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番外編 美しき宝珠の正体1
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大地の女神の前で祈り、心身共にディエイガー将軍と結ばれてひと月余りが経った。その間、王城にいるエメウスを訪ねるため三度、将軍とともに登城した。しかし四度目の今日は宰相に呼ばれての登城になった。
「大丈夫ですか?」
「はい……いえ、まだ心がざわつくような感じはしますが」
「無理はされませんように」
「ありがとうございます」
将軍がこうして気遣ってくれるのは聞かされた内容が内容だったからだろう。
「メレキア王国第一王子アレクィードの処刑が決まりました」
宰相の冷たい声を思い出すと複雑な気持ちになる。だからといって悲しいのかと問われてもはっきりしない。たしかに衝撃は受けたが嘆きやアトレテスへの恨みのような感情は湧かなかった。
「兄の死を悼まないわたしは薄情なのでしょうか」
王城の廊下を歩きながら、ついそんな言葉を漏らしてしまった。慌てて口をつぐみ周囲を見回す。
廊下といっても部屋を長くしたような場所で、出入り口だけでなく貴賓室や控え室、大広間などに繋がる場所だからかそれなりの人数が歩いていた。貴族や武人だけでなく官吏らしき服装の人たちの姿もある。自分と将軍の婚姻を快く思わない人がいるかもしれない中で、こうした話題は避けたほうがいい。
「薄情というわけではないでしょう。自分を陥れた相手を許すことなどなかなかできることではありません」
「許す、ですか」
「わたしにはそのように見えます」
この気持ちは「許している」ことになるのだろうか。自分のことだというのによくわからない。王太子がいなくなるのだと思っても血を分けた兄がいなくなるという気持ちにはなれず、やはり薄情なのではと思ってしまう。
「本来、敗戦国の王族が脱走を企てていたというだけで大罪です。これまで刑に処されなかったのは温情だったのですよ」
「温情?」
「弟殿下であるイシェイド殿下の婚姻直後に兄弟の処刑はあまりにむごいだろうと」
将軍の言葉に「あぁ、そういうことか」と悟った。幽閉先をメレキア国内からアトレテスに移すことで王太子派のあぶり出しを狙い、さらに自分とディエイガー将軍の婚姻話が広く伝わるのを待っていたのだろう。その話を聞けば間違いなく王太子派は動き出す。その時間をあえて作っていたのだ。案の定ヨシュアは動き、文字通り首をはねられた。
自分が餌に使われたことを不快だとは思わない。そうしたことは捕虜となったときに覚悟していたことで、わかっていながら将軍の伴侶になる道を選んだ。
(半分はメレキアのため……いや、ほとんどは自分のためだ)
王太子派がくすぶり続けることはメレキアにとってよいことではない。小さなくすぶりでも次の戦争の火種になりかねないからだ。だからこそ火種を完全に消すためなら自分が餌になってもよいと思っていた。それが祖国のためになると真剣に考えていたが、それよりも将軍の傍らにいたいという気持ちが勝っている自覚はある。
「王太子のことが気になりますか?」
「そうではなく……いえ、そうですね。もし戦争が起きなかったとしても、王太子に国を導くことはできなかったでしょうから」
自分に対する異常なまでの敵愾心は、はたして本当に自分にだけ向けられていたのだろうか。エメウスがメレキア王宮でのことを語ることはないが、おそらくそれなりのことをされていたに違いない。まだ子どもだった異母兄がやりたい放題だったことも想像がつく。
(わたしが神殿に入ってからもいろいろあったのだろうし)
神殿では王宮での出来事は極力聞かないようにしていた。それでも漏れ聞こえてくる話から王宮がよくない雰囲気だったことは想像できた。そんな中で王太子が王になれば何が起きていただろうか。
「今回のことは起こるべくして起きたのだと思えてなりません。ですが弟としてそう思うのはどうなのかと……それに神官として自国の王太子の顛末を歓迎するようなことを思うのは……」
気がつけば足が止まっていた。ため息混じりの息を吐くと、「殿下」と呼ばれて顔を上げる。
「っ」
頬を撫でられて驚いた。こんな場所でと慌てて「将軍」とたしなめるが、それにかまうことなく指先がもう一度頬に触れる。
