婚約者から悪役令嬢と呼ばれた公爵令嬢は、初恋相手を手に入れるために完璧な淑女を目指した。

石河 翠

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 アンジェラがカルロの元に来たのが突然だったように、彼の元を去る日が来たのもまた突然だった。商会を営んでいるカルロの元に、横暴な貴族がやってきているという話は耳にしていた。けれどまさかその相手が、王族で、しかも自分の婚約者である王太子だったなんて思いもしなかった。

 カルロの後ろから覗き見た王太子は、自分よりもずいぶん年の離れた大人の男になっていた。自分と同い年の王太子が成人を迎えているだなんてありえない。けれど、この国に自分の婚約者以外の王子はいないのだ。だからこそ、彼は待望の世継ぎとして甘やかされ、あのような尊大で傲慢な人物に育ってしまっているのだから。

 そこでようやくアンジェラは、今自分がいる世界が未来の世界だということに気が付いた。さっと鳥肌が立つ。震えが止まらない。顔色の悪さを指摘され、おとなしく奥の部屋に引っ込む。カルロはアンジェラが、王太子に女として見られたことに怯えていたと思っていたようだが、真実は違うのだ。

 あの目も当てられない馬鹿な男が自分の婚約者で、半裸の下品な女が「運命の聖女」を気取っていることに頭痛とめまいを覚えただけだった。そして、カルロに出会って自分を省みていなければ、自分もまたあのような俗物に成り下がっていたかもしれない可能性に思い至り、鳥肌が立った。

(それにしても、あのような女に私が負けたなんて信じられませんわ)

 アンジェラはこの年で、小さな淑女と呼ばれている。王太子との婚約解消を求めて自宅で駄々をこねてしまったが、人前でアンジェラが感情を爆発させることは滅多にない。そしてアンジェラは淑女の名に恥じないように、自分だけでなく、周囲にも努力を求めてきた。だから、アンジェラが婚約者がそばにいながら、王太子があのような堕落した人間になっていることが信じられないのだ。

(私を嫌い、寄せ付けないことでああなった? それでも、あれはあんまりだわ。近くに寄れない状態であっても、どうにかして改善を促すはず。だって、あんなひとが自分の婚約者だなんておぞましいもの)

 そこでアンジェラはもうひとつの可能性に思い至る。
 もしもアンジェラが先ほどの彼女に負けたのではなく、あえて勝ちを譲ったのだとしたら?

 アンジェラは考える。なぜならアンジェラは信じているのだ。自分の才能を。自分の知識を。そして自分の家族の献身を。淑女としての矜持が彼女にはある。そして導き出された答えは。

(私は、自ら望んで殿下を律しなかった? あえてあの女と殿下がくっつくように仕向けた?)

 それは突飛なようでいて、他の何よりもしっくりくる答えだった。
 だって、アンジェラには力がある。実際にはアンジェラ自身になかったとしても、アンジェラを愛する家族は、王家などよりもずっと貴族の心を把握している。そんなアンジェラの家族たちが、王太子の愚行を諫めないことがあるだろうか。

 それならば先ほどの王太子の姿は、アンジェラとアンジェラの家族が望んだものだと言える。

(神輿は軽ければ軽いほど担ぎやすい。そして、あまりにもお粗末なものであれば惜しげもなく捨てられる……)

 どうしてアンジェラが未来に飛ばされたかなんてわからない。けれどもしも理由があるのだとしたら、アンジェラは選ばれたのではないだろうか。

 あのままではこの国は、きっと近いうちに立ち行かなくなる。それは王族以外の人間には自明の理だ。いや、殿下以外は理解しているのかもしれない。だからこそ、王家は必死になってアンジェラとの婚約をとりまとめたのだろう。公爵家の後ろ盾があれば、国内の貴族も王家を裏切らないから。そしてアンジェラの才覚があれば、王子の代わりに政治を取り仕切ることができるから。それはつまり、アンジェラの一生を愚かな婚約者と彼が選んだ空っぽの女性に捧げるということ。

(まっぴらごめんだわ)

 唇を噛んだ瞬間、脳裏によぎったのはいつもの苦虫を噛みつぶしたようなカルロだった。
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