37 / 39
5.そんなことをおっしゃられても。侯爵夫人、すべてあなたが望んだことでしょう?
(5)
しおりを挟む
用意されたふたつのパイ。それは作り手の名前を明かされぬまま、侯爵家の面々の前に並べられた。予想通り宝石箱のようなパイは、喝采を浴びている。それはそうだろう、あれほどの材料を使って、おそらくはプロの料理人が作っているのだ。それでおいしくなければ、その方が問題である。
口を引き結んだままのシャーロットに対し、アイリスはご機嫌そのもの。名前以外、詳しい説明のないアップルパイを前にして、にこにこしている。内心、笑い出したくてたまらないのだろう。
「それで、これが偽アップルパイであると」
「偽とはどういう意味なんだ?」
現当主と侯爵家嫡男のネイトが首を傾げているのを口角を上げて見つめるアイリス。自分からシャーロットを追い込んでおきながら、なぜこうも堂々としていられるのかがシャーロットにも義兄にも理解できない。
「なんとも地味な見た目だな」
そう呟きながらパイを口に入れた瞬間、先代当主は食べる手を止めた。そして車椅子に乗ってこの場に参加していた奥方のもとに駆け寄った。食事のマナーにうるさい彼ががらにもなく、料理を取り分け、躊躇することなくてずから食べさせてやろうとしている。
「あなた」
「いいから、ほら、口を開けてごらん」
困ったような顔をした老婦人だったが、夫の誘いに根負けしたらしい。困ったような顔をしながら口に含み、そしてぽろぽろと涙を流し始めてしまったのである。
「ああ、懐かしい。懐かしいわ。そう、あなたと出会った頃、あたくしはよくこのアップルパイを作ったものだったわ」
「そうだ。あの苦難の時期を乗り越えられたのは、どんな時でも明るさを忘れない君のおかげだったのだよ」
「不思議だこと。もう食べるのも億劫だと思っていたはずなのに、このアップルパイを食べていると若い頃を思い出したような気分になるの」
先代当主の奥方は、すっかり体調を崩し、余命いくばくもないと言われていたはずだった。ところがなんということだろう。今、彼女の頬は薔薇色に染まり、生き生きと瞳を輝かせている。
「今なら、車椅子がなくても動けるような気がするわ」
そう言って老婦人が震える足に力を込める。慌てて制止しようとした先代当主の前で、今にも天に召されそうだった奥方はしっかりと自身の足で立ち上がってみせた。にこりと、穏やかに微笑み、ふたりして見つめ合う。
それは、シャーロットの偽アップルパイが起こした奇跡だった。まあ、その手柄は、なぜかシャーロットではなく、たちまちアイリスのものとなってしまったのだけれど。
「まあ、わたくしのアップルパイにこのような力があったなんて」
声をあげかけた義兄を制し、シャーロットはあくまで神妙な顔で黙って座り続けた。アイリスがシャーロットにした嫌がらせも、自分がアイリスにした嫌がらせだと認識されてもまったく訂正などしないままで。さらには、散々馬鹿にされた偽アップルパイのレシピまで、シャーロットは言われるままにアイリスに差し出したのだった。
口を引き結んだままのシャーロットに対し、アイリスはご機嫌そのもの。名前以外、詳しい説明のないアップルパイを前にして、にこにこしている。内心、笑い出したくてたまらないのだろう。
「それで、これが偽アップルパイであると」
「偽とはどういう意味なんだ?」
現当主と侯爵家嫡男のネイトが首を傾げているのを口角を上げて見つめるアイリス。自分からシャーロットを追い込んでおきながら、なぜこうも堂々としていられるのかがシャーロットにも義兄にも理解できない。
「なんとも地味な見た目だな」
そう呟きながらパイを口に入れた瞬間、先代当主は食べる手を止めた。そして車椅子に乗ってこの場に参加していた奥方のもとに駆け寄った。食事のマナーにうるさい彼ががらにもなく、料理を取り分け、躊躇することなくてずから食べさせてやろうとしている。
「あなた」
「いいから、ほら、口を開けてごらん」
困ったような顔をした老婦人だったが、夫の誘いに根負けしたらしい。困ったような顔をしながら口に含み、そしてぽろぽろと涙を流し始めてしまったのである。
「ああ、懐かしい。懐かしいわ。そう、あなたと出会った頃、あたくしはよくこのアップルパイを作ったものだったわ」
「そうだ。あの苦難の時期を乗り越えられたのは、どんな時でも明るさを忘れない君のおかげだったのだよ」
「不思議だこと。もう食べるのも億劫だと思っていたはずなのに、このアップルパイを食べていると若い頃を思い出したような気分になるの」
