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青空がまぶしいとある日。
私は久しぶりに駅前の百貨店を訪れていた。
フロアに響く軽やかなヒールの音が、耳に心地くて自然と笑みがこぼれる。くるりとカーブした髪の毛を耳にかければ、お気に入りのピアスが指先にふれた。
「こんにちは。お久しぶりです」
カウンターへ足を進めると、美容部員の乙骨さんがにこやかに出迎えてくれた。おあつらえむきに、ちょうど他のお客さんも見えない。話をするにはちょうどいいだろう。
「お元気そうでほっとしました」
「先日はいろいろとありがとうございました。こちらへ伺うのがすっかり遅くなってしまって……。ありがたいことにいろいろなことが片付いたんです」
「それは良かったですね」
「新しい就職先も決まったものですから。先日、タッチアップしていただいた商品を買わせてください」
「まあ、ありがとうございます」
新しい就職先は、働きやすい職場だった。シングルマザーとなった私にも優しく接してくれるし、残業もない。もちろんお給料がそれほど高いわけではないけれど、社内の雰囲気がいいこと、家庭の事情に理解があることは何よりありがたい。家のローンの返済も免除になったおかげで、むしろ今の方が生活にゆとりがあるくらいだ。
並べられた商品の詳細をあれこれ尋ねてみる。急に羽振りが良くなったことについて、乙骨さんに尋ねられることはなかった。私が高給取りになったなんて、彼女も思っていないはずだ。きっと乙骨さんはわかっているのだ。そもそもあのアロマキャンドルを私にくれたのは、彼女なのだから。
「いろいろとお世話になりました」
「いえいえ、安心しました」
「本当にありがとうございます。乙骨さんのおかげで、ずっと抱えていた悩みがやっと解決しまして。おかげさまで、一から出直すことになりました」
旧姓に戻し、姻族関係終了届も受理された。
これから、子どもたちと一緒に地道に暮らしていこうと思う。無駄な贅沢をしなければ、そこそこの暮らしは確保できる。決して、「父親がいないからあの家の子は」なんて他人に言わせたりなんかしない。
「充実していらっしゃるんですね。笑顔が本当に素敵です」
「もう、美容部員さんとして働いている乙骨さんに言われても、ただのお世辞にしか聞こえませんよ」
「あら、本当のことを言っただけですのに」
上品に微笑んだ乙骨さんは、次の瞬間、さらりと爆弾発言を落としてくれた。
「私は昔は自分の顔が苦手で。ずっと、不美人だと言われていたんです」
「え」
こんな綺麗なひとに向かって「不美人」――乙骨さんはマイルドに言っていたがきっと明確に「ブス」だと言われていたのだろう――と言う人間がいるなんて。
私のびっくりした顔が面白かったのか、ころころと笑いながら乙骨さんは続けた。
「ところがある時、自分の骨格が非常に整っているということに気がついたんです。自分で言うのもお恥ずかしい話なのですが。それでお化粧を頑張ることにしたというわけなんですよ」
「あ、聞いたことがあります。美人の肝は骨格だって」
「実際の芸能人の方だけでなく、フィクションの世界でも有名ですよね。とはいえ、最近の漫画や映画よりも私の方が年上ですから、私が元祖ということでお願いいたします」
乙骨さんって、おいくつなのだろう。聞いたところで答えはもらえないことはわかっていた。疑問を抱えつつ、私は彼女の顔をじっと見つめる。乙骨さんの年齢はわからないけれど、なぜか不思議と和服がお似合いだろうなと感じた。そう、牡丹と芍薬をあしらった真っ白な着物が。
「もうすぐ梅雨が明けますね」
乙骨さんの言葉に、私もうなずきかえす。先日、夕立にあった時のことが信じられないほど、今日の天気は快晴だ。どこを歩いていても絶え間無く流れてくる蝉の声が、まさに夏が来たのだと私に教えてくれる。
「ええ、信じられないほど長い梅雨でした。このまま、梅雨が明けないのではないか。そんな心配もしていたくらい。そのぶん、今日の青空が嬉しいです」
「洗濯物も外に干せて、家の中もすっきり片付きますしね。あの生乾き臭は万死に値します」
「ええ、本当に!」
私たちはくすくすとお互いに笑い声を上げてみせる。カウンターに設置された鏡には、晴れやかな私の笑顔が映っていた。
私は久しぶりに駅前の百貨店を訪れていた。
フロアに響く軽やかなヒールの音が、耳に心地くて自然と笑みがこぼれる。くるりとカーブした髪の毛を耳にかければ、お気に入りのピアスが指先にふれた。
「こんにちは。お久しぶりです」
カウンターへ足を進めると、美容部員の乙骨さんがにこやかに出迎えてくれた。おあつらえむきに、ちょうど他のお客さんも見えない。話をするにはちょうどいいだろう。
「お元気そうでほっとしました」
「先日はいろいろとありがとうございました。こちらへ伺うのがすっかり遅くなってしまって……。ありがたいことにいろいろなことが片付いたんです」
「それは良かったですね」
「新しい就職先も決まったものですから。先日、タッチアップしていただいた商品を買わせてください」
「まあ、ありがとうございます」
新しい就職先は、働きやすい職場だった。シングルマザーとなった私にも優しく接してくれるし、残業もない。もちろんお給料がそれほど高いわけではないけれど、社内の雰囲気がいいこと、家庭の事情に理解があることは何よりありがたい。家のローンの返済も免除になったおかげで、むしろ今の方が生活にゆとりがあるくらいだ。
並べられた商品の詳細をあれこれ尋ねてみる。急に羽振りが良くなったことについて、乙骨さんに尋ねられることはなかった。私が高給取りになったなんて、彼女も思っていないはずだ。きっと乙骨さんはわかっているのだ。そもそもあのアロマキャンドルを私にくれたのは、彼女なのだから。
「いろいろとお世話になりました」
「いえいえ、安心しました」
「本当にありがとうございます。乙骨さんのおかげで、ずっと抱えていた悩みがやっと解決しまして。おかげさまで、一から出直すことになりました」
旧姓に戻し、姻族関係終了届も受理された。
これから、子どもたちと一緒に地道に暮らしていこうと思う。無駄な贅沢をしなければ、そこそこの暮らしは確保できる。決して、「父親がいないからあの家の子は」なんて他人に言わせたりなんかしない。
「充実していらっしゃるんですね。笑顔が本当に素敵です」
「もう、美容部員さんとして働いている乙骨さんに言われても、ただのお世辞にしか聞こえませんよ」
「あら、本当のことを言っただけですのに」
上品に微笑んだ乙骨さんは、次の瞬間、さらりと爆弾発言を落としてくれた。
「私は昔は自分の顔が苦手で。ずっと、不美人だと言われていたんです」
「え」
こんな綺麗なひとに向かって「不美人」――乙骨さんはマイルドに言っていたがきっと明確に「ブス」だと言われていたのだろう――と言う人間がいるなんて。
私のびっくりした顔が面白かったのか、ころころと笑いながら乙骨さんは続けた。
「ところがある時、自分の骨格が非常に整っているということに気がついたんです。自分で言うのもお恥ずかしい話なのですが。それでお化粧を頑張ることにしたというわけなんですよ」
「あ、聞いたことがあります。美人の肝は骨格だって」
「実際の芸能人の方だけでなく、フィクションの世界でも有名ですよね。とはいえ、最近の漫画や映画よりも私の方が年上ですから、私が元祖ということでお願いいたします」
乙骨さんって、おいくつなのだろう。聞いたところで答えはもらえないことはわかっていた。疑問を抱えつつ、私は彼女の顔をじっと見つめる。乙骨さんの年齢はわからないけれど、なぜか不思議と和服がお似合いだろうなと感じた。そう、牡丹と芍薬をあしらった真っ白な着物が。
「もうすぐ梅雨が明けますね」
乙骨さんの言葉に、私もうなずきかえす。先日、夕立にあった時のことが信じられないほど、今日の天気は快晴だ。どこを歩いていても絶え間無く流れてくる蝉の声が、まさに夏が来たのだと私に教えてくれる。
「ええ、信じられないほど長い梅雨でした。このまま、梅雨が明けないのではないか。そんな心配もしていたくらい。そのぶん、今日の青空が嬉しいです」
「洗濯物も外に干せて、家の中もすっきり片付きますしね。あの生乾き臭は万死に値します」
「ええ、本当に!」
私たちはくすくすとお互いに笑い声を上げてみせる。カウンターに設置された鏡には、晴れやかな私の笑顔が映っていた。
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