「殿下が一番に祖国を思っておられることは存じ上げています。国のためには時に非情な決断を下す必要もあります。殿下は王族として、神官として間違った思いは抱かれていません」
「将軍……」
思わず縋るように見つめてしまった。自分を見下ろすはしばみ色の目に重苦しい気持ちが少しずつ解れていくような気がする。あぁ、自分には将軍がいる。これから先、何が起きたとしても将軍がいれば大丈夫。そう思うだけで不安が消え、頬がわずかに緩んだ。
「ありがとうございます。将軍の言葉で心が軽くなりました」
「伴侶として当然のことをしたまでです」
目元がじわりと熱くなった。アトレテス王に伴侶として正式に認められてからそれなりの時間が経つというのに、いまだに伴侶と聞くと気恥ずかしくて仕方がない。
「いつも感謝しています。将軍の存在がどれほど力になっていることか」
「殿下にそう言っていただけるだけで、わたしのほうこそ喜びに身も心も震えてしまいそうですよ」
あっという間に体中が将軍のことでいっぱいになった。目尻のあたりを撫でていた無骨な指が頬にかかっていた髪に触れ、耳に掛ける。それだけで夜のことを思い出し頬が熱くなった。
「待て待て待て待て」
エルドの声にハッとした。振り向くとエルドが呆れたような顔でこちらを見ている。
「お二人ともよもやお忘れではないでしょうが、ここはまだ王城内ですからね」
「わかっている」
「わかっていて何をやってるんですか、あんたは」
「伴侶を慰めているだけだが?」
「おまえさんにとってはそれだけかもしれないけどな。殿下にこんな顔をさせただけで大罪だってこと忘れるなよ」
どういう意味だろうか。気恥ずかしい気持ちをなんとか抑えつつ首を傾げると「だから!」とエルドが悲鳴のような声を上げた。
「殿下はもう少しご自分のことに関心を持ってください! 顔を赤くしたり微笑んだり首を傾げたり、そうやって表情を変えるだけでどれだけの被害者が出ることか! 我が国を傾けるつもりですか!」
「何を言っているんだ?」
「はいはい、殿下に自覚がないのはわかっています。わかってますけどねぇ! ほらほら、旦那が嫉妬に狂う前に止めてくださいよ」
エルドの言葉に視線を傍らに向けた。将軍の様子に変わったところはないが、いまのはどういう意味だろうか。
「どうぞエルドの言葉は気になさいませんように」
「いやいや、おまえさんは気にしろよ。外に連れ出すなら完璧に囲っておいてくれ。こうやって色気を振りまかれたら本当に国が滅びかねない」
「問題ない。殿下がそれを望まない限りわたしが何かすることもない」
「当たり前だろうが! ……ちょっと待て、おまえさん、まさか殿下を見せびらかしたくてわざわざここを通ったんじゃないだろうな」
エルドがじっと将軍を見ている。将軍も見返しているが二人の間に言葉はない。
「わかった、わかった。魔獣のようなおまえさんでも、そりゃあ浮かれるよな。女神のごとき伴侶を手にしたなら連れ歩きたい気持ちはわかる」
「わたしがそんなことをすると思うか?」
「ちょ……っと待て! 微笑むな! おまえさんの笑顔はマジで死人が出る!」
エルドがそう口にした直後、あちこちから悲鳴のような声が聞こえてきた。いや、悲鳴というより断末魔に近いだろうか。周囲の反応に驚いていると、「だから笑うんじゃない!」と再びエルドが悲鳴を上げた。
(将軍が笑うと何か起きるのか?)
そういえば以前もエルドが何か話していた気がする。ちらりと将軍を見た。わずかに口元を緩めているだけだが、そうした笑みも将軍らしくて素敵だと思う。それなのに聞こえてくる周囲の悲鳴は恐怖を感じているようなものばかりで、それが不思議でならなかった。
(何をそんなに恐れて……、ん?)
不意にうなじがピリッとした。誰かに見られてるような強い視線を感じる。
(なんだ……?)
ゆっくりと視線を動かした。廊下と呼ぶには広い部屋の両端には丸い柱が並び、柱の影に隠れるように身を潜める者や寄りかかりながら顔を引きつらせている者が何人も見える。中には腰を抜かしたのか、床に尻をついている者もいた。
(とくにおかしな人物はいないようだが……)
それでも何かが気になる。そう思い、視線を右側に並ぶ柱から左側に動かしたときだった。
ヒュン! と空気を切り裂くような音がした。同時に何かが飛んでくる。わずかに背中を反らしてそれを避けるとすぐさま腰に下げていた細剣を抜いた。
カキン!
