巫女見習い、始めました。

石河 翠

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第三章

(5)碧生くんの悩みを聞きました。

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 今日はなんと、図工が三時間もあるらしい。びっくりしていたら、担任の先生が困ったように教えてくれた。国語や算数を進めたくても、他のみんながお休みだから待っていてほしいみたい。そういうことなら仕方がない。それに算数の授業はだいたい勉強しているから、別に学校で習わなくても困らないんだ。塾や中学受験のことが大嫌いな先生たちもいることを知っているから、学校では言わないようにしているけれど。

 そして担任の先生は、今回もまた別の学年のお手伝いに行ってしまった。学校、いっそのこと臨時休校にしちゃえばいいのになんて思ったけれど、そういう訳にはいかないのかな。

 自習は結構得意だ。塾の自習室で黙々と勉強するのは慣れているし、静かな教室も嫌いじゃない。鉛筆の音や時計の音が気になり過ぎることもない。むしろ、ちょっと落ち着くくらい。「縦割り班活動、楽しかったね」、「来年は大縄跳びを百回連続で成功させようね」なんて、ひとりひとり少しずつ変えたメッセージを書いていると、碧生くんに声をかけられた。

「あのさ、喧嘩してからずっと連絡をとっていない相手から年賀状が届いたら、美優ちゃんはどうする?」
「どうするって、何を?」
「届いた年賀状は読まずに捨てちゃう? それとも迷惑だって送り返す?」
「うーん、わからないけれど、とりあえず目を通すとは思うよ。だって確認してみないと、それがダイレクトメールなのか、大切なお知らせなのかもわからないじゃない? そのあと、ちゃんとお返事を出すのか、ゴミに出すのか、送り返すのかまではその時次第かな」

 ハガキなら、嫌いな相手からのものでも読んでしまうかもしれない。差出人を確認する前に、内容を見ちゃう可能性だってあるし。でも封筒に入った手紙ならこうはいかない。差出人が嫌いなひとだってわかったら、読まないで捨てちゃうこともあるんじゃないかな。

「でも、わたしは年賀状を出してみてもいいと思うよ。その年賀状、前に話してくれた碧生くんの従兄弟に出すんだよね?」
「うん」
「きっとこの機会を逃したら、また仲直りのきっかけを見失っちゃうよ。出そうかなって思っているなら、絶対出した方がいいよ」
「そう、かな?」

 とはいえ、とりあえずどうして喧嘩をしちゃったのかについて聞かせてもらいたい。それから、どんな風に年賀状を書けばいいのか考えたらいいんだよ。

「碧生くんは、いつ従兄弟と喧嘩したの? お休みの時くらいしか、従兄弟とは会えないってこの間、話していなかった?」
「美優ちゃん、よく覚えているね。従兄弟と喧嘩したのはおじいちゃんの葬式の時だ」
「碧生くんが誰かと喧嘩するなんて珍しいね」

 わたしから見た碧生くんは、誰かと争うことが苦手なタイプの男の子だ。クラス内で多数決をとったり、じゃんけんで何かを決めるような場面になると、碧生くんは誰にでもすぐに譲ってしまう。あとでいいよ、何でも大丈夫だよ。お人好しなくらい優しい碧生くんが、お葬式という絶対に静かにしていないといけない場所で喧嘩をするなんて。

「どうして喧嘩になっちゃったの?」
「たぶん、僕が悪かったんだ。みんなが亡くなったおじいちゃんのことを思い出しながら泣いている横で、僕は全然泣けなかったから」
「……それは。すごく悲しいときには、泣けないこともあるよ」
「そうなのかな。なんだかみんなが泣いているのが妙におかしくって。そうしたら、『おじいちゃんと一緒に暮らしていたくせに』って従兄弟に言われてさ、頭に来たんだ。そのせいでつい、『おじいちゃんと一緒に暮らしたくないって出ていった奴に言われたくない』って言っちゃって」

 笑ってはいけないときに笑ってしまうことがあるというのは、聞いたことがある。すごく苦しかったり悲しかったり怖かったりするときに、自分の心を守るために笑ってしまうんだって。ふざけているわけじゃないのに、誤解されてきっと碧生くんは悲しかったし、悔しかったんだろうな。それに、きっとお互いに言いたいことがたくさんあったんだろうなとも思えてしまった。

「従兄弟のお父さんとお母さんは、うちのお父さんとお母さんに『ちゃんと世話をしてくれたら、こんな死に方をしなかった』って怒ってて、うちのお父さんとお母さんは『こっちの手伝いもせず、お金も出さないくせに、こういう時だけ文句を言うな』って怒っていた。喧嘩を始めたのは僕と従兄弟だったけれど、きっとみんな言いたいことがたくさんあって苛々していたんだろうね」

 ふたりが喧嘩をする前から、周囲には不平不満がたくさんあったんだろう。それがふたりの喧嘩がきっかけになって噴きあがってしまった。大好きなおじいさんのお葬式でみんなが言い争うことになってしまって、その上、仲が良い従兄弟といまだに仲直りできずにいて、たくさんのことが積み重なって碧生くんは、すごく苦しそうだ。

