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20 想い
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「この部屋では落ち着かないでしょう。こちらへ」
そう言って将軍が左手を差し出した。ヨシュアを斬ったであろう剣は将軍の手になく、腰に下げていた鞘も見当たらない。
「落ち着かない部屋にしたのはおまえさんだけどな」
ため息を漏らすエルドの声に視線を向けると剣と鞘を持っていた。ちょうど鞘に収める最中ではっきりとは見えなかったが、刀身に赤いものが付いていたような気がする。いつの間に剣を渡したのだろう。それとも気がつかないほど茫然としていたということだろうか。
「後のことは任せた」
「おいおい、マジかよ」
「優秀な副官であるおまえならこの程度のこと朝飯前だろう?」
「はいはい、言ってろ。ただし陛下に叱られるのはディオだからな?」
「そのときはおとなしく叱られるさ」
こんな状況だというのに二人の会話からは緊張感のようなものが感じられない。それでもヨシュアが絶命したのは間違いなかった。わかっていてもこの目で確かめなくてはと倒れている足を見た。ところがすぐに将軍が目の前に立ち、足首から下あたりしか見えなくなる。
「さぁ、こちらへ」
手を取られて立ち上がるものの、やはり気になった。もう一度と振り返ろうとしたが今度は腰を抱かれて体ごと引き寄せられる。
「待ってください。ヨシュアをこのままにはしておけません」
「殿下に仇成す者のことを気にする必要はありません」
「いいえ、そうはいきません。ヨシュアはわたしの副官だった者です」
「副官ではありしたが、同時に反逆者でもあった。殿下にとっても、我が国にとっても」
「……それは……」
「参りましょう」
促されるように部屋を出た。それでもと振り向くが、しゃがみ込むエルドに邪魔されてヨシュアの姿を見ることはできない。それでも床に広がる赤色に「あぁ」と重いため息が漏れた。
(ヨシュアを救うことはできなかったのだろうか)
考えてもどうようもないことだとわかっている。それでも何か方法はなかったのかと考えずにはいられなかった。そもそも戦争を止めることができていればヨシュアは命を失わずに済んだはずだ。ヨシュアだけではない。多くの神官兵を死なせずに済んだ。
「殿下が気に病まれることはありません。戦争とはそういうものです」
将軍の声色はいつもと変わらないが声の響きに重いものを感じた。
(そういえばアトレテスは戦争が終わったばかりだったか)
十年ほど前まで海を挟んだ大陸にある国と戦争をしていたと聞いている。一時は上陸を許し危なかったそうだが、あれは懐に招き入れて敵国の王子の首をはねるための作戦だったと言われていた。作戦が功を奏したのか相手国はすぐに逃げ帰ったものの、弱体化したかの国は周辺国から攻め入られて今はもう国の名前すら残っていない。
(そうか、今回も同じことをしていたということか)
今さらながらそのことに気がついた。あのときそれに気づいていた者がメレキアにどのくらいいただろうか。
(長く平和が続くメレキアがそんなアトレテスに勝てるはずがない)
将軍に案内されたのは手合わせをする前に呼ばれていた部屋だった。久しぶりに見るからか妙に懐かしく感じる。
「何か飲まれますか?」
「……いえ……」
「心を落ち着かせるハーブディーを用意しましょう。お掛けになってお待ちください」
無意識のうちにいつも腰かけていた場所に座っていた。お茶を用意する将軍の背中を見ながら頭に浮かぶのはヨシュアのことばかりだ。
(昨日はあれほど憎らしいと思ったのにな)
だが、今は心安らかにと祈る言葉しか浮かばない。
「どうぞ」
「……ありがとうございます」
受け取ったカップから花のような爽やかな香りがした。一口飲むと体に溜まっていた重苦しいものが和らいでいく。知らず知らずに強張っていた体が解けるのを感じた。
「もっとご自分を大切になさってください」
「……そうですね」
「捕虜になることを生き恥だと考える武人は多いでしょう。わたしも武人ですから、その気持ちはわかります。ですが自分の意志ではなく陥れられての自死などもってのほかです」
向かい側に座った将軍が静かに、しかし力強くそう口にした。言われたことは理解できる。だが、囚われの身を恥じてそうしようと思ったわけではない。
「わたしは……将軍を守りたかったのです」
カップをテーブルに戻しながらつぶやくようにそう返事をした。
「わたしを?」
「はい。わたしがいては将軍のためにならないと思い……」