刀身が金属音を立てて何かを弾き返した。細剣が弾いたのは飛びか掛かってきた人影の持つ短剣で、刀身同士がぶつかった瞬間、凄まじいまでの殺気をぶつけられた。どうやら先に飛んできたものを追いかけるように飛びかかってきたらしい。
(狙いはわたしか)
短剣の切っ先は間違いなく自分の胸のあたりを狙っていた。人影はすぐさま反撃に動いた。足音を立てることなく再び懐に入り込もうとしたところを細剣で払いのけ、握っていた剣を逆手に持ち直し柄で敵の顔面を弾く。まさか柄で殴られると思っていなかったのか、それとも二度目の攻撃を躱されると予想していなかったのか、喉を詰まらせるような声を上げながら人影が床に転がった。
「殿下、お怪我は」
「大丈夫です。それより飛んできたものは」
「こちらに」
将軍の手には細長い棒状のものが握られていた。先端は鋭く尖り、斬るというより突き刺すのが目的で作られた武器のように見える。剣の鍛錬では見たことがないが明らかに人の命を狙うための武器だ。
倒れている男とは別の気配を感じて視線を上げた。いつの間にか廊下にいた人々に周囲を囲まれていた。距離がそれなりにあるのはまだ何かが起きると皆警戒しているのだろう。
一瞬殺気のようなものを感じた。人垣の向こう側を殺気を纏った何者かが遠ざかるのを感じる。咄嗟に追いかけようと足を踏み出したところで将軍に制された。
「逃げた者はエルドが追っています」
将軍の言葉に、そばにいたはずのエルドの姿がないことに気がついた。おそらく最初の一撃を躱したところで別の存在に気づいたのだろう。さすがはディエイガー将軍の副官だ。将軍や自分の背後を警戒しつつ、どう動くか窺っていたに違いない。
視線を床に転がっている人物に向けた。服装は官吏のように見えるが動きは明らかに武人のようだった。いや、武人というより暗殺に長けた身のこなしだったように感じる。
「何者だ?」
剣先を向けながらそう尋ねた。男の顔立ちはアトレテス風でメレキア人のようには見えない。てっきり王太子派の差し金かと思ったが違ったのだろうか。
(いや、アトレテス人を雇った可能性もあるか)
ヨシュアが王太子とやり取りをする際にアトレテス人を使っていたことはすでに露呈している。この男もそうした輩かもしれない。
じっと男を見据える。この状況でも男は睨みつけるような眼差しでこちらを見ていた。唇をグッと噛み締めているということは何もいうつもりはないのだろう。
(本当にわたしを狙っただけなのか? それにしては最初に投げられた武器の狙いが甘かったように感じるが……)
もしや将軍をも狙っていたのではないだろうか。そう思った途端に鳥肌が立った。
メレキアにとってディエイガー将軍はなんとしても排除したい存在のはずだ。王太子派なら将軍を介してアトレテスがメレキアに影響を与え続けるのを一番にやめさせたいと考えるだろう。それなら二人まとめて始末しようとするはずだ。
体の奥から何かがぶわっと膨れ上がった。全身が総毛立ち肌がビリビリと痺れる。自分が狙われたことより将軍が狙われたことのほうに体の芯がカッと熱くなり、同時に頭の中は真冬のようにスッと冷たくなった。
「もう一度尋ねる。おまえは何者だ?」
睨みつけるようにこちらを見ていた男の顔が引きつった。固く閉ざしていた唇がブルブルと震えだす。
「答えられないのなら質問を変えよう。誰の命令だ?」
男が「ひぃ」と悲鳴を漏らした。尻もちをついたような状態のまま後ずさろうとしているようだが、力が入らないのか足は床を擦るばかりだ。床についている両腕もガクガクと震えている。
「誰の命令だ?」
剣先を男に向けた。男の口から悲鳴は漏れなかった。全身を震わせながら、なぜかその目はギラリと光り目元も真っ赤になっている。まるで何かに見惚れているような表情に眉をひそめた。もう一度問いかけようと口を開きかけたところで「殿下のほうなら仕留められると思ったんでしょうねぇ」と声がした。どうやらエルドが戻って来たらしい。
「ま、隣の巨漢を見たらそう判断するのも納得できます。ところがこうしてあっさりと捕らえられてしまった。しかもディオそっくりの剣気を向けられては声も出ないでしょうよ。さて、向こうのやつと一緒に尋問を……って、待て待て待て」
慌てたようなエルドの声に振り返った。一歩踏み出した将軍をエルドが必死に止めている。将軍の手には片手剣が握られているが刀身は鞘に入ったままで抜かれてはいない。それでもピリピリとした気配に何か感じ取ったのだろう。
「おまえさんの気持ちはわからんでもないが首をはねるな。こいつは大事な尋問相手だ」
「わかっている」
「わかっているやつが剣なんか手にするか」
「斬りはしないさ」
そう言いながら将軍が隣に立った。じっと見下ろす将軍に男がますますガタガタと震え出した。
「イシェイド殿下を狙った時点で万死に値すること、忘れるな」
