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番外編 将軍の妹2
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「餞別だと思って許してくださいませ」
にこりと微笑むマルガレートに将軍が再び大きなため息をついた。
「ですが、おかげではっきりわかりました。イシェイド殿下は我が兄の隣にふさわしいお方です。これで安心してメレキアに行くことができます」
「それじゃあ……」
エメウスの表情がパァッと明るくなった。そんなエメウスにマルガレートがにこりと微笑む。
「陛下、どうぞ出立の日取りを正式にお決めください」
「その言葉を待っていたよ」
早いに越したことはないと言いながら、エメウスが懐から紙を取り出した。おそらく様々な日程を書き記した覚え書きだろう。紙面を見ながら「この日は……いや、この日なら……」とブツブツつぶやいている。その様子を見るマルガレートの表情は優しく先ほどの殺気からは想像できない雰囲気だ。
(エメウス兄上を見る眼差し、将軍にとてもよく似ている)
自分を見るはしばみ色の目を思い出して目元が熱くなった。思わず将軍を見てしまった自分に気がつき、気恥ずかしさにそっと視線を逸らす。
「まぁ、まぁまぁ」
マルガレートの驚いたような声にハッとした。視線を向けると頬に手を当てながら「なんてお美しいのかしら」と目を細めている。
「武人としてのたたずまいにもハッとさせられましたけど、お兄様が夢中なのはむしろ今の殿下のほうかしら」
「イシューは小さい頃から稀に見る美人だったからね。まさか魔獣のような男まで夢中にさせるとは思わなかったけれど」
「わたしもお兄様が誰かに夢中になる日が来るとは思いませんでしたわ。それゆえどのような方か見定めなくてはと思ったのですけれど、ふふっ、お兄様のほうが大変な思いをされそうだわ」
「きっとこれから有象無象の虫が湧くだろうからねぇ。ま、それも将軍がすべて追い払ってくれるだろう」
「あら、陛下。それでは大陸一の虫がすでについてしまっていますわ」
「大陸一の虫?」
不思議そうな顔をするエメウスにマルガレートがにこりと微笑む。
「ほら、大陸一の虫がついてしまっていますでしょう? しかも絶対に殺せない虫が」
「あぁ、なるほど」
エメウスが納得したというようにポンと手を打った。マルガレートは「ふふっ」と笑い、将軍は苦々しい顔をしている。
(将軍でも妹君の前ではこうも表情豊かになるのだな)
あまり見ない様子に、つい将軍をじっと見てしまう。
(夜の顔なら誰よりもよく見ているが……)
ふとそんなことを思ってしまい慌てて打ち消した。自分はなんと淫らになってしまったのだろうか。まだ陽の高いうちに、しかも人前だというのにそんなことを考えるなんてと羞恥に耳まで熱くなる。
「まぁ、まぁまぁまぁ!」
まさか考えを見透かされたかのかと慌てて顔を背けた。
「なんて色香でしょう! わたしまで見惚れてしまう美しさだわ」
「おっと、それは困るなぁ。イシューの美しさの前ではわたしなんて霞んでしまうからね」
「陛下と殿下は違いますわ。わたしがお慕いするのは陛下ただお一人。けれど殿下の美しさはいつまででも見ていたくなるのがまた……」
うっとりするようなマルガレートの声色になんとも言えない気持ちになった。なにより何度も美しいと言われることに気恥ずかしさより居心地の悪さを感じる。
「イシェイド殿下の美しさにはわたしも見惚れるばかりです」
「まぁ! お兄様の口からそんな普通の殿方のような言葉が出てくるなんて……妹としてホッとしました」
「おまえはわたしをなんだと思っていたんだ」
「よもや魔獣の化身ではと」
「おい」
「冗談ですわ」
微笑むマルガレートは凛々しくも美しく、彼女にこそ「見惚れるほどの美しさ」という言葉が似合うのにと思った。見つめていることに気づいたのか、マルガレートが「どうしましょう」と言いながら目元を赤く染めている。