言いながら「違うな」と目を閉じた。もちろん将軍を助けたいという思いはあったが、初めて自ら選んだ道を歩むことに悦びを感じていたのも確かだ。今思えば浅はかな考えだが、仄暗い悦びに陶酔していたと言えなくもない。
(わたしは愚かだ)
目を開き、カップをじっと見つめる。
「殿下にそれほど思われていたとは望外の喜びです。ですが、わたしは殿下をお守りすると誓いました。戦神の剣として、いや、ディエイガー・グレモンティの名にかけて誓ったのです」
「……申し訳ありません……」
「謝っていただく必要はありませんが、このことは心深く留め置いてください」
深いため息が聞こえてきた。愚かなことを考えたと思いはするものの、ではどうすればよかったのかと考えても答えは出てこない。
「複雑なお立場だということは承知しています。ですが、これからは王家や国ではなくご自身を第一にお考えください。殿下はわたしにとってそれだけ大事なお方なのです。御身を軽々しく扱っていただいてはわたしが困ります」
今のはどういう意味だろうか。顔を上げると将軍がわずかに微笑んだ。
「短剣をお渡ししたのは殿下の身に危険が及ぶ可能性があったからです。ご自身の手でも守っていただきたくてお渡ししたというのに、よもやそれで自分を害されようとするとは思いもしませんでした。いや、殿下がそうした繊細なお方だと理解し切れていなかったわたしの落ち度でもありますが」
「あの、」
「副官だった男が怪しい動きをしていたことは最初から気づいていました。幽閉したメレキア王太子の周辺を動き回っていたこともです。わかっていたうえであぶり出すための餌にしたのですが、予想以上に愚かな男でしたね。そのような男のことをいつまでも気に病む必要はないでしょう」
「いえ、そうではなく大事な、というのは……」
蒸し返してまでと多少のためらいはあったものの聞き返さずにはいられなかった。
「わたしにとって殿下はなによりも大切なお方です」
「そ、れは、どういう……」
淡い期待に声が掠れてしまった。しばらく将軍を見つめるが落ち着かない気持ちになり、またカップに視線を落とす。
「殿下はメレキアに大きな影響力をお持ちです。ご自分ではそう感じていらっしゃらないかもしれませんが、メレキア王よりも重要なお方だと我が国では考えていました」
わずかに膨らんでいた期待がパッと砕け散った。「何を勝手に期待しているんだ」と眉尻を下げながらカップを見つめる。
「あの男を殿下の世話係に置いたのもメレキア内に残る不穏な輩をあぶり出すためです。殿下とわたしが接触を増やせばあの男が、さらにメレキア王太子が動き出すと思っていましたが当たりましたね」
手合わせもそのためだったということだ。胸の奥を抉られるような感覚になりながら将軍を見た。
「ヨシュアが王太子に報告すると予想していたのですか?」
「殿下と王太子の関係は承知しています。この状況なら王太子が殿下を使って何かするのではと考えていました」
「そう、ですか」
すべてはメレキアを手に入れるためだったということだ。わかっていたのに胸がキリキリと痛んだ。
「……と、最初のうちはそう考えていたのですが、途中からは本気で殿下の御身を案じていたのですよ」
雰囲気が変わった気がした。胸がざわめくような声に将軍から目が離せなくなる。
「あの男と殿下が同じ部屋にいるのだと考えるだけで不愉快で仕方がありませんでした。あらゆる万が一を考え、何事かが起きた場合を想定して短剣をお渡ししたのです」
はしばみ色の目が微笑むように少しだけ細くなった。
「何事もなくてよかったと心から安堵しています」
まさか、もしかして、そんな言葉が脳裏をよぎった。再びの淡い期待にうなじのあたりがじわりと熱くなる。
「昨日は午後まで不在だと言っていたのに、なぜ戻って来たのですか?」
「勘、とでも言いましょうか」
「勘……?」
「あの男にはすでにメレキア王太子が白状したと言いましたが、王太子はいまだに硬く口を閉ざしています。ですが何かあると感じました。なにより殿下の様子がおかしかったですからね。こう見えて人の機微には聡いほうだと自負しています」
「そう、ですか」
神殿では胸の内を悟られることがなかったというのに、将軍には筒抜けだったということだ。
(まさか、わたしの気持ちも筒抜けということは……)
顔がカッと熱くなった。そうだとしたらあまりに恥ずかしすぎる。将軍を見ることができずに視線をそっと横に逸らした。
「イシェイド殿下」
名前を呼ばれて耳の裏側がぞわっとした。視線を戻すといつになく熱っぽいはしばみ色の目が自分を見ている。