直後、ガンという音とともに男の股の間に剣先を立てた。鞘のままとはいえとんでもない状況に男が声にならない悲鳴を上げる。
ふと男の股間に視線が留まった。恐ろしいほどいきり立っているように見えるのは気のせいだろうか。死を感じるとそうなると聞いたことがあるが、どうやら本当だったらしい。
エルドが「はいはい」と言いながら将軍の腕をポンポンと叩いた。そうして涙まで流し始めた男の腕を掴み、「さぁ、あっちに行こうな」と立ち上がらせる。
「まったく、ディオそっくりの剣気に色香を感じるなんてねぇ。ま、こうなるのもわからんではないですが」
「後は任せたぞ」
「はいはい、任されました。死なない程度に搾り取っておきますよ」
エルドが歩き出すと人垣がサァッと開いた。男を引きずるように去るエルドの後ろ姿を見送っていると、集まっていた衆人も我に返ったように動き出す。
「どうやらほかにもあてられた者たちがいたようですね」
「えっ?」
将軍がぐるりと周りを見渡している。視線や殺気は感じないが、まだ何かあるのだろうか。
「まさか殺気を放つ姿にまでこうとは……」
「将軍?」
「あぁいえ、なんでもありません。屋敷に戻りましょう」
抜き身だった細剣を鞘に仕舞うと背中に大きな手が触れた。促されるように歩きつつ、エルドが去って行ったほうを見る。
「エルドのほうはよいのですか?」
「一度屋敷に戻ってから軍部のほうへ顔を出します」
「それでは手間になりませんか? わたしなら一人で屋敷に戻れますので」
「手間などありませんよ」
「ですが、」
「それに危険なのは先ほどのようなことだけではありません。剣を抜いた殿下の姿に懸想するものが出てこないとも限りませんので」
「け、そう、ですか?」
まさかと驚いた。いくら武人の国とはいえ、剣を抜いた自分を見てそんなことを思う者がいるはずがない。しかし仰ぎ見た将軍の表情は真剣そのものだ。
「わたしの言葉が信じられませんか?」
「そういうわけではありませんが……」
「現に先ほどの男は剣先を向けられながら興奮していました。殿下の腕ならばよほどの相手でない限り後れを取ることはないでしょうが、そうでない場合もあるということです」
男の股間を思い出した。まさかあれはそういうことだったのだろうか。
「殿下に微笑みかけられても睨まれても欲情する者はするのです」
「……これからは気をつけます」
「わたしがおりますのでご心配には及びません」
「ですが、」
「だからといってこの先ずっと屋敷に閉じこもるというのは現実的ではないでしょう」
「そうかもしれませんが」
「常にわたしがそばにおりますのでご安心を」
つまり将軍はこれからも共に外出するつもりだということだ。
(なるほど、そういうことか)
隣をちろっと見上げた。はしばみ色の視線は真っ直ぐ正面を向き、表情はいつもと変わらない。それでもほんのわずかいつもと違うものを感じた。
「やはり何か起きているのですね」
「宰相との話に聞き耳を立てられていましたか」
「宰相殿はわたしに聞こえるように話していたのではありませんか?」
歩きながら将軍が小さくため息をついた。「殿下を巻き込みたくはないのですが」と告げる将軍に「餌になる覚悟はとうにできています」と返す。
(わざわざわたしを王城に呼んだということは、それなりの目的があったということか)
たしかに王太子は異母兄ではあるが、処刑を伝えるだけならわざわざ王城に呼び出す必要はない。将軍を介して伝えれば済むことだ。それなのにわざわざ呼んだのはそれ以外に意図があったということだ。
(わたしを狙う王太子派が活発に動き始めたか……いや、他国が何か仕掛けようとしているの可能性もあるか)
メレキアは東方でも大国に数えられる国だ。国土はアトレテスの倍ほどあり、天候不良がなければ他国に侵略されることのない国力も持っている。
そのメレキアがアトレテスの支配下に置かれることに危機感を覚える国は少なくないだろう。両国が揺れている間に楔を打ち込みたい、もしくはメレキアをどうにかしたいと動き出している国があるのかもしれない。
「ご心配には及びません。たとえ何が起きようとも殿下の御身はわたしがお守りします」
将軍の言葉は心強く、たとえそう言われなくても不安を感じることはない。その状況を嬉しく思うものの守られるだけの存在でいたいとは思わなかった。
足を止め、将軍を見上げた。自分を見下ろすはしばみ色の目をじっと見つめながら口を開く。
「将軍がわたしを守りたいと思うように、わたしも将軍を守りたいと思っています。わたしの腕でそう願うのは傲慢かもしれませんが、それでもわたしは将軍を守りたい」
「殿下」
「二人で対処すれば苦労も半分、いえそれ以下になるのではありませんか?」
はしばみ色の目がわずかに細くなった。そうかと思えば口の端がゆっくりと持ち上がる。
「承知しました。殿下のお気持ち、心に留め置きましょう。ですが無理はされませんように」
「わかっています。……もしや、わたしの腕では難しいと考えているのですか?」
「いいえ、我が国の武人でも、いまや殿下に敵う者は少ないでしょう。ですが武器で迫ってくる輩だけとは限りません」
「武器以外となると……毒、それに魔獣を使うという手もありますね」
「それらも十分に気をつけなくてはなりませんが、殿下にもっとも効果的なのは色事でしょうね」
そんなことはないと言いかけて口を閉じた。愛を説くメレキアの神官として知識だけは大いにあるが、たしかにその点を攻められると一瞬でも怯んでしまうかもしれない。
「ご心配なく。そうしたことにも対処できるようわたしが手ほどきして差し上げますので」
「しょ、将軍っ」
微笑む将軍の顔に耳まで熱くなった。こうしたところが駄目なのだとわかっているものの気恥ずかしくて言葉が続かない。
(だが、こんなふうになるのは相手が将軍だからだ)
ほかの誰に同じことを言われても、いや、もっと卑猥なことを囁かれてもここまで動揺したりはしない。もし短剣の代わりに滾った股間をすり寄せられたとしても反撃できる自信はある。
背中に触れている大きな手の感触に鼓動が速くなってきた。この手は今夜も自分に触れてくれるだろうか。夜のことを期待している自分に気づき、慌てて睨むように正面に視線を向けた。
「大丈夫ですか?」
「はい……いえ、まだ心がざわつくような感じはしますが」
「無理はされませんように」
「ありがとうございます」
将軍がこうして気遣ってくれるのは聞かされた内容が内容だったからだろう。
「メレキア王国第一王子アレクィードの処刑が決まりました」
宰相の冷たい声を思い出すと複雑な気持ちになる。だからといって悲しいのかと問われてもはっきりしない。たしかに衝撃は受けたが嘆きやアトレテスへの恨みのような感情は湧かなかった。
「兄の死を悼まないわたしは薄情なのでしょうか」
王城の廊下を歩きながら、ついそんな言葉を漏らしてしまった。慌てて口をつぐみ周囲を見回す。
廊下といっても部屋を長くしたような場所で、出入り口だけでなく貴賓室や控え室、大広間などに繋がる場所だからかそれなりの人数が歩いていた。貴族や武人だけでなく官吏らしき服装の人たちの姿もある。自分と将軍の婚姻を快く思わない人がいるかもしれない中で、こうした話題は避けたほうがいい。
「薄情というわけではないでしょう。自分を陥れた相手を許すことなどなかなかできることではありません」
「許す、ですか」
「わたしにはそのように見えます」
この気持ちは「許している」ことになるのだろうか。自分のことだというのによくわからない。王太子がいなくなるのだと思っても血を分けた兄がいなくなるという気持ちにはなれず、やはり薄情なのではと思ってしまう。
「本来、敗戦国の王族が脱走を企てていたというだけで大罪です。これまで刑に処されなかったのは温情だったのですよ」
「温情?」
「弟殿下であるイシェイド殿下の婚姻直後に兄弟の処刑はあまりにむごいだろうと」
将軍の言葉に「あぁ、そういうことか」と悟った。幽閉先をメレキア国内からアトレテスに移すことで王太子派のあぶり出しを狙い、さらに自分とディエイガー将軍の婚姻話が広く伝わるのを待っていたのだろう。その話を聞けば間違いなく王太子派は動き出す。その時間をあえて作っていたのだ。案の定ヨシュアは動き、文字通り首をはねられた。
自分が餌に使われたことを不快だとは思わない。そうしたことは捕虜となったときに覚悟していたことで、わかっていながら将軍の伴侶になる道を選んだ。
(半分はメレキアのため……いや、ほとんどは自分のためだ)
王太子派がくすぶり続けることはメレキアにとってよいことではない。小さなくすぶりでも次の戦争の火種になりかねないからだ。だからこそ火種を完全に消すためなら自分が餌になってもよいと思っていた。それが祖国のためになると真剣に考えていたが、それよりも将軍の傍らにいたいという気持ちが勝っている自覚はある。
「王太子のことが気になりますか?」
「そうではなく……いえ、そうですね。もし戦争が起きなかったとしても、王太子に国を導くことはできなかったでしょうから」
自分に対する異常なまでの敵愾心は、はたして本当に自分にだけ向けられていたのだろうか。エメウスがメレキア王宮でのことを語ることはないが、おそらくそれなりのことをされていたに違いない。まだ子どもだった異母兄がやりたい放題だったことも想像がつく。
(わたしが神殿に入ってからもいろいろあったのだろうし)
神殿では王宮での出来事は極力聞かないようにしていた。それでも漏れ聞こえてくる話から王宮がよくない雰囲気だったことは想像できた。そんな中で王太子が王になれば何が起きていただろうか。
「今回のことは起こるべくして起きたのだと思えてなりません。ですが弟としてそう思うのはどうなのかと……それに神官として自国の王太子の顛末を歓迎するようなことを思うのは……」
気がつけば足が止まっていた。ため息混じりの息を吐くと、「殿下」と呼ばれて顔を上げる。
「っ」
頬を撫でられて驚いた。こんな場所でと慌てて「将軍」とたしなめるが、それにかまうことなく指先がもう一度頬に触れる。
「殿下が一番に祖国を思っておられることは存じ上げています。国のためには時に非情な決断を下す必要もあります。殿下は王族として、神官として間違った思いは抱かれていません」
「将軍……」
思わず縋るように見つめてしまった。自分を見下ろすはしばみ色の目に重苦しい気持ちが少しずつ解れていくような気がする。あぁ、自分には将軍がいる。これから先、何が起きたとしても将軍がいれば大丈夫。そう思うだけで不安が消え、頬がわずかに緩んだ。
「ありがとうございます。将軍の言葉で心が軽くなりました」
「伴侶として当然のことをしたまでです」
目元がじわりと熱くなった。アトレテス王に伴侶として正式に認められてからそれなりの時間が経つというのに、いまだに伴侶と聞くと気恥ずかしくて仕方がない。
「いつも感謝しています。将軍の存在がどれほど力になっていることか」
「殿下にそう言っていただけるだけで、わたしのほうこそ喜びに身も心も震えてしまいそうですよ」
あっという間に体中が将軍のことでいっぱいになった。目尻のあたりを撫でていた無骨な指が頬にかかっていた髪に触れ、耳に掛ける。それだけで夜のことを思い出し頬が熱くなった。
「待て待て待て待て」
エルドの声にハッとした。振り向くとエルドが呆れたような顔でこちらを見ている。
「お二人ともよもやお忘れではないでしょうが、ここはまだ王城内ですからね」
「わかっている」
「わかっていて何をやってるんですか、あんたは」
「伴侶を慰めているだけだが?」
「おまえさんにとってはそれだけかもしれないけどな。殿下にこんな顔をさせただけで大罪だってこと忘れるなよ」
どういう意味だろうか。気恥ずかしい気持ちをなんとか抑えつつ首を傾げると「だから!」とエルドが悲鳴のような声を上げた。
「殿下はもう少しご自分のことに関心を持ってください! 顔を赤くしたり微笑んだり首を傾げたり、そうやって表情を変えるだけでどれだけの被害者が出ることか! 我が国を傾けるつもりですか!」
「何を言っているんだ?」
「はいはい、殿下に自覚がないのはわかっています。わかってますけどねぇ! ほらほら、旦那が嫉妬に狂う前に止めてくださいよ」
エルドの言葉に視線を傍らに向けた。将軍の様子に変わったところはないが、いまのはどういう意味だろうか。
「どうぞエルドの言葉は気になさいませんように」
「いやいや、おまえさんは気にしろよ。外に連れ出すなら完璧に囲っておいてくれ。こうやって色気を振りまかれたら本当に国が滅びかねない」
「問題ない。殿下がそれを望まない限りわたしが何かすることもない」
「当たり前だろうが! ……ちょっと待て、おまえさん、まさか殿下を見せびらかしたくてわざわざここを通ったんじゃないだろうな」
エルドがじっと将軍を見ている。将軍も見返しているが二人の間に言葉はない。
「わかった、わかった。魔獣のようなおまえさんでも、そりゃあ浮かれるよな。女神のごとき伴侶を手にしたなら連れ歩きたい気持ちはわかる」
「わたしがそんなことをすると思うか?」
「ちょ……っと待て! 微笑むな! おまえさんの笑顔はマジで死人が出る!」
エルドがそう口にした直後、あちこちから悲鳴のような声が聞こえてきた。いや、悲鳴というより断末魔に近いだろうか。周囲の反応に驚いていると、「だから笑うんじゃない!」と再びエルドが悲鳴を上げた。
(将軍が笑うと何か起きるのか?)
そういえば以前もエルドが何か話していた気がする。ちらりと将軍を見た。わずかに口元を緩めているだけだが、そうした笑みも将軍らしくて素敵だと思う。それなのに聞こえてくる周囲の悲鳴は恐怖を感じているようなものばかりで、それが不思議でならなかった。
(何をそんなに恐れて……、ん?)
不意にうなじがピリッとした。誰かに見られてるような強い視線を感じる。
(なんだ……?)
ゆっくりと視線を動かした。廊下と呼ぶには広い部屋の両端には丸い柱が並び、柱の影に隠れるように身を潜める者や寄りかかりながら顔を引きつらせている者が何人も見える。中には腰を抜かしたのか、床に尻をついている者もいた。
(とくにおかしな人物はいないようだが……)
それでも何かが気になる。そう思い、視線を右側に並ぶ柱から左側に動かしたときだった。
ヒュン! と空気を切り裂くような音がした。同時に何かが飛んでくる。わずかに背中を反らしてそれを避けるとすぐさま腰に下げていた細剣を抜いた。
カキン!
刀身が金属音を立てて何かを弾き返した。細剣が弾いたのは飛びか掛かってきた人影の持つ短剣で、刀身同士がぶつかった瞬間、凄まじいまでの殺気をぶつけられた。どうやら先に飛んできたものを追いかけるように飛びかかってきたらしい。
(狙いはわたしか)
短剣の切っ先は間違いなく自分の胸のあたりを狙っていた。人影はすぐさま反撃に動いた。足音を立てることなく再び懐に入り込もうとしたところを細剣で払いのけ、握っていた剣を逆手に持ち直し柄で敵の顔面を弾く。まさか柄で殴られると思っていなかったのか、それとも二度目の攻撃を躱されると予想していなかったのか、喉を詰まらせるような声を上げながら人影が床に転がった。
「殿下、お怪我は」
「大丈夫です。それより飛んできたものは」
「こちらに」
将軍の手には細長い棒状のものが握られていた。先端は鋭く尖り、斬るというより突き刺すのが目的で作られた武器のように見える。剣の鍛錬では見たことがないが明らかに人の命を狙うための武器だ。
倒れている男とは別の気配を感じて視線を上げた。いつの間にか廊下にいた人々に周囲を囲まれていた。距離がそれなりにあるのはまだ何かが起きると皆警戒しているのだろう。
一瞬殺気のようなものを感じた。人垣の向こう側を殺気を纏った何者かが遠ざかるのを感じる。咄嗟に追いかけようと足を踏み出したところで将軍に制された。
「逃げた者はエルドが追っています」
将軍の言葉に、そばにいたはずのエルドの姿がないことに気がついた。おそらく最初の一撃を躱したところで別の存在に気づいたのだろう。さすがはディエイガー将軍の副官だ。将軍や自分の背後を警戒しつつ、どう動くか窺っていたに違いない。
視線を床に転がっている人物に向けた。服装は官吏のように見えるが動きは明らかに武人のようだった。いや、武人というより暗殺に長けた身のこなしだったように感じる。
「何者だ?」
剣先を向けながらそう尋ねた。男の顔立ちはアトレテス風でメレキア人のようには見えない。てっきり王太子派の差し金かと思ったが違ったのだろうか。
(いや、アトレテス人を雇った可能性もあるか)
ヨシュアが王太子とやり取りをする際にアトレテス人を使っていたことはすでに露呈している。この男もそうした輩かもしれない。
じっと男を見据える。この状況でも男は睨みつけるような眼差しでこちらを見ていた。唇をグッと噛み締めているということは何もいうつもりはないのだろう。
(本当にわたしを狙っただけなのか? それにしては最初に投げられた武器の狙いが甘かったように感じるが……)
もしや将軍をも狙っていたのではないだろうか。そう思った途端に鳥肌が立った。
メレキアにとってディエイガー将軍はなんとしても排除したい存在のはずだ。王太子派なら将軍を介してアトレテスがメレキアに影響を与え続けるのを一番にやめさせたいと考えるだろう。それなら二人まとめて始末しようとするはずだ。
体の奥から何かがぶわっと膨れ上がった。全身が総毛立ち肌がビリビリと痺れる。自分が狙われたことより将軍が狙われたことのほうに体の芯がカッと熱くなり、同時に頭の中は真冬のようにスッと冷たくなった。
「もう一度尋ねる。おまえは何者だ?」
睨みつけるようにこちらを見ていた男の顔が引きつった。固く閉ざしていた唇がブルブルと震えだす。
「答えられないのなら質問を変えよう。誰の命令だ?」
男が「ひぃ」と悲鳴を漏らした。尻もちをついたような状態のまま後ずさろうとしているようだが、力が入らないのか足は床を擦るばかりだ。床についている両腕もガクガクと震えている。
「誰の命令だ?」
剣先を男に向けた。男の口から悲鳴は漏れなかった。全身を震わせながら、なぜかその目はギラリと光り目元も真っ赤になっている。まるで何かに見惚れているような表情に眉をひそめた。もう一度問いかけようと口を開きかけたところで「殿下のほうなら仕留められると思ったんでしょうねぇ」と声がした。どうやらエルドが戻って来たらしい。
「ま、隣の巨漢を見たらそう判断するのも納得できます。ところがこうしてあっさりと捕らえられてしまった。しかもディオそっくりの剣気を向けられては声も出ないでしょうよ。さて、向こうのやつと一緒に尋問を……って、待て待て待て」
慌てたようなエルドの声に振り返った。一歩踏み出した将軍をエルドが必死に止めている。将軍の手には片手剣が握られているが刀身は鞘に入ったままで抜かれてはいない。それでもピリピリとした気配に何か感じ取ったのだろう。
「おまえさんの気持ちはわからんでもないが首をはねるな。こいつは大事な尋問相手だ」
「わかっている」
「わかっているやつが剣なんか手にするか」
「斬りはしないさ」
そう言いながら将軍が隣に立った。じっと見下ろす将軍に男がますますガタガタと震え出した。
「イシェイド殿下を狙った時点で万死に値すること、忘れるな」
直後、ガンという音とともに男の股の間に剣先を立てた。鞘のままとはいえとんでもない状況に男が声にならない悲鳴を上げる。
ふと男の股間に視線が留まった。恐ろしいほどいきり立っているように見えるのは気のせいだろうか。死を感じるとそうなると聞いたことがあるが、どうやら本当だったらしい。
エルドが「はいはい」と言いながら将軍の腕をポンポンと叩いた。そうして涙まで流し始めた男の腕を掴み、「さぁ、あっちに行こうな」と立ち上がらせる。
「まったく、ディオそっくりの剣気に色香を感じるなんてねぇ。ま、こうなるのもわからんではないですが」
「後は任せたぞ」
「はいはい、任されました。死なない程度に搾り取っておきますよ」