「まるで女神様のようだわ。武人と変わらないほど体を鍛えられていらっしゃることはわかりましたけど、お兄様相手ではお体が保たないのではと少々心配になってきました」
「それはわたしも心配しているところでね。それに将軍の伴侶になってからイシューの色香が尋常じゃないんだ。まったく、まさか伴侶のせいで傾国になるとは思わなかった」
「お兄様には久しぶりに会いましたけれど、お兄様も随分変わられましたわ。もちろん自覚はおありでしょうけれど」
どういう意味だろうか。視線を向けるが将軍は眉をひょいと上げただけで何も口にしない。
「このままではいずれ戦神の剣ではなく戦神と呼ばれるようになりそうですわね。まぁ、自覚がおありならよいですけれど」
「そういう意味では将軍も怖いねぇ。まぁ、イシューの尻に敷かれているようだから何かが起きることはないだろうけれど」
「まぁ、お兄様が尻に敷かれて……ふふふっ、それはまた……ふふ、ふふふふふっ」
口元を抑えながらマルガレートが笑いを堪えている。それを見る将軍の顔は険しい。エメウスはそんな二人を穏やかな眼差しで見守るように見ていた。
「お兄様に生涯を共にする方ができて心から嬉しく思っているのは本当です。イシェイド殿下、どうかお兄様を生涯傍らに置いてくださいませ」
「それは、わたしのほうこそ願っていることです」
マルガレートがにこりと微笑んだ。「これでメレキアに集中できます」という言葉から彼女の覚悟が垣間見えた気がした。そのまま今後についてにこやかに話すエメウスとマルガレートを見ながら「あぁ、そうか」と思いを馳せる。
(マルガレート様は将軍と生家のことを気にしていたのだろう)
以前、将軍から正妻との間に溝があるという話は聞いた。外の女性との間に生まれた子どもなら多少当たりも強くなるだろう。だが、実際にマルガレートを見てそれだけではない隔たりがあるのだとわかった。
(マルガレート様の様子からして熱心に鍛練を積んできたに違いない)
アトレテスでは女性の武人も多いと聞くが、王弟の娘がドレスを着ずに剣を振り回すのは母親として頭が痛かったことだろう。「嫁のもらい手がない」という将軍の言葉も比喩ではなかったのかもしれない。政治を担う貴族と軍を任されている武人との間には諍いも多いと聞く。母親としては貴族の誰かに嫁がせたかったのかもしれないが、武人のような姫では迎えたがる貴族はいなかっただろう。
だから正妻は将軍のことを嫌っていたのではないだろうか。将軍が剣の道へ誘ったわけではないと聞いているが、兄に憧れて剣を持ったのならそう思われても仕方がない。そしてマルガレートは自分のせいで母と兄の仲が悪くなったことを気にしていたのだろう。
(……そうか、マルガレート様も将軍に憧れて剣を持ったのか)
そう思うと急に親近感が湧いてきた。自分も五歳のときに将軍を見て武人になることを夢見た。神殿に入ってからも剣の鍛錬を続けた。
「将軍のことは任せてください。わたしごときの腕で言えることではありませんが、将軍に憧れて剣を手にした身。将軍の傍らに立てることにこのうえない喜びを感じています」
「わたしもお兄様の背中をずっと追いかけてきました。女の身でありながらと母に泣かれても剣を捨てることはできませんでした。殿下とわたしは似ているのかもしれませんわね」
「わたしもそう感じていたところです」
「まぁ、嬉しいこと」
「マルガレート様のような妹ができたこと、心から嬉しく思っています。あぁいえ、妹と呼ぶわけにはいきませんが」
将軍の妹ではあるがマルガレートはメレキア王妃になる。軽々しく妹と呼ぶわけにはいかない。
「どうか気にしないでください。わたしは殿下のことをすばらしい兄だと思っています。お兄様そっくりの剣気を纏いながら女神のような美しさを持つ殿下の妹になれて幸せですわ」
「マルガレート様」
「どうかマギーとお呼びください」
「ですが、」
「親しい人は皆マギーと呼ぶのです」
