魔界カフェへようこそ

☆王子☆

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マイク

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 聞きなれたメロディが聞こえる。聖夜は枕元に置いてある携帯電話に手を伸ばした。画面に目をやると時計の数字はまだ早朝を示している。
 聖夜は携帯電話を布団の中に入れ、ぼやける目をこすりマイクから届いたメールを開いた。
『大きな悩みを一人で抱え込むのはよくないことだ。よく勇気を出して私に相談してくれたね。家族のことを心配する君の気持はよくわかる。さぞ、つらいだろう。それにいじめにもあっていたなんて苦しかっただろう』
 マイクのメールはさらに続く。
『そこで私なりに解決方法を考えてみたんだ。君には言っていなかったが、私は上級の魔人なんだ。膨大な魔力を操ることができる。そこで私の高度な魔力を使って、家族から君の記憶を消すんだ。そうすれば今のように家族を思い苦しむこともなくなるだろう。家族は君のことをすっかり忘れてしまうんだからね。そうすれば君はのんびり魔界にいられる』
 聖夜は寝ている頭で二、三回ほどそのメールを読み直した。まだ寝ぼけていて内容が頭に入ってこない。聖夜は布団にもぐったまま続きを読んだ。
『それに人間を殺そうとする野蛮な場所に君を置いておくのは危険すぎる。〈死のはざま〉はもっと素晴らしい場所だと思っていたのに残念だ。生きた少年を殺そうとするなんて。でも、私のところにくれば安心だ。私が経営している料理店で働くのはどうだい ?  私の魔力で延々の命を与えてあげよう。そうすれば人間界に帰る必要もなくなる』
 しだいに頭が冴えてくると聖夜はベッドから体を起した。
『すぐにとは言わない。しかしこの方法を試す価値は十分にあるはずだ。今後の君の行方を一緒に考えさせてくれ。ただし、この話しは誰にも話さない方がいい。誰かに話してまた殺されそうになったら大変だからね。もし興味があったら、返事をくれ。期待して待っているよ』
 メールを読み終えた聖夜は静かに携帯電話を置いた。
 人間界に帰る必要がないのは嬉しい知らせだったが、家族から自分の記憶を消すことを考えるとすぐに受け入れられるものではなかった。
 聖夜は気持ちを切り替えるよう頬を叩くと、支度をすませチョモランマとともに部屋を出た。扉のすぐ隣には壁に寄りかかり刀を抱えたまま、雪ノ盛が居眠りをしている。
「雪ノ盛さん、おはようございます」
 聖夜が声をかけると雪ノ盛はゆっくり体を動かした。
「おう、聖夜か。どうだ、ゆっくり眠れたか ?」
「全然、眠れなかったよ」
「そうか。わしもだ」
 そう言って雪ノ盛は両手を突き上げ大きなあくびをした。それから聖夜は朝食をとるために、雪ノ盛つれて厨房へ向かった。
 テーブルの上には朝からたくさんの皿が並んでいる。豆乳ラテ、ハムエッグ、そしてクラッカーに 十五種類のソース。チョモランマには乾燥したトウモロコシ、アーモンドが置かれている。
 驚いたのは雪ノ盛の分の朝食まで用意されていることだった。昨夜、色々あったがロビンは朝食をきっちり準備してくれていたのだ。
 雪ノ盛は自分に用意された朝食をご機嫌で眺め、思い切り鼻で息を吸っていた。聖夜は椅子に座り豆乳ラテを口にした。優しい甘さと香りが全身を包み、寝ている体を起してくれるようだ。
 そのまったりとした味を楽しむ聖夜だったが、ロビンの姿がどこにもないことに気づいた。そこで聖夜はロビンの寝床である角に目をやると、小さくなったロビンがひと塊になり休息している。
するとそこから一人だけ顔を出し、こちらの様子をうかがう小さなロビンがいた。ところが聖夜と目が合うとそのロビンは慌てて体を引っ込めてしまった。
 前日のことがあったせいなのか、聖夜たちが食事をとっている間、ロビンは塊の中から出てこようとはしなかった。
「して、聖夜。これからどうする ? 剣術の稽古でもやるか ?」
 クラッカーをバリバリ食べながら雪ノ盛が言った。
「うん、やりたいな」
「おお、そうかそうか。ならば、やろう !」
 朝食を食べ終えた聖夜は雪ノ盛との稽古をするため外へ出た。気持ちはどんよりと曇っていたが、体を動かせば気が紛れると思ったのだ。
 案の定、雪ノ盛と剣術の稽古を始めると、余計なことを考えずに午前中を使い切った。汗を流し、時おり笑うことで気持ちが楽になったのだ。
 それからロビンがこっそり用意してくれた昼食を食べると、予定がない二人は再び外に出た。
鳥の鳴く声が聞こえ、温かい風がそよぐ。朝の陽ざしを浴びながら、二人は〈死のはざま〉の正面にある階段に座った。隣にいる雪ノ盛といえば少しでも日影があればそこへはいろうとしていた。 しかし聖夜にとって三日に一度の日光浴は大切な時間だ。
「元の世界に戻った方がいいと思う?」
 聖夜はとうとつに雪ノ盛に聞いた。雪ノ盛の意見を聞いてみたかったのだ。
「当たり前だ。お前は生きているのだから、生きたものが住む世界に帰るべきだ」
 雪ノ盛は強いまなざしを向けながら言った。
「でも、しばらく帰れそうにないよ。ここで働かなきゃいけない」
「そうじゃ、そこが問題なんだ。どうにか、すぐにでも聖夜を元の世界に帰すことができたらいいのだが」
 沈黙が流れた。やはり雪ノ盛は聖夜が望んでいる答えとは違うことを言ってきた。また元の世界に戻っても、嫌なことが待ち構えているだけなのだ。聖夜は顔が熱くなるのを感じながら口を開いた。
「今すぐには帰りたくないよ」
「なぜじゃ ?」
「だって、またいじめられるから」
 そう言ったとたん、雪ノ盛は腹の底から大声を出して笑った。
「気合いが足りぬからいじめられるのじゃ !  それにおぬしはなよなよしている。もっとしゃきっとせい ! さすればいじめられることもなかろう」
「そんな簡単なことじゃないよ」
 聖夜は声を荒げると、雪ノ盛にさとられないような浅い溜息をついた。気合いでどうにかなる問題ではないのだ。何もわかっていないと感じた聖夜はポケットから携帯電話を取り出すと雪ノ盛に見せた。
「なんだ、それは ?」
 雪ノ盛は眉のしわを寄せながら携帯電話を見た。
「どうせわからないと思うけど ……」
 聖夜は雪ノ盛に遠くにいる人間と連絡を取る機械だと話した。そして雪ノ盛に通じるかどうかわからなかったが、携帯電話の中にあるもう一つの世界、インターネットのことを説明し、そこでもいじめられていると訴えたのだ。
 ところが雪ノ盛は考え込む様子もなく、あっさりと口を開いた。
「だったらそんな薄い板、見なければいいだろう」
「そ、そんなこと、できるわけないよ ! どんな悪口を書かれているのか、気になるんだよ。それってすごく大事なことなんだ」
「自分の悪口がそんなに大事か ? 言いたいやつには言わせておけばいいだろう。そんなものに目を向けてるからまだまだ器が小さいのだ。そんな板など捨ててしまえ !」
「嫌だよ。大事なデータだって入ってるし。これは必需品なんだ」
「何を言っている。悪口を書かれているというのにか ?  そんな板を見ている暇があるならば、剣術の稽古に励み己を鍛えるのだ」
「もういいよ、雪ノ盛さんには人間界のことなんてどうせわからないよ」
 腹を立てた聖夜は立ち上がると、雪ノ盛に背を向けた。
「いじめられたことのない雪ノ盛さんなんかに、僕の気持なんて絶対にわからない」
「おい、待て、聖夜 ! どこに行くのじゃ、まだ話しはおわっとらんぞ !」
 引き留めてくる雪ノ盛を無視して、聖夜はチョモランマを連れて自分の部屋へと戻ってきてしまった。怒りで握った拳が震えている。むしゃくしゃした聖夜は部屋に積んであったクッションを思いきり蹴とばした。
 それでもふつふつと怒りがこみあげてくる。雪ノ盛に話したのが間違いだった。そもそも武士がインターネットの世界など理解できるはずもないのだ。
 聖夜は怒りを殺すように頭を掻きながらベッドに座った。窓からは立ったまま動かない雪ノ盛が見える。雪ノ盛は〈死のはざま〉をしばらく眺めると、竹刀を持って林の奥へと消えていった。
どこへでも行ってしまえばいいと思いながら聖夜は窓から目を離すと、ベッドに寝転んだ。熱くなった頭の中に冷えた水が流れてくるかのようにマイクが言っていたことが巡っていた。家族から自分の記憶を消すのは寂しいが、マイクのところに行けば人間界に帰らずにすむ。もう二度といじめられることはないのだ。
 聖夜はポケットから携帯電話を取り出すと、マイクに次のようなメールを作り始めた。
『僕、決めました。家族のために記憶を消してください。そしてマイクさんのところに行きます。もう人間界には帰りません。よろしくお願いします』
 そのメールを送って数分後、マイクから返事が届いた。今からすぐに迎えに来るというのだ。
