牡丹は愛を灯していた

石河 翠

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 百貨店のコスメカウンターで化粧をしてもらってから、私は少しずつ変わるための努力を始めていた。

 昔のつてを頼り、かつて働いていた業界に復帰できないか打診を続け、何とか採用までこぎ着けた。久しぶりに袖を通したスーツに心が浮き足立った。

 夫と離婚するための弁護士も見つけた。夫の有責を裏付ける証拠は笑ってしまうほどたやすく集められたため、結婚生活を終わらせることは簡単だと、私も弁護士の先生も楽観視していた。

 もちろん、残念ながら世の中はそう甘くはない。

 夫との離婚調停は、遅々として進まなかった。あれだけ好き放題しておきながら、別れたくないのだという。しかも、浮気相手への慰謝料も請求するなと言われてしまったから頭が痛い。お金の問題ではない。けれど傷ついた心を納得させるには、お金しかないのだとなぜわからないのか。

 夫が話す内容は二転三転する。姑は夫の都合の良いように話を聞いたらしい。姑とともに駄々をこねる夫は、もはや私が愛して結婚した男ではなかった。これでは、慰謝料どころか養育費を得ることさえ難しいだろう。

 実家の母には頼れない。母は、そういう男を選んだのはお前だと、大変なことをわかっていて子どもを産んだのはお前だと鬼の首を取ったかのように言い立てるに違いない。結婚前に夫にDVのがあるか、姑がまともかどうかなど、予知する方が難しいのに。

 そのうち、夫は調停にさえ来ることもなくなった。調停が不成立に終われば、次は裁判になるだけなのに。どうやら夫は、愛人の家に転がりこんでいるらしい。本当にどうしようもない男だ。

 裁判になればおそらく勝てるとは思う。けれど、あとどれくらい時間を無駄にしなければならないのか。考え始めると疲れてしまって、食事をする気持ちにもならない。どうして、こんなところでつまづかなくてはならないのだろう。

 ――リラックス効果がありますので、くたくたに疲れてしまったときに使うと効果がありますよ。火の元にだけは十分お気をつけくださいね――

 ふと、美容部員さんに頂いたキャンドルのことを思い出した。

 まるっこい形をした赤いアロマキャンドル。そういえば、ここまで色鮮やかなアロマキャンドルは少し珍しいかもしれない。私が見たことのあるものは、どれも柔らかな色合いをしていた。

 子どもたちが寝静まった真夜中に、アロマキャンドルを灯してみた。ゆらりと大きく影が揺れ、めまいがする。甘い香り……これが牡丹の香りなのだろうか。

 たたらを踏み、ゆっくりと息を吐きつつ正面を見上げてみれば、そこは辺り一面、見渡す限りの真っ暗闇だった。
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