美しき神官は戦神の宝珠となる

朏猫(ミカヅキネコ)

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24 新しい日常

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 ディエイガー将軍の伴侶になったとはいえ捕虜であることに変わりはない。そのため将軍の同行がない限り屋敷から出ることはできないままだ。代わりに屋敷内なら自由に移動できるようになった。
 生活の中心は軟禁されていた部屋から将軍の私室に移った。その部屋から出て目的地へと向かう。すっかり歩き慣れた廊下の先に見えてきたのは建設中の礼拝堂だ。

(まさかあの部屋を完全に取り壊すとは思わなかった)

 囚われていた部屋は、いまや見る影もない。「掃除をするより手っ取り早いので」とは将軍の言葉だが、おそらく自分を気遣ってそうしたのだろう。

(部屋を見れば最後の様子をより鮮明に思い出していただろうからな)

 ヨシュアには陥れられかけたと言ってもいい。だが、彼も女神に仕える神官の一人で自分の副官だった男だ。できることなら救いたかったと思うのは偽善、いや傲慢だろうか。
 礼拝堂が完成したら祖国のため、民のため、死んでいった神官兵たちのため、そしてヨシュアのために祈ろう。それしか自分にできることはない。

(それにしてもメレキアにある礼拝堂そっくりだ)

 アトレテスでは大地の女神エレツィーアを信仰する者はほとんどいないと聞く。それなのに完成間近の礼拝堂はメレキアにあるものとよく似ていた。おそらくこのために建築技師たちを呼び、資材もメレキアから運び込んだのだろう。

(ここまでしてくれる将軍のためにも、そしてメレキアのためにもしっかりしなくては)

 だからというわけではないが今も将軍との手合わせを続けていた。手ほどきも受けている。それだけでアトレテスの武人のようになれるとは思わないが、将軍の伴侶として恥ずかしくない腕前になりたいと思っていた。

(武人としての腕が上がれば自分の身は自分で守れるようになるはずだ)

 相手が武人であっても自分で守れるようになりたい。願わくば将軍の背中を任される存在になりたいとも思っていた。

(わたしは欲深いな)

 戦神とまで呼ばれる将軍の背中を任される者などアトレテスにもいないだろう。わかっていてもそうなりたいと思わずにはいられなかった。伴侶ではあるが、将軍とはそうした対等な関係になりたい。
 しばらく礼拝堂を眺めてから中庭に行き、一人で鍛錬に励んだ。将軍は朝から城に呼ばれているため今日の手合わせはなくなった。だからといって鍛錬を休む気にはなれない。手ほどきの内容を思い返しながらひたすら細剣を振るった。
 夕食は帰ってきた将軍とともに食べ、そのまま食堂も兼ねている居間であれこれ話をした。剣に関する話題が多いがアトレテス国内のことにも耳を傾ける。この国のことを何も知らないままでは何か起きたときに動けないからだ。
 その後、将軍は書き物があるからと書斎に向かい、それならと将軍の私室に戻った。

(先に湯を使っておくか)

 一旦部屋に入ったものの、すぐに廊下に出て少し先にある湯殿に向かう。扉を入るとすぐにむわっとした湯気を感じた。着替える場所の先には自分が二、三人入れるほどの入れ物があり、中にはたっぷりの湯が張ってある。いまだに蒸し風呂ではない風呂に違和感を覚えるが、いつか慣れる日が来るのだろうか。

(湯に浸かるというのも悪くはないだろうが……)

 アトレテスは地下から湧く湯が豊富らしく、貴族屋敷には専用の湯殿があるのだそうだ。大量の湯を沸かす必要がないからだろうが、それにしても全身湯に浸かるのだと聞いたときは驚いた。
 結局湯に入ることはなく浴びるだけで湯浴みを済ませた。濡れたままの髪を手拭いで絞るように拭いながら部屋に戻る。髪が随分長くなったからか湯を使った後の手間が煩わしい。それでも切らずにいるのは将軍に黒髪を褒められたからだ。

「鏡すら見たくないほど嫌っていた色だというのにな」

 思わず出た言葉に笑ってしまった。将軍のひと言で過去の苦い思い出さえ消えてなくなる。自分にとって将軍はそれだけ大きな存在ということだ。それが気恥ずかしくもあり誇らしくもあった。

