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4.申し訳ないのですけれど、聖女といえども人間ですもの。
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「生かして国に戻してしまってもよかったのですか?」
「身ぐるみは剥がしましたもの。それに、王太子殿下はそれなりに優秀な方です。せいぜい国のために働いていただかなくては。隣国の王女殿下も賢いお方だと聞いております。この件から自国の旨味を引き出しつつ、王太子殿下の手綱をうまく握ってくださることでしょう」
くすくすと笑いをこらえるクレアに、デズモンドが恐る恐る問いかけた。
「クレアさま。先ほどの誓いは白い結婚を三年続ければ解除できるはずです。緊急避難的なやり取りであったのですから、女神さまもお許しくださるでしょう」
「デズモンドさま、一体何をおっしゃっているのです?」
「クレアさまが、王太子殿下のことを慕っていらっしゃったことは存じております。先ほどの婚姻も、やむにやまれずであったことも」
「あらまあ、デズモンドさま、まだお気づきではありませんの?」
クレアは王太子が持っていた腕輪をくるくると手で弄んでみせた。ずっと腕につけていたクレアのものとは異なり、王太子の腕輪はあまりにも綺麗すぎる。身に着けることのないまま、しまい込まれていたのだろう。それをクレアは、デズモンドの腕に嵌めた。
「クレアさま?」
「やっぱり。腕輪は持ち主の腕の太さに合うように調整されているのですね。なるほど、よくできた魔導具です。あの日、私と婚約を結んだのは王太子殿下ではなく、あなたですね。影武者を務めていたのでしょう?」
デズモンドのローブを脱がせれば、王太子よりも柔らかく、より端正な顔立ちの美青年が姿を現わした。
「どうせ儀式の神聖さも知らず、安易に影武者を立てたはず。そしてそのことに、王家は何も疑問を持たなかったのでしょう」
「おっしゃる通りです。大変申し訳ございません」
「謝る必要はありません。だって、あなたは影になり日向になり私のことを守ってくださったでしょう。王太子からの贈り物として届けられるものは、全部あなたがくださったもののはず。違いますか?」
「……そうです。わたしにつけられた予算はほとんどなく、わたし自身の稼ぎで購入したものでしたから、やはり見劣りしましたでしょうか?」
「まさか。私は、好きなものや嫌いなものを、使用人たちを通していろいろな方にばらまいています。貴族らしいやり方を散々教え込まれましたからね。そして、私が本当に好きなもの、欲しいものはあなたにしか伝えていなかったのです。私の王子さまは最初からあなただったのですから、この婚姻を解消することなどありえません」
クレアの潤んだ瞳に喉を鳴らしつつ、けれどデズモンドは渋い顔をしたままだ。
「ではなぜ、自ら命を絶ったのですか?」
「え?」
「あの男を愛していたから、すべてに絶望して死を選んだのではありませんか?」
「あなた、記憶が……」
「クレアさま、答えてください」
真剣な顔を前に、クレアはそっとうつむいた。
「……言いたくない、というのは許してもらえないのよね?」
「やはり、王太子殿下のことが」
「違うわ!」
そこで一呼吸置き、クレアが頬を赤らめた。
「……一発、ぶんなぐってやろうと思ったの」
「は?」
「だから、一発ぶん殴ってやらないと気が済まないじゃない? 自分はとっとと別の女性と結婚した癖に、私のことは念のため扱いで神殿に縛り付けておくなんて。私だって、人並みの幸せを求めたっていいじゃない」
「……つまり、絶望してその身を投げたとわけではないと?」
「どうしてあんな馬鹿男のために、私が死ななくちゃならないのよ。確かに、死んだものは仕方がないと思っていたけれど、あの馬鹿男を許すわけないじゃない。ただ単に、自分のうっかりで死んじゃったから、仕方がないって思っただけよ」
思わず、素の自分が顔を出す。すっかり聖女教育を叩きこまれていたはずが、身体に馴染んだ言葉遣いは気を抜くとすぐに顔を出してしまうものらしい。
あの夜、クレアは確かに部屋の窓にその身を乗り出した。けれどそれは死ぬためではない。これからの人生をクレアらしく生きるために必要なことだったのだ。部屋の扉を開ければ、護衛騎士だったデズモンドだけではなく王家から派遣された近衛たちに外出を見とがめられるだろう。
何より、聖女として生きている自分に仕えているデズモンドにお転婆な一面を見せたくはなかったのだ。何せ、平民同様に暮らしていたクレアはかなり逞しい根性と身体を持っていた。そうでなければ、あんな清貧すぎる一度目の人生でしぶとく生き残ることなどできはしなかったのだ。後半は空腹のせいで、少々考えなしにはなっていたけれど。
田舎の実家暮らしだった頃のクレアなら軽々と木に飛び移り、降りることができただろう。けれど、残念ながらクレアはすっかり大人になっていた。子どもらしいはつらつさも、軽やかな体重も、柔軟な身体もなく、野山を駆け回り培った筋力もなかった。そのため、かつてのクレアなら掴めたはずの木の枝に、その手は届かなかったのである。そうして、クレアは死亡した。正直、恥ずかしくて笑い話にもできない。
「復讐のために死んだら意味がないでしょう?」
「あなたが死んだ後、この世界がどうなったのかお聞きになったのですか?」
「そういえば、詳しい話は聞いていませんでしたね。あなたが亡くなったと聞いてしまって、頭が真っ白になってしまったから。でも、ろくなことにはならなかったのでしょうね。女神さまが介入されるくらいなのですし」
「いくらやりたいことリストに載っていても、今後は窓からの出入りは禁止ですよ」
「あら、あなたはやっているのではなくって?」
「そうですね。わかりました。必要なら、わたしが運びます。それならば構いません。それから、言葉遣いも戻してください。気取らないあなたが、わたしは何より好きなのです」
再び令嬢言葉に戻したクレアがつんと顔を背けてみれば、優しく抱きしめられる。その温もりがあまりにも心地よくて、クレアは彼の胸に頬を寄せた。
「身ぐるみは剥がしましたもの。それに、王太子殿下はそれなりに優秀な方です。せいぜい国のために働いていただかなくては。隣国の王女殿下も賢いお方だと聞いております。この件から自国の旨味を引き出しつつ、王太子殿下の手綱をうまく握ってくださることでしょう」
くすくすと笑いをこらえるクレアに、デズモンドが恐る恐る問いかけた。
「クレアさま。先ほどの誓いは白い結婚を三年続ければ解除できるはずです。緊急避難的なやり取りであったのですから、女神さまもお許しくださるでしょう」
「デズモンドさま、一体何をおっしゃっているのです?」
「クレアさまが、王太子殿下のことを慕っていらっしゃったことは存じております。先ほどの婚姻も、やむにやまれずであったことも」
「あらまあ、デズモンドさま、まだお気づきではありませんの?」
クレアは王太子が持っていた腕輪をくるくると手で弄んでみせた。ずっと腕につけていたクレアのものとは異なり、王太子の腕輪はあまりにも綺麗すぎる。身に着けることのないまま、しまい込まれていたのだろう。それをクレアは、デズモンドの腕に嵌めた。
「クレアさま?」
「やっぱり。腕輪は持ち主の腕の太さに合うように調整されているのですね。なるほど、よくできた魔導具です。あの日、私と婚約を結んだのは王太子殿下ではなく、あなたですね。影武者を務めていたのでしょう?」
デズモンドのローブを脱がせれば、王太子よりも柔らかく、より端正な顔立ちの美青年が姿を現わした。
「どうせ儀式の神聖さも知らず、安易に影武者を立てたはず。そしてそのことに、王家は何も疑問を持たなかったのでしょう」
「おっしゃる通りです。大変申し訳ございません」
「謝る必要はありません。だって、あなたは影になり日向になり私のことを守ってくださったでしょう。王太子からの贈り物として届けられるものは、全部あなたがくださったもののはず。違いますか?」
「……そうです。わたしにつけられた予算はほとんどなく、わたし自身の稼ぎで購入したものでしたから、やはり見劣りしましたでしょうか?」
「まさか。私は、好きなものや嫌いなものを、使用人たちを通していろいろな方にばらまいています。貴族らしいやり方を散々教え込まれましたからね。そして、私が本当に好きなもの、欲しいものはあなたにしか伝えていなかったのです。私の王子さまは最初からあなただったのですから、この婚姻を解消することなどありえません」
クレアの潤んだ瞳に喉を鳴らしつつ、けれどデズモンドは渋い顔をしたままだ。
「ではなぜ、自ら命を絶ったのですか?」
「え?」
「あの男を愛していたから、すべてに絶望して死を選んだのではありませんか?」
「あなた、記憶が……」
「クレアさま、答えてください」
真剣な顔を前に、クレアはそっとうつむいた。
「……言いたくない、というのは許してもらえないのよね?」
「やはり、王太子殿下のことが」
「違うわ!」
そこで一呼吸置き、クレアが頬を赤らめた。
「……一発、ぶんなぐってやろうと思ったの」
「は?」
「だから、一発ぶん殴ってやらないと気が済まないじゃない? 自分はとっとと別の女性と結婚した癖に、私のことは念のため扱いで神殿に縛り付けておくなんて。私だって、人並みの幸せを求めたっていいじゃない」
「……つまり、絶望してその身を投げたとわけではないと?」
「どうしてあんな馬鹿男のために、私が死ななくちゃならないのよ。確かに、死んだものは仕方がないと思っていたけれど、あの馬鹿男を許すわけないじゃない。ただ単に、自分のうっかりで死んじゃったから、仕方がないって思っただけよ」
思わず、素の自分が顔を出す。すっかり聖女教育を叩きこまれていたはずが、身体に馴染んだ言葉遣いは気を抜くとすぐに顔を出してしまうものらしい。
あの夜、クレアは確かに部屋の窓にその身を乗り出した。けれどそれは死ぬためではない。これからの人生をクレアらしく生きるために必要なことだったのだ。部屋の扉を開ければ、護衛騎士だったデズモンドだけではなく王家から派遣された近衛たちに外出を見とがめられるだろう。
何より、聖女として生きている自分に仕えているデズモンドにお転婆な一面を見せたくはなかったのだ。何せ、平民同様に暮らしていたクレアはかなり逞しい根性と身体を持っていた。そうでなければ、あんな清貧すぎる一度目の人生でしぶとく生き残ることなどできはしなかったのだ。後半は空腹のせいで、少々考えなしにはなっていたけれど。
田舎の実家暮らしだった頃のクレアなら軽々と木に飛び移り、降りることができただろう。けれど、残念ながらクレアはすっかり大人になっていた。子どもらしいはつらつさも、軽やかな体重も、柔軟な身体もなく、野山を駆け回り培った筋力もなかった。そのため、かつてのクレアなら掴めたはずの木の枝に、その手は届かなかったのである。そうして、クレアは死亡した。正直、恥ずかしくて笑い話にもできない。
「復讐のために死んだら意味がないでしょう?」
「あなたが死んだ後、この世界がどうなったのかお聞きになったのですか?」
「そういえば、詳しい話は聞いていませんでしたね。あなたが亡くなったと聞いてしまって、頭が真っ白になってしまったから。でも、ろくなことにはならなかったのでしょうね。女神さまが介入されるくらいなのですし」
「いくらやりたいことリストに載っていても、今後は窓からの出入りは禁止ですよ」
「あら、あなたはやっているのではなくって?」
「そうですね。わかりました。必要なら、わたしが運びます。それならば構いません。それから、言葉遣いも戻してください。気取らないあなたが、わたしは何より好きなのです」
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