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(27)桃珊瑚-7
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庭から戻ると、ちょうどお料理が運ばれてくるところだった。用意されていたのは長崎を代表する卓袱料理だ。「卓」はテーブル、「袱」はテーブルに広げられた布……ようはテーブルクロスを意味するらしい。
正直、「袱」という文字は、「卓袱料理」以外では「袱紗」くらいでしか見たことがない。個人的に使い勝手がとても限定されている文字だと思う。
卓袱料理と言えば、やはり地元の新鮮なお刺身に、東坡煮……つまりは角煮。それから「パスティ」と呼ばれるパイ生地で蓋をしたスープ。和風、中華、洋風がごちゃまぜになった料理は、きっと江戸時代には、相当にハイカラなものだったのだろう。
「清香さんは、卓袱料理を食べるのは何度目ですか? ちなみに僕は初めて食べます」
「前におじいちゃんのお祝いとお兄ちゃんの結納で花月に来たことがあると話したでしょう。ちゃんとしたお店でいただくのはそれ以来よ。まあ、くじらとかハトシとかはお正月に、角煮は普通に食事で食べるけれど」
卓袱料理の中には、くじらやハトシもメニューに入っている。くじらの刺身やベーコン、湯引きなどはおせち料理に必ず用意される食べ物だ。鯨肉の専門店もいまだ健在である。
ハトシと呼ばれるエビのすり身を食パンで巻いて揚げたものも、やはりおせち料理の定番だ。とはいえ、自分でハトシを作るのは大変なのでデパートで買うことがほとんどになってしまっている。
もともと卓袱料理は、家庭で作られたお客さま向けの御馳走なので、ひとつひとつであればなじみ深いものも結構あるわけだ。
さて、懐石料理やフランス料理のフルコースなどと違って、卓袱料理には正しい順番というのはほぼないと言っても過言ではない。たったひとつの決まりさえ守れば、あとは自由に飲み食いすることができる。
そのたったひとつの約束事というのが、「御鰭」と呼ばれるお吸い物を最初にいただくということ。まずこれをいただかなければ、乾杯も主催者の挨拶も始まらないのだ。妙に緊張する一瞬でもある。
「御鰭をどうぞ」
女将さんの合図で、私と朔夜さんはお吸い物を口にした。「お客さまおひとりに対して、鯛一尾を使っておもてなしをする」というところから、そもそも「御鰭」と呼ばれているのだとか。以前はその証明のために鯛の胸鰭が入っていたそうだから、なんとも贅沢なことだと思う。
「では、いただきましょうか」
「はい」
迷い箸でマナー違反をしてしまいたくなるくらい、「御鰭」の後は、ご自由にどうぞなフリースタイルになる。テーブルから落っこちてしまいそうなほどのお料理がところせましと並び、直箸と取り皿は二枚までという独特なマナーの中、各自好きなものを好きなようにいただくのだ。
フリーダム過ぎて、逆に悩むんですけれど! ふたりだけになった部屋の中でお皿に料理をよそいながら、朔夜さんがおかしそうに笑っていた。今はないはずの尻尾がぴんと立っているのが見える気がする。
「清香さん、やっぱり緊張してますよね?」
「さっきも言いましたけれど、緊張するに決まっていますよね? なんで何回も聞くんですか」
「あははは、すみません。ちょっと嬉しくて」
「私が緊張するのが嬉しいって、朔夜さん、意地悪ですね」
「だって、緊張するということは僕のことを意識しているってことでしょう?」
「……は?」
「可愛い清香さん。もっともっと意識してください。僕が隣にいないと寂しくて眠れないくらいに」
何も触れられていないはずなのに、ピアスが熱くなったような気がした。絶対に大事にしてほしいと言われたこのピアス、実は指輪なんかよりもずっと厄介なものなのかもしれない。
