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(4)姫君は竜と約する

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「りゅ、竜が、しゃべった!」
「もともと竜と人間は互いに会話をしていたのだ。人間どもが、竜の言葉を勝手に忘れていっただけのこと」

 唐突に明かされる竜の秘密に驚きつつ、王女は慌てて確認した。

「ちょっと、あなた、まず身体の具合は大丈夫なの?」
「先ほど、魔術で生み出した水をもらったおかげでな。身体を清めてくれたのもお前か。竜は、術者の魔力を受け取ることができる。おかげで予想以上に早く目覚めることができた」
「今日は使用していた魔術の規模の割に魔力の消費量が大きいと思っていたのよ」
「食事代わりに勝手に食ってしまったようだ。」

 竜の返事にほっとしながら、王女はなぜ竜があんなところに迷い込んでいたのかを尋ねた。この隠し通路は、ステファニーにとっての切り札だ。万が一露呈してしまえばどうなるか。想像したくもない。

 ところが竜はその質問に答える代わりに、ぶるると鼻を鳴らした。

「助けてくれた恩人に言うのもなんだが、臭くて敵わん。悪いが、をどうにかしてくれ」

 あんまりな言葉に、年頃の娘であるステファニーは恥ずかしさにうつむいた。飾り気のない部屋の中には花など飾られていない。そして竜は明確に、ステファニーに向かって「それ」と告げたのだ。間違えようはずもない。

(私、そんなに臭かったの?)

「だから、厩舎で竜に威嚇されたのかしら?」
「まあ、そうだろうな。竜は戦を嫌う。そんな鉄臭い状態では、嫌がられて当然だろう」
「鉄臭い……?」
「なんだ、この国では竜の好きなものや嫌いなものも把握していないのか」
「竜が鉄を嫌うことは知っているわ。争いを連想させるものだからと聞いているけれど」
「その通りだ。わかっていてなぜ、ひとの血に染まった武具からできた装身具を身にまとう?」
「武具からできた装身具……?」

 困惑したステファニーは頬に手をあてた。竜が鉄を嫌うことは知っている。それに日頃から侍女のいない彼女は身支度を自分で済ませているため、仰々しい格好などできない……そこまで考えて気がついた。結い上げられた髪にささっていたかんざしを引き抜けば、嫌そうに竜が顔を背ける。やはり原因は、これだったのか。

(伯父さまは、やっぱり私に竜を貸すつもりなんてなかったのだわ……)

 軽んじられているとはいえ、ステファニーは王女だ。しかも侍女を含め諸々の指示を行なったのは、伯父である。金や銀ですらない、鉄の、しかも武具を元にして作られた髪飾りなど、偶然紛れ込むはずがなかった。

 ステファニーは眉を寄せる。もっと気をつけていなければいけなかったのだ。伯父の用意したものをほいほいと身につけた、彼女の甘さが招いた結果。

「簪を外して厩舎へ行けば、威嚇されることはないのかしら」
「まあ、恐らくは。ただ気難しい竜は、お前が簪をさしていたことを覚えているだろうな」
「いちかばちか、もう一度行ってみるしかないわね」

 ステファニーのため息に、竜が首を傾げた。

「先ほどから妙に竜にこだわるな。竜が必要なのか?」
「ええ、竜競べに出たいのよ。竜がいてくれなくては、話にならないわ」

 竜に乗ることができるのは王族に限られている。それを知っていたのだろう。竜は無遠慮に上から下までステファニーを見て、さらに部屋の様子を確認すると真っ赤な口を大きく開けて笑った。

「随分質素な暮らしをしている王女さまだ」
「最初はもっと王女らしい生活をしていたのよ」

 竜に笑われたことが妙に恥ずかしくて、つい頬をふくらませる。祖父、母、父と誰かが亡くなるごとに、ステファニーの待遇は悪くなった。それでも孤立無援というわけではないのが、唯一の救いだろう。ひとりぼっちではないと思うだけで勇気が湧いてくる。

