龍の花嫁は、それでも龍を信じたい

石河 翠

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龍の花嫁は、それでも龍を信じたい(4)

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「まだ行く気にならぬのか」

 少年の言葉に私は下を向いた。正直なところ、私が龍を捨てて逃げた娘の生まれ変わりだという実感は今でもない。けれど、私は花守以外の生き方を知らない。

 ここはとても寂しいところだけれど、ひとりぼっちというのは逆に言えば傷つかずにすむということでもある。誰かの視線に怯える必要もない。

「この国がそんなに心配か」

 彼の言葉に私はひそかに眉を寄せる。この国のことなど、もはや私の頭にはなかった。神殿であれほど叩き込まれた花守の意味も、私にとってはどうでもよいものに成り下がっていたのだ。

 彼とともにこの地を出たとしたら、しばらくは穏やかな生活を送ることができるのだろうか。けれど、いかに彼の身分が高かろうとも、私が宝玉持ちということが知られれば、多くのひとに恐れられるだろう。憎まれるだろう。そして、いつしか彼にさえ疎まれたとしたら……私は心の拠り所を失ってしまう。

「お前がほしい」

 彼の言葉が、じわりと私に染み込んでいく。普段であればすぐに引き下がる彼。ところが、少年の細い指が私の首筋をなぞりあげる。くすぐったいような、ぞくぞくするような、何か不思議な感覚が広がり、身を委ねたくなった。

 神殿で見知らぬひとびとに身体をまさぐられた時には吐き気しか催さなかったことを思い出す。私はいつの間にかすっかり彼に心を許してしまっていたようだ。

 ああ、けれど。私が逃げ出せば、結局のところ彼に迷惑がかかるのではないか。生きていて、初めて怖いと思った。彼との繋がりを失いたくないと願ってしまった。

 逡巡しゅんじゅんする私に向かって、それは艶やかに彼が微笑んだ。

女子おなごひとり守れぬとでも?」

 なんという傲慢さ。なんという言いぐさ。けれど、そのすべてが好ましたかった。小指の先程も自信を持たぬ私からすれば、その高慢ささえ憧れだった。

 私を欲しいと言ってくれるのなら。こんな私に、価値があるというのなら。たくさんのひとに憎まれ、恨まれてもかまわない。私に少しも優しくしてくれなかったこの国ではなく、あなたにすべてを捧げたい。

 彼の前にひざまずき、その整ったかんばせを見つめた。

「どうぞこれから先もあなたとともに」

 戒めを破り発した言葉は、十数年ぶりに出したとは思えないほどよく響く。ゆっくりと触れられた彼の唇は、柔らかく清涼な水の香りがした。
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