あやかし坂のお届けものやさん

石河 翠

文字の大きさ
26 / 29

(25)桃珊瑚-5

しおりを挟む
『それで、ねこちゃんはいっしょにいてくれるの?』
『……まあ、しばらくの間なら』
『しばらくってどれくらい?』
『あなたが大人になるまででしょうか』
『ええ、いやだよ。ずっと、いっしょっていったでしょ』
『おやおや、聞き分けの悪い子じゃのう』
『わあ、きつねさんだあ』

 納得できないとかぎしっぽの猫に抗議していた幼い私の前に、銀色の狐が現れた。ナチュラルに増えたもふもふ。当時の私は、話が通じるもふもふが増えたことに喜んでいるみたいだけれど、こうやって改めて観察してみると、私に「ねこちゃん」と呼ばれてその形をとったらしい猫とは違い、この狐は私が声をかける前から狐の姿で現れている。

 鳥居の向こう側には小さなお稲荷さんが祀られているから、神さまの御使いなのかもしれない。少なくとも、かぎしっぽの猫よりは立場が偉いようだった。猫が狐を敬っているような雰囲気を感じられるのは、力の差なのか、それとも生まれた時間の差なのか。

『どうして、こちらに』
『面白そうじゃったからの』
『おくだりの下見に行くとおしゃっていたでしょう』
『そなたはかたいのう。この時期は境があいまいになっているのじゃから、少しくらい羽目を外しても別によかろうに』

 お下りは諏訪神社の本宮からお旅所たびしょの仮宮まで三基のお神輿が下ることを指す。周辺の神さまたちも私たち人間と同じように、この時期をうきうきと楽しく過ごしているのかもしれない。意外と庭見世にわみせの人込みの中にも、何柱もの神さまが紛れ込んでいたのだろうか。狐は面白がるような声音で、かつての私に尋ねていた。

『そなた、こやつを連れて帰りたいのじゃな。その上、ずっと一緒に暮らしたいと』
『うん!』
『それならば、まだ足りぬなあ』
『なにがたりないの?』
『対価が足りぬ。ただ名を与えてやるだけでは、形を保てるのは十年やそこらがせいぜい。女童めわらわや』

 とんとんと狐が前足を地面に打ち付けた。お稲荷さんは五穀豊穣や豊作祈願から、商売繁盛や縁結びの神さまとして有名になっていったからだろうか。なかなかに厳しいようだ。でもあの頃の私に、対価として何か差し出せるものなどあっただろうか。疑問に思う私だが、当時の私は別のことがわからなかったようだ。

『めわらわ? わたし?』
『そうじゃ。そなた、名をこやつに分けることはできるかえ?』
『おなまえ、わけちゃうの?』
『そうじゃ』
『うん、いいよ。ねこちゃんは、わたしのたいせつなねこちゃんだから、わけてもいいよ』

 もふもふ狐の提案に、私は即答していた。猫ちゃんがかっと目と口を限界まで広げてしまっている。ちょっと、猫さん、舌をしまい忘れてるよ。なにそのすごい顔。フレーメン反応かってくらいの表情が面白い。まあかぎしっぽの猫がこんな顔になったのは、十中八九、名前のせいだろう。今の私から見れば、こんな簡単に決めてはいけないものだろうということは想像がつく。だが、名前をわけるとはどういうことなのか。

『あなたは、まだ何もわからない子どもに!』
『お主も愚かよのう。自分の匂いをこんなにつけて。気に入ったのなら、さくっと手に入れてしまえばよいのじゃ』
『思うことと、実行することは違います!』
『何が違うものか。願いは力じゃ。それでは、そなたの名を分けてもらおうかの』
『いいよ、はんぶんこ!』
『ふむ。清香。「さやか」か。ならばこやつは、「さくや」じゃ。「朔夜」、良いではないか。今のそなたの姿にもよく似合う』
『さようでございますか』

