巫女見習い、始めました。

石河 翠

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第二章

(5)茜ちゃんの事情を聞いてみました。

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 ハンカチをとってきた茜ちゃんに、わたしはおやつ休憩を提案した。

「さっきお昼ごはんを食べたばっかりなのに、もうお腹が空いたの?」
「うーん、お腹がが空いたっていうより、気分転換をしたいなあって思って」
「気分転換を理由におやつばっかり食べていると、太るし、虫歯になるわよ」

 その言い方がなんだかお母さんに似ていて、わたしはちょっと笑ってしまった。もしかしたら、茜ちゃんのお母さんも同じようなことを言っていたのかもしれない。仕方がないのでお茶だけ入れて、おしゃべりをすることにした。お茶は椿さんが、「つばき茶」というのを出してくれた。この辺りの島で採れる椿の葉と緑茶をまぜて、発酵させているんだって。椿さんがいれてくれる「つばき茶」、なんだか面白いね。

「茜ちゃんは、中学受験の勉強を頑張っているけれど、最初から行きたい学校があったの?」
「もともとね、あたしに中学受験をする予定なんてなかったんだ。ただ単に巻き込まれただけ」
「巻き込まれただけ? 中学受験に?」

 その答えにちょっと驚いた。中学受験っていうのは、お金も時間もかかる。誰かひとりが頑張るだけではどうにもできないことも多くて、やるなら家族みんなで協力しないと難しい。巻き込まれたっていう、軽いノリでできるものじゃないと思う。わたしは塾から出されるすごい量の宿題や行き帰りの電車の人混みを思い出して、眉を寄せた。

「最初に中学受験をするって決まったのはお兄ちゃんだったわ。お兄ちゃんは、小学校であんまり仲がいい友だちがいなかったみたい。地元の中学校に進学したら小学校の友だちづきあいも続行しちゃうでしょ。お母さんはそれを心配して受験させることにしたのかもね。お父さんは自分の出身校にお兄ちゃんを行かせたかったみたいだけど。おじいちゃんも、お父さんの兄弟もそこの学校に行っていたから」

 なんだかすごい。みんなとりあえず受験するみたいだからって言われて、塾に通っていたわたしとは全然違う。

「でもね、お兄ちゃんは中学受験なんてしたくなかったみたい。すぐにこんなことを言い出したよ。『茜だけずるい。不公平だ。僕だけ中学受験のためにこんなに勉強している。茜ばっかり遊ぶなんておかしい。茜も僕と同じくらい勉強しないといけない』ってね」
「だから、茜ちゃんは『巻き込まれた』って言ったんだね。でもそれなら茜ちゃんは、どうして中学受験の勉強を頑張っているの?」
「やってみたら、意外と楽しかったから。学校の勉強なんてつまらなかったけど、中学受験の勉強は解けた時のあの気持ちよさが好きなんだ。パズルとかゲームみたい」
「茜ちゃん、頭いいんだね」

 でも、茜ちゃんは少しだけ笑って、すぐまた悲しそうに首を横に振った。

「でも、お兄ちゃんは受験に失敗した。志望校は全部落ちちゃったんだ」
「そう、なんだ。それは辛いね」
「まあ、あの程度の勉強量じゃ仕方ない気もするけどね。文句言ってる時間とか、気分転換とかのほうが長かったもん。でもさあ、そこからさらにとばっちりが来ちゃったの。今度はなんて言ってきたと思う? 『茜はずるい。不公平だ。僕は行きたかった私立中学に行けないのに、茜だけ希望の私立中学に行くのはおかしい。茜も僕と同じ公立中学に行くべきだ』って騒ぎ始めたの」
「なにそれ!」

 あんまりすぎる内容に、わたしは思わず叫んでしまう。

「そんなの八つ当たりだよ。だって、茜ちゃんはお兄ちゃんのお願いで受験勉強を始めたんでしょう? それなのに今度はもう勉強するなって、勝手すぎるよ。せっかく勉強したんだし、茜ちゃんは勉強が好きなんだから、やめたらもったいないじゃない」
「そうだよね。あたしもそう思うよ。でもお母さんは違ったみたい。『あなたはなんて意地が悪いのかしら。もっと思いやりを持って、行動できないの? あなたはお兄ちゃんを傷つけて、お母さんを困らせるのがよっぽど好きなのね』だってさ」