「あの男が口にしていた“色恋にうつつを抜かす”という言葉ですが」
「違います! いえ、そうではなくて、あの……」
つい否定してしまい、慌ててその言葉を否定した。将軍の表情がわずかに柔らかくなった気がした。きっと将軍は自分の気持ちに気づいている。それでもこの想いを口にしていいのかがわからない。敗戦の将に、しかも男に想いを寄せられていると知って将軍はどう思うだろうか。
(わたしは利用価値があるからこうして命がある身だ)
そんな存在に想いを寄せられて迷惑ではないだろうか。
わかっているのに「それでも伝えたい」という気持ちがわき上がってきた。言えば遠ざけられるかもしれない、それでも自分の気持ちを知ってほしい、迷惑はかけたくない、でもこの気持ちを消すことはできない。短剣を手にしたときよりも強い感情が体を駆け巡る。
グッと両手に力が入った。小さく息を吸い、覚悟を決めるように下腹に力を入れる。
「あなたをお慕いしています」
はしばみ色の目は静かに自分を見たままだ。
「初めて目にした五歳のときからずっと憧れてきました。将軍のような武人になりたいと思ってきました。もちろんその気持ちは今も変わりません。ですが、それよりも強く思うことがあるのです」
動悸がうるさくて自分の声がはっきり聞こえない。ここまで緊張するのは生まれて初めてだ。目尻や耳が熱くなるのを感じながら「わたしは……」と言いかけ、一度クッと口を閉じた。
喉がごくりと鳴った。緊張と興奮が入り混じるのを感じながら再び口を開く。
「心から将軍を慕っています。憧れではなく、その、恋情という意味で慕っているのです」
あぁ、ついに伝えてしまった。喜びよりも安堵しているのを感じていると「殿下」と呼ばれてドキッとする。
「殿下のお気持ち、嬉しく思います」
この言葉は将軍の優しさだ。そうに違いない。本心はわからないが、こうして受け止めてもらえただけで十分だとホッと息を吐いたときだった。
「わたしも殿下と同じ気持ちでおりますよ」
一瞬、息が止まった。「え?」と掠れた声を漏らしながら将軍を見る。
「生涯をかけて殿下のおそばにいましょう。それがわたしの気持ち、本心です」
「それは、どういう……」
「この先、この命が尽きるまで殿下のおそばにいると申し上げたのです。叶うならば恋い慕うことをお許しいただきたいと思っています」
「許すも何も、わたしのほうこそ……! あっ、いえ、その、わたしこそ恋い慕うことを許していただければと……そう思って……」
「こうしたことは初めてで、うまく言葉にできません」とつぶやくと、将軍が「んん」と咳払いした。
「将軍?」
「いえ、初めてという言葉にこんなにも興奮したのは初めてです」
「興奮……?」
「なんでもありません。このディエイガー、命尽きるまで殿下のおそばにいると誓います。御身、わたしが必ずやお守りしましょう」
「わたしのほうこそ将軍を守りたいと思っています」
「お気持ちはありがたいですが、ご自身の身を危険にさらしてまでわたしを守る必要はありません」
「ですが、」
「わたしは戦神の剣です。御身も我が身もこの手で守りきると約束します」
将軍が立ち上がった。そうして傍らに立ったかと思えば片膝を床について自分を見上げる。
「我が命、殿下に捧げるとここに誓います」
そう言って右手を取った。何をするのかと見ていると少し持ち上げて指先に口づける。
「しょ、将軍」
「これはわたしの生涯の誓いです」
再び指先に口づけながら、はしばみ色の目がこちらを見上げた。
「願わくば、こうして御身に触れることを許していただきたい」
将軍の声が甘く耳を刺激した。体の奥から様々な感情があふれ出し、何かが弾け飛びそうな気さえする。
気がつけばヨシュアのことは心の片隅にまで追いやられていた。なんと薄情な上官かと思ったものの、目の前の将軍にすべての意識が奪われていく。
指先に口づける将軍を見ながら「もちろんです」と答える声は熱く、それ以上に体中が燃えるように火照っているのを感じた。
そう言って将軍が左手を差し出した。ヨシュアを斬ったであろう剣は将軍の手になく、腰に下げていた鞘も見当たらない。
「落ち着かない部屋にしたのはおまえさんだけどな」
ため息を漏らすエルドの声に視線を向けると剣と鞘を持っていた。ちょうど鞘に収める最中ではっきりとは見えなかったが、刀身に赤いものが付いていたような気がする。いつの間に剣を渡したのだろう。それとも気がつかないほど茫然としていたということだろうか。
「後のことは任せた」
「おいおい、マジかよ」
「優秀な副官であるおまえならこの程度のこと朝飯前だろう?」
「はいはい、言ってろ。ただし陛下に叱られるのはディオだからな?」
「そのときはおとなしく叱られるさ」
こんな状況だというのに二人の会話からは緊張感のようなものが感じられない。それでもヨシュアが絶命したのは間違いなかった。わかっていてもこの目で確かめなくてはと倒れている足を見た。ところがすぐに将軍が目の前に立ち、足首から下あたりしか見えなくなる。
「さぁ、こちらへ」
手を取られて立ち上がるものの、やはり気になった。もう一度と振り返ろうとしたが今度は腰を抱かれて体ごと引き寄せられる。
「待ってください。ヨシュアをこのままにはしておけません」
「殿下に仇成す者のことを気にする必要はありません」
「いいえ、そうはいきません。ヨシュアはわたしの副官だった者です」
「副官ではありしたが、同時に反逆者でもあった。殿下にとっても、我が国にとっても」
「……それは……」
「参りましょう」
促されるように部屋を出た。それでもと振り向くが、しゃがみ込むエルドに邪魔されてヨシュアの姿を見ることはできない。それでも床に広がる赤色に「あぁ」と重いため息が漏れた。
(ヨシュアを救うことはできなかったのだろうか)
考えてもどうようもないことだとわかっている。それでも何か方法はなかったのかと考えずにはいられなかった。そもそも戦争を止めることができていればヨシュアは命を失わずに済んだはずだ。ヨシュアだけではない。多くの神官兵を死なせずに済んだ。
「殿下が気に病まれることはありません。戦争とはそういうものです」
将軍の声色はいつもと変わらないが声の響きに重いものを感じた。
(そういえばアトレテスは戦争が終わったばかりだったか)
十年ほど前まで海を挟んだ大陸にある国と戦争をしていたと聞いている。一時は上陸を許し危なかったそうだが、あれは懐に招き入れて敵国の王子の首をはねるための作戦だったと言われていた。作戦が功を奏したのか相手国はすぐに逃げ帰ったものの、弱体化したかの国は周辺国から攻め入られて今はもう国の名前すら残っていない。
(そうか、今回も同じことをしていたということか)
今さらながらそのことに気がついた。あのときそれに気づいていた者がメレキアにどのくらいいただろうか。
(長く平和が続くメレキアがそんなアトレテスに勝てるはずがない)
将軍に案内されたのは手合わせをする前に呼ばれていた部屋だった。久しぶりに見るからか妙に懐かしく感じる。
「何か飲まれますか?」
「……いえ……」
「心を落ち着かせるハーブディーを用意しましょう。お掛けになってお待ちください」
無意識のうちにいつも腰かけていた場所に座っていた。お茶を用意する将軍の背中を見ながら頭に浮かぶのはヨシュアのことばかりだ。
(昨日はあれほど憎らしいと思ったのにな)
だが、今は心安らかにと祈る言葉しか浮かばない。
「どうぞ」
「……ありがとうございます」
受け取ったカップから花のような爽やかな香りがした。一口飲むと体に溜まっていた重苦しいものが和らいでいく。知らず知らずに強張っていた体が解けるのを感じた。
「もっとご自分を大切になさってください」
「……そうですね」
「捕虜になることを生き恥だと考える武人は多いでしょう。わたしも武人ですから、その気持ちはわかります。ですが自分の意志ではなく陥れられての自死などもってのほかです」
向かい側に座った将軍が静かに、しかし力強くそう口にした。言われたことは理解できる。だが、囚われの身を恥じてそうしようと思ったわけではない。
「わたしは……将軍を守りたかったのです」
カップをテーブルに戻しながらつぶやくようにそう返事をした。
「わたしを?」
「はい。わたしがいては将軍のためにならないと思い……」
言いながら「違うな」と目を閉じた。もちろん将軍を助けたいという思いはあったが、初めて自ら選んだ道を歩むことに悦びを感じていたのも確かだ。今思えば浅はかな考えだが、仄暗い悦びに陶酔していたと言えなくもない。
(わたしは愚かだ)
目を開き、カップをじっと見つめる。
「殿下にそれほど思われていたとは望外の喜びです。ですが、わたしは殿下をお守りすると誓いました。戦神の剣として、いや、ディエイガー・グレモンティの名にかけて誓ったのです」
「……申し訳ありません……」
「謝っていただく必要はありませんが、このことは心深く留め置いてください」
深いため息が聞こえてきた。愚かなことを考えたと思いはするものの、ではどうすればよかったのかと考えても答えは出てこない。
「複雑なお立場だということは承知しています。ですが、これからは王家や国ではなくご自身を第一にお考えください。殿下はわたしにとってそれだけ大事なお方なのです。御身を軽々しく扱っていただいてはわたしが困ります」
今のはどういう意味だろうか。顔を上げると将軍がわずかに微笑んだ。
「短剣をお渡ししたのは殿下の身に危険が及ぶ可能性があったからです。ご自身の手でも守っていただきたくてお渡ししたというのに、よもやそれで自分を害されようとするとは思いもしませんでした。いや、殿下がそうした繊細なお方だと理解し切れていなかったわたしの落ち度でもありますが」
「あの、」
「副官だった男が怪しい動きをしていたことは最初から気づいていました。幽閉したメレキア王太子の周辺を動き回っていたこともです。わかっていたうえであぶり出すための餌にしたのですが、予想以上に愚かな男でしたね。そのような男のことをいつまでも気に病む必要はないでしょう」
「いえ、そうではなく大事な、というのは……」
蒸し返してまでと多少のためらいはあったものの聞き返さずにはいられなかった。
「わたしにとって殿下はなによりも大切なお方です」
「そ、れは、どういう……」
淡い期待に声が掠れてしまった。しばらく将軍を見つめるが落ち着かない気持ちになり、またカップに視線を落とす。
「殿下はメレキアに大きな影響力をお持ちです。ご自分ではそう感じていらっしゃらないかもしれませんが、メレキア王よりも重要なお方だと我が国では考えていました」
わずかに膨らんでいた期待がパッと砕け散った。「何を勝手に期待しているんだ」と眉尻を下げながらカップを見つめる。
「あの男を殿下の世話係に置いたのもメレキア内に残る不穏な輩をあぶり出すためです。殿下とわたしが接触を増やせばあの男が、さらにメレキア王太子が動き出すと思っていましたが当たりましたね」
手合わせもそのためだったということだ。胸の奥を抉られるような感覚になりながら将軍を見た。
「ヨシュアが王太子に報告すると予想していたのですか?」
「殿下と王太子の関係は承知しています。この状況なら王太子が殿下を使って何かするのではと考えていました」
「そう、ですか」
すべてはメレキアを手に入れるためだったということだ。わかっていたのに胸がキリキリと痛んだ。
「……と、最初のうちはそう考えていたのですが、途中からは本気で殿下の御身を案じていたのですよ」
雰囲気が変わった気がした。胸がざわめくような声に将軍から目が離せなくなる。
「あの男と殿下が同じ部屋にいるのだと考えるだけで不愉快で仕方がありませんでした。あらゆる万が一を考え、何事かが起きた場合を想定して短剣をお渡ししたのです」
はしばみ色の目が微笑むように少しだけ細くなった。
「何事もなくてよかったと心から安堵しています」
まさか、もしかして、そんな言葉が脳裏をよぎった。再びの淡い期待にうなじのあたりがじわりと熱くなる。
「昨日は午後まで不在だと言っていたのに、なぜ戻って来たのですか?」
「勘、とでも言いましょうか」
「勘……?」
「あの男にはすでにメレキア王太子が白状したと言いましたが、王太子はいまだに硬く口を閉ざしています。ですが何かあると感じました。なにより殿下の様子がおかしかったですからね。こう見えて人の機微には聡いほうだと自負しています」
「そう、ですか」
神殿では胸の内を悟られることがなかったというのに、将軍には筒抜けだったということだ。
(まさか、わたしの気持ちも筒抜けということは……)
顔がカッと熱くなった。そうだとしたらあまりに恥ずかしすぎる。将軍を見ることができずに視線をそっと横に逸らした。
「イシェイド殿下」
名前を呼ばれて耳の裏側がぞわっとした。視線を戻すといつになく熱っぽいはしばみ色の目が自分を見ている。
「あの男が口にしていた“色恋にうつつを抜かす”という言葉ですが」
「違います! いえ、そうではなくて、あの……」
つい否定してしまい、慌ててその言葉を否定した。将軍の表情がわずかに柔らかくなった気がした。きっと将軍は自分の気持ちに気づいている。それでもこの想いを口にしていいのかがわからない。敗戦の将に、しかも男に想いを寄せられていると知って将軍はどう思うだろうか。
(わたしは利用価値があるからこうして命がある身だ)
そんな存在に想いを寄せられて迷惑ではないだろうか。
わかっているのに「それでも伝えたい」という気持ちがわき上がってきた。言えば遠ざけられるかもしれない、それでも自分の気持ちを知ってほしい、迷惑はかけたくない、でもこの気持ちを消すことはできない。短剣を手にしたときよりも強い感情が体を駆け巡る。
グッと両手に力が入った。小さく息を吸い、覚悟を決めるように下腹に力を入れる。