先代当主の奥方は、すっかり体調を崩し、余命いくばくもないと言われていたはずだった。ところがなんということだろう。今、彼女の頬は薔薇色に染まり、生き生きと瞳を輝かせている。
「今なら、車椅子がなくても動けるような気がするわ」
そう言って老婦人が震える足に力を込める。慌てて制止しようとした先代当主の前で、今にも天に召されそうだった奥方はしっかりと自身の足で立ち上がってみせた。にこりと、穏やかに微笑み、ふたりして見つめ合う。
それは、シャーロットの偽アップルパイが起こした奇跡だった。まあ、その手柄は、なぜかシャーロットではなく、たちまちアイリスのものとなってしまったのだけれど。
「まあ、わたくしのアップルパイにこのような力があったなんて」
声をあげかけた義兄を制し、シャーロットはあくまで神妙な顔で黙って座り続けた。アイリスがシャーロットにした嫌がらせも、自分がアイリスにした嫌がらせだと認識されてもまったく訂正などしないままで。さらには、散々馬鹿にされた偽アップルパイのレシピまで、シャーロットは言われるままにアイリスに差し出したのだった。
118
あなたにおすすめの小説
【完結】優しいあなたに、さようなら。二人目の婚約者は、私を殺そうとしている冷血公爵様でした
ゆきのひ
恋愛
伯爵令嬢であるディアの婚約者は、整った容姿と優しい性格で評判だった。だが、いつからか彼は、婚約者であるディアを差し置き、最近知り合った男爵令嬢を優先するようになっていく。
彼と男爵令嬢の一線を越えた振る舞いに耐え切れなくなったディアは、婚約破棄を申し出る。
そして婚約破棄が成った後、新たな婚約者として紹介されたのは、魔物を残酷に狩ることで知られる冷血公爵。その名に恐れをなして何人もの令嬢が婚約を断ったと聞いたディアだが、ある理由からその婚約を承諾する。
しかし、公爵にもディアにも秘密があった。
その秘密のせいで、ディアは命の危機を感じることになったのだ……。
※本作は「小説家になろう」さん、カクヨムさんにも投稿しています
※表紙画像はAIで作成したものです
幼馴染最優先の婚約者に愛想が尽きたので、笑って家出しました ― 笑顔で去っただけなのに、なぜ泣いているのですか
ラムネ
恋愛
侯爵令嬢リオナは、婚約者アルベルトが「幼馴染が可哀想だから」と約束を破り続ける日々に耐えていた。領地再建の帳簿も契約も、実はリオナが陰で支えていたのに、彼は「君は強いから」と当然のように扱う。決定的な侮辱の夜、リオナは怒らず泣かず、完璧な笑顔で婚約指輪だけを返して屋敷を去った――引継ぎは、何一つ残さずに。
翌日から止まる交易、崩れる資金繰り、露出する不正。追いすがるアルベルトを置き去りに、リオナは王立監査院の臨時任官で辺境へ。冷徹と噂される監察騎士レオンハルトと共に、数字と契約で不正を断ち、交易路を再生していく。
笑顔で去っただけなのに、泣くのは捨てた側だった。
蔑ろにされた王妃と見限られた国王
奏千歌
恋愛
※最初に公開したプロット版はカクヨムで公開しています
国王陛下には愛する女性がいた。
彼女は陛下の初恋の相手で、陛下はずっと彼女を想い続けて、そして大切にしていた。
私は、そんな陛下と結婚した。
国と王家のために、私達は結婚しなければならなかったから、結婚すれば陛下も少しは変わるのではと期待していた。
でも結果は……私の理想を打ち砕くものだった。
そしてもう一つ。
私も陛下も知らないことがあった。
彼女のことを。彼女の正体を。
あの、初夜の延期はできますか?
木嶋うめ香
恋愛
「申し訳ないが、延期をお願いできないだろうか。その、いつまでとは今はいえないのだが」
私シュテフイーナ・バウワーは今日ギュスターヴ・エリンケスと結婚し、シュテフイーナ・エリンケスになった。
結婚祝の宴を終え、侍女とメイド達に準備された私は、ベッドの端に座り緊張しつつ夫のギュスターヴが来るのを待っていた。
けれど、夜も更け体が冷え切っても夫は寝室には姿を見せず、明け方朝告げ鶏が鳴く頃に漸く現れたと思ったら、私の前に跪き、彼は泣きそうな顔でそう言ったのだ。
「私と夫婦になるつもりが無いから永久に延期するということですか? それとも何か理由があり延期するだけでしょうか?」
なぜこの人私に求婚したのだろう。
困惑と悲しみを隠し尋ねる。
婚約期間は三ヶ月と短かったが、それでも頻繁に会っていたし、会えない時は手紙や花束が送られてきた。
関係は良好だと感じていたのは、私だけだったのだろうか。
ボツネタ供養の短編です。
十話程度で終わります。
【完結】死に戻り8度目の伯爵令嬢は今度こそ破談を成功させたい!