 茜ちゃんにその言葉をぶつける茜ちゃんのお母さんの表情が、どうしてだか手に取るようにはっきりと想像できて息が苦しくなる。言われたのはわたしじゃなくて茜ちゃんのはずなのに、目の奥がじんじん熱くてたまらない。涙がこぼれそうだ。

「おかしいよね。勉強なんてやりたくないって泣いて訴えた時には塾に引きずられていったのに、塾での勉強が楽しくなって中学受験を頑張るぞって決めたらもう勉強しなくていい、ううん、勉強なんかしちゃダメなんだって禁止されるなんて」

 茜ちゃんは耐えられなくなってみたいに、鼻声になった。ハンカチをぎゅっとにぎりしめたまま、何度も強く目をつぶっている。わたしは、泣けない茜ちゃんの気持ちがわかる。だって、泣くと怒られるもんね。だから泣くのを我慢しているんだよね。ここには、お母さんはいない。だから、泣いたっていいのにできないんだ。

「そのままお母さんは、お兄ちゃんとあたしを連れてこの島に来たの。この島、別にお母さんの地元とかじゃないのよ。お兄ちゃんが学校に行けなくなっちゃったときに、親戚のひとが離島留学を進めてきたの。そのひともひどくてね、嫌がるあたしにこんなことを言ってきたのよ。『女の子はそんなに頑張らなくてもいいんじゃない? 頭がよくても、家族を大事にできない子は結婚できないよ』だって。もう、馬鹿にするのもいい加減にしてほしい」
「あの、茜ちゃんのお父さんは?」
「お父さんは都内の病院に勤めてる。お父さん、医者なんだよ。だから、あたしもお父さんみたいなお医者さんになりたいって思ってたの。お兄ちゃんに馬鹿にされるのが嫌でずっと黙っていたけれど、中学受験の勉強をして自信がついたから、堂々と言えるようになったのに」

 茜ちゃんはふうと息を吐くと、お茶を一気に飲み干した。

「お父さんはね、お母さんとお兄ちゃん、お父さんとあたしで別々に暮らしてもいいって言ってくれたんだけど、お母さんが嫌がったの。『あなたは忙しいから、その間の茜の世話はお義母さんたちにお願いするんでしょ? これ以上、文句を言われるのはたまったもんじゃないわ』って」
「お父さん、忙しいの?」
「どうしても、当番のときに泊まり込みとかあるから。あたし、別にひとりで留守番できるのにね。こんなところに連れてこられるほうが嫌だったな」

 茜ちゃんのお母さんは、茜ちゃんのおばあちゃん――茜ちゃんのお母さんにとってのお姑さん――とは仲がよくなかったみたい。お兄ちゃんのことで、もしかしたらいろいろ意見がぶつかりあったのかもしれない。それでも、茜ちゃんを傷つけていい理由にはならない、絶対に。

「それでもこっそり勉強しようと思っていたの。でも、お母さんったら、家であたしが勉強していると、お兄ちゃんが不機嫌になって暴れるからって、教科書を隠すの。一度なんて、勝手に捨てそうになっていた。そのくせ、お父さんから何か聞かれると、『茜は、意外と島の暮らしが好きみたい。勉強はしないで、遊んでばっかりいるの。中学受験も必要ないわ』なんて口からでまかせをいうのよ。信じられない。この間なんか、お兄ちゃんの定期試験の結果を見ながら、あたしとお兄ちゃんの成績が反対だったらよかったのになんて言われちゃったよ」

 もう茜ちゃんの話に、頭がぐらぐらしてしまう。わたしだって昔は、夢を叶えるために、お父さんやお母さんが協力してくれるのは当たり前だと思っていた。でもわたしは、当たり前が当たり前じゃなくなることがあるのを知っている。

みんなにとっての普通が、わたしにとっての普通じゃなくなることがあることを、それを周りのひとたちが理解できないことがあることを知っている。だからこそ、わたしには茜ちゃんのことをどう慰めていいのかわからなかった。喉が締め付けられたまま、言葉がちっとも出てこない。

「お先真っ暗だよ。あたし、このつまんない島の中でこれからも生きていくしかないのかなあ。家出したくても、船に乗らなきゃ家出もできないなんて、人生詰んでない?」

 茜ちゃんはやけくそみたいに大声で笑うと、力なくうなだれた。
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