4 / 30
4.河童と「僕」のおはなし
しおりを挟む
先ほどまで和やかに談笑していたはずの男に殴られたのは、突然。アパートの隣人に挨拶をし、ドアにチェーンをかけたその瞬間のことであった。ああ、この男はこのようにして今まで生きてきたのであろうな。女を殴ることにためらいを覚えるどころか、嬉々として手を振り上げる。男は、そんなクズであった。まさに予想通りの行動。思わず笑い出しそうになるのをこらえたまま、妾は吐き捨てる。
「下賤の身で、妾に触れるでないわ」
床に這いつくばったままの妾の制止に、男はへらへらと笑い続ける。人を小馬鹿にしたその安っぽい笑みがまったく癪に触る。非力な女子を痛めつけることしかできない矮小な俗物が、何を偉そうに。だが、こちらとしても黙って殴られてやる必要はない。これは、確信を持ちたかったためにわざと殴られてやったまで。すぐに治るとはいえ、妾の玉の肌を傷つけたこと、存分に後悔させてやろうぞ。
「マジウケる。何急にキャラ変えてんの? まあ、オレ、そう言うのも好きかも。長く楽しめるようにせいぜい頑張ってよ。どうせやることは一緒だし。ヤって、写真と動画撮って、またヤって。友達も呼んできて、いっぱいシてあげるよ。ああでも、そんな風に言われてオレ傷ついちゃったから、またうっかり手が滑っちゃうかもね!」
こやつに、「アタシの住んでるアパートはあ、なんかすごくってえ、隣の人の声がぜーんぜん聞こえないの~」と伝えたのは妾だ。「だからあ、パーティーしたり、ホラー見たりするときはうち使っていいよお。いっぱい、楽しいこと、シよ?」と話して、嬉しそうな顔をしていたのは、男女の交わりだけでなくこれが目的であったのであろうな。まあ、パーティーのことを薬物乱用パーティーと勘違いしたのかもしれぬが。
そのまま再度こやつの拳がうなるのを見て、妾は指を鳴らした。その瞬間に、部屋の景色が変わる。先ほどまでいたのは、とあるアパートの一室。どこか古ぼけた外観に似合わない、こざっぱりとした部屋。今時珍しい、畳に押し入れ付きの物件じゃ。
けれど、今は違う。大きくざわめくのは山の木々。かすかに聞こえるのは、近くを流れる大きな川のせせらぎ。どこか土の香りが漂うここは、まぎれもない田舎だ。足元の感覚が変わったことに気がついたのか、男が少しばかり慌てておるのう。男に説明する気はないが、ここはとあるさびれた町にある小さな神社の境内じゃ。通称、河童神社。その昔は水難除けの神様として崇められておったが、今では別のことで有名となった。そう、人生が変わる縁切り神社として。
まったく、世の中にある河童を祀った神社の中には縁結びの神として名高いものもあるというのに、妾のところは縁切りか。しかも本来であれば、悪縁を切り、良縁を結ぶというのが縁切り神社の仕事であるのだが、「縁を切る」仕事ばかりが持ち込まれるのは何故であろう。少々納得いかぬ部分もあるが、仕事はすべきであるし、祈りは聞き届けなければならぬであろうな。何より女を殴って喜ぶような男は、虫が好かぬ。
人間の男と交わるのも嫌いではない。昔はみだりに川に近づく童の尻子玉をちょいちょい失敬したものであったが、今の時代はなかなかそれも難しい。代わりに、男の精を喰らえば、魂まで喰らわずとも、ほどほどに生きながらえることができる。必死な顔で腰を振る男どもも可愛げがあるではないか。だが、女を喰い物にする輩は別じゃ。
この男、最初に見かけた時から酷い格好をしておった。もちろん、人間としての格好であればまだマシな部類ではあるがの。あの皮一枚の見てくれに騙される女も多いであろう。だが、こやつの魂は腐臭を放っておる。襟巻きのごとく、死霊生き霊を問わず女を幾人もまとわりつくつかせ、水子を両足に絡ませながら歩く姿。異様の一言であるな。
こちらの世界にも、ある程度の「目」を持った輩がおるようじゃの。何人かはぎょっとした顔をして、慌てて視線を逸らしておったわ。ああ、それは正しいことであろうな。こやつに関わると、ろくでもないことに巻き込まれるのは必至。下手をすれば底なし沼に共に落ちることになるのじゃから。
