だろうか。
(いや、喉が確実か)
腹や胸は場所がずれたり骨に当たったりすれば面倒なことになる。だが、喉ならば間違いなく一瞬で終わるだろう。そのぶん血が飛び散ってしまうのが心残りだが、ひと思いにという気持ちのほうが強かった。
床に両膝をついて背を伸ばした。右手を胸に当てながら最後の祈りを捧げる。女神の愛し子と呼ばれながらこのようなことになるとは、女神は許してくださるだろうか。許しが得られるまでひたすら祈り続けるしかない。「あの世では時間もたっぷりあるしな」と思いながら目を開いた。
「命を自らの手でお還しすること、お許しください」
そして叶うことなら将軍に祝福をお与えください。自分が果てたことをアトレテス王に責められることなく、この先も大陸一の武人として生涯をまっとうできるようにと加護を願う。
「どうか、愛し子の最後の願いを叶えてくださいますよう」
結局最後まで頭に浮かんだのは将軍のことだった。自嘲の笑みを浮かべながら短剣を構えて目を閉じる。天を望むように顎を上げて剣先を喉元に当てた。
「その短剣は殿下の命を守るためにお渡ししたのですが」
聞こえてきた声にハッと目を見開いた。「まさか」と振り向くと、開いた扉の向こう側に将軍が立っている。
「どう……して」
「御身お守りすると申し上げたはずです」
将軍がゆっくりと近づいてくる。まさかまだ夢の中にいるのだろうか。いや、そんなはずはない。淫らな夢を拭い取るように身も清めた。握る柄は間違いなく現実のもので……では、なぜいないはずの将軍が目の前にいるのだろうか。
茫然と見つめている間に将軍が近づいてきた。はしばみ色の目が睨んでいるように見えて息を呑む。ところが短剣を持つ腕を掴む手つきは優しく、惚けている間に短剣を奪われてしまった。
「言ったはずです。戦神の剣の名にかけてお守りすると」
「しょう、ぐん」
「ご自分を害するというのなら、殿下自身からもお守りします」
頬に大きな手が触れた。武人らしいゴツゴツした手のひらは昨日と同じ温かさで、優しい手つきに目尻が熱くなる。
「間に合ってよかった」
囁くように漏れた言葉に胸が抉られた気がした。もしあのまま短剣を突き立てていたら、血の広がる床に自分が倒れていたら、将軍の心をどれだけ傷つけていただろうか。頬に触れる親指に目尻を撫でられ、将軍の顔が少しずつ滲んでいく。
「さて、おまえにはいくつか確認したいことがある」
そう言いながら将軍が振り返った。視線を追うと部屋に入ってすぐのところにヨシュアの姿がある。いつの間に入ってきたのだろうか。まるで祈りを捧げているように床に両膝をつき、しかし表情は険しく睨むようにこちらを見ていた。その後ろにはエルドの姿もある。
「これはおまえがそそのかした結果か?」
「殿下ご自身で決められたことです」
「それを促したのはおまえではないのか?」
淡々と尋ねているように聞こえるが将軍の声には逆らえない恐ろしさがあった。ヨシュアもそれを感じたのか、何も言うことができないまま開いた口を閉じた。
「もう一度問う。この状況を作り出したのはおまえだな?」
やはり声が出ないのだろう。それが悔しいのか目尻をこれでもかとつり上げた。
「答えたくないならそれでもかまわない。だが、黙ったところでおまえの罪は明らかになっている」
「……罪、とは」
かろうじて聞き取れたヨシュアの言葉に「おまえの主はすでに口を割っている」と将軍が返した。
「な、んだと……?」
「言葉のとおりだ。幽閉の身でありながらあそこまで事を進めていたのは見事と言えよう。だが、すべて我らの手のひらで行われていたこと。はじめから成功することはない」
「……おのれ……」
ヨシュアの表情が怒りとも憎しみとも取れるものに変わった。奥歯をギリギリと噛み締めながら将軍を激しく睨みつける。
「まさか本気で事が成せると思っていたのか? 生憎だがアトレテスはそんなに甘くはないぞ」
「……野蛮な国の民が偉そうに……」
「さて、どちらが野蛮だろうな。手を差し伸べた友好国に対し宣戦布告するとは、慈悲深き女神の国とは思えないが」
「黙れ!」
「そもそも王族をただ幽閉するだけで済ませるはずがないだろう? 首をはねなかったのは愚か者たちをあぶり出すためだ。おかげでメレキア各地に潜んでいた王太子派と呼ばれる者たちを一掃することができる。アトレテス内に潜り込んでいた輩もすでに捕らえた。王太子への処分もじきに下される」
「……殿下をどうするつもりだ」
「おまえには関係のないことだ」
ヨシュアの顔がぐにゃりと歪んだ。怒り、悲しみ、恨み、憎しみ、そうした感情がすべて混ぜ合わさったような醜悪な顔が自分を睨みつける。
「はは……何が女神の愛し子だ」
渇いた笑い声が響いた。戦場にいたときでさえ冷静だった様子は欠片もなく、憎悪を宿した眼差しを向けられて背筋がゾッとした。
「何が女神の左手だ。我が国を守ることもできず、未来のメレキア王となられるアレクィード殿下の役に立つこともせず、こうしてのうのうと生き延びているだけではないか。我が祖国が滅びの道を進むのは、すべてイシェイド殿下のせいではないか」
「なんとも醜悪な言葉だな」
「黙れ野蛮人が! こんな男一人籠絡できないとは、その顔はなんのためにあるのですか? アレクィード殿下のために仇を討つならよし。たとえ返り討ちにあったとしても、立ち向かった事実は祖国の民や神官兵を鼓舞しアレクィード殿下の力となる。あなたにはそうした役目が与えられたというのに、なんとうザマでしょうね」
吐き捨てるようにヨシュアが舌打ちした。
「将軍を討つ機会を与えられながら色恋にうつつを抜かすとは、恥を知れ。そのような汚らわしい武人もどきの女神の左手など我が祖国に必要ない。そもそも大地の女神の恵みはあなたの前には広がっていなかった。生きているだけで殿下の邪魔になる存在など、さっさと自死すればよかったのだ!」
この男は本当にヨシュアなのだろうか。十カ月以上を近くで過ごしてきたというのに誰なのかわからなくなった。ヨシュアと呼びかける声すら出てこない。
「言いたいことはそれだけか?」
静寂を取り戻した部屋に将軍の声が響く。自分に向けられたものではないのに体がブルッと震えた。
「メレキアの王太子が何を考え何をしようと興味はない。おまえについても同様だ」
将軍が一歩、また一歩とヨシュアに近づいた。先ほどまで威勢よく声を荒げていたヨシュアも将軍の気配に圧倒されたのか、グッと唇を閉じ頬を引きつらせた。
「だが、イシェイド殿下に手を出すというなら話は別だ」
将軍の手が腰に下げていた剣をスッと抜いた。身の丈ほどある愛剣よりはるかに小振りな片手剣は、おそらく普段身に着けているものなのだろう。
窓から差し込む光に刀身がキラリと光った。カーテンが固く閉じられたままの部屋だからか、その光がやけに眩しく感じられる。
「イシェイド殿下を傷つける者は何人たりとも許さん」
「おいっ、ちょっと待て……!」
エルドの止める声を無視するように刀身が閃いた。直後、シュッと風を切るような音とドサリと重さのある音が聞こえてくる。将軍の体が壁となって、その奥にいるはずのヨシュアの様子を見ることができない。それでもブシュッと何かが噴き出す音とパパッと散った赤いものに何が起きたのかわかった。
少しして、ドサリという音とともに床に倒れたヨシュアの足が見えた。背中から倒れたのか足しか見えないが、将軍の足の影に見覚えのある茶色の髪らしきものが見える。
「ったく、本当に斬り捨てやがったな」
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