「おじいちゃんは海の男だった。老人ホームには入らないって言い張っていて、病院も大嫌いだったんだ。ベッドに横になったまま、しゃべったり、ご飯を食べたりできなくなった状態で長生きなんてしたくはないって、よく言っていたんだよ。大好きな海で、大好きな仕事を、身体が動かなくなるその時まで自由にやれればそれで十分だって。でも従兄弟たちにしてみれば、もっと僕たちがちゃんと見ていれば、船の上で倒れてひとりで死ぬことはなかったって思っちゃったんだろうね」
「いくら一緒に住んでいても、四六時中一緒にいるわけじゃないもの。それにおじいさんは、船の上で死ぬときに後悔なんてしていなかったんじゃないのかな」
「実は僕もそう思っているんだけどね」

 ときどき耳にする「ぴんぴんころり」というのは、まさに碧生くんのおじいさんに相応しい言葉だと思う。おじいさんのお葬式から、もうすでに何か月という時間が過ぎている。長引けば長引くほど解決しにくいものもあるけれど、時間でしか解決できないことだってたぶんあるんだよ。それを「時薬ときぐすり」だと教えてくれたのは、一体誰だったかな。


 ***


「とりあえず、どうして喧嘩になったのかはわかったよ。でも、それならやっぱりなおのこと、電話や手紙よりも、ハガキのほうがいいのかもしれないね」
「理由を聞かせてもらってもいいかな」
「まず、電話だと喧嘩になる可能性がこの中で一番高いから。電話もメールも手紙も、どれも自分の言いたいことを伝えるのは難しいと思うよ。言い方が悪かったり、一言多かったり、逆に言葉が足りなかったり。でも電話やメールはすぐにやり取りができちゃうから、特に危ないと思う」

 売り言葉に買い言葉。どんなに最初に、「喧嘩にならないようにしよう」「ちくちく言葉じゃなくって、ふわふわ言葉を使うようにしよう」と考えていても、いろんなことが積み重なると一気に我慢できなくなったりする。だから、絶対に一呼吸置くことができる手紙形式のほうが安全なんだ。

「それに今回の場合は、碧生くんと碧生くんの従兄弟だけじゃなくって、ふたりのお父さんとお母さんも巻き込んで喧嘩しているんでしょう? 碧生くんと碧生くんの従兄弟は携帯を持っているの?」
「えーと、持ってない」
「じゃあ、わざわざ碧生くんの従兄弟に電話をかけるから、携帯を貸してってお父さんやお母さんに伝えてから、電話をかけることになるんでしょう? もうその時点で危ういと思う。いや、碧生くんちは違うかもしれないけれど。うちならもうその時点でお母さんの機嫌が急降下だよ」
「あはははは、うちもたぶんそうだよ。そうだね、電話を借りられるわけがないし、電話をかけたところで伯父さんも伯母さんもきっと出てくれないや」
「だから、今回は年賀状作戦で行こう。年賀状っていうイベントにかこつけて送れば、相手もそういうものかと受け取りやすくなるよ。こういう、受け取りやすさっていうか、『ノリ』って大事だと思う。身構えられたら、届くものも届かなくなっちゃうでしょ」
「なるほどね」
「じゃあ、学校の帰りに郵便局に寄って年賀状を買おう」

 そこで、碧生くんがものすごく困った顔になった。

「そのことなんだけど、僕、よく考えたらお小遣いないんだよね」
「え、今月のお小遣い、もう使い切っちゃったの?」
「そうじゃなくって、うちは必要なときに物品で支給されるんだ。なんでも言えば買ってもらえるけれど、自由になるお金はない」
「……じゃあ、年賀状も買ってもらうの?」
「いや、今まで一度も年賀状を誰かに出したことがないから、そんなことを頼んだらものすごく怪しまれると思う」

 わたしは椿さんに買ってもらったシマエナガの年賀状の枚数を頭の中で数えてみた。あの年賀状は、三枚一セットだ。一枚は茜ちゃん、もう一枚は猫のキーホルダーを作ってくれた前の学校の親友に送るつもりにしている。だから、残りの一枚を碧生くんに渡しても問題ないはずなんだ。でも、碧生くんはそれを嫌がった。

「それは、美優ちゃんのおばあちゃんが買ってくれたものだよ。お金を稼いでない僕たちが、勝手にあげたりもらったりしていいものじゃない」
「そうだけど、そうじゃないでしょ! じゃあ、わたしが百円貸すからそれで年賀状を買う?」
「じいちゃんが、お金の貸し借りは友だちを失くすからするなって言ってた」
「だからあああああ」

 碧生くんの感覚も、碧生くんのおじいちゃんの感覚も正しいと思う。でも、そんなことを言っていたら話が進まないよ。そこでわたしは、思い出した。前の学校でもらった、例のハガキのことを。国語の授業で手に入れた一枚のハガキのことを。

 年賀状は、普通の官製ハガキでも出すことができるんだって郵便局員さんに教えてもらったんだ。それでも、碧生くんはそっと首を横に振った。やっぱり物の貸し借りがどうしても許せないみたい。ああ、もう、じれったい!

「碧生くんがもらってくれないと、あのハガキ、ゴミになっちゃうの。一年間も使わなかったんだよ。このままだと、わたし、大掃除で捨てちゃうかも!」
「そんな無茶苦茶な」
「勿体ないと思うなら、碧生くんが使ってあげてよ!」
「……美優ちゃんにはかなわないや」

 そういうわけでわたしは、碧生くんにわたしが持っていた普通のハガキを押し付けることに成功した。
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