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「かわいそうなマリアベル。お母さまですよ」

 マリアベルは答えない。ただただ気味の悪いものを見つめるように、私の手を握りしめている。

「あら、どうしたの? お母さまって呼んでごらんなさい。もしかして、拗ねちゃったのかしら? ちょっと置いていかれたくらいで怒るなんて、可愛くないわ」
「……ちょっと置いていかれたとはどういうことでしょう」
「結婚とか、妻とか、母親って性に合わなかったの。ほら、親子でも相性ってあるでしょ。特にマリアベルは気難しい子だったから。だから、しばらく家出していたのよ。でも、今のマリアベルなら仲良くできそうで安心したわ。ねえ、マリアベル。マリアベルも本当のお母さまと一緒がいいわよね?」

 マリアベルは呆然と固まったままだ。私はマリアベルを背に隠し、彼女の話をさえぎった。

「なんて勝手な! 死亡扱いになったということは、もう何年も音沙汰がなかったのですよね。そのような方に、マリアベルを任せることはできません」
「まあ、母親が娘と一緒に暮らすことに何か理由が必要なのかしら?」
「どうぞお引き取りを。必要があれば、旦那さまから事前に説明があるはずです」
「まあ、怖い。かわいそうなマリアベル、こんな継母にはさっさと出て行ってもらいましょう。もう、お勉強なんてやらなくていいわ。無理しなくてもいいのよ。このひとに、たくさん虐められたのよね。大丈夫よ、女の子は顔が可愛ければ、生きていけるのだから。これからはお母さまと一緒に好きなことをして、楽しく暮らしましょうね。さあ、あなたは早く荷物をまとめて出ていってちょうだいな」

 このひとは、義母や義妹と同じ思考回路をしている。彼らにとって家族とは、便利な道具でしかない。自信満々なマリアベルの母親を見て、私は思わず声をあげた。

「マリアベルが好きなこと、ご存じですか?」
「え……?」
「マリアベルが好きなことをご存知ですかと聞いています」
「……ピアノかしら?」

 あなたは何にもわかっていないと叫びたくなるのをこらえながら、私は答える。

「マリアベルが一番好きなことは、ピカピカの泥団子を作ることです。それから、ダンゴムシ集め。木登りも大好きで、今は赤く色づいたサクランボをとることに生きがいを感じています。最近では剣にも興味があるようです」
「それがなに?」

 何を言っているのかわからないと言うように、マリアベルの母親が小首をかしげた。たおやかな細い手足といい、保護欲をかきたてられる仕草だろう。だが、私には無意味だ。

「マリアベルがドレスを切り刻んでいた理由をご存じですか?」
「さあ、さっぱりわからないわ」
「マリアベルは、動きやすい服が欲しかったんですよ。馬に乗ったり、木に登ったり、泥遊びやかけっこをしても困らないような、そんな服が欲しかったんです。彼女にとって、フリルやレースやリボンは邪魔なものでした」
「女の子らしくてよく似合うのに、おかしな子ね」

 あきれたと言わんばかりに、マリアベルの母親はため息をついた。

「あなたって、マリアベルにそんなことを許しているの? なんのために、この家に嫁いできたのかしら。いくら継母とはいえ、母親失格ね。あなたみたいに生まれも育ちも悪い人間が、子育てなんかできるわけがないでしょう」

 言い返そうと思い、けれど言葉に詰まる。それは彼女に指摘されたことが、一部分とはいえ事実だったから。母親の愛情を知らない私は、母親になどなれないのではないか。そう思ってしまったからだ。

 どん!

 私の背にいるマリアベルが、大きく足を踏み鳴らした。これは、マリアベルの得意な怒っていますよのポーズ。そのままマリアベルは私と彼女の母親の間に割り込み、私をかばうように仁王立ちになった。

「帰って」
「マリアベル?」
「お母さまはお母さまじゃない!」
「どうして、そんなことを言うの?」

 わけがわからないと言いたげな顔をする母親を前に、マリアベルは言い募る。

「お母さまにとってわたしは、『かわいそう』で『みっともない』子どもなのでしょう?」
「そんなこと……」
「いいえ、そうよ。グレースが来る前は、何もできなくて、お友だちもいなかったわ。いつも怒ってばかりいたの。でも今はちがうわ。大切なことは、お母さまじゃなくって、全部グレースに教わったのよ」

 負けず嫌いなマリアベルの瞳に、涙がたまっているのが見えた。思わず、マリアベルを抱きしめる。

「マリアベルは、私の大切な娘です。あなたには渡しません」
「何よ、血も繋がっていないくせに。馬鹿じゃないの」
「そうですね。それでも私たちは、家族ですから。血は繋がっていなくても、心が繋がっています」
「これで、わかっただろう?」

 一体いつからそこにいたのか、旦那さまが間に入ってきた。もしや、彼女を家に引き入れたのは旦那さま?

「君の出る幕ではないんだ。大人しく実家に戻りなさい。それができないのであれば、事前に警告した通り、それ相応の落とし前はつけさせていただこう」
「でも、わたしはあの子の母親なのに!」
「マリアベルの母親は君じゃない。グレースだ」

 取り乱すマリアベルの母親は、旦那さまのご指示でにお帰りいただくことになった。私はマリアベルと手を繋いだまま、その後ろ姿を見送る。そのまま旦那さまに抗議した。

「旦那さま、こういうことは事前にお知らせください。私は、マリアベルが連れていかれてしまうのではないかと本当に心配したんですから」
「それはすまなかった。マリアベルには前もって話してはいたんだよ。すっぱり諦めさせるには、こうするのが一番手っ取り早いだろうということになってね」
「ですが」

 私の言葉をマリアベルが遮った。

「わたしが、自分で決めたのよ」
「そもそもマリアベルが、彼女のもとに行くわけがないだろう。君に送るための母の日のプレゼントを探しに出かける予定だって、この間からそわそわしていたじゃないか」
「ちょっと、お父さま! それはないしょなのに!」

 ピアノの途中で、何色が好きかとマリアベルに聞かれたことを思い出す。

「……私のため?」

 再び抱きしめなおしたマリアベルの体温は、とても温かくて心地よいものだった。区切っていたはずのマリアベルとの境界線が、みるみるうちにとけていく。

「マリアベル、私をお母さんにしてくれて本当にありがとう」

 青い鳥の話は本当だった。幸せはどこかに探しにいくものではなく、自分のすぐそばにあるものなのだ。
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