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送り犬はとても紳士的な生き物らしい。どこで見つけたのやら、男物のブーツや衣服を持ってきてくれた。
「これを着なさいということ?」
そうだと、尻尾を振ったらしい。ふわりと空気が揺れる。民家もない道沿いに、店屋などあろうはずもない。ということは、この靴や服の持ち主はきっと行き倒れていたのだろう。
けれど私は送り犬の好意に甘えることにした。まず夜会用の衣服や靴では、歩くのもままならない。
それにいくら型遅れの質素なドレスといっても、これでは襲ってくださいと言っているようなものだ。野盗のような連中は、女であれば醜女だろうが老婆だろうが、気にしないとも聞く。少しでも安全な格好をするべきだとわかっていた。
夏の終わりとはいえ、今夜は酷く暑い。袖で汗をぬぐいつつ、ゆっくりゆっくり、送り犬と一緒に歩く。誰かの隣を歩くなんて、いつぶりだろうか。
夜会では夫と幼馴染の後ろ姿を見ないようにうつむきながら、ひとり歩いていた。屋敷の中では、やはり姑たちに目を合わせないように下を向いていた。
前を向くとどこまでも道が続いているのが見えた。どん詰まりだと思っていた私の人生も、意外と別の生き方があったのだろうか。
上を見上げれば、月も星も輝いている。下を見ていては見ることができなかった景色だ。まあ、夫たちにお礼を言う気にはなれないけれども。
「ああ、帰りたくないな」
私のつぶやきに、送り犬がきゅんきゅんと甘えた声を出した。送り犬という名前だから、ちゃんと指定の家まで送り届けなければならないと決められているのかもしれない。怪異や魔の物は、人間以上に誓約に縛られているとも聞く。私の言葉は、彼の存在自体を揺るがすものだったのだろうか。
だが、考えてもみてほしい。一体どこへ帰ればいいというのか。嫁ぎ先の屋敷へと帰らなければならないと思っていたけれど、あそこが私の「家」なのだとは、どうしても思えなかった。思いたくなどなかった。
戻ったところで待っているのは意地悪な姑だけ。姑のことだから、夫が幼馴染とよろしくやっていることも、彼らが私を置き去りにしたことだって承知しているだろう。なんなら、すべて姑の指示だったかもしれない。
だったらいっそのこと、このままどこかへ逃げてしまってはどうだろう。そうだ、今なら旅のともだって隣にいる。
「これを着なさいということ?」
そうだと、尻尾を振ったらしい。ふわりと空気が揺れる。民家もない道沿いに、店屋などあろうはずもない。ということは、この靴や服の持ち主はきっと行き倒れていたのだろう。
けれど私は送り犬の好意に甘えることにした。まず夜会用の衣服や靴では、歩くのもままならない。
それにいくら型遅れの質素なドレスといっても、これでは襲ってくださいと言っているようなものだ。野盗のような連中は、女であれば醜女だろうが老婆だろうが、気にしないとも聞く。少しでも安全な格好をするべきだとわかっていた。
夏の終わりとはいえ、今夜は酷く暑い。袖で汗をぬぐいつつ、ゆっくりゆっくり、送り犬と一緒に歩く。誰かの隣を歩くなんて、いつぶりだろうか。
夜会では夫と幼馴染の後ろ姿を見ないようにうつむきながら、ひとり歩いていた。屋敷の中では、やはり姑たちに目を合わせないように下を向いていた。
前を向くとどこまでも道が続いているのが見えた。どん詰まりだと思っていた私の人生も、意外と別の生き方があったのだろうか。
上を見上げれば、月も星も輝いている。下を見ていては見ることができなかった景色だ。まあ、夫たちにお礼を言う気にはなれないけれども。
「ああ、帰りたくないな」
私のつぶやきに、送り犬がきゅんきゅんと甘えた声を出した。送り犬という名前だから、ちゃんと指定の家まで送り届けなければならないと決められているのかもしれない。怪異や魔の物は、人間以上に誓約に縛られているとも聞く。私の言葉は、彼の存在自体を揺るがすものだったのだろうか。
だが、考えてもみてほしい。一体どこへ帰ればいいというのか。嫁ぎ先の屋敷へと帰らなければならないと思っていたけれど、あそこが私の「家」なのだとは、どうしても思えなかった。思いたくなどなかった。
戻ったところで待っているのは意地悪な姑だけ。姑のことだから、夫が幼馴染とよろしくやっていることも、彼らが私を置き去りにしたことだって承知しているだろう。なんなら、すべて姑の指示だったかもしれない。
だったらいっそのこと、このままどこかへ逃げてしまってはどうだろう。そうだ、今なら旅のともだって隣にいる。
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