ついでに言えば、妾の姿も肌を露わにした「きゃみそーる」とやらから、「巫女服」に変えている。人間の言葉で「ぎゃっぷ萌え」と言うそうではないか。存分に妾を愛でるがよい。
さてと。妾がここに戻ってきた証に、神楽鈴を鳴らす。それを待ちわびていたのであろうな、境内の井戸からいくつもの青白い腕が飛び出してきた。
ぎゅるり。ぎゅるり。
腕はまるで生き物のように男に巻きつき、男の顔を撫でる。そう、それはまるで愛おしい者を出迎えるように。ここに捨てられたのは、男への恨みつらみだけではない。捨て去ることができなかった男への愛情もまた、縁切り神社が引き受ける。それゆえに、この腕たちは男を心から欲しておるのだ。まあ、妾的にはこの腕に捕まっておくのが良いと思うぞ。青白いし、腕だけであるが、男を大事にしてくれるであろうしな。あ、あやつ漏らしおったわい。この小心者め。
「やめ……、たすけ……!!!」
「そなたに嬲られた女どもも、同じことを言っておったのではないかの。助けてくれ。許してくれ。あるいは捨てないでくれ。一緒になってくれ。そう言って、泣いてすがったであろうに。貴様が許さなかったそれを、なぜ自身は許されると思うのだ?」
ほんに、こやつは面白い。女の顔が変わるまで殴った男が、ややこの宿る腹を蹴り上げた男が、たかが青白い手の数本に足を掴まれたくらいで泣き叫びおって。
ぎゅ、ぎゅ、ぎゅるり。ぎゅるり。
おやおや、青白い腕に混じって、ヘドロのように真っ黒な腕まで浮かび上がって来おったわい。あれは、面白い。他のとは比べものにならぬほど、怨念が渦巻いておるぞ。ふふふ、さあ死ぬ気で逃げるが良い。その手に捕まったが最期、おぬしらは溶け合って一つになる。女の妄執と、男の心はそのままの状態で! まああの腕を呼んだのも、妾ではあるがの。
男がどちらを選ぶのか。しばらく眺めるものもまた一興。すぐに決着がついてしまうのは面白くない。生かさず殺さず、ゆるゆるといたぶってやろうぞ。妾は神社に備えられた日本酒とともに、隣のベランダで取ってきたばかりの新鮮なきゅうりを取り出した。ゆるりと扇をひらき、涼を楽しむ。饗宴はまだ、始まったばかり。
「下賤の身で、妾に触れるでないわ」
床に這いつくばったままの妾の制止に、男はへらへらと笑い続ける。人を小馬鹿にしたその安っぽい笑みがまったく癪に触る。非力な女子を痛めつけることしかできない矮小な俗物が、何を偉そうに。だが、こちらとしても黙って殴られてやる必要はない。これは、確信を持ちたかったためにわざと殴られてやったまで。すぐに治るとはいえ、妾の玉の肌を傷つけたこと、存分に後悔させてやろうぞ。
「マジウケる。何急にキャラ変えてんの? まあ、オレ、そう言うのも好きかも。長く楽しめるようにせいぜい頑張ってよ。どうせやることは一緒だし。ヤって、写真と動画撮って、またヤって。友達も呼んできて、いっぱいシてあげるよ。ああでも、そんな風に言われてオレ傷ついちゃったから、またうっかり手が滑っちゃうかもね!」
こやつに、「アタシの住んでるアパートはあ、なんかすごくってえ、隣の人の声がぜーんぜん聞こえないの~」と伝えたのは妾だ。「だからあ、パーティーしたり、ホラー見たりするときはうち使っていいよお。いっぱい、楽しいこと、シよ?」と話して、嬉しそうな顔をしていたのは、男女の交わりだけでなくこれが目的であったのであろうな。まあ、パーティーのことを薬物乱用パーティーと勘違いしたのかもしれぬが。
そのまま再度こやつの拳がうなるのを見て、妾は指を鳴らした。その瞬間に、部屋の景色が変わる。先ほどまでいたのは、とあるアパートの一室。どこか古ぼけた外観に似合わない、こざっぱりとした部屋。今時珍しい、畳に押し入れ付きの物件じゃ。
けれど、今は違う。大きくざわめくのは山の木々。かすかに聞こえるのは、近くを流れる大きな川のせせらぎ。どこか土の香りが漂うここは、まぎれもない田舎だ。足元の感覚が変わったことに気がついたのか、男が少しばかり慌てておるのう。男に説明する気はないが、ここはとあるさびれた町にある小さな神社の境内じゃ。通称、河童神社。その昔は水難除けの神様として崇められておったが、今では別のことで有名となった。そう、人生が変わる縁切り神社として。