「待つのは得意だって言ったくせに」
「黙って待つのはやめたと先ほど言ったばかりですよ。静かにしていると、清香さんはすぐに忘れちゃいますから。構ってくれとちょっかいを出すくらいでちょうどいいんです」
「ひどい。私はいろいろ思い出したばかりで、いっぱいいっぱいなのに」
「そんなに身構えることはありませんよ。まあ、知人から友人、恋人、夫婦へのランクアップは早急に行いたいですけれど。人間とあやかしという違いのことなら、気にするほどのことではありません」
「気にするところでしょうよ」
「大丈夫ですよ。人間は、それぞれの長所を取り入れるのが得意でしょう? 全然違うものの良い部分を見つけて、あっという間に馴染ませていく。このお料理たちみたいに」
卓袱料理は、和風、中華風、洋風の料理が組み合わさったもの。長崎の和華蘭文化の代表格だ。
人間とあやかしも、同じように溶け込めると言いたいのか。上手いこと言ってやったとキメ顔のイケメンを前に、私は小さくふき出した。少しずつ近づいていけたらいい。私たちなりのスピードで。
「ちなみに、例の社長夫人からは、本日のお座敷に長崎検番の芸妓衆を呼ぶか聞かれましたよ」
「いや、もう、それ、完全に披露宴ですから……」
「断りましたが、惜しいことをしましたか?」
「断ってくださってよかったです。お礼の域を超えていて、もう完全に恐ろしいです」
長崎検番の芸妓衆を呼ぶには、花月を始めとする提携料亭での食事が必須となる。見てみたくはあるけれど、何気なく呼ぶものではないと思う。本当に。
「梅碗までいただいたら、少し歩きましょうか」
「そうですね。しめのデザートがお汁粉だなんて、今日の摂取カロリーを考えたらいろいろ怖いです」
「ふたりでのんびり、お散歩デートですね。せっかくだから、そのままうちに来ます?」
「だから、ちょっと待ってくださいってば」
頼りがいのあるさわやか系お兄さんから、執着系べったり彼氏にジョブチェンジしたらしい朔夜さんに私はこれから先、振り回されることになるのだった。
正直、「袱」という文字は、「卓袱料理」以外では「袱紗」くらいでしか見たことがない。個人的に使い勝手がとても限定されている文字だと思う。
卓袱料理と言えば、やはり地元の新鮮なお刺身に、東坡煮……つまりは角煮。それから「パスティ」と呼ばれるパイ生地で蓋をしたスープ。和風、中華、洋風がごちゃまぜになった料理は、きっと江戸時代には、相当にハイカラなものだったのだろう。
「清香さんは、卓袱料理を食べるのは何度目ですか? ちなみに僕は初めて食べます」
「前におじいちゃんのお祝いとお兄ちゃんの結納で花月に来たことがあると話したでしょう。ちゃんとしたお店でいただくのはそれ以来よ。まあ、くじらとかハトシとかはお正月に、角煮は普通に食事で食べるけれど」
卓袱料理の中には、くじらやハトシもメニューに入っている。くじらの刺身やベーコン、湯引きなどはおせち料理に必ず用意される食べ物だ。鯨肉の専門店もいまだ健在である。
ハトシと呼ばれるエビのすり身を食パンで巻いて揚げたものも、やはりおせち料理の定番だ。とはいえ、自分でハトシを作るのは大変なのでデパートで買うことがほとんどになってしまっている。
もともと卓袱料理は、家庭で作られたお客さま向けの御馳走なので、ひとつひとつであればなじみ深いものも結構あるわけだ。
さて、懐石料理やフランス料理のフルコースなどと違って、卓袱料理には正しい順番というのはほぼないと言っても過言ではない。たったひとつの決まりさえ守れば、あとは自由に飲み食いすることができる。
そのたったひとつの約束事というのが、「御鰭」と呼ばれるお吸い物を最初にいただくということ。まずこれをいただかなければ、乾杯も主催者の挨拶も始まらないのだ。妙に緊張する一瞬でもある。
