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男爵令嬢リリスの事情(5)

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 そんな生活がしばらく続いたある日のこと。雑貨屋の御用聞きが、リリスに不吉な噂を教えてくれた。

 リリスを娼館送りにしようとしたご令嬢が、未だにリリス探しを諦めていないらしい。この家に「リリス」という「女性」がいることを知り、本物のリリスが見つからないのならば「老女」の「リリス」を殺してしまえと騒いでいるのだという。こんな森の中にまで聞こえてくるとは、どれだけ騒いでいるのか。しかも「売りとばせ」ですらなくなったことに、リリスは胃が痛くなった。

 ひとのよさそうな御用聞きは、心の底からリリスたちを心配しているようだった。そもそも森の中でぽつんと暮らしている訳ありの少年の世話を焼いていた人物である。さらに訳ありのリリスが増えてからも、誰にもそのことを漏らさずにいてくれたあたり、本当に信頼できる相手なのだ。だからこそ、迷惑をかけるわけにはいかないとリリスは決めた。すなわち、夜逃げの実行である。

「そういうわけで、ダミアン。私はここを出ていくことにするわ。もう少しダミアンと一緒にいたかったけれど、仕方がないわね」
「リリス、なぜだ。そいつらの言うことなど、放っておけばいいじゃないか」

 ふてくされるダミアンを見て、リリスは苦笑した。実際のところ、リリスとて彼らに振り回されるのはもうたくさんだ。だが、八つ当たりでひとの命を奪う力を持っているような連中に、正論で戦いを挑んだところで返り討ちにあうのが関の山である。逃げるが勝ちというではないか。

「貴族というのはえげつない生き物だから。私が言うことを聞かないとわかったら、まずは私のそばにいるダミアンに被害が行くわ」
「地獄の番人ダミアンさまに恐れるものなどなにもないぞ!」
「そうね。ダミアンさまなら、大丈夫でしょうね。でも、ダミアンが大丈夫でも、近くの村の皆さんがどうなるかわからないわ。例えば雑貨屋さんだってそうよ。私は、大切なひとたちが傷つくのはイヤなの」

 リリスはぎゅっとダミアンを抱きしめた。お日さまのような甘い匂い。何があっても、この子には幸せになってほしい。同じことをリリスの母も、リリスに対して願ってくれただろうか。

「でも、リリスは悪くない」
「バカみたいに相手を無条件で信じた私も悪かったの。もう少し考えてみれば、相手が嘘をついていたことにだって気づけたはずなのに」
「騙すほうが悪いだろう」
「でも大人になったら、騙されないように自分で自分を守らなくてはいけないの」

 不機嫌そうにひん曲がった口元さえ愛しくて、リリスはダミアンの頬を撫でた。

「俺が、リリスを守るから!」
「ありがとう。ダミアン、これをあげるわ」
「このペンダントは……」
「母の形見よ。明日からしばらくの間、ダミアンは雑貨屋さんのところで寝泊まりしておきなさい。万が一、あのひとたちがここに来たら危ないから。私は明日の朝、ここを発つわ」

 もともとダミアンのお家なのに、迷惑をかけてごめんなさいね。困ったように笑うリリスを見て、ダミアンが地団駄を踏んだ。

「俺は、神をも恐れぬ男ダミアンさまだ。リリスを泣かせる奴は、絶対に許さない!」

 リリスが差し出したペンダントを握りしめたまま、ダミアンが駆け出した。もうすぐ日が暮れる。小さな森とはいえ、足を踏み外せば怪我をすることだってあるというのに。

「あ、ダミアン、待ちなさい」

 家を飛び出し、あっという間に見えなくなったダミアンを追いかけて、リリスもまた暗い森に向かって走り始めた。
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