「あなたをお慕いしています」
はしばみ色の目は静かに自分を見たままだ。
「初めて目にした五歳のときからずっと憧れてきました。将軍のような武人になりたいと思ってきました。もちろんその気持ちは今も変わりません。ですが、それよりも強く思うことがあるのです」
動悸がうるさくて自分の声がはっきり聞こえない。ここまで緊張するのは生まれて初めてだ。目尻や耳が熱くなるのを感じながら「わたしは……」と言いかけ、一度クッと口を閉じた。
喉がごくりと鳴った。緊張と興奮が入り混じるのを感じながら再び口を開く。
「心から将軍を慕っています。憧れではなく、その、恋情という意味で慕っているのです」
あぁ、ついに伝えてしまった。喜びよりも安堵しているのを感じていると「殿下」と呼ばれてドキッとする。
「殿下のお気持ち、嬉しく思います」
この言葉は将軍の優しさだ。そうに違いない。本心はわからないが、こうして受け止めてもらえただけで十分だとホッと息を吐いたときだった。
「わたしも殿下と同じ気持ちでおりますよ」
一瞬、息が止まった。「え?」と掠れた声を漏らしながら将軍を見る。
「生涯をかけて殿下のおそばにいましょう。それがわたしの気持ち、本心です」
「それは、どういう……」
「この先、この命が尽きるまで殿下のおそばにいると申し上げたのです。叶うならば恋い慕うことをお許しいただきたいと思っています」
「許すも何も、わたしのほうこそ……! あっ、いえ、その、わたしこそ恋い慕うことを許していただければと……そう思って……」
「こうしたことは初めてで、うまく言葉にできません」とつぶやくと、将軍が「んん」と咳払いした。
「将軍?」
「いえ、初めてという言葉にこんなにも興奮したのは初めてです」
「興奮……?」
「なんでもありません。このディエイガー、命尽きるまで殿下のおそばにいると誓います。御身、わたしが必ずやお守りしましょう」
「わたしのほうこそ将軍を守りたいと思っています」
「お気持ちはありがたいですが、ご自身の身を危険にさらしてまでわたしを守る必要はありません」
「ですが、」
「わたしは戦神の剣です。御身も我が身もこの手で守りきると約束します」
将軍が立ち上がった。そうして傍らに立ったかと思えば片膝を床について自分を見上げる。
「我が命、殿下に捧げるとここに誓います」
そう言って右手を取った。何をするのかと見ていると少し持ち上げて指先に口づける。
「しょ、将軍」
「これはわたしの生涯の誓いです」
再び指先に口づけながら、はしばみ色の目がこちらを見上げた。
「願わくば、こうして御身に触れることを許していただきたい」
将軍の声が甘く耳を刺激した。体の奥から様々な感情があふれ出し、何かが弾け飛びそうな気さえする。
気がつけばヨシュアのことは心の片隅にまで追いやられていた。なんと薄情な上官かと思ったものの、目の前の将軍にすべての意識が奪われていく。
指先に口づける将軍を見ながら「もちろんです」と答える声は熱く、それ以上に体中が燃えるように火照っているのを感じた。
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古森きり
BL
【書籍化決定しました!】
詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります!
たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました!
アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。
政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。
男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。
自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。
行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。
冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。
カクヨムに書き溜め。
小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。
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