「臭うな」
「つけていた装身具はそれだけのはずよ。まさか、金糸や銀糸みたいに、鉄が乗竜服に織り込まれているのかしら」
「違う。きな臭いってことさ」

 にやりと笑うエルヴィスの表情はなんとも好戦的で、戦いを好まない竜とは思えない。もしかして、竜は思ったよりも好戦的な生き物なのだろうか。圧倒的な力を誇るからこそ、龍神は竜に鉄を嫌うとという制約を設けたのかもしれない。

「その竜競べ、俺が出てやろうか」
「いいの?」
「なんだ、嬉しくないのか」
「もちろんありがたいわ。伯父さまには当日まで、竜を用意できていないと思わせていた方が油断を誘えるし……。それにもし厩舎の竜を使うとなると、もっとひどい妨害を受けるかもしれないもの」
「それくらいは頭が回るか」
「失礼ね。だからこそ、不思議なのよ。あなたが竜競べに出ても何も得をしないでしょう。それなのに手助けを申し出るなんて、何が目的なの?」

 竜は楽しそうに喉を鳴らした。

「やはりお前は面白い。竜競べに勝ったら、俺の望みを叶えると誓え。そうすれば、協力してやる。そもそも俺は、そのためにわざわざ世界中を旅してここまでやってきたのだから」
「すごい自信ね」
「俺が負けることは、天地がひっくり返ってもあるはずがないからな」

 とんでもない竜の自信っぷりに、ステファニーからも笑みがこぼれる。

「それとも、勝負をするのが怖いのか?」
「まさか。もちろんあなたと一緒に戦うわ。私はステファニー。あなたは?」
「俺の名は、エルヴィスだ」
「素敵な名前ね」

 ステファニーの言葉に、竜は無言で目を細める。どうやら喜んでいるらしい。

「それでお前は、竜に乗った経験はあるのか?」
「お父さまが生きていた頃は、一緒に乗せてもらっていたわ。でも、長い距離や高い場所までひとりで行ったことはないの」
「なるほど。何の加護も祝福もない人間が、竜競べの最中に竜の背から落ちれば地面に叩きつけられて即死するが、それはわかっているのか」

 意外とこの竜は世話焼きらしい。表情豊かに顔をしかめてみせる竜に、思わずステファニーは吹き出した。

「私のことを心配してくれているのね。ありがとう。納得済みだから大丈夫よ」
「勝算は?」
「あなたと私をひもで括りつけておくから、あなたは全速力で飛べばいいのよ」
「そんな阿呆なやり方が、まかり通るわけがないだろうが!」
「結構良い案だと思ったのだけれど、残念だわ。じゃあ仕方がないわね。とりあえず私は必死に捕まっておくから。あなたは自由に飛んでちょうだい」
「信用していると言えば聞こえは良いが、ただの無鉄砲か」
「あなたがいなければ、私はそもそも不戦敗なのよ。だから私の命はあなたに預けるわ」
「まったく能天気な娘だ」
「諦めかけていたのに、竜競べの相棒が見つかったのよ。これだけでほぼ勝ったも同然だわ」

 微笑むステファニーの姿に、エルヴィスはあきれ顔だ。しかし王女は自らの勝利を確信しているかのように輝いている。

「竜に乗る練習をする時間も場所もないときたか。ならばいっそ好都合だ。竜競べまでの間、当日着る服に俺が言う通りの刺繍をさせ」
「わかったわ」
「一応聞くが、刺繍はできるんだよな?」
「ありがたいことに、まあまあ、そこそこの腕前よ」
「……なんだそれは。まあ、できるのならばそれでいい」

 複雑な文様をあれこれと指示すると、竜はこれで話は終わりだとばかりに体勢を整えた。先ほどまでと同じように目を瞑り、微動だにしなくなる。忘れないうちにと王女は道具を取り出したが、すぐに手元が怪しくなってきた。せめて図案を書き残しておかなくては。

(ああ、ダメよ。約束したのだから、刺繍を少しでも進めなくちゃ)

 そう思っているのに、規則正しい竜の寝息はステファニーを眠りの世界に誘う。伯父に真っ向勝負を挑んで緊張していたのだろう。それに竜に魔力を分け与えたことが、思ったよりも負担になっていたのかもしれない。

 大きなあくびをひとつすると、王女もやがて竜の隣で寝息を立て始めるのだった。
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