「御鰭をどうぞ」
女将さんの合図で、私と朔夜さんはお吸い物を口にした。「お客さまおひとりに対して、鯛一尾を使っておもてなしをする」というところから、そもそも「御鰭」と呼ばれているのだとか。以前はその証明のために鯛の胸鰭が入っていたそうだから、なんとも贅沢なことだと思う。
「では、いただきましょうか」
「はい」
迷い箸でマナー違反をしてしまいたくなるくらい、「御鰭」の後は、ご自由にどうぞなフリースタイルになる。テーブルから落っこちてしまいそうなほどのお料理がところせましと並び、直箸と取り皿は二枚までという独特なマナーの中、各自好きなものを好きなようにいただくのだ。
フリーダム過ぎて、逆に悩むんですけれど! ふたりだけになった部屋の中でお皿に料理をよそいながら、朔夜さんがおかしそうに笑っていた。今はないはずの尻尾がぴんと立っているのが見える気がする。
「清香さん、やっぱり緊張してますよね?」
「さっきも言いましたけれど、緊張するに決まっていますよね? なんで何回も聞くんですか」
「あははは、すみません。ちょっと嬉しくて」
「私が緊張するのが嬉しいって、朔夜さん、意地悪ですね」
「だって、緊張するということは僕のことを意識しているってことでしょう?」
「……は?」
「可愛い清香さん。もっともっと意識してください。僕が隣にいないと寂しくて眠れないくらいに」
何も触れられていないはずなのに、ピアスが熱くなったような気がした。絶対に大事にしてほしいと言われたこのピアス、実は指輪なんかよりもずっと厄介なものなのかもしれない。
「待つのは得意だって言ったくせに」
「黙って待つのはやめたと先ほど言ったばかりですよ。静かにしていると、清香さんはすぐに忘れちゃいますから。構ってくれとちょっかいを出すくらいでちょうどいいんです」
「ひどい。私はいろいろ思い出したばかりで、いっぱいいっぱいなのに」
「そんなに身構えることはありませんよ。まあ、知人から友人、恋人、夫婦へのランクアップは早急に行いたいですけれど。人間とあやかしという違いのことなら、気にするほどのことではありません」
「気にするところでしょうよ」
「大丈夫ですよ。人間は、それぞれの長所を取り入れるのが得意でしょう? 全然違うものの良い部分を見つけて、あっという間に馴染ませていく。このお料理たちみたいに」
卓袱料理は、和風、中華風、洋風の料理が組み合わさったもの。長崎の和華蘭文化の代表格だ。
人間とあやかしも、同じように溶け込めると言いたいのか。上手いこと言ってやったとキメ顔のイケメンを前に、私は小さくふき出した。少しずつ近づいていけたらいい。私たちなりのスピードで。
「ちなみに、例の社長夫人からは、本日のお座敷に長崎検番の芸妓衆を呼ぶか聞かれましたよ」
「いや、もう、それ、完全に披露宴ですから……」
「断りましたが、惜しいことをしましたか?」
「断ってくださってよかったです。お礼の域を超えていて、もう完全に恐ろしいです」
長崎検番の芸妓衆を呼ぶには、花月を始めとする提携料亭での食事が必須となる。見てみたくはあるけれど、何気なく呼ぶものではないと思う。本当に。
「梅碗までいただいたら、少し歩きましょうか」
「そうですね。しめのデザートがお汁粉だなんて、今日の摂取カロリーを考えたらいろいろ怖いです」
「ふたりでのんびり、お散歩デートですね。せっかくだから、そのままうちに来ます?」
「だから、ちょっと待ってくださいってば」
頼りがいのあるさわやか系お兄さんから、執着系べったり彼氏にジョブチェンジしたらしい朔夜さんに私はこれから先、振り回されることになるのだった。
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