 そうか、そういうことなのか。私は自分の名前を朔夜さんに分けたから、「さやか」とは呼ばれなくなったんだ。「きよか」と呼ばれる理由をすとんと理解する。かぎしっぽの猫は、不満そうにひと鳴きすると私の元に再び戻ってきた。ぐりぐりとまた身体をこすりつけられる。かぎしっぽの猫のひげが、ぴくぴくと上を向いていた。なんだかんだで、嬉しいみたい。

『じゃあ、ねこちゃん……さくやは、いっしょにかえれるのね?』
『ああ、こやつがひとに馴染んだらの』
『そんなあ。やくそくしたのに。ひどい』
『そうです。せっかく名まで分けてもらったのに』
『じゃが、お前はこの娘をどうやって養う。猫のままでは、長生きしても夫婦めおとにはなれぬぞ?』
『そ、それは」
『めおと?』

 首を傾げた私に、狐がわかっていないとばかりに尻尾を振った。なかなか器用なお狐さまである。ってか、待って、待って。あのとき、「猫ちゃんを飼う」と言ったけれど、いつの間にか「夫婦になる」になっていない? え、何、いきなり告白されたと思ったけれど、むしろ私が唐突にプロポーズした扱いになっているの? あやかし界の常識、飛躍していない?

『のう、女童。そなた、婿殿には何を望む? 財力か? 名声か?』
『よくわからないよ?』
『どんなひとのお嫁さんになりたいか、聞かれているんです』
『わたしね、たくはいびんやさんのおよめさんがいい! おばあちゃんにきいたのよ。たくはいびんやさんは、サンタさんとけーやくをしているんだって。いそがしいサンタさんのかわりに、いろんなばしょに、プレゼントをとどけているんだって。すごく、すてき!』
『そなたも、嫁御よめごとして手伝うということでよいな?』
『おてつだい? うん、わかった!』
『なんにもわかっていないではありませんか』

 疲れたようなかぎしっぽの猫のツッコミは、お狐さまには通用しない。

『朔夜、聞こえたかの。良かったではないか。長者の息子と言われるよりは、ずいぶん用意がしやすいぞ』
『さすがに長者の息子は古すぎます』
『豪商の息子かのう?』
『それも古いです』 
『ええい、うるさいのう。さあ、女子にここまで言わせたのじゃ。きりきり働いて準備をするのじゃぞ』 

 真っ暗だったはずの坂道が、ほんのりと明るくなり始めた。元の場所に戻されるのだと、不意に理解する。目の前にはぼんやりと輝く、お稲荷さん。記憶を取り戻すためにこの状況を再び体験させてくれたのは、あの銀色の狐なのかもしれない。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

異世界に転移してしまった私、古民家をもらったのでカフェを始めたら大盛況。国王陛下が頻繁に来るのですが、どうしたらいいですか?

来栖とむ
ファンタジー
ブラック企業で疲れ果てた30歳の元OL・美里(みさと)が転移した先は、見渡す限りの深い森。 そこで彼女が授かったのは、魔女の称号……ではなく、一軒の**「日本の古民家」**だった! 亡き祖母が遺したその屋敷には、異世界では失われたはずの「お醤油」「お味噌」「白いお砂糖」という禁断の調味料が眠っていて――。 「えっ、唐揚げにそんなに感動しちゃうの?」 「プリン一口で、国王陛下が泣いちゃった……!?」 おにぎり、オムライス、そして肉汁溢れるハンバーグ。 現代日本の「当たり前」が、この世界では常識を覆す究極の美食に。 お掃除のプロな親子や、お忍びの王様、さらにはツンデレな宮廷料理人まで巻き込んで、 美味しい香りに包まれた、心もお腹も満たされるスローライフが今、始まります!

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

没落貴族とバカにしますが、実は私、王族の者でして。

亜綺羅もも
恋愛
ティファ・レーベルリンは没落貴族と学園の友人たちから毎日イジメられていた。 しかし皆は知らないのだ ティファが、ロードサファルの王女だとは。 そんなティファはキラ・ファンタムに惹かれていき、そして自分の正体をキラに明かすのであったが……

最弱白竜ですが、なぜか学園最強の銀竜に番認定されました

斉藤めめめ
恋愛
竜の血を引く者だけが貴族になれるこの世界で、白竜は最も格の低い竜の証。 白竜の男爵令嬢リーゼロッテは、特待生として国内最高峰の王立竜騎学園に入学する。待っていたのは上位貴族からの蔑みと、学園を支配する四人の御曹司「四竜」。 その筆頭、銀竜公爵家の嫡男ルシアンに初日から啖呵を切ったリーゼは、いじめと嫉妬の嵐に巻き込まれていく。 それでも彼女は媚びない、逃げない、折れない。 やがてルシアンはリーゼから目が離せなくなり―― 白竜の少女が、学園と王国の運命を変える。 身分差×竜×学園ラブファンタジー、開幕。

愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました

由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。 尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。 けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。 そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。 再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。 一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。 “尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。 静かに離婚しただけなのに、 なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。

公爵家の家政を10年回した私が出ていったら、3ヶ月で領地が破綻しました

歩人
ファンタジー
エレナは公爵家に嫁いで10年、夫は愛人に入れ込み、義母には「家政婦代わり」と 罵られた。だが領地の財務も、商会との交渉も、使用人の管理も、全部エレナが やっていた。ある日、義母から「あなたの代わりなんていくらでもいる」と言われ、 エレナは静かに離縁届を出した。「では、代わりの方にお任せください」 辺境の町で小さな商会を開いたエレナ。10年間の実務経験は伊達ではなかった。 商会はたちまち繁盛する。一方、エレナがいなくなった公爵家は3ヶ月で経営破綻。 元夫が「戻ってこい」と泣きつくが—— 「お断りです。あと、10年分の未払い給金を請求いたしますね」

見た目は子供、頭脳は大人。 公爵令嬢セリカ

しおしお
恋愛
四歳で婚約破棄された“天才幼女”―― 今や、彼女を妻にしたいと王子が三人。 そして隣国の国王まで参戦!? 史上最大の婿取り争奪戦が始まる。 リュミエール王国の公爵令嬢セリカ・ディオールは、幼い頃に王家から婚約破棄された。 理由はただひとつ。 > 「幼すぎて才能がない」 ――だが、それは歴史に残る大失策となる。 成長したセリカは、領地を空前の繁栄へ導いた“天才”として王国中から称賛される存在に。 灌漑改革、交易路の再建、魔物被害の根絶…… 彼女の功績は、王族すら遠く及ばないほど。 その名声を聞きつけ、王家はざわついた。 「セリカに婿を取らせる」 父であるディオール公爵がそう発表した瞬間―― なんと、三人の王子が同時に立候補。 ・冷静沈着な第一王子アコード ・誠実温和な第二王子セドリック ・策略家で負けず嫌いの第三王子シビック 王宮は“セリカ争奪戦”の様相を呈し、 王子たちは互いの足を引っ張り合う始末。 しかし、混乱は国内だけでは終わらなかった。 セリカの名声は国境を越え、 ついには隣国の―― 国王まで本人と結婚したいと求婚してくる。 「天才で可愛くて領地ごと嫁げる?  そんな逸材、逃す手はない!」 国家の威信を賭けた婿争奪戦は、ついに“国VS国”の大騒動へ。 当の本人であるセリカはというと―― 「わたし、お嫁に行くより……お昼寝のほうが好きなんですの」 王家が焦り、隣国がざわめき、世界が動く。 しかしセリカだけはマイペースにスイーツを作り、お昼寝し、領地を救い続ける。 これは―― 婚約破棄された天才令嬢が、 王国どころか国家間の争奪戦を巻き起こしながら 自由奔放に世界を変えてしまう物語。

処理中です...