「殿下、そろそろ休みましょうか」

 しばらくすると湯浴みを終えた将軍が寝室に入ってきた。日中は後ろに撫で上げている前髪が下りているからか、見慣れない雰囲気に今夜もドキッとしてしまう。

(やはり同じ寝室を使うというのは心臓に悪い)

 そもそも身分の高い貴族や王族は、たとえ伴侶であっても寝室を別にするのが一般的だ。それなのに将軍は「ここが殿下の部屋です」と言って自分の私室に案内した。戸惑っていることに気づいているはずなのに、いまだに別の部屋を用意する様子はない。

(わたしが言い出さないからだろうが……)

 言えば新しい部屋を用意してくれるだろう。だからこそ言えなかった。こうして顔を合わせれば落ち着かない気持ちになるが、それでも将軍と一緒にいたい。忙しい将軍との時間を確実に手に入れるには同じ寝室なのが一番だ。人はこんなにも強欲になれるのかと自分でも呆れてしまった。
 読んでいた本を閉じてベッドを見る。体の大きな将軍が使うものだから大きいのは当然だろうが、それにしてもなんという大きさだろうか。自分だけなら三人は余裕で横になれるだろう。

(それがよかったというべきか、少し寂しいというべきか)

 浮かんだ言葉に耳がカッと熱くなった。「余計なことは考えるな」と自分に言い聞かせながらベッドの端に腰かける。

「いつも思っているのですが、そうして端にいらっしゃるのはもしや遠慮されているのですか?」
「いえ、そういうわけでは……」

 遠慮ではなく気恥ずかしいだけだ。こんなことをしてまで将軍のそばにいたいと考える浅ましい自分が嫌になる。

(しかも同じベッドがいいなどと……)

 自分はこんなにもいやらしくなってしまった。女神の前で誓いを立てるまではそうしたことはしないと自分から言い出したというのに、今はそのことを後悔している。そう思ってしまう自分が恥ずかしくてたまらなかった。
 不意に下肢を暴かれたときのことを思い出した。大きな手に触れられたこと、そのとき感じたゴワゴワとした感触、力強い動き、将軍の体温と吐息、そうしたことを思い出すだけで体が疼くように熱くなる。駄目だと思っていても下腹部に熱が集まるのがわかって慌てて両足をしっかりと閉じた。

「っ」

 肩に触れられて上半身がビクッと跳ねた。驚いて振り向くと将軍が困ったような顔でこちらを見ている。

「そう警戒しないでください。お約束したとおり女神の前で誓うまでは御身に触れることはしませんので」
「もちろん将軍のことは信頼しています。そうではなくて……」

 問題は将軍ではなく自分のほうにあった。驚いたのはたしかだが、心の底では何かしらを期待している自分がますます嫌になる。

「このままでは殿下の眠りを妨げてしまうかもしれませんね。わたしは向こうのソファで寝ましょう」
「いえ! 将軍にそんなことはさせられません」

 思わず声を上げてしまった。

「ですが、何か不安があって体を強張らせているのではありませんか?」
「不安などありません」
「では、わたしに不満がおありですか? それとも伴侶になるのはやはり嫌だと?」
「そんなことは絶対にありません!」

 気がつけば将軍の腕を掴んでいた。そうではないのだと信じてほしくて、しかし本心を告げる勇気がなくて言葉が続かない。

「わたしはただ……」

 これ以上将軍に心を寄せるのが怖かった。

(それでも少しでも将軍の近くにいたいと思ってしまう)

 このままでは自分の役目も立場も忘れて将軍に溺れてしまうのではと恐ろしくなる。そうなってしまえばいいと心のどこかで思っている自分に困惑もしていた。
 将軍が微笑んだ。「怯えずともよろしいのですよ」と言われ、気持ちを見透かされたような気がしてドキッとする。

「縛られていたものがなくなり戸惑われているだけでしょう」
「そうなのでしょうか」
「人は誰もが幸せになる権利を持っている、わたしはそう思っています。殿下はこれまで周囲の者たちを優先してこられた。流され続けた人生だとおっしゃいましたが、それはご自身より周りを優先した結果とも言えます」