「……では、マギー」
「ふふっ。そうだ、わたしも殿下のことをイシュー殿下とお呼びしてもかまいませんか?」
「もちろんです。といってもわたしをイシューと愛称で呼んでくれるのは、もうエメウス兄上しかいませんが」
子どものときは仲がよくなると皆イシューと呼んでくれていた。だが、そう呼ぶと災いが振るのだと誰も呼ばなくなった。
「エメウス陛下の戴冠式には、ぜひお兄様とおいでください」
「もちろんです」
「そのときは手合わせもいたしましょう」
「わたしでよければ、喜んで」
そう答えると「殿下」と将軍に止められてしまった。やはり駄目だろうかと将軍を見ると「お兄様、妹に嫉妬するなんてみっともないことよ」とマルガレートが笑う。
「うーん、わたしもイシューに嫉妬しそうだなぁ」
「陛下は陛下、イシュー殿下とは違います」
「わかっているよ。いやはや、わたしも将軍も伴侶には勝てないね」
はははと笑うエメウスに将軍は最後まで渋い顔をした。
その後、メレキア王都のことやお勧めのメレキア料理、おそらく戴冠式の後で行われるであろう神殿の大祭について話をした。マルガレートとすっかり打ち解けたところで時間となり、後ろ髪を引かれるような思いを抱きながら部屋を出る。
「まったく、妹には困ったものです」
廊下を歩きながら珍しく将軍が愚痴のような言葉をこぼした。
「将軍?」
「他国の王妃になる身だというのに剣を手放さないとは……。それに殿下に殺気を向けるなど言語道断です」
「エメウス兄上もよいと言っていたのですから、あのままでよいではないですか。それにアトレテスの姫君らしくてわたしは好きです。あの気魄には驚かされましたが、さすが将軍の妹君だと思いました。なにより将軍の気配によく似ていましたし」
「わたしにですか?」
「はい」
隣からため息が聞こえてきた。チラッと見るとやはり渋い表情をしている。
「今のはよい意味で言ったのです。マルガレート様は華やかで美しく、それでいて将軍によく似た気配を持っていらっしゃる。剣の腕も相当なものだと推察しました。それならメレキアでも安心できるのではありませんか?」
王太子派はほぼ一掃されたと聞いているが、だからといってエメウスが王位に就くことを歓迎する者ばかりだとは言い切れない。とくにマルガレートはアトレテス王の姪ということで何かと大変な思いをすることになるだろう。身の危険を感じることが出てくる可能性もある。
だが、あの姿を見れば下手に手出しはできないはずだ。武人でなくてもあの気魄を前にすれば戦意も消失する。マルガレート自身だけでなくエメウスの身も守ってくれる気概も感じた。
「すばらしい妹君だと思います」
本心からそう口にしたのだが、なぜか将軍が再びため息をついた。
「心配は消えませんが、殿下の心を射止めた者が減るのだと思えば、まぁいいでしょう」
「どういうことですか?」
「妹のことを随分お気に召したようで」
「な、にを言い出すかと思えば……」
含みがありそうな言葉に呆気にとられた。それでも渋い顔のままの将軍に「当然ですよ」と言葉を続ける。
「将軍の妹君なのですから特別に思うのは当然です。それに将軍に憧れて剣を手にした同志という意味でも通じるものを感じました。ですが、そうした下心は抱いていません」
きっぱりと言い切ったが言い訳のように聞こえなくもない。疑われたままでは困ると思い、「わたしには将軍だけです」と強調すると「存じています」と返されてハッとした。視線を向けるとわずかに目が細くなっている。これは喜んでいるときの目だ。
「……将軍は時に意地が悪くなる」
「そうですか?」
将軍がにやりと笑った。いつもより粗野な感じの笑みに鼓動がドッドッと速くなる。それを誤魔化すようにやや急ぎ足になったところで悲鳴のような声があちこちから聞こえてきた。
見ると柱の影で震えている者や壁に張りついて顔を引きつらせている者がいる。背中を向けている人影もあった。
(まただ。それにしても何がそんなに怖いのだろう?)
大勢が将軍の笑顔に怯えていることはエルドにも聞いて知っている。だが、なぜそんなふうに捉えているのかがわからない。
隣を歩く将軍を見上げた。目だけで微笑む表情も素敵だと思う。そうした将軍の顔のどこが怖いのかまったく理解できない。
(まぁ、わたしだけがじっくり見ることができるというのも悪い気はしないかな)
将軍の笑顔は自分だけのものだと思うと優越感さえ湧いた。それにこうした表情になるのは自分にだけだと思うと誇らしい気持ちにもなる。
もう一度将軍を見上げた。ちろっと向けられたはしばみ色の目に胸が高鳴る。目元が熱くなるのを感じて慌てて正面を向いた。それでも鼓動は忙しないままで、頬が少しだけ緩む。
(……ん?)
声は聞こえなかったが、代わりに床に倒れるような音が聞こえてきた。もしかして急病人だろうか。慌てて振り向こうとしたが「お気になさらず」と将軍が背中に手を当てた。そのまま促されるように廊下を歩く。
(将軍が気にしないということはなんでもなかったのだな)
そのまま王城を出て屋敷へと戻った。
この日、アトレテス王城では恐怖で震え上がった者と陶酔で意識を失った者で大変な騒ぎになったのだという。
にこりと微笑むマルガレートに将軍が再び大きなため息をついた。
「ですが、おかげではっきりわかりました。イシェイド殿下は我が兄の隣にふさわしいお方です。これで安心してメレキアに行くことができます」
「それじゃあ……」
エメウスの表情がパァッと明るくなった。そんなエメウスにマルガレートがにこりと微笑む。
「陛下、どうぞ出立の日取りを正式にお決めください」
「その言葉を待っていたよ」
早いに越したことはないと言いながら、エメウスが懐から紙を取り出した。おそらく様々な日程を書き記した覚え書きだろう。紙面を見ながら「この日は……いや、この日なら……」とブツブツつぶやいている。その様子を見るマルガレートの表情は優しく先ほどの殺気からは想像できない雰囲気だ。
(エメウス兄上を見る眼差し、将軍にとてもよく似ている)
自分を見るはしばみ色の目を思い出して目元が熱くなった。思わず将軍を見てしまった自分に気がつき、気恥ずかしさにそっと視線を逸らす。
「まぁ、まぁまぁ」
マルガレートの驚いたような声にハッとした。視線を向けると頬に手を当てながら「なんてお美しいのかしら」と目を細めている。
「武人としてのたたずまいにもハッとさせられましたけど、お兄様が夢中なのはむしろ今の殿下のほうかしら」
「イシューは小さい頃から稀に見る美人だったからね。まさか魔獣のような男まで夢中にさせるとは思わなかったけれど」
「わたしもお兄様が誰かに夢中になる日が来るとは思いませんでしたわ。それゆえどのような方か見定めなくてはと思ったのですけれど、ふふっ、お兄様のほうが大変な思いをされそうだわ」
「きっとこれから有象無象の虫が湧くだろうからねぇ。ま、それも将軍がすべて追い払ってくれるだろう」
「あら、陛下。それでは大陸一の虫がすでについてしまっていますわ」
「大陸一の虫?」
不思議そうな顔をするエメウスにマルガレートがにこりと微笑む。
「ほら、大陸一の虫がついてしまっていますでしょう? しかも絶対に殺せない虫が」
「あぁ、なるほど」
エメウスが納得したというようにポンと手を打った。マルガレートは「ふふっ」と笑い、将軍は苦々しい顔をしている。
(将軍でも妹君の前ではこうも表情豊かになるのだな)
あまり見ない様子に、つい将軍をじっと見てしまう。
(夜の顔なら誰よりもよく見ているが……)
ふとそんなことを思ってしまい慌てて打ち消した。自分はなんと淫らになってしまったのだろうか。まだ陽の高いうちに、しかも人前だというのにそんなことを考えるなんてと羞恥に耳まで熱くなる。
「まぁ、まぁまぁまぁ!」
まさか考えを見透かされたかのかと慌てて顔を背けた。
「なんて色香でしょう! わたしまで見惚れてしまう美しさだわ」
