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プロローグ
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肌にまとわりつくようなじっとりとした空気が漂っている。夜の十時を過ぎているというのに気温はあまり下がらず、生温かい風が吹いていた。
八月に入り三十五度を超える猛暑が続いていたせいか、焼けるような太陽の日差しを浴びたアスファルトはひどく熱を吸収したようだ。日が沈んだ今でもその場にいるだけで体温が二、三度上がっているように感じる。
聖夜は手で額の汗をぬぐうと、着ていたTシャツを引っ張り風を送り込んだ。こうすれば少しは快適に思えた。
それから聖夜ははき古したスニーカーを動かし、民家が建ち並ぶ細い路地を黙々と歩いた。中学二年生がこんな時間にいたら不審がられて呼び止められるだろう。そう考えなるべく人通りの少ない道を選んでいた。
それでもヘッドライトに照らされ急いで民家の影に隠れた。
今は誰にも呼び止められたくないし、姿を見られたくはないのだ。
それを何度か繰り返しているうちに、たちまち植物の匂いに包まれた。民家をぬけて田園地帯へとやって来たのだ。
用水路から水の流れる音が聞こえ、草むらで虫たちが小さな声で鳴いている。車のエンジン音は遠くでこだますだけ。ここから先は人の気配を気にしなくてもいいのだ。
点々とついている街灯の明かりを頼りに蛇のように曲った細い道を歩き続け、ようやく目的の場所にたどりついた。歩行者用の小さな踏切だ。
頭上では黄ばんだ街灯の蛍光灯がついたり消えたりしながらこちらを照らしている。
聖夜は汗を吸った癖毛を気持ち悪そうにかくと、暗闇に浮かぶお地蔵様に気づき何げなく目を向けた。
古くなった石の表面には白緑色や緑茶色の苔が全体を覆うように生えている。粗末な扱いを受けているのか赤い頭巾は色あせてところどころ破れているし、供えられた花は横に寝かされ茶色くひからびていた。
よく祖母がこのお地蔵様を団子地蔵と呼び、行きかう人を見守ってくれていると言っていたが、確かにかろうじて左手に団子のようなものを持っているのはわかる。しかし風化が激しいせいか聖夜には全身が溶けた姿にしか見えない。
少し身震いすると聖夜は団子地蔵から目をそらした。ここが幽霊が出ると噂されているいわくつきの場所ということを思い出したのだ。
そのことを振り払うかのように踏切に顔を伸ばした。しかしまだお目当ての電車は来ないようだ。仕方なく聖夜は線路のわきにあるガードレールに両腕を置きもたれかかった。
あと一か月もしないうちに夏休みが終わってしまう。そうすればまたつらい日々の幕が上がる。
ここ最近、毎日のように学校に行くことばかりを考えてはひどく落ち込み、何も手につかない状態が続いているのだ。
聖夜にも何が原因かわからなかったが、ある日を境にクラス全員から無視され、ネットに自分の悪口が書かれるようになったのだ。両親や祖父母、それに担任の先生にも伝えたが何も解決しなかった。
聖夜は大きな溜息をつき、はいていたジャージのハーフパンツからポケットをまさぐり携帯電話を取り出した。そして慣れた手つきでコミュニティーサイトにつなぐと、あるページを開いた。
タイトルは “ ホーリーナイト祝いたい奴集合 ”。
この時ほど聖なる夜、などという名前を付けた両親を恨んだことはない。
暗がりの中、携帯電話のあかりに照らされた茶色の瞳は頻繁に更新される画面の奥を追っていた。
「あいつ死ねばいいのに ……か。わかってるよ」
白やオレンジの街灯が夜の世界をぼんやり照らしている。だが、すべてがモノクロにしか見えず、しだいに涙で視界がかすんでいく。
遠くから電車の明かりが小さく見えると遮断機が下り、警報音が忙しく鳴りだした。聖夜はためらいもなく遮断機をくぐると線路へ足を踏み入れた。
その瞬間、体の中を冷たい何かが風のように通り抜けるのを感じた。気づけば目の前に黒いもやのような塊がいる。そのもやはあっという間に一六〇センチ程度の聖夜を越していき、見上げるほど大きな人影へと姿を変えたのだ。
しかしこの黒い影がなんであるのか確かめる時間は残されていない。
黄色のライトが体中を包み、電車の汽笛が大きくなっていく。
「これで僕は死ぬんだ」
八月に入り三十五度を超える猛暑が続いていたせいか、焼けるような太陽の日差しを浴びたアスファルトはひどく熱を吸収したようだ。日が沈んだ今でもその場にいるだけで体温が二、三度上がっているように感じる。
聖夜は手で額の汗をぬぐうと、着ていたTシャツを引っ張り風を送り込んだ。こうすれば少しは快適に思えた。
それから聖夜ははき古したスニーカーを動かし、民家が建ち並ぶ細い路地を黙々と歩いた。中学二年生がこんな時間にいたら不審がられて呼び止められるだろう。そう考えなるべく人通りの少ない道を選んでいた。
それでもヘッドライトに照らされ急いで民家の影に隠れた。
今は誰にも呼び止められたくないし、姿を見られたくはないのだ。
それを何度か繰り返しているうちに、たちまち植物の匂いに包まれた。民家をぬけて田園地帯へとやって来たのだ。
用水路から水の流れる音が聞こえ、草むらで虫たちが小さな声で鳴いている。車のエンジン音は遠くでこだますだけ。ここから先は人の気配を気にしなくてもいいのだ。
点々とついている街灯の明かりを頼りに蛇のように曲った細い道を歩き続け、ようやく目的の場所にたどりついた。歩行者用の小さな踏切だ。
頭上では黄ばんだ街灯の蛍光灯がついたり消えたりしながらこちらを照らしている。
聖夜は汗を吸った癖毛を気持ち悪そうにかくと、暗闇に浮かぶお地蔵様に気づき何げなく目を向けた。
古くなった石の表面には白緑色や緑茶色の苔が全体を覆うように生えている。粗末な扱いを受けているのか赤い頭巾は色あせてところどころ破れているし、供えられた花は横に寝かされ茶色くひからびていた。
よく祖母がこのお地蔵様を団子地蔵と呼び、行きかう人を見守ってくれていると言っていたが、確かにかろうじて左手に団子のようなものを持っているのはわかる。しかし風化が激しいせいか聖夜には全身が溶けた姿にしか見えない。
少し身震いすると聖夜は団子地蔵から目をそらした。ここが幽霊が出ると噂されているいわくつきの場所ということを思い出したのだ。
そのことを振り払うかのように踏切に顔を伸ばした。しかしまだお目当ての電車は来ないようだ。仕方なく聖夜は線路のわきにあるガードレールに両腕を置きもたれかかった。
あと一か月もしないうちに夏休みが終わってしまう。そうすればまたつらい日々の幕が上がる。
ここ最近、毎日のように学校に行くことばかりを考えてはひどく落ち込み、何も手につかない状態が続いているのだ。
聖夜にも何が原因かわからなかったが、ある日を境にクラス全員から無視され、ネットに自分の悪口が書かれるようになったのだ。両親や祖父母、それに担任の先生にも伝えたが何も解決しなかった。
聖夜は大きな溜息をつき、はいていたジャージのハーフパンツからポケットをまさぐり携帯電話を取り出した。そして慣れた手つきでコミュニティーサイトにつなぐと、あるページを開いた。
タイトルは “ ホーリーナイト祝いたい奴集合 ”。
この時ほど聖なる夜、などという名前を付けた両親を恨んだことはない。
暗がりの中、携帯電話のあかりに照らされた茶色の瞳は頻繁に更新される画面の奥を追っていた。
「あいつ死ねばいいのに ……か。わかってるよ」
白やオレンジの街灯が夜の世界をぼんやり照らしている。だが、すべてがモノクロにしか見えず、しだいに涙で視界がかすんでいく。
遠くから電車の明かりが小さく見えると遮断機が下り、警報音が忙しく鳴りだした。聖夜はためらいもなく遮断機をくぐると線路へ足を踏み入れた。
その瞬間、体の中を冷たい何かが風のように通り抜けるのを感じた。気づけば目の前に黒いもやのような塊がいる。そのもやはあっという間に一六〇センチ程度の聖夜を越していき、見上げるほど大きな人影へと姿を変えたのだ。
しかしこの黒い影がなんであるのか確かめる時間は残されていない。
黄色のライトが体中を包み、電車の汽笛が大きくなっていく。
「これで僕は死ぬんだ」
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