まったく、世の中にある河童を祀った神社の中には縁結びの神として名高いものもあるというのに、妾のところは縁切りか。しかも本来であれば、悪縁を切り、良縁を結ぶというのが縁切り神社の仕事であるのだが、「縁を切る」仕事ばかりが持ち込まれるのは何故であろう。少々納得いかぬ部分もあるが、仕事はすべきであるし、祈りは聞き届けなければならぬであろうな。何より女を殴って喜ぶような男は、虫が好かぬ。
人間の男と交わるのも嫌いではない。昔はみだりに川に近づく童の尻子玉をちょいちょい失敬したものであったが、今の時代はなかなかそれも難しい。代わりに、男の精を喰らえば、魂まで喰らわずとも、ほどほどに生きながらえることができる。必死な顔で腰を振る男どもも可愛げがあるではないか。だが、女を喰い物にする輩は別じゃ。
この男、最初に見かけた時から酷い格好をしておった。もちろん、人間としての格好であればまだマシな部類ではあるがの。あの皮一枚の見てくれに騙される女も多いであろう。だが、こやつの魂は腐臭を放っておる。襟巻きのごとく、死霊生き霊を問わず女を幾人もまとわりつくつかせ、水子を両足に絡ませながら歩く姿。異様の一言であるな。
こちらの世界にも、ある程度の「目」を持った輩がおるようじゃの。何人かはぎょっとした顔をして、慌てて視線を逸らしておったわ。ああ、それは正しいことであろうな。こやつに関わると、ろくでもないことに巻き込まれるのは必至。下手をすれば底なし沼に共に落ちることになるのじゃから。
ついでに言えば、妾の姿も肌を露わにした「きゃみそーる」とやらから、「巫女服」に変えている。人間の言葉で「ぎゃっぷ萌え」と言うそうではないか。存分に妾を愛でるがよい。
さてと。妾がここに戻ってきた証に、神楽鈴を鳴らす。それを待ちわびていたのであろうな、境内の井戸からいくつもの青白い腕が飛び出してきた。
ぎゅるり。ぎゅるり。
腕はまるで生き物のように男に巻きつき、男の顔を撫でる。そう、それはまるで愛おしい者を出迎えるように。ここに捨てられたのは、男への恨みつらみだけではない。捨て去ることができなかった男への愛情もまた、縁切り神社が引き受ける。それゆえに、この腕たちは男を心から欲しておるのだ。まあ、妾的にはこの腕に捕まっておくのが良いと思うぞ。青白いし、腕だけであるが、男を大事にしてくれるであろうしな。あ、あやつ漏らしおったわい。この小心者め。
「やめ……、たすけ……!!!」
「そなたに嬲られた女どもも、同じことを言っておったのではないかの。助けてくれ。許してくれ。あるいは捨てないでくれ。一緒になってくれ。そう言って、泣いてすがったであろうに。貴様が許さなかったそれを、なぜ自身は許されると思うのだ?」
ほんに、こやつは面白い。女の顔が変わるまで殴った男が、ややこの宿る腹を蹴り上げた男が、たかが青白い手の数本に足を掴まれたくらいで泣き叫びおって。
ぎゅ、ぎゅ、ぎゅるり。ぎゅるり。
おやおや、青白い腕に混じって、ヘドロのように真っ黒な腕まで浮かび上がって来おったわい。あれは、面白い。他のとは比べものにならぬほど、怨念が渦巻いておるぞ。ふふふ、さあ死ぬ気で逃げるが良い。その手に捕まったが最期、おぬしらは溶け合って一つになる。女の妄執と、男の心はそのままの状態で! まああの腕を呼んだのも、妾ではあるがの。
男がどちらを選ぶのか。しばらく眺めるものもまた一興。すぐに決着がついてしまうのは面白くない。生かさず殺さず、ゆるゆるといたぶってやろうぞ。妾は神社に備えられた日本酒とともに、隣のベランダで取ってきたばかりの新鮮なきゅうりを取り出した。ゆるりと扇をひらき、涼を楽しむ。饗宴はまだ、始まったばかり。
0
あなたにおすすめの小説
人質5歳の生存戦略! ―悪役王子はなんとか死ぬ気で生き延びたい!冤罪処刑はほんとムリぃ!―
ほしみ
ファンタジー
「え! ぼく、死ぬの!?」
前世、15歳で人生を終えたぼく。
目が覚めたら異世界の、5歳の王子様!