「おっと、それは困るなぁ。イシューの美しさの前ではわたしなんて霞んでしまうからね」
「陛下と殿下は違いますわ。わたしがお慕いするのは陛下ただお一人。けれど殿下の美しさはいつまででも見ていたくなるのがまた……」
うっとりするようなマルガレートの声色になんとも言えない気持ちになった。なにより何度も美しいと言われることに気恥ずかしさより居心地の悪さを感じる。
「イシェイド殿下の美しさにはわたしも見惚れるばかりです」
「まぁ! お兄様の口からそんな普通の殿方のような言葉が出てくるなんて……妹としてホッとしました」
「おまえはわたしをなんだと思っていたんだ」
「よもや魔獣の化身ではと」
「おい」
「冗談ですわ」
微笑むマルガレートは凛々しくも美しく、彼女にこそ「見惚れるほどの美しさ」という言葉が似合うのにと思った。見つめていることに気づいたのか、マルガレートが「どうしましょう」と言いながら目元を赤く染めている。
「まるで女神様のようだわ。武人と変わらないほど体を鍛えられていらっしゃることはわかりましたけど、お兄様相手ではお体が保たないのではと少々心配になってきました」
「それはわたしも心配しているところでね。それに将軍の伴侶になってからイシューの色香が尋常じゃないんだ。まったく、まさか伴侶のせいで傾国になるとは思わなかった」
「お兄様には久しぶりに会いましたけれど、お兄様も随分変わられましたわ。もちろん自覚はおありでしょうけれど」
どういう意味だろうか。視線を向けるが将軍は眉をひょいと上げただけで何も口にしない。
「このままではいずれ戦神の剣ではなく戦神と呼ばれるようになりそうですわね。まぁ、自覚がおありならよいですけれど」
「そういう意味では将軍も怖いねぇ。まぁ、イシューの尻に敷かれているようだから何かが起きることはないだろうけれど」
「まぁ、お兄様が尻に敷かれて……ふふふっ、それはまた……ふふ、ふふふふふっ」
口元を抑えながらマルガレートが笑いを堪えている。それを見る将軍の顔は険しい。エメウスはそんな二人を穏やかな眼差しで見守るように見ていた。
「お兄様に生涯を共にする方ができて心から嬉しく思っているのは本当です。イシェイド殿下、どうかお兄様を生涯傍らに置いてくださいませ」
「それは、わたしのほうこそ願っていることです」
マルガレートがにこりと微笑んだ。「これでメレキアに集中できます」という言葉から彼女の覚悟が垣間見えた気がした。そのまま今後についてにこやかに話すエメウスとマルガレートを見ながら「あぁ、そうか」と思いを馳せる。
(マルガレート様は将軍と生家のことを気にしていたのだろう)
以前、将軍から正妻との間に溝があるという話は聞いた。外の女性との間に生まれた子どもなら多少当たりも強くなるだろう。だが、実際にマルガレートを見てそれだけではない隔たりがあるのだとわかった。
(マルガレート様の様子からして熱心に鍛練を積んできたに違いない)
アトレテスでは女性の武人も多いと聞くが、王弟の娘がドレスを着ずに剣を振り回すのは母親として頭が痛かったことだろう。「嫁のもらい手がない」という将軍の言葉も比喩ではなかったのかもしれない。政治を担う貴族と軍を任されている武人との間には諍いも多いと聞く。母親としては貴族の誰かに嫁がせたかったのかもしれないが、武人のような姫では迎えたがる貴族はいなかっただろう。
だから正妻は将軍のことを嫌っていたのではないだろうか。将軍が剣の道へ誘ったわけではないと聞いているが、兄に憧れて剣を持ったのならそう思われても仕方がない。そしてマルガレートは自分のせいで母と兄の仲が悪くなったことを気にしていたのだろう。
(……そうか、マルガレート様も将軍に憧れて剣を持ったのか)
そう思うと急に親近感が湧いてきた。自分も五歳のときに将軍を見て武人になることを夢見た。神殿に入ってからも剣の鍛錬を続けた。
「将軍のことは任せてください。わたしごときの腕で言えることではありませんが、将軍に憧れて剣を手にした身。将軍の傍らに立てることにこのうえない喜びを感じています」
「わたしもお兄様の背中をずっと追いかけてきました。女の身でありながらと母に泣かれても剣を捨てることはできませんでした。殿下とわたしは似ているのかもしれませんわね」
「わたしもそう感じていたところです」
「まぁ、嬉しいこと」
「マルガレート様のような妹ができたこと、心から嬉しく思っています。あぁいえ、妹と呼ぶわけにはいきませんが」
将軍の妹ではあるがマルガレートはメレキア王妃になる。軽々しく妹と呼ぶわけにはいかない。
「どうか気にしないでください。わたしは殿下のことをすばらしい兄だと思っています。お兄様そっくりの剣気を纏いながら女神のような美しさを持つ殿下の妹になれて幸せですわ」
「マルガレート様」
「どうかマギーとお呼びください」
「ですが、」
「親しい人は皆マギーと呼ぶのです」
「……では、マギー」
「ふふっ。そうだ、わたしも殿下のことをイシュー殿下とお呼びしてもかまいませんか?」
「もちろんです。といってもわたしをイシューと愛称で呼んでくれるのは、もうエメウス兄上しかいませんが」
子どものときは仲がよくなると皆イシューと呼んでくれていた。だが、そう呼ぶと災いが振るのだと誰も呼ばなくなった。
「エメウス陛下の戴冠式には、ぜひお兄様とおいでください」
「もちろんです」
「そのときは手合わせもいたしましょう」
「わたしでよければ、喜んで」
そう答えると「殿下」と将軍に止められてしまった。やはり駄目だろうかと将軍を見ると「お兄様、妹に嫉妬するなんてみっともないことよ」とマルガレートが笑う。
「うーん、わたしもイシューに嫉妬しそうだなぁ」
「陛下は陛下、イシュー殿下とは違います」
「わかっているよ。いやはや、わたしも将軍も伴侶には勝てないね」
はははと笑うエメウスに将軍は最後まで渋い顔をした。
その後、メレキア王都のことやお勧めのメレキア料理、おそらく戴冠式の後で行われるであろう神殿の大祭について話をした。マルガレートとすっかり打ち解けたところで時間となり、後ろ髪を引かれるような思いを抱きながら部屋を出る。
「まったく、妹には困ったものです」
廊下を歩きながら珍しく将軍が愚痴のような言葉をこぼした。
「将軍?」
「他国の王妃になる身だというのに剣を手放さないとは……。それに殿下に殺気を向けるなど言語道断です」
「エメウス兄上もよいと言っていたのですから、あのままでよいではないですか。それにアトレテスの姫君らしくてわたしは好きです。あの気魄には驚かされましたが、さすが将軍の妹君だと思いました。なにより将軍の気配によく似ていましたし」
「わたしにですか?」
「はい」
隣からため息が聞こえてきた。チラッと見るとやはり渋い表情をしている。
「今のはよい意味で言ったのです。マルガレート様は華やかで美しく、それでいて将軍によく似た気配を持っていらっしゃる。剣の腕も相当なものだと推察しました。それならメレキアでも安心できるのではありませんか?」
王太子派はほぼ一掃されたと聞いているが、だからといってエメウスが王位に就くことを歓迎する者ばかりだとは言い切れない。とくにマルガレートはアトレテス王の姪ということで何かと大変な思いをすることになるだろう。身の危険を感じることが出てくる可能性もある。
だが、あの姿を見れば下手に手出しはできないはずだ。武人でなくてもあの気魄を前にすれば戦意も消失する。マルガレート自身だけでなくエメウスの身も守ってくれる気概も感じた。
「すばらしい妹君だと思います」
本心からそう口にしたのだが、なぜか将軍が再びため息をついた。
「心配は消えませんが、殿下の心を射止めた者が減るのだと思えば、まぁいいでしょう」
「どういうことですか?」
「妹のことを随分お気に召したようで」
「な、にを言い出すかと思えば……」
含みがありそうな言葉に呆気にとられた。それでも渋い顔のままの将軍に「当然ですよ」と言葉を続ける。
「将軍の妹君なのですから特別に思うのは当然です。それに将軍に憧れて剣を手にした同志という意味でも通じるものを感じました。ですが、そうした下心は抱いていません」
きっぱりと言い切ったが言い訳のように聞こえなくもない。疑われたままでは困ると思い、「わたしには将軍だけです」と強調すると「存じています」と返されてハッとした。視線を向けるとわずかに目が細くなっている。これは喜んでいるときの目だ。
「……将軍は時に意地が悪くなる」
「そうですか?」
将軍がにやりと笑った。いつもより粗野な感じの笑みに鼓動がドッドッと速くなる。それを誤魔化すようにやや急ぎ足になったところで悲鳴のような声があちこちから聞こえてきた。
見ると柱の影で震えている者や壁に張りついて顔を引きつらせている者がいる。背中を向けている人影もあった。
(まただ。それにしても何がそんなに怖いのだろう?)
大勢が将軍の笑顔に怯えていることはエルドにも聞いて知っている。だが、なぜそんなふうに捉えているのかがわからない。
隣を歩く将軍を見上げた。目だけで微笑む表情も素敵だと思う。そうした将軍の顔のどこが怖いのかまったく理解できない。
(まぁ、わたしだけがじっくり見ることができるというのも悪い気はしないかな)
将軍の笑顔は自分だけのものだと思うと優越感さえ湧いた。それにこうした表情になるのは自分にだけだと思うと誇らしい気持ちにもなる。
もう一度将軍を見上げた。ちろっと向けられたはしばみ色の目に胸が高鳴る。目元が熱くなるのを感じて慌てて正面を向いた。それでも鼓動は忙しないままで、頬が少しだけ緩む。
(……ん?)
声は聞こえなかったが、代わりに床に倒れるような音が聞こえてきた。もしかして急病人だろうか。慌てて振り向こうとしたが「お気になさらず」と将軍が背中に手を当てた。そのまま促されるように廊下を歩く。
(将軍が気にしないということはなんでもなかったのだな)
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■ 現在の生活
ガスパールは現在、
街の流通を取り仕切る代表的な役職に就いている。
多忙な職務の合間にも、
洗濯、掃除、料理
帳簿の整理
屋敷の修繕
をすべて自分でこなす。
仕事、家事、墓参り。
規則正しく、静かな日々。
――あなたが現れるまでは。
【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】
古森きり
BL
【書籍化決定しました!】
詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります!
たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました!
アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。
政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。
男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。
自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。
行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。
冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。
カクヨムに書き溜め。
小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。
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