雲井咲穂(くもいさほ)
恋愛
アンテリーゼ・フォン・マトヴァイユ伯爵令嬢は婚約式当日、婚約者の逢引を目撃し、動揺して婚約式の会場である螺旋階段から足を滑らせて後頭部を強打し不慮の死を遂げてしまう。
しかし、目が覚めると確かに死んだはずなのに婚約式の一週間前に時間が戻っている。混乱する中必死で記憶を蘇らせると、自分がこれまでに前回分含めて合計7回も婚約者と不貞相手が原因で死んでは生き返りを繰り返している事実を思い出す。
婚約者との結婚が「死」に直結することを知ったアンテリーゼは、今度は自分から婚約を破棄し自分を裏切った婚約者に社会的制裁を喰らわせ、婚約式というタイムリミットが迫る中、「死」を回避するために奔走する。
ーーーーーーーーー
2024/01/13 ランキング→恋愛95位 ありがとうございました!
なろうでも掲載20万PVありがとうございましたっ!
【完結】白い結婚を終えて自由に生きてまいります
なか
恋愛
––アロルド、私は貴方が結婚初日に告げた言葉を今でも覚えている。
忘れもしない、あの時貴方は確かにこう言った。
「初めに言っておく、俺達の婚姻関係は白い結婚として……この関係は三年間のみとする」
「白い結婚ですか?」
「実は俺には……他に愛する女性がいる」
それは「公爵家の令嬢との問題」を理由に、三年間だけの白い結婚を強いるもの。
私の意思を無視して三家が取り決めたものであったが、私は冷静に合意を決めた
――それは自由を得るため、そして『私自身の秘密を隠すため』の計算でもあった。
ところが、三年の終わりが近づいたとき、アロルドは突然告白する。「この三年間で君しか見えなくなった。白い結婚の約束をなかったことにしてくれ」と。
「セシーリア、頼む……どうか、どうか白い結婚の合意を無かった事にしてくれ」
アロルド、貴方は何を言い出すの?
なにを言っているか、分かっているの?
「俺には君しかいないと、この三年間で分かったんだ」
私の答えは決まっていた。
受け入れられるはずがない。
自由のため、私の秘密を守るため、貴方の戯言に付き合う気はなかった。
◇◇◇
設定はゆるめです。
とても強い主人公が自由に暮らすお話となります。
もしよろしければ、読んでくださると嬉しいです!
婚約七年目、愛する人と親友に裏切られました。
テンテン
恋愛
男爵令嬢エミリアは、パーティー会場でレイブンから婚約破棄を宣言された。どうやら彼の妹のミラを、エミリアがいじめたことになっているらしい。エミリアはそのまま断罪されるかと思われたが、彼女の親友であるアリアが声を上げ……
【完結】伯爵令嬢は婚約を終わりにしたい〜次期公爵の幸せのために婚約破棄されることを目指して悪女になったら、なぜか溺愛されてしまったようです〜
よどら文鳥
恋愛
伯爵令嬢のミリアナは、次期公爵レインハルトと婚約関係である。
二人は特に問題もなく、順調に親睦を深めていった。
だがある日。
王女のシャーリャはミリアナに対して、「二人の婚約を解消してほしい、レインハルトは本当は私を愛しているの」と促した。
ミリアナは最初こそ信じなかったが王女が帰った後、レインハルトとの会話で王女のことを愛していることが判明した。
レインハルトの幸せをなによりも優先して考えているミリアナは、自分自身が嫌われて婚約破棄を宣告してもらえばいいという決断をする。
ミリアナはレインハルトの前では悪女になりきることを決意。
もともとミリアナは破天荒で活発な性格である。
そのため、悪女になりきるとはいっても、むしろあまり変わっていないことにもミリアナは気がついていない。
だが、悪女になって様々な作戦でレインハルトから嫌われるような行動をするが、なぜか全て感謝されてしまう。
それどころか、レインハルトからの愛情がどんどんと深くなっていき……?
※前回の作品同様、投稿前日に思いついて書いてみた作品なので、先のプロットや展開は未定です。今作も、完結までは書くつもりです。
※第一話のキャラがざまぁされそうな感じはありますが、今回はざまぁがメインの作品ではありません。もしかしたら、このキャラも更生していい子になっちゃったりする可能性もあります。(このあたり、現時点ではどうするか展開考えていないです)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる