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5.そんなことをおっしゃられても。侯爵夫人、すべてあなたが望んだことでしょう?
(6)
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ネイトとアイリスが結婚をし、侯爵家の当主となったさらにその数年後。
隣国に移住したシャーロットは、今までにないほど穏やかで充実した暮らしを楽しんでいた。愛する夫に、大切な両親と優しい義両親。可愛い子どもにも恵まれ、気の合う友人たちとは淑女たちのお茶会と称して楽しいティーパーティーを開催している。何不自由のない生活。そこへ、招かれざる客はある日突然やってきた。
「……お引き取り願おう」
家令からの連絡を受けた夫が顔をしかめている。普段は誰よりも穏やかな彼がそこまで嫌悪感を出すのは非常に珍しい。それゆえに来客が誰であるかを理解しつつ、シャーロットは客人を招き入れることにした。
「シャーロット!」
「まあ、アイリスさま。お変わりなくお過ごしだったでしょうか」
「あなた、わたくしのことを馬鹿にしているでしょう! わたくしがあの家でどれだけの理不尽に耐えていると思っているのです!」
いらいらとした様子のアイリスは、目の下にひどいくまを作っている。髪につやもなく、酷く疲れているようだった。
「あれほど盛大に迎え入れられて、どうしてそんなことになったのです?」
「知りませんわ。ただもうとっくに寿命を迎えてもおかしくのないネイトさまのおばあさまが、今もぴんぴんとしていらっしゃる。それだけは揺るぎようのない事実です」
「まあ、喜ばしいことではありませんか」
「何が喜ばしいことなものですか! 毎日、毎日、息子大好きの姑と、孫大好きの大姑、兄大好きの小姑に絡まれて、ネイトさまはちっとも庇ってはくださいませんし」
濃い化粧でも隠し切れないほどの心労を抱えた妻に気づかない夫がいるものだろうか。のほほんとした様子のネイトを思い出し、彼ならばありうるかもしれないとシャーロットは嘆息した。
「それで、本日は何の御用でしょう?」
「ちゃんと偽アップルパイの作り方を教えなさい。あなたのレシピ通り作っても、同じものはできあがらなかったわ。わたくしがあの屋敷で認められないのは、あの日のパイを上手に作ることができないからよ。パイ作りの腕さえあがれば、ちゃんと嫁として認められるはず」
持っていた扇を苛立たし気に握りしめながら、アイリスは言い放った。だが、シャーロットは困ったように首を横に振る。
「それはもう練習するしかございません。何せあのレシピは、この地域の女性であればみな作ることができる類のもの。特別な材料や工程などは必要ないのです」
「いいえ、何か秘密があるはずよ。だって、あなたはあの短時間でパイを焼き上げたじゃないの。本来であれば出来上がりようがないほどの速さで。その秘密を知れば、わたくしにだってあのパイを再現できるに違いないの」
「ああ、調理時間を気にされていたのですね。それであれば、私と同じように調理することはなおさら難しいでしょう」
「何よ、やっぱり秘密があるのね。いいから、わたくしに教えなさい」
ぎらぎらと目を光らせ、今にもとびかからんばかりのアイリス。シャーロットは自分を庇おうとする夫を制し、アイリスの扇にそっと触れた。ゆっくりと扇が劣化し、羽の先が崩れ落ちる。
「何、これ……」
「この魔法は、血に宿るものなのです。訓練でどうこうできるものではありません」
「……血に宿る、魔法。そんな、この国の王族だけに伝わる時魔法をどうして?」
悲鳴のような声をあげるアイリスを見て、シャーロットは困ったような顔で愛する夫――かつての義兄――を見上げた。
隣国に移住したシャーロットは、今までにないほど穏やかで充実した暮らしを楽しんでいた。愛する夫に、大切な両親と優しい義両親。可愛い子どもにも恵まれ、気の合う友人たちとは淑女たちのお茶会と称して楽しいティーパーティーを開催している。何不自由のない生活。そこへ、招かれざる客はある日突然やってきた。
「……お引き取り願おう」
家令からの連絡を受けた夫が顔をしかめている。普段は誰よりも穏やかな彼がそこまで嫌悪感を出すのは非常に珍しい。それゆえに来客が誰であるかを理解しつつ、シャーロットは客人を招き入れることにした。
「シャーロット!」
「まあ、アイリスさま。お変わりなくお過ごしだったでしょうか」
「あなた、わたくしのことを馬鹿にしているでしょう! わたくしがあの家でどれだけの理不尽に耐えていると思っているのです!」
いらいらとした様子のアイリスは、目の下にひどいくまを作っている。髪につやもなく、酷く疲れているようだった。
「あれほど盛大に迎え入れられて、どうしてそんなことになったのです?」
「知りませんわ。ただもうとっくに寿命を迎えてもおかしくのないネイトさまのおばあさまが、今もぴんぴんとしていらっしゃる。それだけは揺るぎようのない事実です」
「まあ、喜ばしいことではありませんか」
「何が喜ばしいことなものですか! 毎日、毎日、息子大好きの姑と、孫大好きの大姑、兄大好きの小姑に絡まれて、ネイトさまはちっとも庇ってはくださいませんし」
濃い化粧でも隠し切れないほどの心労を抱えた妻に気づかない夫がいるものだろうか。のほほんとした様子のネイトを思い出し、彼ならばありうるかもしれないとシャーロットは嘆息した。
「それで、本日は何の御用でしょう?」
「ちゃんと偽アップルパイの作り方を教えなさい。あなたのレシピ通り作っても、同じものはできあがらなかったわ。わたくしがあの屋敷で認められないのは、あの日のパイを上手に作ることができないからよ。パイ作りの腕さえあがれば、ちゃんと嫁として認められるはず」
持っていた扇を苛立たし気に握りしめながら、アイリスは言い放った。だが、シャーロットは困ったように首を横に振る。
「それはもう練習するしかございません。何せあのレシピは、この地域の女性であればみな作ることができる類のもの。特別な材料や工程などは必要ないのです」
「いいえ、何か秘密があるはずよ。だって、あなたはあの短時間でパイを焼き上げたじゃないの。本来であれば出来上がりようがないほどの速さで。その秘密を知れば、わたくしにだってあのパイを再現できるに違いないの」
「ああ、調理時間を気にされていたのですね。それであれば、私と同じように調理することはなおさら難しいでしょう」
「何よ、やっぱり秘密があるのね。いいから、わたくしに教えなさい」
ぎらぎらと目を光らせ、今にもとびかからんばかりのアイリス。シャーロットは自分を庇おうとする夫を制し、アイリスの扇にそっと触れた。ゆっくりと扇が劣化し、羽の先が崩れ落ちる。
「何、これ……」
「この魔法は、血に宿るものなのです。訓練でどうこうできるものではありません」
「……血に宿る、魔法。そんな、この国の王族だけに伝わる時魔法をどうして?」
悲鳴のような声をあげるアイリスを見て、シャーロットは困ったような顔で愛する夫――かつての義兄――を見上げた。
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