 聖夜は静かに携帯電話をポケットに戻すとチョモランマとタンクを見た。誰かにこのことを話して引き止められたりでもしたら、おじいさんになるまで〈死のはざま〉で働かなければいけなくなる。
「頭を冷やしに外の空気を浴びてくるよ」
「そうですか、お気をつけていってらっしゃい」
 聖夜はここから離れたいという衝動を抑えることができなかった。チョモランマとタンクに見送られ、本当のことを告げることなく聖夜は一人で部屋を出た。
 今の時間、〈死のはざま〉は休みだ。ミミズやスズメは部屋に入ったまま出てこない。それでも聖夜はなるべく静かに階段を下りると、一階へとやってきた。
 問題はそこからどうやって誰にも見られずに外へ出るかだった。厨房にはロビンがいる。正面の入口には防犯ブザーのサルのミイラが目を光らせていた。あそこから出ようとすれば、また叫び声が上がるだろう。それにあのミイラは絶対にドアを開けてはくれない。
 そこで聖夜は一階にあるトイレに入った。そこには小さな窓が備え付けてある。ここからなら誰にも見られる心配はない。
 聖夜は窓を開けると、体を滑らせ何とか店内から脱出した。そして開いた窓を閉めると、〈死のはざま〉の正面に向かった。
 そこからマイクを探すのは簡単だった。一本道の先に全身白いスーツを着た男が立っていたからだ。
 マイクは聖夜の姿を見ると親しげに片手をあげて合図をしてきた。それに応えるように聖夜は小走りでマイクに近寄った。
「よく来てくれたね。それでは行こうか」
 マイクは笑みを浮かべ肩に手を当てた。
「よろしくお願いします」
 聖夜は少し緊張しながら挨拶をした。これから新しい生活に飛び込むのだ。〈死のはざま〉に背を向けると、聖夜はマイクとともに一本道を歩いた。すると行く手をふさぐかのように真っ白い霧がかかり始めた。先も見通せないほど濃い霧だ。
 聖夜は周囲を見まわした。初めて〈死のはざま〉に来た時にたしかこのあたりで倒れていたはずだ。その時も今と同じように濃い霧がかかっていた。
「僕、この先の道を知らないんです」
「ほう、それはどうしてだい ?  まさか〈死のはざま〉から一歩も出ていないなんて言わないだろ」
 二人は話しながら霧へと入って行った。白いモヤが聖夜とマイクを包んでいく。その中で聖夜はマイクの青い瞳を見つめ言葉を口にした。
「それに近いかもしれません。仕入れの時は皆と一緒に出かけるけど、それ以外はカフェの中で過ごしてました。一人で出歩くのは危険だからって ……」
「なるほど」
 マイクはあごさすった。
「確かに魔界は危険な場所だ。生きた人間は特に狙われやすいからね。でも、つきそいがいれば問題はない。これから先は君の知らない世界だ」
 白い霧をぬけるとそこには四つに分かれた道があった。道の先は暗闇で何も見えないが、一番右端の道を迷わず進んでいくマイクに聖夜は小走りで後をついていった。
 しばらく歩くと、道の真ん中に置いてある気味の悪い石像の前にやってきた。体育座りをした頭の大きな石像だ。道はそこで終っていて、石像の裏は林になっていた。聖夜とマイクが近づくと、 石像は閉じてある瞳を見開き口を大きく広げた。
「君はこの石像を使った移動手段を知っているかい ?」
「はい。何回か石像を使って、いろんな場所に行きました」
「よろしい」
 そういうとマイクは手を差し出してきた。
「手をつないで。はぐれないように。この移動手段は生きた人間だけでは使えないからね」
 そう言われ聖夜はふと思い出した。石像を使って別の場所に移動するとき、かならずロ消えビンが肩に乗っていたからだ。生きた人間が魔界で生活するのにはいろいろな不便があると思いながら聖夜はマイクの手を握った。
 そして不気味な石像に向かって歩いていく。ぶつかりそうになる瞬間、ふわりと胃が浮き上がる感覚が走った。目の前の景色がゆがみ、めまいのような不快感に聖夜はたちまち目を閉じた。
 その感覚がなくなると静かにまぶたを広げた。視界に映るのは薄暗い林道だ。見上げると月も星も出ていない真っ暗闇の空間が広がっている。どうやら石像を使って無事に移動できたようだ。
 まばらに設置されている古い街灯の明りをたよりに聖夜はマイクとともに林道を歩いた。無言のまましばらく歩き続けると、闇の空を何本ものライトの筋が照らしている。さらに先へ進むと聖夜はきらびやかな色彩に目を奪われた。
「あそこが私の自慢の店、赤丸屋だ」
 黒い林の陰の上、そこから豪華絢爛な朱色の五重の塔が顔を出していたのだ。マイクは満面の笑みを浮かべ五重の塔を指さしている。
「すごく豪華ですね」
「そうだろ。見た目は重要だからね。さぁ、もう少しで店に着く」
 それから赤丸屋の裏口へと着いた時、聖夜はマイクが自分の店を自慢したくなるのがよくわかった。天高くそびえる五重の塔は店とは思えないくらい美しい建築物だった。それに〈死のはざま〉とは比べものにならないほど豪華で大きい。
「この店は魔界の住人たちに食事を提供しているんだ。裏口からで申し訳ないが、さぁ、ここから入って」
 マイクは扉を開けると、聖夜を先に店の中へと入れてくれた。すると聖夜はとたんに懐かしさを覚えた。店内の造りが日本そのものだったからだ。
「店は一階で営業しているんだ。どうだい、なかなかきれいな店だろ ?」
「はい、日本的な感じで落ち着きます」
「それはよかった」
 マイクにそう伝えたものの、やはりここは魔界だということを思い知らされた。いくら日本のような造りに故郷を思い出しても、そこを利用している生き物たちは人間の姿と大きくかけ離れているからだ。
 厨房にいる料理人は大きな豚だし、カウンター席に座っているのは全身緑色の毛におおわれた怪獣だ。鋭い牙が八本も口に並んでいる。その怪獣は酔っているのか、恐ろしい咆哮をあげてテーブルに倒れこんだ。
 そのほかにもゾンビの客がいたり、触手を伸ばす一つ目の球体がいたりと、その様子に日本の懐かしさは一瞬で消えていた。
「……グレゴリウス ! グレゴリウスはいるか」
 マイクは強い口調で誰かの名前を呼んだ。聖夜はおとなしくその様子を見ていると、ものが崩れるような音とともにマイクの隣に赤黒い肌をした小鬼が姿を現した。
「お呼びでしょうか、マイク様」
 グレゴリウスは頭を深々と下げ、しゃがれた声で言った。
「彼は私の大事な友人だ」
 マイクはグレゴリウスに見えるように聖夜を指差した。聖夜は小鬼の頭の薄い毛を見ながら小さくお辞儀をしたが、グレゴリウスはこちらを一目も見ようとはしない。
「彼にこの敷地内の案内を頼みたいんだが、あの二匹のハエたちはいるか?」
「はい。直ちに、呼んでまいります」
 そう言ってグレゴリウスはコウモリのような翼をはためかせ、音をたてながら姿を消した。それから数分後、再び同じ音をたてながら戻ってきた。するとグレゴリウスは何かを大事そうに手に包んでいる。その手をゆっくり広げるとハエが二匹、勢いよく飛び出してきた。
「おう、こいつが噂の新人だな ! よろしくな、俺様はマーケ」
「オイラはビケだよ。よろしくね」
 聖夜の周りを飛びながら二匹のハエが言った。あまりに顔の近くに飛んでくるので、聖夜は思わず手を払ってハエたちをよけた。
「聖夜君、悪いが、私は用事があってね。ここから先はこの二匹に案内を頼んでいるんだ。わからないことがあったら、何でもこの二匹に聞いてくれ。おまえたち、しっかり案内するんだぞ」
「はい、かしこまりました !」
 二匹のハエはマイクに向かって敬礼している。それからマイクはグレゴリウスとともに二階へ続く階段をあがってしまった。
 その場に残された聖夜はよく飛び回るハエを見た。ハエでは少し心細い気もしたが、どうにもならない。聖夜は二匹のハエに向き直った。
「よろしくね、僕は聖夜」
「おう !  それじゃ、さっさとこの店の紹介をすませちまおうぜ」
 聖夜の目の前にやってきたマーケは小うるさく飛びながら話しを続ける。
「ここの店のかなめ、調理人の黒豚だ」
 マーケは湯気を浴びながら何かを調理している大きな黒い豚を指さし言った。
「実は自分の足をつっこんでだしをとってるって話しだ。見た目はあれだが、料理の腕は一級品だ」
「そして、この店の一番の美人ウエイトレス … …」
 次にビケが目の前を飛んできた。
「ヒフミさんこと、姐さん !」
 ビケは料理を運ぶ女が見えるように言った。しかしヒフミを見た聖夜は目を凝らした。そのふくよかな姿に派手な化粧、どう見ても聖夜にとって美しい女性には映らなかったのだ。しかしビケは聖夜の周りをしつこく飛ぶとヒフミの美しさについて、聞いてもいないのに語り出した。そこで聖夜はビケの話しを軽く聞き流し、淡々と店の様子を説明するマーケの声に耳を傾けた。
「あとはだな、二階から上は関係者以外立ち入り禁止なんだ。俺様たちも白頭様に用事があるとき以外はほとんど入れない。お前は新人だから絶対に入れないな」
「白頭さまって誰 ?」
「い、いや。お前には関係のないお人だ ! とりあえず、この場所の説明は終わった。次は外にいくぞ」
 白頭という名前に聖夜は興味を持ったが、マーケといえばビケを引き連れそそくさと店の裏口から出て行ってしまった。仕方なく聖夜は小さいハエを見失わないように目を凝らしながらあとをついていった。
 店の裏口を進んでいくと、そこには広大な敷地が広がっていた。足元には短く刈られた芝生が生え、花壇もあり木々がきれいに手入れされている。どうやらここは裏庭のようだ。
 庭には植木のオブジェがいくつも並んでいるのが見えた。どれも同じ形に造られていたが、聖夜はあまりいい趣味とは思えなかった。上半身は人間で、下半身はコオロギのような虫の姿をしていたからだ。
 そんな悪趣味のオブジェを際立たせるかのように、小さな丸い街灯が暗闇を柔らかく照らしていた。よく見ると街灯は黒く長い六本の足を動かし、自由気ままに裏庭をあちこち歩いている。
 するとどこからともなくフクロウの鳴く声が聞えた。それに時おり、森の奥で獣が雄たけびをあげるのだ。その恐ろしい声が聖夜を不安にさせた。
 その時、聖夜は太ももに異変を感じた。何かが動くようにくすぐったく感じたのだ。聖夜は暗がりの中ズボンを触ると、こともあろうに充電虫がポケットから抜け出し服の上を歩いていたのだ。
慌ててつかもうとしたが、充電虫は聖夜の手から逃げるように芝生の上へジャンプしたのだ。そしてあっという間に暗やみへと消えてしまった。そのあまりの素早さに聖夜は何もできず茫然とするばかりだ。すると今度は耳元で声が聞えた。
「ねぇねえ、少しなめてもいい ?」
 知らぬ間にビケが肩にとまっている。
「なめるってどういうこと ?」
「君をなめるってこと ! だって生きた人間って味がするでしょ」
「嫌だよ」
 聖夜は空いている手でビケを払った。今はそんなことより充電虫を逃がしてしまったことで頭がいっぱいなのだ。
 ところがビケといえば聖夜に追い払われてもなんのその。空中を一回転するとすぐにまた聖夜に戻ってきた。何度払っても顔めがけてやってくるので、仕方なく聖夜は腕を突き出した。
「一回だけだよ」
「え、いいの !? やったー !」
 ハエになめられるなんていい気分はしないが、一回なめさせれば満足すると考えたのだ。ビケはすぐさま腕にとまり、何度も舌を出したりしまったりを繰り返した。
「うわー ! 本当だ、味がする ! オイラ、君の味、嫌いじゃないよ」
 そう言ってビケはその場から動かず、はりついたままだ。ハエの足が皮膚に止まる感触が気持ち悪くなった聖夜は我慢ができず腕を払った。
「ところで、どこに向かっているの ?」
 聖夜は前を飛ぶマーケに声をかけた。
「言っただろ、この敷地を案内するって。とりあえず俺様たちに着いてこい」
 そう話すマーケの先へと目を凝らすと、横長の建物が見えていた。小さな明りはついているが、全体的に暗く人がいるような気配がない。ほかに目ぼしい建物もないことから、どうやらそこへ向かっているようだ。
 その途中、カートを押す魔界人とすれ違った。頭に巻き貝の殻をかぶっているが、殻の下にある皮膚はたれさがり、目がどこにあるのかわからない。顔の横から二本の触角を動かしている。不気味な姿だ。
 その魔界人が通り過ぎると泥臭い匂いが漂い、食べ物が腐ったような強烈な悪臭が鼻をついた。
「とってもいい匂い ! いつもタニシは美味しそうな匂いをしてるね」
 顔をゆがめる聖夜の隣でビケが言った。ハエにとってはいい匂いなのだろうが、人間には耐えられない。
「あれは誰なの ?」
「タニシだよ。ここの雑用係をしてて、何でもやってくれるんだ。今は店で出す食料を運んでいたんだよ。タニシって何でもできるけど無口なんだよね。いくら話しかけても変な声を出すだけで話してくれないんだ」
「へえ、そうなんだ」
 あの強烈な匂いの食料を考えると震えがきた。一体どんなものを店で出しているのか想像したくもない。
 そんなこと考えているうちに建物の前にやってきた。コンクリートを打ちつけたままの粗い壁。黒くなったクモの巣が垂れ下がり、壁にはひびがたくさん入っている。その入り口に立つと古びた木の扉があり、粗末な裸電球がぶら下がっていた。
「ボタンが押せないから、代わりに押してくれ」
 聖夜はハエにかわり、建物につけられているブザーを鳴らした。建物の奥で鈍い音が聞こえ扉が開いた。しかし扉の先には誰もいない。どうやら無人のようだ。
 ハエたちのあとをついていくと、外見と同様に建物の中も粗末な電球が垂れ下がっていた。それに部屋がたくさんあるのが見える。ここは何かの施設なのだろうか。誰かが暮らしているという場所ではなさそうだ。
 消毒液の匂いと一緒に血肉のような獣のような異様な匂いが漂っている。
穴が開き、薄くなった紅いじゅうたんが敷かれたエントランス。そこから左右に延びる廊下と中央にもう一本、長い廊下があった。その廊下の前には槍を持った小鬼が二人立っていた。頭には兜をつけ甲冑を身にまとっている。
「こっちだ」
 マーケはぶっきら棒に聖夜にそう言うと、ビケと一緒にその小鬼の前を通りすぎていった。聖夜もハエたちと同じように小鬼の前を歩くと、こちらを睨むような顔をしているのがわかった。歓迎されている雰囲気もなく、あまりいい気分はしない。
 小鬼の前を過ぎると、肌寒い廊下を歩いた。やけに靴音が響く。獣のような匂いはきつくなり、恐ろしいうめき声が聞こえている。
「この声は何 ?」
 聖夜は廊下の左右にいくつもある、鉄格子のされた扉を見ながらマーケに声をかけた。どの部屋からも恐怖をあおるような声が響いてくるのだ。しかし小さな鉄格子しからでは中の様子が全く見えない。
「ここにいる連中もお前と同じように、赤丸屋で働いている従業員さ。まぁ、ちょっと寝言がひどい奴らなんだ。それにどこに向かっているか、教えてやろう。お前の寝床さ」
 マーケが立ちどまったその先は廊下の終わり。一番最後の部屋だった。
「この扉を開けてくれ」
 マーケにそう言われ聖夜は鉄の扉の取っ手を握った。ゆっくり押しながら、全身に力を入れた。分厚く重い扉がさびついた音をたてながら開いた。やっとのことでその扉をあけると、聖夜はハエたちとともに中に入った。
 裸電球が一つだけたれさがり、コンクリートが打たれたままの狭く暗い場所。コンクリートの固いベッド。そこに一枚だけ薄汚れた毛布が置かれている。さらに洋式のトイレに洗面台まで設置されていた。
「ここが僕の寝床 ?」
 まるで囚人が入るような部屋に聖夜はつぶやいた。
その時、突然大きな音が聞えた。鉄の重い扉がひとりでにしまったのだ。それと同時にカギがかかるような金属音が鳴っている。まさかと思い聖夜は全身に力を入れて扉を引いたが、びくともしない。
「一体どういうこと ?」
 聖夜はハエたちに言った。
「知るか !  お前をこの部屋に入れろと言われただけだ。俺たちがいるって言うのに鍵までかけるってどういうことだ ! ?」
「マーケ、まずいよ。だってここの監禁室、窓がないんだから !」
「ちょっと待って、監禁室ってどういうこと ?」
 するとハエたちが答える前に、扉から女の声が聞えた。
「小バエちゃんたち、ごめんなさい。あなたたちがいることわからなかったの。でも、今この扉をあけちゃったら、白頭様の大事な坊やが逃げちゃうから開けられないの。許してね」
 次にその女は聖夜に声をかけてきた。
「坊や、あなたは白頭様の大事なお客様なの。白頭様はまだ来れないからそこでおとなしく待っていてね」
「どういうことですか、あなたは誰ですか ?」
 聖夜は声を荒げたずねたが、返答はなくハイヒールの音がどんどん遠ざかっていくのが聞えた。

 あれから数時間がたとうとしていた。マーケとビケにどうして閉じ込められているのか問いただしたが、二匹は何も話そうとはしなかった。それどころかマーケは悪態をつき、ビケは無視を貫いていたのだ。
 そこで聖夜はマイクに事情を聞こうと何度かメールを送った。しかしいくら待っても返事が来ないのだ。そこで仕方なく聖夜は携帯電話の電源を落とした。充電虫を逃がしてしまい充電ができないからだ。
 携帯電話を使えなければ何もやることがない。聖夜は固いベッドに横になってみたものの、寝心地は最悪だ。そこで用意されていた毛布を丸めて枕にしたのだが、どうにもけば立ち首のあたりがチクチクと痛い。おまけに獣のような異臭に聖夜はその毛布を遠ざけると、結局自分の腕を枕にした。
 時間ばかりが無駄に過ぎ行く中で、聖夜は途方に暮れながら裸電球のオレンジ色の弱々しい明かりを眺めていた。一緒に閉じ込められているハエたちの羽の音に話し声が絶え間なく耳に入る。とても耳障りだ。この二匹には沈黙という言葉がないのだろう。
 それにくわえて気を緩めると、必ずと言っていいほどビケがなめようと近寄ってくるのだ。あまりのしつこさに苛立ちながら、聖夜は頻繁にビケを追い払った。自分をハエになめさせるのはやはり不快だ。
 相変わらず監禁室の外からは苦しそうな唸り声や、断末魔のような叫び声が絶えず響きわたっていた。まれに静かな時間が訪れるのだが、がらがらした声の話し声が聞えたり、いろんな足音が廊下を歩いていた。決まって食器のぶつかる音がすると、扉が開く音が聞こえ、また唸り声や叫び声がこだます。
 聖夜が閉じ込められてから数時間の間、こんなことが連続で起こっていた。もちろんそんな状況の中で落ち着いて過ごすなどできるわけがない。苦しそうな唸り声は聖夜の不安をよりいっそうかきたてたのだ。
 聖夜はそんな不安をかき消そうと、節約中の携帯電話を手に取った。今ごろ〈死のはざま〉の皆は自分がいなくなったことに気づいているのだろうか。誰にも何も告げず飛び出して来てしまったばかりに、自分がこんなところに閉じ込められていることなど想像もつかないはずだ。
 それでも雪ノ盛と言い争ったことが脳裏をよぎり、苛立ちが深い溜息となって出た。
 すると扉から叩く音がきこえ聖夜の体はびくりと反応した。聖夜は体を起し音に目を向けると、扉の下が溶け出したようにぐにゃりと変形し始めた。さらにそこから何かがこちらに入ってこようとしている。しばらく様子を見ていると溶けだしたような扉から、プレートに乗った食べ物と飲み物が入ってきた。
「白頭様からの差し入れだ。ありがたく食べろ」
 扉の向こうからマイクと一緒にいたグレゴリウスのしゃがれた声が聞えた。
「白頭って誰なのか教えてください !  マイクさんはどこにいるんですか ?  会わせてください !」
 聖夜は扉を叩きながら大声を出した。しかし返事が返ってくることはない。
 仕方なく足元に置かれた食事に目をやると、そのひどいありさまに眉をつりあげた。プレートにはスープ用の大きな皿にコッペパンが一つ。そしてコップが置かれていた。スープ用の皿にはドロドロに溶けた薄茶色の食べ物に豆腐のようなものが混ざっている。ためしにスプーンですくってみたのだが、鼻を刺す匂いにとても食べる気にならない。
 そこでコッペパンを手に取ってみたが、スカスカで堅い。何日間も放置していたようなパンだ。
聖夜は食べることをあきらめコップに手を伸ばした。しかしすぐさま動きを止めた。中には水が入っていたのだが、小さな虫の死骸に白いカスがたくさん浮いているのだ。聖夜は何も口にすることなく静かにコップを置いた。
「ねぇねぇ、これ食べないの ?」
 するとビケが近寄り話しかけてきた。
「食べない」
「それじゃあ、もらってもいい ?」
「いいよ、あげる。好きなだけ食べて」
「本当 !? ありがとう !」
 どうせ人間が口にできるものではない。聖夜はビケに食事を譲ると、マーケもやってきてドロドロのスープに足をつっこんでいた。どうやらハエにはご馳走のようで、二匹は喜んで食べていた。
 聖夜は固いベッドに戻ると恐ろしい断末魔が聞こえる中、聖夜は体を丸くし目を閉じた。
 それからどれくらいの時間が過ぎただろうか、少しくらいは眠りに落ちていた気がする。浅い眠りの中、再び夢に落ちようとした時だ。突然、激しい耳鳴りに襲われた。
 それと同時に体中の筋肉がこわばり、どんなに動かそうとしても体がいうことをきかない。さらに何も見えない真っ黒い闇のなかで、男の唸り声が聞える。聖夜は恐怖にかられたが、逃げ出すことはできない。しだいに唸り声は頭の中で鳴り続けるとぶつぶつと何かを話しているように聞こえ始めた。
(に、にげ… …)
 耳元でしわがれた声が何かを言っている。聖夜は一秒でも早く体を動かそうと力を込めた。
( こ … … こ、から、に…… げろ。逃げろ !)
 これは聞き間違いではない。確実に誰かが耳元で話しかけてきている。そこで聖夜は恐る恐る、心の中で話しかけた。
(今、逃げろって言った ?)
(ああ … …。言った、言ったとも)
 聖夜の問いに男が応えた。
(君も白頭に願いをかなえてやると言われ、ここに来たんだろう)
(白頭 ?  知らないよ。僕はマイクという人にここに連れてきてもらったんだ)
(違う、それはマイクではない、白頭だ ) 
(白頭ってよく聞くけど、一体誰なの ?) 
(白頭は恐ろしい魔人だ。人間が欲しいものを何でもくれる。そして最後には永遠の命を与えてやるといい、欲にかられた人間たちをここに連れてくるんだ。ここに来たら最後、逃げ出すことはできない。その人間たちは何度も若く甦させられ、魔物の食い物にされるんだ)
 男は恐ろしいほどかすれた声をあげながら言った。
(しかし君は特別なんだ。そう、ここに連れてこられた若者は白頭にとって皆特別なんだ。まだ間に合う。どんなことをしてでもいい、早くここから逃げるんだ)
(無理だよ、逃げられない。鍵だってかけられてるし ……)
(私は遠い昔、金、権力、名声。そのすべてを欲するあまり白頭に魂を売った。すべてを手に入れ好きなだけ欲におぼれ、気がついたときには老人になっていた。ありとあらゆる富を手に入れたというのに、老いには勝てなかった。そこで私は再び白頭に願った。若さが、永遠の命が欲しいと。白頭はその願いをかなえてやるといい、私はすぐにその話しに飛びついた。そして私は白頭に言われるがままここにやって来た。しかしそれは私にとって地獄の始まりだった。人間をおとしいれるために仕組まれた罠に私ははまったんだ。真っ暗な部屋の中、たった一人閉じこめられ、血肉を奴らに渡しては若返らせられる。死にそうになっても死なせてもらえず永遠に繰り返される毎日。いいかい、君は白頭の手元にいるべきではない。必ずチャンスはやってくる。ここから逃げて生きるんだ― ―) 
 話しの途中で鉄の扉がゆっくり開く音が聞えた。誰かが監禁室の中に入ってきたようだ。すると話し声はやみ、聖夜の体を硬直させていた金縛りも解けた。
 聖夜は重い体を起した。頭や目が回転している。
「長いこと待たせてすまなかった」
 するとマイクの声が聞えた。マイクは葉巻をかじり、鉄の扉によりかかりながら満面の笑みを浮かべている。
「あの、本当にここで働けるんですか ?」
「ああ、もちろんだ」
 鉄の重い扉が鳴きながら閉まった。
「だったら、どうしてこんな所に僕を閉じ込めたりするんですか ?」
「閉じ込めたりなんかしていない。この場所は君が知っている〈死のはざま〉みたいな幼稚な場所とは違うんだ。恐ろしい世界に怯えて逃げないように、ここで待っていてもらったんだよ。突然逃げ出して誰かに食べられたりでもしたら大変だからね」
「でも、ここは監禁室だってハエたちが言ってましたよ」
 聖夜の言葉にマーケがビケを小突いているのが目に入った。マイクもその様子を見ている。
「まったく、話しをややこしくするのが好きなハエたちだな。まぁ、いいだろう。よく聞くんだ、君を守るなら私は監禁室だって使うさ」
 そう言ってマイクは聖夜に近づいてくると、頬に白い手を近づけてきた。しかし先ほどの男の話しを聞いて、怪しく思えた聖夜はその手をよけた。マイクの顔は異様なまでに白く、瞳をぎらつかせ聖夜を見つめている。
「本当に君は純粋な少年だ … …あぁ、もう、我慢が、できない ― ―」
 マイクは息を荒げると、白に変色していく顔を手で押さえた。するとその手もみるみる白くなり、沸騰したように泡が弾け変形を始めたのだ。
 もはや自分で制御できないのか、マイクの全身は軟体動物のようにうねりながら服を引き裂き膨らんでいく。マイクの澄んだ美しい声はかすれ、苦々しい笑い声が飛んでくる。
 ようやく奇妙なダンスが終わると、そこにいたのは人間の形をしたマイクではなかった。
 監禁室にいっぱいになるほどの大きな体。頭に髪の毛は一本もなく、真っ白くむきだしの頭皮。その頭は異様に大きく、ぎょろりとした深い茶色の目が聖夜を見下していた。
「アハハハハ、まったく、人間の姿なんて窮屈で仕方がない」
 その化け物は監禁室に響くほどの大声を出して言った。上半身はタキシードを着た人間の姿をしているが、下半身はでっぷりとした昆虫の腹がくっついている。不気味に動く六本の足。裏庭で見たオブジェと同じ姿だ。
「……マイクさん ?」
「バーカ。このお方は白頭様だ。マイクとは白頭様の仮の姿だ。本当の白頭様の姿はこっちだ」
 意気込んだマーケは聖夜の周りを飛びながら言った。
「そんな。だってそんな話し聞いてないよ」
「当たり前だ。お前に言うわけないだろ。だって今からお前は白頭様のディナーになるんだからな」
「え ?」
 その瞬間、聖夜は横から殴られたような強い衝撃を受けベッドに倒れた。胸が苦しく、うまく息が吸えない。すると全身を冷たい何かに包まれた。白頭の大きな手だ。
「お前の血肉は俺様の魔力を上げる魔法の食べ物。あぁ、うまそうだ。どこからいこうか」
 白頭は顔を近づけてきた。どぶのような匂いがする。聖夜は白頭の手から逃れようと必死にもがいた。しかしもがけばもがくほど白頭はわざと強く握りしめ、聖夜が苦しむ姿に笑っている。
「く、苦しい … …」
「さて、決めたぞ。まずはこの細い腕から頂こう」
 そう言って白頭は聖夜の腕を握ると、わざとねじってみせた。
「うぅ」
 聖夜は痛みで顔をゆがめた。白頭はその様子を満足げに眺めると、口を大きく広げた。聖夜の腕が白頭の白い歯に吸い込まれていく。
「やめて、やめ ― ―」
 どんなに力を入れても逃げることができない。聖夜は血の気が引いていくのを感じた。このままでは腕がなくなってしまう。
 するとその時、鉄の扉が音をたて開いた。
「白頭様、大変です」
 頭に兜をつけた小鬼が息を切らしている。しかし白頭は瞬間湯沸かし器のように白い頭に血管を浮き上がらせると、血走った目をその小鬼に向けた。
「貴様、俺様の大事な時間を台無しにする気か。この時間を邪魔する奴は誰であっても許さん。お前を役立たずの虫けらに変えてやる」
「し、しかし、侵入者が !  生きた人間を取り戻すといって、こちらに向かってきています」
「なんだと … … ?」
 その直後、廊下から慌ただしい物音にまざって遠くから雪ノ盛の声が聞こえた。助けがきた、そう思った聖夜はとっさに口を開いた。
「雪の ― ―」
 しかし聖夜は白頭に口をふさがれた。遠くからミミズやタンクの声も聞こえているが、白頭の分厚く大きな手が邪魔をして、一言も声を出すことができない。
「駄目じゃないか、助けを呼ぼうとしては。お前は絶対に渡さん」
 白頭は聖夜にそう言うと、小鬼に向かって叫んだ。
「この扉を閉めろ !  俺は外出中とでも言っておけ。絶対にここに入れるな。そしてさっさと〈死のはざま〉の連中を追い出してしまえ」
「は !」
 小鬼は返事をすると扉に手をかけた。やっと開いた重い鉄の扉がゆっくりと音をたてて再び閉まってしまった。
「ゆっくり楽しむつもりだったが、そうはさせてもらえないようだ。残念だが、さっさとお前を食べるしかなさそうだ。お前を食ってしまえば奴らは何もできず諦めて帰るだろう。そして俺は今まで以上に魔力をあげることができる」
 白頭の手が首に食い込んできた。たちまち喉をつぶされるような痛みと苦しさに聖夜の顔は赤くなった。息ができず、意識が遠のいてゆく。するとぼやけた視界にチョモランマの姿が映った。
「… … チョ、チョモランマ ?」
 こんなところにチョモランマがいるはずがない。幻覚なのだろう。しかしそれでもよかった。最後にチョモランマが見送りに来てくれるならまだ救われる。
 ところが目の前でちょろちょろと動くチョモランマは口を大きく開けると、思い切り白頭の手にかみついた。
「ぎゃあああぁぁ」
 笑顔だった白頭の顔は瞬時に苦悶の表情に変わり、首を絞めていた手が緩んだ。そのすきに聖夜は白頭の手から逃れると床に倒れ込んだ。咳こみながら痛む喉を押さえ、体中に酸素がいきわたるように大きく息を吸った。酸欠だった体が甦るようだ。
 すると聖夜のところにチョモランマがやってきた。
「キッ !」
 チョモランマは聖夜に向かって声を上げた。幻覚などではないようだ。
「いつの間にここに?」
 聖夜の問いにチョモランマは鉄の扉を指さしている。どうやら扉が開いた瞬間に侵入していたようだ。
「ありがとう、助かったよ」
 聖夜はそっとチョモランマに手を伸ばすと肩に乗せた。その一方で白頭は煮えたぎったように体をわなわなと震わせていた。
「この生意気なネズミめ。よくも雑魚の分際で俺様の手をかじりやがったな。お前もついでに食ってやる !」
 白頭はチョモランマに咬まれた手を押さえ絶叫した。よほど思い切りかんだのだろう。緑色の血液が滴り落ちている。白頭は血管を浮き上がらせ、怒りに震えながら聖夜との距離を縮めてきた。
 肩の上でチョモランマが「ジー、ジー」と怒った声を出し鳴いている。少しでも隙を見せればまたつかまってしまう。ただならぬ緊張感が聖夜を包んだ。
 すると緊迫した空気をかきみだすかのように鉄の扉が音をたて鳴り出した。誰かが叩いているようだが、それにしても騒々しい。まるで扉を殴っているかのようだ。
「何回言わせればわかっているんだ! 俺の邪魔をする奴は誰であろうと絶対に許さん」
 たまらず白頭が怒鳴ったが外からは何の反応もない。代わりに扉を叩く音が激しさを増すばかりだ。
「うるさい奴らだ … …、そんなに虫けらになりたいのか ― ―」
 白頭がそういった直後、扉が大きな音を立てて爆発した。あまりに突然のことによける暇もない。鉄の破片が体に当たり聖夜は爆風を浴びた。
「やっと破壊できました」
 きれいになくなった扉。そこにシルクハットを深々とかぶるミミズの姿があった。
「貴様、俺の城に勝手に入り込んでくるとは … … 許さん、許さんぞ」
「そう言われましても、僕のお店の従業員を勝手に食べられては困ります」
 白頭は怒りに震える一方、ミミズはほがらかに答えると指を鳴らした。そのとたん、白頭の目の前で空気が爆発した。白頭の顔はみるみる煙に巻かれていく。
「なんだ、この煙は ! 前が、前が見えない」
「聖夜さん、今のうちです。さぁ、早く !」
 ミミズが手招きをしているのが見える。ヘビのように巻きつく煙に白頭は身動きが取れない。そのすきに聖夜は白頭から生える何本もの足をかいくぐり監禁室から飛び出した。
「間に合ってよかった。食べられていたらどうしようかと思いました」
 ミミズは胸に手をあて安どの表情を聖夜に向けた。
「助けてくれてありがとうございます。僕、迷惑を――」
「お気になさらずに。それよりも早くここから逃げましょう。この先に皆がいます」
「こざかしい真似をしやがって ! その小僧は俺のものだ。渡すものか !」
 白頭は狂ったように暴れ、煙を振り払おうとしている。
「ゆっくりしている時間はありません」
 煙はしだいに薄くなっていく。聖夜はミミズとともに唸り声が響く廊下を駆け抜けた。
「どうして僕がここにいるってわかったんですか ?」
 聖夜は走りながらミミズに聞いた。
「聖夜さんがいなくなったことをチョモランマさんとタンクにお聞きしたんです。そこで聖夜さんがマイクという方とやりとりをしていることを知りました。手掛かりがない僕たちはマイクさんを探すことにしたんです。そうしているうちに赤丸屋に行きつきました。赤丸屋といえば白頭の料理店。そこでピンと来たんです」
 ミミズは息も切らさず話しを続けた。
「実は以前から白頭に〈死のはざま〉に迷い込んできた生きた人間をくれないかと言われていたんです。しかしながら、個人的に彼のことが好きじゃないのでお断りしていました。昔そんなことがあったものですから、赤丸屋にたどり着いたとき、もしかして白頭が聖夜さんを誘拐したのではないかと思ったんです。それで、赤丸屋を強制的に調べさせてもらったところ、聖夜さんを見つけたというわけなんです」
 二人はエントランスにでた。雪ノ盛にスズメ、それにタンクの姿に心が緩んだのもつかの間、一瞬でこの状況が良くないことがわかった。
 大勢の小鬼に魔界人たちが周りを取り囲んでいたからだ。
「おやおや、これはいけませんね」
 ミミズは立ち止りあごさすった。周りにいる小鬼たちは耳をふさぎたくなるような汚い言葉を飛ばしている。そんな中、刀を構えた雪ノ盛が横歩きをしながら近づいてきた。
「聖夜、生きていてよかった !」
 雪ノ盛は鋭い眼光を小鬼たちに向けたまま口を動かした。
「雪ノ盛さん、ごめんなさい」
「何を謝っている。食われてなくて本当に良かった。とにかく今はここから退散することを考えよう」
 聖夜は小さくうなずいた。こうしている間にも砂糖に群がるアリのように白頭の部下が次々と集結していたのだ。その様子にミミズが言葉を漏らした。
「まさか、こんなに部下がいるとは思いもしませんでした」
「何か逃げ出す方法はないんですか ?」
「そうですね ――」
 聖夜がたずねた直後、白頭の怒声がミミズの言葉をかき消した。
「ミミズの分際で、こざかしい魔術など使いおって !」
 薄暗い廊下で白頭は目を血走らせている。
「全く腹が立つ奴らだ。俺の獲物に手を出すとどうなるか思い知らせてやる。いいか、そこの小僧を食った後、お前ら全員、俺の奴隷にしてやる」
「奴隷ですって!? わたくしは奴隷になんか絶対に意地でもなりたくありません !」
 すると後ろからタンクの声が聞えた。タンクは臆することなく白頭の前へ出ていくと、こっそり聖夜にウインクをしてみせた。
「だから言ったじゃありませんか、白頭のような強力な魔人にかなうわけがないって !やっぱり初めから白頭様にお使いすればよかった」
「ほう、こんなクズの中にもまともな奴がいたのか」
「こんなクズとは一緒にされたくありません !  前から嫌気がさしていたんですよ。クズと一緒にいるよりも白頭様のほうがずっとずっと魅力的 !」
「面白いことをいう奴だ」
 タンクが白頭の目をそらしているすきにミミズがこっそり話しかけてきた。
「こうなったら最終手段です」
「最終手段 ?」
「えぇ、そうです。聖夜さんが白頭を退治するんです」
 聖夜はミミズの口から出た言葉に耳を疑った。
「そんなの無理です ! だって相手は魔人ですよ」
 たったいま自分を食べようとしていた魔人を退治するなど考えるだけで血が凍る。しかしミミズといえば相変わらず緊張感のない口調で話を続けた。
「本当だったら、聖夜さんを奪い返したあとさっさと逃げるつもりだったんです。しかし予想以上に部下に囲まれてしまって、僕やスズメの魔力を合わせても足りそうにありません。このままでは捕まってしまうのも時間の問題。僕たちは奴隷にされ、聖夜さんは食べられてしまいます」
 断りたい気持でいっぱいだったが、そうも言っていられない。聖夜は気持ちを入れかえるように自分の頬を叩くと、ミミズを見つめた。
「どうやったら退治できるんですか ?」
「白頭がどんな魔人か想像がつきますか?」
 聖夜は首を横に振った。
「白頭は邪悪な人間の念が集まった “ 人間の魔人 ”なんです。その邪悪な力を弱くできるのは、同じ人間が持っている愛の力だと聞いたことがあります。つまり、白頭を倒せるのは聖夜さんしかいないんで――」
 聖夜の視界からミミズが消えた。かわりに赤いナース服を着た顔のない魔人が目の前に立っている。ドナだ。ミミズはドナの伸びるハイヒールの先、小鬼の群れに吸い込まれるように数メートルも蹴り上げられ吹き飛ばされていた。
「ずいぶん美味しそうなお友達を呼んでくれたのね、坊や」
 ドナは赤い唇を動かし聖夜に話しかけてきた。監禁室に閉じ込められた時話しかけてきた女と同じ声だ。
「私たちヒルわね、ミミズも好物なの。坊やの友達、いただくわよ」
 そう言ってドナは小鬼に捕まっているミミズに向かっていった。
「おのれ、がらくたが !  この俺を誰だと思っているのだ!」
 白頭の怒鳴る声が響いた。どうやらタンクの時間稼ぎは終わったようだ。タンクは頭を掻きながら舌を出しながらこちらを見ている。
「お前ら、こいつらを捕まえろ!」
 白頭の号令に集まった部下たちの興奮した低い雄たけびが地鳴りのように響き渡った。一歩、一歩と部下の大群が聖夜たちに近づいてくる。
 白頭を退治しようにも、どうしたらいいのか聖夜には見当もつかない。愛の力とだけ聞いても意味がわからなかったのだ。
 その時、ミミズの叫ぶ声が聞えた。振り向くとへばりついたドナを引き離そうともがいている。聖夜は今だとばかりにミミズに向かって声を張りあげた。
「ミミズさん、一体、どうやって退治すればいいんですか?」
 聖夜の声にミミズが振り向いた。
「それが … … 全然わかりません !」
「え?」
 ドナに襲われながらミミズは話しを続けた。
「人間が魔人を退治するなんて例外中の例外なので、僕も具体的には知らないんです !」
「いい加減、私にもっと集中して」
 ドナは無数の小さなヒルの姿に変わると、ミミズに次々と貼りついた。
「なんですか、この生き物は ! ?  なんということでしょう、僕を食べてくる ! いけません、このままでは体がなくなってしまいます !  僕たちの運命も聖夜さんにかかっています。聖夜さん、頑張って!」
 ミミズはドナの攻撃に手を焼き、聖夜と話す余裕もない。
「聖夜、これを使え」
 すると話しを聞いていた雪ノ盛が竹刀を渡してきた。いつも稽古に使っていたものだ。
「何かの時のために、役に立つかもしれんと思って持ってきたんだ。これを使ってあの化け物を倒そうではないか。修行の成果を見せてやれ」
 聖夜は握りごこちを確かめると雪ノ盛に顔を向けた。
「雪ノ盛さん、ありが ――」
「聖夜、危ない !」
 聖夜は雪ノ盛に突き飛ばされ、その場に尻餅をついた。視界に映る雪ノ盛は黒豚の突進を受けて数メートルも吹き飛ばされた。雪ノ盛は柱に思い切りぶつかると、その衝撃で頭がどこかへ飛んでいってしまった。
 残された体は力なく床に倒れている。そこへ黒豚が歩み寄り雪ノ盛の足をつかみ持ち上げた。宙づりにされた雪ノ盛の体はピクリとも動かない。それをいいことに黒豚は雪ノ盛の体を床や柱にたたきつけ始めた。
「雪ノ盛さん! 大変だ、このままじゃ雪ノ盛さんが… …」
 いたぶられる雪ノ盛の姿を見かねた聖夜は竹刀を握り黒豚に向かった。
「聖夜、待って!」
 すると聖夜の行く手を塞ぐようにスズメが前に立ちはだかった。
「雪ノ盛はもう死んでるから心配しなくて大丈夫。それよりも聖夜は白頭を退治して。このままじゃ、皆がもたない」
 スズメは息を切らしている。
「よそ見してるんじゃないよ !」
 スズメのあとを追うようにヒフミの怒鳴り声が聞えた。スズメは聖夜と目を合わせると、小さくうなずきヒフミと闘うためにその場を後にした。
 あたりを見ると一刻も早く白頭を倒さなくてはいけないことがよくわかった。ミミズは体に貼りついたドナに食べられながら大勢の小鬼を相手にしていた。スズメもヒフミを相手にほかの魔人とも攻防を続け、タンクはすでにグレゴリウスやほかの小鬼に拘束されている。雪ノ盛に至っては黒豚に体を痛めつけられているままだ。
「キキキッ」
 チョモランマが甲高い鳴き声を上げた。聖夜のもとに六つの足をゆっくり動かし、白頭が近づいてきたのだ。今にも聖夜を襲いたくてうずいている小鬼たちに白頭は手を振ると動きを制止した。
 聖夜は恐怖にかられながらも、拳を握りしめ白頭を見上げた。首が埋まってしまうほどの顔の肉、大きな瞳の中で動く眼球が聖夜をとらえている。口元は緩み、赤い舌が唇をなめた。
 その顔の隣、いなくなったはずの充電虫が白頭の肩にとまっている。
「充電虫 ?」
「あぁ、こいつはお前が使っていたものだったな。好きなだけ充電ができて、携帯電話で遊べて楽しかっただろう。それをさせてやったのはこの俺だぞ」
 白頭は自慢げに充電虫の背中をなでた。
「こいつが言っているぞ。誰にも充電虫のことを言わなかったとな。まったくもって笑える話しだ。この充電虫は俺が魔力を与えて作ったものだ。誰かに教えたところで魔力が消えるわけでもないのに、本当にお前は素直だ。だからこそ俺の魔力を最大限に引き出してくれる」
 白頭は話しを続ける。
「そういえばマイクから返事が欲しかったんだな。最後にお前の望みをかなえてやる」
懐に手を伸ばし、白頭は携帯電話を取り出した。そして携帯電話を眺めると、目をかっと見開いた。その数秒後、聖夜のポケットから着信音が鳴った。
「読まなくていいのか、望んでいたマイクからのメールだぞ」
 白頭は薄ら笑いを浮かべ聖夜を指さしている。
「僕が悪かったんだ」
 聖夜は着信音が鳴り続ける携帯電話を無視して、握った拳をさらに強く握りしめた。
「そうだ、お前が全部悪い。お前が招いたことだ」
 白頭の声がむなしく胸に響いた。白頭の言うとおりだったからだ。自分勝手に家を飛び出したせいで、家族を悲しませ、〈死のはざま〉の仲間をこんな事態に巻き込んでしまった。
 聖夜は生まれて初めて怒りで体が震えた。それは白頭に対しての怒りではない。自分の情けなさに対してだった。
「雪ノ盛さんは正しかった」
 聖夜はポケットから携帯電話を取り出した。
「僕はいつも携帯に惑わされていた。そのせいで大切な人たちをないがしろにしてきた。こんなものもいらない。こんな薄い板なんて、なくたって僕は幸せに生きていけるんだ !」
 そう言って聖夜は携帯電話を思いきり床に投げつけた。白頭の嫌がらせなのか、携帯電話から着信音が鳴り続いている。その煩わしい音楽を止めるかのように、聖夜は携帯電話の画面を勢いよく踏んだ。光っていた画面は一瞬で暗くなり、割れた液晶画面が虹色ににじんだ。
 それでもまだ音が鳴っている。もう一度、踏みつけると画面のひびから黒い煙が人の顔になって抜けていった。これで完全に携帯電話は使いものにならなくなった。
 聖夜は白頭を睨むように見上げると、竹刀を握りかまえた。勝てるという保証はない。しかし皆を助けたい、そして一緒に〈死のはざま〉に帰る。その強い気持ちが聖夜をかり立てた。気合いを入れるかのように叫びをあげると聖夜は竹刀を振りかざし白頭に向かっていった。
 ところがいとも簡単に捕まってしまった。白頭の大きな体に竹刀一本では通用しなかったのだ。
「自分から食われに来るとは馬鹿な奴だ」
 白頭の白く分厚い手が体に巻きつき、締め上げてくる。
「幸せに生きていけるだと ! ?  笑わせるな。人間界で生きる希望をなくし、魔界にとどまろうと家族を売ろうとした奴がよく言えたものだ。ここは魔界、魔物の住む世界。お前のような生きた人間はしょせん我々の肉となるのだ。頭から食ってやる !」
 大きな口が聖夜の頭上に広がった。
「嫌だ、僕はお前になんか絶対に食べられない !」
 そう叫んだ直後、聖夜の周りがオレンジ色に輝きだした。
「あ、熱い… …」
 白頭はうめき声をあげ、聖夜をつかんでいた手を緩めた。そのすきに聖夜は指をけり飛ばし白頭の手から逃れた。見上げると、自分をつかんでいた白頭の右手がオレンジ色に輝いている。
「お前、何をしやがった」