けど、人質として大国に送られた危ない身分。
そして、夢で思い出してしまった最悪な事実。
「ぼく、このお話知ってる!!」
生まれ変わった先は、小説の中の悪役王子様!?
このままだと、10年後に無実の罪であっさり処刑されちゃう!!
「むりむりむりむり、ぜったいにムリ!!」
生き延びるには、なんとか好感度を稼ぐしかない。
とにかく周りに気を使いまくって!
王子様たちは全力尊重!
侍女さんたちには迷惑かけない!
ひたすら頑張れ、ぼく!
――猶予は後10年。
原作のお話は知ってる――でも、5歳の頭と体じゃうまくいかない!
お菓子に惑わされて、勘違いで空回りして、毎回ドタバタのアタフタのアワアワ。
それでも、ぼくは諦めない。
だって、絶対の絶対に死にたくないからっ!
原作とはちょっと違う王子様たち、なんかびっくりな王様。
健気に奮闘する(ポンコツ)王子と、見守る人たち。
どうにか生き延びたい5才の、ほのぼのコミカル可愛いふわふわ物語。
(全年齢/ほのぼの/男性キャラ中心/嫌なキャラなし/1エピソード完結型/ほぼ毎日更新中)
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
地味な薬草師だった俺が、実は村の生命線でした
有賀冬馬
ファンタジー
恋人に裏切られ、村を追い出された青年エド。彼の地味な仕事は誰にも評価されず、ただの「役立たず」として切り捨てられた。だが、それは間違いだった。旅の魔術師エリーゼと出会った彼は、自分の能力が秘めていた真の価値を知る。魔術と薬草を組み合わせた彼の秘薬は、やがて王国を救うほどの力となり、エドは英雄として名を馳せていく。そして、彼が去った村は、彼がいた頃には気づかなかった「地味な薬」の恩恵を失い、静かに破滅へと向かっていくのだった。
ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?
音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。
役に立たないから出ていけ?
わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます!
さようなら!
5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
まばたき怪談
坂本 光陽
ホラー
まばたきをしないうちに読み終えられるかも。そんな短すぎるホラー小説をまとめました。ラスト一行の恐怖。ラスト一行の地獄。ラスト一行で明かされる凄惨な事実。一話140字なので、別名「X(旧ツイッター)・ホラー」。ショートショートよりも短い「まばたき怪談」を公開します。
俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。
true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。
それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。
これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。
日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。
彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。
※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。
※内部進行完結済みです。毎日連載です。
魔王を倒した勇者を迫害した人間様方の末路はなかなか悲惨なようです。
カモミール
ファンタジー
勇者ロキは長い冒険の末魔王を討伐する。
だが、人間の王エスカダルはそんな英雄であるロキをなぜか認めず、
ロキに身の覚えのない罪をなすりつけて投獄してしまう。
国民たちもその罪を信じ勇者を迫害した。
そして、処刑場される間際、勇者は驚きの発言をするのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる