婚約者から悪役令嬢と呼ばれた自称天使に、いつの間にか外堀を埋められた。

石河 翠

文字の大きさ
7 / 7

(7)

しおりを挟む
 ちょろちょろと自分の周りをうろつく少女がいないことで、仕事はとても円滑に進む。けれど、彼女の不在は妙に俺を落ち着かなくさせた。こんな風に彼女のことを考える余裕があるのは、例の頭のおかしい王子の件がある程度片付いたからなのだが。せっかく問題が解決しそうだというのに、この喜びを彼女と分かり合えないのはとても残念でならなかった。

「旦那さま、お客さまです」

 逆恨みによる襲撃の心配もなくなり、職人や下働きたちも元通り呼び寄せることができた。そのおかげで生活は、自称天使と過ごしていた頃よりもずっと快適になっている。それなのに不自由なふたり暮らしの中、ぴいぴいと騒ぎ続ける小鳥のような声が懐かしくて仕方がない。まったく、俺もやきが回ったか。

「面会予定は入っていないぞ」
「それが、例の公爵家のお嬢さまが旦那さまにお会いしたいそうで」

 好機と見て取ったのか、王子の来訪の後、この国の筆頭公爵家からの接触があった。例の王子の婚約者の祖父を名乗るいかついじいさまが、俺の元へやってきたのだ。ふたりして散々悪巧みをして王子とあの下品な女もろとも追っ払ってやったのだが……。なぜにその家のお嬢さまがここへ来る必要がある? そもそも彼女の手を煩わせたくないがゆえに、あのじいさまが出張っていたのではないのか?

 首を傾げつつ客人のもとへ向かえば、そこには不貞腐れたような顔をしたじいさまと、光り輝く美しいご令嬢が微笑んでいた。一瞬見惚れそうになり、慌てて挨拶を返す。これほどの宝玉を投げ捨て、硝子玉を大切にしていたなんてあの王子は本当に惜しいことをしたものだ。

「お初にお目にかかります。わたしはこの店の主人をしております、」
「まあ、ずいぶんなご挨拶ですこと。初めましてだなんて、わたくしのこと、お忘れになってしまいましたの? 一緒になってくださると約束したのに。本当にひどい方ね」
「は?」
「貴様、儂の孫娘をたぶらかしおって。その上、知らぬふりをするなどもってのほか、そこになおれ!」
「え、少々お待ちください。何をおっしゃっているのか」
「ええい、問答無用!」

 いきなり光り輝く剣を取り出し、公爵家の前当主は俺を追いかけまわしてくる。勘弁してくれ。必死に剣をかわす俺を満足げに見守りながら、令嬢は可愛らしく頬に手をあててみせた。

「だって、わたくし約束いたしましたもの。わたくしが望めば、面倒を見てくださるのでしょう?」
「それ、は」
「まあ、あの時の言葉は嘘でしたの。わたくし、あなたの言葉だけを頼りにここまで必死で生きてきましたのに。馬鹿王子の件の解決にもちゃんと協力したでしょう?」
「おお、愛しい天使よ。泣くでない。おじいさまが、絶対にこの男をお前の婿にしてやるからな」

 よよよと芝居がかって泣く令嬢と、そんな彼女を必死で慰めつつ、俺への怒りに顔を般若のようにする公爵家の前当主。このままでは令嬢を弄んだあげくに捨てたなどというとんでもない悪評が立つ。この街で商売を続けるどころの話ではなくなってしまうだろう。

「申し訳ありません。もう少し、わかりやすく説明していただけないでしょうか?」
「カルロ、寂しいですわ。わたくしにとっては十年ぶりでも、あなたにとってはそれほど長い年月ではなかったでしょう? それともわたくしは、あなたの天使にはなれないのかしら?」

 先ほどから繰り返される「天使」という言葉には確かになじみがあった。目の前でしてやったりとばかりに微笑む令嬢の顔は、確かにあの自称天使の美少女によく似ていて。

「まさか」
「アンジェラ、やはりこの男は斬りふせねばなるまい」
「おじいさま、いけませんわ。辺境伯の御子息を理由なく傷つければ、最悪、内乱が起きます」
「おい、どうしてそれを」

 俺が声をあげれば、アンジェラと呼ばれた自称……どころか真実天使だった彼女は、艶やかに微笑んだ。

「わたくしには及ばずとも、かなりの魔力量があり、魔力の相性が良い時点で、それなりの貴族であることはわかります。それにもかかわらず、馬鹿王子の見下し具合。おそらく国境守備の重要性もわからぬ王子ゆえの暴挙だと考えました。そうして調べてみれば、カルロという名の」
「わかった、わかった。だが、あの時の君は確かに少女だったはずだ。それにもかかわらず今の君は、妙齢のご令嬢に見える。それはどう説明する?」
「それはたぶんですけれど、神の御加護かと。安心してくださいませ。わたくしは、正真正銘成人済みの乙女ですから」
「はあ?」
「なんだ、貴様。我が家の天使の言うことが信じられないというのか!」
「もう、おじいさまったら。長くなりますし、どうせなら美味しいものを食べながらお話しましょう? わたくし、葡萄のジャムを挟んだクッキーが食べたいですわ」

 自分の希望が通らないはずがないと思っている微笑みは、出会った頃と同じようで少しだけ違う。今は、思わず折れたくなるような絶妙な角度でおねだりポーズをしているのだ。一緒に暮らしている間に、この娘は一体何を学んでいるのやら。

「ジャムクッキーを出すことはやぶさかではないが、それで何を話し合うと?」
「ですから、結婚式の日取りやらなんやらですわ。ここで暮らすにせよ、辺境にお嫁入りするにしろ、準備は大切でしょう?」
「やめろ、周りが誤解する。この間まで子どもだった奴に、今すぐ恋情も劣情も抱けるはずないだろうが!」
「今すぐでなければ、よいのでしょう? 十年待ったのですもの、長期戦は得意ですわ。子どもでなくなったわたくしは、好みから外れているわけではないのでしょう?」
「黙秘する」
「カルロが嫌がっても、外堀から埋めてしまえばこちらのものですわ」
「どこでそんなやり方を学んだ」
「カルロの元で暮らしていた時ですけれど? 悪役令嬢らしくて素敵でしょう?」
「俺はそんなに悪辣じゃない」
「それに本気で嫌なら、自力で逃げ出せばよいのでは? できるけれどやらないというのは、つまり」
「うるさい、黙れ」

 この賑やかさと突拍子のなさ。久しぶりの騒々しさは、嫌いではない。俺は、彼女の望み通り葡萄のジャムをたっぷり挟んだクッキーと紅茶の準備をすることにした。
しおりを挟む

この作品は感想を受け付けておりません。

あなたにおすすめの小説

毒と薬は使いよう〜辺境の毒りんご姫は側室候補となりました

和島逆
恋愛
辺境の令嬢シャノンには、毒りんごを生み出す異能があった。 「辺境の毒りんご姫」と呼ばれる彼女を警戒し、国王ランベルトは側室候補としてシャノンを王都に召喚する。初対面から彼女を威圧し、本音を探ろうとするランベルトだったが── 「この毒りんごに、他者を殺める力はございません」 「わたくしは決して毒好きなわけではなく、わたくしが愛でているのはあくまで毒りんごなのです」 ランベルトの予想はことごとく外れ、いつの間にかマイペースな彼女にすっかり振り回されていくのであった。

【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。

猫屋敷むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で―― 私の願いは一瞬にして踏みにじられました。 母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、 婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。 「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」 まさか――あの優しい彼が? そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。 子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。 でも、私には、味方など誰もいませんでした。 ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。 白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。 「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」 やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。 それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、 冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。 没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。 これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。 ※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ ※わんこが繋ぐ恋物語です ※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ

記憶を無くした、悪役令嬢マリーの奇跡の愛

三色団子
恋愛
豪奢な天蓋付きベッドの中だった。薬品の匂いと、微かに薔薇の香りが混ざり合う、慣れない空間。 ​「……ここは?」 ​か細く漏れた声は、まるで他人のもののようだった。喉が渇いてたまらない。 ​顔を上げようとすると、ずきりとした痛みが後頭部を襲い、思わず呻く。その拍子に、自分の指先に視線が落ちた。驚くほどきめ細やかで、手入れの行き届いた指。まるで象牙細工のように完璧だが、酷く見覚えがない。 ​私は一体、誰なのだろう?

隣国の王族公爵と政略結婚したのですが、子持ちとは聞いてません!?

朱音ゆうひ@11/5受賞作が発売されます
恋愛
「わたくしの旦那様には、もしかして隠し子がいるのかしら?」 新婚の公爵夫人レイラは、夫イーステンの隠し子疑惑に気付いてしまった。 「我が家の敷地内で子供を見かけたのですが?」と問えば周囲も夫も「子供なんていない」と否定するが、目の前には夫そっくりの子供がいるのだ。 他サイトにも掲載しています( https://ncode.syosetu.com/n3645ib/ )

旦那様に「君を愛する気はない」と言い放たれたので、「逃げるのですね?」と言い返したら甘い溺愛が始まりました。

海咲雪
恋愛
結婚式当日、私レシール・リディーアとその夫となるセルト・クルーシアは初めて顔を合わせた。 「君を愛する気はない」 そう旦那様に言い放たれても涙もこぼれなければ、悲しくもなかった。 だからハッキリと私は述べた。たった一文を。 「逃げるのですね?」 誰がどう見ても不敬だが、今は夫と二人きり。 「レシールと向き合って私に何の得がある?」 「可愛い妻がなびくかもしれませんわよ?」 「レシール・リディーア、覚悟していろ」 それは甘い溺愛生活の始まりの言葉。 [登場人物] レシール・リディーア・・・リディーア公爵家長女。  × セルト・クルーシア・・・クルーシア公爵家長男。

婚約破棄された侯爵令嬢ですが、帝国の次席秘書官になりました ――王の隣ではなく、判断を誤らせない場所へ

ふわふわ
恋愛
王太子の婚約者として王宮に仕える侯爵令嬢ゼクレテァ。 彼女は華やかな場に立つことはなく、ただ静かに、しかし確実に政務と外交を支えていた。 ――その役割が、突然奪われるまでは。 公の場で告げられた一方的な婚約破棄。 理由はただひとつ、「愛している相手がいるから」。 ゼクレテァは感情を見せることなく、その決定を受け入れる。 だが彼女が王宮を去った後、王国には小さな歪みが生じ始めた。 些細な行き違い、遅れる判断、噛み合わない政策。 それらはやがて、国家全体を揺るがす事態へと発展していく。 一方、行き場を失ったゼクレテァの前に、思いもよらぬ「選択肢」が差し出される。 求められたのは、身分でも立場でもない。 彼女自身の能力だった。 婚約破棄から始まる、 静かで冷静な逆転劇。 王の隣に立つことを拒んだ令嬢は、 やがて「世界を動かす場所」へと歩み出す――。 -

【完】貧乏令嬢ですが何故か公爵閣下に見初められました!

咲貴
恋愛
スカーレット・ジンデルは伯爵令嬢だが、伯爵令嬢とは名ばかりの貧乏令嬢。 他の令嬢達がお茶会や夜会に勤しんでいる中、スカーレットは領地で家庭菜園や針仕事などに精を出し、日々逞しく慎ましく暮らしている。 そんなある日、何故か公爵閣下から求婚されて――。 ※こちらの作品は『小説家になろう』にも投稿しています

美醜聖女は、老辺境伯の寡黙な溺愛に癒やされて、真の力を解き放つ

秋津冴
恋愛
 彼は結婚するときこう言った。 「わしはお前を愛することはないだろう」  八十を越えた彼が最期を迎える。五番目の妻としてその死を見届けたイザベラは十六歳。二人はもともと、契約結婚だった。  左目のまぶたが蜂に刺されたように腫れあがった彼女は左右非対称で、美しい右側と比較して「美醜令嬢」と侮蔑され、聖女候補の優秀な双子の妹ジェシカと、常に比較されて虐げられる日々。  だがある時、女神がその身に降臨したはイザベラは、さまざまな奇跡を起こせるようになる。  けれども、妹の成功を願う優しい姉は、誰にもそのことを知らせないできた。  彼女の秘めた実力に気づいた北の辺境伯ブレイクは、経営が破綻した神殿の借金を肩代わりする条件として、イザベラを求め嫁ぐことに。  結界を巡る魔族との戦いや幾つもの試練をくぐり抜け、その身に宿した女神の力に導かれて、やがてイザベラは本当の自分を解放する。  その陰には、どんなことでも無言のうちに認めてくれる、老いた辺境伯の優しさに満ちた環境があった。  イザベラは亡き夫の前で、女神にとある願いを捧げる。  他の投稿サイトでも掲載しています。

処理中です...