リポグラム短編集～『あい』を失った女～

恋する君に『くちづけ』を

条件：「く」「ち」「づ」「け」「ぐ」「ぢ」「つ」「っ」「げ」を使用してはならない



　また今日きょうも君きみは、あの男おとこのもとへと向むかうんだろう。俺おれのため息いきなんて聞きこえるはずもない。君きみは嬉うれしそうに準備じゅんびを始はじめる。

　ふわふわしたシフォンのワンピースに、足あしの細ほそさを際立きわだたせる華奢きゃしゃなパンプス、耳元みみもとで緩ゆるやかに揺ゆれる金きんのピアス。どれもこれも、全部ぜんぶあの男おとこのために選えらんだもの。俺おれはあの日ひ、仕事帰しごとがえりの凛々りりしい君きみに一目惚ひとめぼれしたのに。

　拗すねてみせたところで、俺おれはどうせひとりこの家いえで留守番るすばん。ほら君きみはこの時間じかんも、どうにかしてあの男好おとこごのみのタレ目めに見みせようと、アイラインを引ひいている。ねえ、君きみの可愛かわいさがわからないような相手あいてなんて、やめときなよ。俺おれはそのままの君きみが好すきだよ。そう囁ささやいて、君きみを俺おれの腕うでの中なかに閉とじこめてしまえたなら。

　毎回まいかい鏡かがみの前まえで俺おれに聞きかせるように泣ないているのに。デートをドタキャンされた。プレゼントを捨すてられた。果はては 親友しんゆうと浮気うわきされた、だなんて。そんな風ふうに君きみが涙なみだを流ながすたびに、俺おれがその柔やわらかな口唇こうしんに触ふれることが許ゆるされるから。俺おれは君きみがまた心こころを傷いためれば良よいのにと人ひとでなしのように望のぞんでしまう。

　そんなにあの男おとこが好すきなの？　長ながい間あいだ君きみと肌はだを重かさねてきた俺おれよりも、あの男おとこが大事だいじなの？ 

　隅すみに放ほうり捨すてられた俺おれが、涙なみだをこらえて睨にらんでいるのさえ、君きみの目めには入はいらない。それにも関かかわらず、君きみは思おもい出だしたかのように、戯たわむれに俺おれの体からだを弄もてあそぶ。駄目だめね捨すてられない、大好だいすきなんだもの。そんな言葉ことば、俺おれに聞きかせてどうするの。

　あの男おとこも君きみも大嫌だいきらいだよ。そう思おもえたらいいのに。お願ねがい、どうか行いかないで。あの男好おとこごのみの色合いろあいにその場所ばしょを染そめた君きみには、俺おれの願ねがいは届とどかない。