エルドが歩き出すと人垣がサァッと開いた。男を引きずるように去るエルドの後ろ姿を見送っていると、集まっていた衆人も我に返ったように動き出す。
「どうやらほかにもあてられた者たちがいたようですね」
「えっ?」
将軍がぐるりと周りを見渡している。視線や殺気は感じないが、まだ何かあるのだろうか。
「まさか殺気を放つ姿にまでこうとは……」
「将軍?」
「あぁいえ、なんでもありません。屋敷に戻りましょう」
抜き身だった細剣を鞘に仕舞うと背中に大きな手が触れた。促されるように歩きつつ、エルドが去って行ったほうを見る。
「エルドのほうはよいのですか?」
「一度屋敷に戻ってから軍部のほうへ顔を出します」
「それでは手間になりませんか? わたしなら一人で屋敷に戻れますので」
「手間などありませんよ」
「ですが、」
「それに危険なのは先ほどのようなことだけではありません。剣を抜いた殿下の姿に懸想するものが出てこないとも限りませんので」
「け、そう、ですか?」
まさかと驚いた。いくら武人の国とはいえ、剣を抜いた自分を見てそんなことを思う者がいるはずがない。しかし仰ぎ見た将軍の表情は真剣そのものだ。
「わたしの言葉が信じられませんか?」
「そういうわけではありませんが……」
「現に先ほどの男は剣先を向けられながら興奮していました。殿下の腕ならばよほどの相手でない限り後れを取ることはないでしょうが、そうでない場合もあるということです」
男の股間を思い出した。まさかあれはそういうことだったのだろうか。
「殿下に微笑みかけられても睨まれても欲情する者はするのです」
「……これからは気をつけます」
「わたしがおりますのでご心配には及びません」
「ですが、」
「だからといってこの先ずっと屋敷に閉じこもるというのは現実的ではないでしょう」
「そうかもしれませんが」
「常にわたしがそばにおりますのでご安心を」
つまり将軍はこれからも共に外出するつもりだということだ。
(なるほど、そういうことか)
隣をちろっと見上げた。はしばみ色の視線は真っ直ぐ正面を向き、表情はいつもと変わらない。それでもほんのわずかいつもと違うものを感じた。
「やはり何か起きているのですね」
「宰相との話に聞き耳を立てられていましたか」
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歩きながら将軍が小さくため息をついた。「殿下を巻き込みたくはないのですが」と告げる将軍に「餌になる覚悟はとうにできています」と返す。
(わざわざわたしを王城に呼んだということは、それなりの目的があったということか)
たしかに王太子は異母兄ではあるが、処刑を伝えるだけならわざわざ王城に呼び出す必要はない。将軍を介して伝えれば済むことだ。それなのにわざわざ呼んだのはそれ以外に意図があったということだ。
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メレキアは東方でも大国に数えられる国だ。国土はアトレテスの倍ほどあり、天候不良がなければ他国に侵略されることのない国力も持っている。
そのメレキアがアトレテスの支配下に置かれることに危機感を覚える国は少なくないだろう。両国が揺れている間に楔を打ち込みたい、もしくはメレキアをどうにかしたいと動き出している国があるのかもしれない。
「ご心配には及びません。たとえ何が起きようとも殿下の御身はわたしがお守りします」
将軍の言葉は心強く、たとえそう言われなくても不安を感じることはない。その状況を嬉しく思うものの守られるだけの存在でいたいとは思わなかった。
足を止め、将軍を見上げた。自分を見下ろすはしばみ色の目をじっと見つめながら口を開く。
「将軍がわたしを守りたいと思うように、わたしも将軍を守りたいと思っています。わたしの腕でそう願うのは傲慢かもしれませんが、それでもわたしは将軍を守りたい」
「殿下」
「二人で対処すれば苦労も半分、いえそれ以下になるのではありませんか?」
はしばみ色の目がわずかに細くなった。そうかと思えば口の端がゆっくりと持ち上がる。
「承知しました。殿下のお気持ち、心に留め置きましょう。ですが無理はされませんように」
「わかっています。……もしや、わたしの腕では難しいと考えているのですか?」
「いいえ、我が国の武人でも、いまや殿下に敵う者は少ないでしょう。ですが武器で迫ってくる輩だけとは限りません」
「武器以外となると……毒、それに魔獣を使うという手もありますね」
「それらも十分に気をつけなくてはなりませんが、殿下にもっとも効果的なのは色事でしょうね」
そんなことはないと言いかけて口を閉じた。愛を説くメレキアの神官として知識だけは大いにあるが、たしかにその点を攻められると一瞬でも怯んでしまうかもしれない。
「ご心配なく。そうしたことにも対処できるようわたしが手ほどきして差し上げますので」
「しょ、将軍っ」
微笑む将軍の顔に耳まで熱くなった。こうしたところが駄目なのだとわかっているものの気恥ずかしくて言葉が続かない。
(だが、こんなふうになるのは相手が将軍だからだ)
ほかの誰に同じことを言われても、いや、もっと卑猥なことを囁かれてもここまで動揺したりはしない。もし短剣の代わりに滾った股間をすり寄せられたとしても反撃できる自信はある。
背中に触れている大きな手の感触に鼓動が速くなってきた。この手は今夜も自分に触れてくれるだろうか。夜のことを期待している自分に気づき、慌てて睨むように正面に視線を向けた。
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