せっかくですもの、特別な一日を過ごしましょう。いっそ愛を失ってしまえば、女性は誰よりも優しくなれるのですよ。ご存知ありませんでしたか、閣下?

石河 翠

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「そんなに離婚することが嬉しいか。君にはわからないだろうが、僕にとってこの結婚は耐え難いほど苦痛なものだった。それについて詫びるどころか、恥ずかしげもなく持参金を取り返して出て行くとは」
「……申し訳ありません。けれど、持参金を返していただけなければ、路頭に迷ってしまいますわ」

 頬に手を当てて、困ったと言わんばかりにイヴはそっとうつむいた。その儚げな様子にエリックは戸惑いを覚える。いつものイヴであれば、法的に保証された妻の権利についてとうとうと語ったに違いない。あるいは証文やら証人をずらりと並べ立てて、正論で声高にエリックを締め上げただろう。

 それが今回のように、悲しげな淡い微笑みとともに穏やかに返答されれば、これ以上の嫌味を口から出すことははばかられた。そもそもエリックは、貴族の男子として貴婦人に礼を尽くすようにしっかりと教育を受けている。ひとりでは立って歩けそうにない女性をいたぶる趣味などないのだ。

「……すまない。少し言葉が過ぎたようだ」
「いいえ、お気持ちはわかります。どうぞお気になさらず」
「そうか。それでは、これからどうするつもりか聞いてもいいだろうか。屋敷を出るのは夕方頃になると聞いたが」
「よろしければ、のんびりおしゃべりなどさせていただければ嬉しゅうございます」
「僕と、か?」
「ええ。結婚してから三年が経ちましたが、私たちはまともに会話をしたことがありませんでしょう?」

 離婚に際して強引に話を進めてきた自覚のあるエリックは、イヴの提案にひどく驚いた。恨み言や自身の正当性をぶつけられるならまだしも、自分との対話を求められるとは想像もしていなかったのだ。

「だが、今さら何を話したいのだ」
「人生に今さらなんてありません。あの時ああ言えば良かった、こう言えば良かったなんて後悔するくらいなら、思いついたことは実行してしまおうと思いましたのよ」
「……そうか」
「ちなみに、今日の朝食で使った食品の仕入れは、私が嫁いで来る前のお店に戻しております。懐かしいお味になったのではありませんか」
「なるほど。確かに今日の料理は口にあうと思っていたところだ」

 エリックとイヴがぶつかった数ある原因のひとつに、イヴが家に出入りする業者を変更したことがある。代々利用していた高位貴族御用達の店ではなく、平民用向けの業者を平気で出入りさせるイヴのことをエリックは軽蔑していた。しかし、彼女は自分の離婚と併せて業者を元に戻す常識は持っていたらしい。

 節約だの倹約だの言い続けていた彼女だったが、もしかしたら彼女自身も成金の実家の被害者だったのかもしれない。ここで自分が離婚を選択することは、か弱い女性を見捨てることになるのではないのか。ふと湧いた疑念は、イヴと話を進めていく中でどんどん深まっていく。
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