 はしばみ色の目が少しだけ細くなった。目尻が下がった将軍の表情は柔らかく、その顔を見るだけで胸が高鳴る。

「ですが、これからは殿下ご自身のための人生を歩むことができます」
「わたしのための人生、」
「もちろん役目や立場を捨てるという意味ではありません。それを踏まえたうえでの殿下の人生を生きるという意味です。わたしの隣で、わたしと共に」
「将軍と共に……」

 何かがパリンと割れたような気がした。ずっと抑え込んでいた気持ちがゆっくりと解放されるのを感じる。

「殿下が歩む道をわたしも共に参りましょう。ですからあまり思い悩みませんように」

 心をも守るという将軍の言葉の深い意味に触れた気がした。胸が苦しくなるほどの愛おしさが全身を駆け巡る。

「将軍」

 ベッドに片膝を乗り上げながら将軍を見た。右手を伸ばし、頬に残る傷跡にそっと触れる。

「わたしは将軍の隣を歩みたいと心から願っています。そうできるように将軍が心を砕いてくれていることもわかっています。それが嬉しくて、ほかのすべてを投げ出して将軍だけを想っていたいと……そんな自分を情けなく思っていました」
「愛しい人が目の前にいれば誰もがそう思うものです」
「将軍もですか?」
「間違いなく今の殿下よりもそう思っていますよ」

 体の奥深くから強烈な感情がわき上がってくるのを感じた。喜びというにはあまりに鮮烈で、何もかもが散り散りになってしまうほどの感覚に全身がブルッと震える。
 気がつけば将軍に口づけていた。最初はただ触れるだけの口づけを、しかしすぐに物足りなくなって何度も唇を押しつける。それでも満足できず、わき上がる感情のまま噛みつくように唇に吸いついた。
 それに応えるように将軍の舌が唇を割って入ってきた。驚く間もなく口内を舐め回されて目眩がする。それでも離れがたくて自らの舌を将軍のそれに絡ませるように必死に動かした。
 どのくらい口づけていただろうか。ゆっくりと将軍の唇が離れ、それを名残惜しく思いながら熱い息を吐く。

「危うく約束を反故にするところでした」

 それで離れたのか……寂しさより切なさに胸が痛んだ。どうか離さないでほしい、もっと触れてほしいと願いながら将軍をじっと見つめる。

「そのような顔をしてはなりません」
「どういう意味でしょうか」
「殿下に見つめられては己の欲に抗えなくなります」
「欲、とは……?」

 期待に胸が高鳴る。もう一度左頬の傷に触れた。傷痕をたどるように目元から口の端にかけて指先を動かす。そうして先ほどまで口づけていた下唇をゆっくりと撫でた。

「誘われていると考えてもよろしいか?」

 はしばみ色の目がギラリと光った。

(あぁ、この目だ)

 そういう眼差しで自分を見てほしいとずっと思っていた。獲物を前にした魔獣のような眼差しに恐怖よりも悦びがわき上がる。

「どうか辛抱などしないでください」

 気がつけばそんな言葉を口にしていた。呆れたように小さく笑った将軍が、まだ唇に触れていた人差し指をぺろりと舐める。

「そうしたことは安易に口にされませんように」
「こんなことを言うのは将軍に対してだけです」
「それならばよかった」

 頬を撫でられて肌が震えた。決して柔らかくない手のひらに興奮が止まらなくなる。頬を撫でられ、耳たぶを摘ままれ、首筋をくすぐられる感触に「あぁ」と甘いため息が漏れた。

「最後まではいたしませんので」
「そうなのですか?」
「そんなことをしては女神に神罰を下されかねません」

 まさか女神がそんなことをするはずがない。何も気にすることなくギラギラとした眼差しのまま自分を蹂躙してほしい。浅ましくもいやらしいことを思い、頬がじわじわと熱くなった。

「それにいきなりというのは難しいでしょう。そうですね……誓いの日のための準備をする、というのはいかがでしょうか」
「準備、」
「殿下を傷つけないためであれば女神も許してくださるでしょう」

 将軍の顔が近づいてくる。恍惚とした気持ちになりながら目を閉じた。熱い唇の感触に心が震える。自分の立場も役目も頭にはなく、ただ愛しい人の熱を全身に感じたいと思いながら両手を逞しい首に回した。
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