 地の底から響くような恐ろしい声をあげ、白頭は血走る目を聖夜に向けてきた。聖夜は竹刀を構えたままゆっくり後ずさりをすると、身の危険を感じ走り出した。
 理性を失った白頭は怒りに身を任せ、床に穴をあけ天井を崩し暴れている。そして俊敏に動くと逃げる聖夜をとらえようと追いかけて来たのだ。素早い動きに聖夜はついていくことができない。
白頭の手が聖夜を囲んでいるオレンジ色の光に触れた。その瞬間、白頭は手を押さえ絶叫したのだ。そのすきに聖夜は一目散に物陰に隠れた。
「おい、聖夜 !」
 するとどこからともなく雪ノ盛の声が聞こえた。しかしあたりを見てもどこにも雪ノ盛の姿がない。
「ここだ !」
 雪ノ盛の声に耳をすませ、崩れた柱に近づいた。
「ここだ、ここ」
 もう一度、雪ノ盛の呼ぶ声にがれきのすき間に目をやると、そこにすっぽりと入っている無精ひげの顔を見つけた。聖夜と目が合った雪ノ盛は待ってましたとばかりに大声を張り上げた。
「早くわしの頭を体に向かって投げろ !」
 雪ノ盛の目の先には黒豚と闘っている体があった。肝心の頭がないせいか、雪ノ盛の体は黒豚に押されている。聖夜はがれきのすき間から雪ノ盛の頭を取り出すと、言われた通りに黒豚と闘っている体に向かって投げた。雪ノ盛の体は黒豚の攻撃をよけながら、頭をつかんだ。
 頭を元の位置に戻した雪ノ盛は畳みかけるように黒豚を刀で切り刻んだ。その気迫に黒豚は太刀打ちができない。立ったまま動きを止めると、黒豚はそのまま仰向けに倒れた。黒豚は気絶しているのか、石のように固くなっていた。
 頭を取り戻した雪ノ盛はあっという間に黒豚を倒してしまったのだ。聖夜は走って雪ノ盛のもとにいった。
「雪ノ盛さん、すごいよ !」
「お前のおかげだ、聖夜。さっさと白頭という魔人を倒さねば。それはそうと、聖夜。なぜ、光っておるのだ」
「わからないよ」
 雪ノ盛は聖夜から放たれるオレンジ色の光に手を伸ばした。
「なんと温かいことか」
「でも、白頭は違うみたい。熱いって言って僕を握っていた手を離したんだ。それに僕を握っていた手が同じ色に光っているんだ。この光に触れると苦しいみたい」
「なるほど。奴はその光が苦手なんだな。よし、わしが引きつけておくから、そのすきに奴に触れてみろ。もしかしたら倒せるかもしれん」
「うん、わかった。やってみるよ」
 聖夜は白頭に自分の姿がわかるように大きく手を振った。
「おーい、僕はここだよ」
 聖夜の姿を目に入れた白頭はオレンジ色に光る手を押さえ、憤怒の形相を向けている。そして鋭い昆虫の足で床に穴をあけながら、瞬く間に聖夜の目の前にやってきた。そこに雪ノ盛が割って入ると、白頭に刀を向けた。
「邪魔だ、どけ !」
「誰がどくか!」
 雪ノ盛は刀を振りかざし白頭に切りかかった。ところが見えないバリアでもあるかのように、刀が弾き返された。
「そんなちんけな攻撃、俺に効くとでも思っているのか !」
「何を、まだまだじゃ !」
 雪ノ盛は再び白頭に切りかかった。白頭の注意が雪ノ盛に向いているすきに聖夜は白頭の腹部へまわった。アイボリー色の昆虫の腹は大きく膨らみ動いている。
 聖夜は空気を飲むと、両手を白頭の腹にくっつけた。
「ぐわあああぁぁ! 熱い、熱い ……」
 腹部を輝かせるオレンジ色の光は炎のように瞬く間に白頭の全身を包んだ。白頭は断末魔の叫び声をあげ、たまらず床に転がった。その様子にエントランスにいる誰もが目を奪われた。
 白頭を囲むオレンジ色の光は濃厚な輝きを放つと、目をひらけないほどの強烈な閃光が聖夜たちを突き抜けたのだ。
 それから数秒後、エントランスの中に静寂が訪れた。聖夜はそっと目を開くと、白頭を包んでいたオレンジ色の光は忽然と消え去り、あたりは薄暗い空間に戻っていた。
 聖夜は自分の両手を目の前に持ってきた。もう光ってはいない。聖夜の体からもあの謎の光は消えている。
 そして大きな体の白頭もそこにはなかった。かわりに小さな生き物が床に倒れている。自分たちの主人がどうなったのか気になるのだろう。白頭を確認しようと大勢の部下たちが首を伸ばしていた。
 そんな部下をしり目に聖夜は小さく変わり果てた白頭を覗きこんだ。小型犬ほどの大きさになった白頭は弱々しい息を吐きながら横たわっている。
「ずいぶん小さくなりましたね」
 緊張感のないミミズの声が聞えた。髪はぼさぼさで服もところどころ破けていたが元気そうだ。
「それにしても、やりましたね、聖夜さん。人間が魔人を倒すなんて前代未聞ですよ !」
 ミミズがそう言った直後、突然床がまばゆい光にさらされた。突如として美しい陽の光が降り注いだのだ。暗くじめじめしたエントランスは一瞬で明るく温かい場所へと変わっていく。
 金の粉をふるったように空気が輝き、どこからともなく優しい歌声が聞こえてくる。それに花だろうか、ほのかな甘い香りも漂っていた。聖夜は言葉を口にするのも忘れ、ただ静かにこの状況に見入っていた。
 すると黄金色の一筋の光が頭上から現れ、スポットライトのように白頭の体を照らした。
「さぁ、人間界に行く時間ですよ」
 女の人の柔らかい声が天から降り注いだ。その声を耳にした瞬間、白頭は閉じていた瞳を大きく広げた。
「嫌だ、人間になんかなりたくない !  人間界にはいかない ! 助けてくれ、助けてくれ」
 白頭は黄金色の光から逃げ出そうと、最後の力を振り絞り聖夜に手を伸ばしてきた。しかし小さくなった白頭の体はいとも簡単に宙に浮くと、あっという間に人間の赤ちゃんに変わってしまったのだ。
「あれ、何だか僕、生まれ変わった気がするよ」
 血の気のあるふっくらとした顔を笑顔でいっぱいにしながら、赤ちゃんになった白頭が言った。
「僕、天使の羽が欲しいな。それにお空も飛びたい」
 そのまま白頭は黄金色の光の柱を通り、上へ上へと昇っていってしまった。
「まさか、初めて見ました。魔界に天国の道が開かれるなんて !」
 ミミズは興奮しながら光の柱の先を眺めている。
「天国の道 ?」
「えぇ、そうです! もしかしたら聖夜さんを包んでいた光が天国の道をつないでくれたのかもしれませんね。きっとあの光は人間がもつ愛の力 !  すばらしい、こんな奇跡に遭遇できるなんて ! ほら、見てください」
 ミミズが指さす先、グレゴリウスを先頭に小鬼たちは居心地が悪そうに身をかがめながら次々に逃げ出していた。
「彼らには光が強すぎるんですね」
 その様子を見ながら聖夜はふと思ったことを口にした。
「ミミズさんたちはこの光を浴びても大丈夫なの ?」
 ミミズたちも白頭や小鬼たちと同じ魔界の住人で魔人。何か影響があるのではないかと心配になったのだ。ミミズは自分の体を触ったり動かしながら確認すると前夜に向き直った。
「どうやら大丈夫のようですね。これは推測ですが、僕たちは彼らほど邪悪ではありませんから影響がないのかもしれませんね」
「よかった。僕にはちょうどいい温かさだったから」
 笑顔を向けるとミミズも口を緩めた。
「えぇ、本当。焼けてしまいそう !」
 聖夜は白頭を倒したのだ。その喜びが全身にしみわたっていくのを感じた。
「聖夜 !」
 いつにもまして力強い雪ノ盛の声だ。ところが振り向くとそこには今までとは違った雪ノ盛がいた。
「雪ノ盛さん、その姿どうしたの ?」
 血の気のある顔、ほどけていた両わきの髪の毛はきっちりまげを結ってある。それに甲冑も新品同様に美しい輝きを放ち、おまけに後光までさしている。
 雪ノ盛は目を輝かせ、聖夜の手を握った。
「この暖かい光。聖夜、わしはすべてを思い出したんだ」
「すべてって、忘れていた昔のこと ?」
「あぁ、そうだ。わしは、ある殿様につかえておった。そこでわしはその殿様の御子息の面倒を見ておったのじゃ。あの日、殿は敵と戦をするため部下を引き連れ城跡にしたのじゃ。そのときわしはまだお若い若様とともに城に残っておった。ところが男たちがいないすきに敵が城に攻め込んできたのだ。不意打ちを食らったのだ。わしは若様を守るため、必死に戦った。何とか命だけでもと思ったんじゃが、途中で敵兵に捕まり若様は連れて行かれ、わしはその場で打ち首となった」
 雪ノ盛は涙を流しながら話しを続けた。
「若様はあれからどうしておられたのか、とても心配して胸が張り裂けそうじゃ。聖夜と同じくらいの歳でな、わしの剣術の稽古を一生懸命やるお方だった … …」
「雪ノ盛、そうめそめそするな」
 その時、聖夜の隣で若い男の声が聞えた。振り向くとそこには着物を着た聖夜と同じくらいの年の男の子が立っていた。
「若様 !」
「すべて見ていたぞ、雪ノ盛。あっぱれだった」
 雪ノ盛は床に足をつけると涙をこらえ深々と頭を下げていた。
「私のことは案ずるな。向こうで好きにやっている。雪ノ盛、お前を束縛するものはもう何もない。これからは好きに生きよ」
 雪ノ盛を優しい眼差しで見るその少年は体が透けていくと、ゆっくり消えていった。
「なんという、温かいお言葉 … …」
 涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら雪ノ盛は頭をさげたまま鼻をすすっていた。すると雪ノ盛にも天から一筋の光が降りてきた。その光に包まれた雪ノ盛の体は雲のようにふわりと浮きあがった。さっきまで泣いていたのが嘘のように至福の顔を天に向け、雪ノ盛は光の柱に昇っていく。
 これで雪ノ盛とも別れの時か、聖夜は天に昇っていく雪ノ盛を見上げた。
「雪ノ盛さん ……」
「… …って、いかぁぁん !」
 突如、目を見開き大声を出すと、雪ノ盛は無理やり光の柱を抜け出し床に着地した。
「危ないとこだった、成仏しかけておったわ」
 光から抜け出したとたん見違えるような武士の姿から一変し、雪ノ盛はもとの小汚い落ち武者の姿に戻っていた。
「成仏しなくてよかったの ?」
「わしはまだまだ成仏せん !  もっとカフェでうまいものは食いたいし、それにまだ聖夜と一緒にいたいからな」
 その言葉に聖夜は笑顔で返した。聖夜もまだ雪ノ盛と離れたくはなかったからだ。
主がいなくなり抜け殻になった建物の中。いたるところに光の柱が立ち、まばゆい光に包まれていた。七色に輝く美しい球体が次々に光の柱に吸い込まれ天高く昇っている。
 聖夜は雪ノ盛とともに、目の前に広がる神秘的な光景を見ていた。ミミズやスズメもタンクと一緒にはしゃぎながら光の世界を堪能しているようだ。
 その温かく美しい光景の中で聖夜はあることを思い出すと、いてもたってもいられずエントランスに背を向けた。そして閉じ込められていた監禁室がある廊下へと歩き出したのだ。
「聖夜、おぬし、どこへ行くのだ ?」
「ちょっとね、人を探そうと思って」
 あとをついてきた雪ノ盛にそう言うと、聖夜は鍵の外れた扉を一つずつ開けては中を確認していった。そんな聖夜を不思議そうに見ながら雪ノ盛が口を開いた。
「人だと ?」
「うん、そう。… …ここも違う」
 聖夜はそう言うと、次の部屋の扉を開けた。
「僕が閉じ込められていたときに、誰かが話しかけてきたんだ。白頭が悪い奴だって教えてくれたんだ。その人、僕と同じで閉じ込められているみたいだったから」
 また次の扉を開けたとき、聖夜は動きを止めた。
「なんとむごいことを !」
 雪ノ盛が声をあげた。その部屋にはミイラようになった白髪の老人がベッドに鎖で繋がれ横たわっていたからだ。老人の体は骨と皮だけで、皮膚の色が茶褐色に変色している。
 聖夜は恐る恐る老人に近づいた。すると老人は瞳だけを動かし聖夜を見ながらゆっくり口を開いた。
「あの悪魔は死んだのか ?」
 その声を聞いて聖夜は直感した。汚れたベッドに横たわっているこの老人こそ、監禁されていた時に話しかけてきた男に間違いなかった。
「はい、もうどこにもいません」
 そう教えると、老人の顔が一瞬を微笑んだように見えた。
「待ってて下さい、いま鎖を外しますから」
「いや、その必要はない」
 老人がそう答えると、一筋の光が天井から現れ老人を照らした。すると老人をつないでいた鎖が外れ、肉体がみるみる若返っていく。
「こんな日がくるなんて夢のようだ」
 そう言ってベッドから起き上がる若々しい老人の姿に聖夜は体中の血がひくのを感じた。目の前に白いスーツに身を包んだマイクが立たずんでいたからだ。聖夜は持っていた竹刀をマイクに向けた。
「安心したまえ。私は白頭ではない。奴が私の姿を真似していただけなんだ。ようやくこの悪夢から解放される。ありがとう、君のおかげだ」
 マイクは笑顔を向けるとあっという間に光の柱を昇り消えていった。それを最後にあたりを包んでいた神秘的な空間はかすみ薄れていくと、元の薄暗い世界に戻った。
「もうここには誰もいないようだな」
 静かになった廊下を見ながら雪ノ盛が言った。
「我々ももう戻ろう。皆が心配するとも限らん」
「うん、そうだね」
 二人は粗末な裸電球が照らす廊下を歩きエントランスへ向かった。消毒液の混ざった獣の匂いはきれいさっぱり消え、どこかすがすがしい。
 しだいに広々としたエントランスが見えてきた。山ほどいた小鬼たちがいなくなり、ひっそりとした静かな空間にミミズやスズメ、タンクがいる。ところがほかにも誰かが残っているのが見えた。
 白頭の部下だった魔人たちだ。聖夜がエントランスに顔を出すと、それを見計らったかのように魔人たちがいっせいに駆け寄ってきた。
「聖夜君、ありがとう」
 そう言って真っ先に聖夜の手を握ってきたのは雑用係のタニシだった。
「私たちは白頭に記憶を消され、奴隷として働かされていたんだ。白頭が消えて皆の記憶も元に戻った。本当にありがとう」
 タニシの無愛想な態度が嘘のようだ。あの独特な匂いも消え、生き生きとした姿をしている。雪ノ盛を襲った黒豚はタニシの隣で鼻を鳴らし聖夜に挨拶をしていた。そして雪ノ盛に深々とお辞儀をしていた。どうやら謝っているのだろう。雪ノ盛は黒豚の肩を叩き笑顔を向けている。
 次にヒフミがあのうるさいハエたちを引き連れ聖夜の前にやってきた。初めて見た時より表情は柔らかい。
「あんたのおかげで助かったよ。こら、お前たちもお礼を言いなさい」
「忘れていた姐さんの記憶を思い出せたよ !  ありがとう」
 ビケが聖夜の周りを飛びながら言った。するとビケに遅れてマーケもやってきた。
「その、意地悪して悪かったな。でも、悪気はなかったんだ。許してくれよ」
「うん、もちろんだよ。記憶が戻ってよかったね」
 ハエたちは目障りな音をたてながら聖夜の周りを飛んでいた。そんなハエたちに向ってチョモランマが怒った声を出していた。理由はわからなかったが、何か気に入らないことでもあるのだろう。
 それからヒフミはハエたちを残し、一戦をまじえたスズメのもとへ向かうと二人は親しげに話しをしていた。
「白頭に奴隷にされていたとはいえ、それでも僕を食べるなんて !」
 スズメとヒフミの様子をうかがっているとミミズのとがった声が聞えた。
「いいじゃない。食物連鎖よ」
 ミミズの前でドナは白け気味に言うと、聖夜の方を向いて手を振っていた。
「坊や、ありがとう。おかげで美味しいミミズを食べられたわ」
 投げキッスをしてくるドナに聖夜はどうしていいかわからず軽く会釈した。顔はないが多分、見えているだろう。
「まったく、困ったレディーですね」
 ミミズはドナを前にしてボロボロになったシルクハットをかぶりなおした。聖夜は何となくミミズの気持ちがわかった気がした。ビケになめられあまりいい気分にはならなかったからだ。
「それはそうと、これほどの大きな敷地を残したままにしておくのはもったいない。そこでどうでしょうか、奴隷だった皆さん。この敷地を全部、僕に譲っていただけないでしょうか」
「なんてことでしょう。素晴らしいご提案です !」
 胸を張って話すミミズにタンクの拍手がむなしく響いた。
「もともとここは白頭の城だったし、どうせ残しておいても魔物のすみかになるだけだ。白頭を追い出したのは君たちだ。この敷地をもらう権利はあるよ。そうだろう皆」
 タニシの意見に反対する者は誰もいない。
「けど、これから俺達何をすりゃぁいいんだ ? ここから追い出されるってことだろ」
「仕方ないよ。タニシの言ってることは間違っていないもん」
 ハエたちが聖夜の周りを飛びながらつぶやいた。
「君たち、居場所がないの ?」
「まぁな、白頭がいなければ少しはここも住みやすいと思ったんだけどな」
「でも、白頭からの呪縛が解けただけましだよ」
「それもそうだな。じゃあな、坊主。世話になったな」
 ハエたちは暗い影を落としながらヒフミのところへ飛んで行ってしまった。聖夜は肩に乗っているチョモランマを見た。チョモランマは聖夜と目が合うとわざとらしく首をかしげた。ハエたちが少しふびんに思えてならなかったのだが、チョモランマはそうではないらしい。
 残っていた魔人たちはここをあとにしようとしている。聖夜は新たな土地を手に入れ、嬉しそうにタンクと話すミミズに声をかけた。
「あの、ここをもらって、どうするんですか ?」
「そうですね、まずは〈死のはざま〉のオーナーのカガミさんに相談してみます」
「オーナー ?  そんな人がいたんですか ?」
「はい、いたんです。四店舗ほど魔界にカフェやレストランを開いているんです。〈死のはざま〉もカガミさんが開いているお店の一つなんです」
「そうだったんだ」
「カガミさんにここを新しいお店として使えるかどうか聞いてみようと思っているんです。以前から、もう一店舗開きたいとおっしゃっていましたので」
 その話しを聞いて聖夜はあることをひらめいた。すかさず聖夜はほかの人に聞えないようにミミズの耳もとでひっそりと話した。するとミミズはその内容に少し驚いた様子を見せた。
「なんと ! 本気ですか ?」
「はい、どうにかなりませんか ?」
 ミミズは少し考えてから口を開いた。
「わかりました。聖夜さんがいなければ僕たちも奴隷になっていたかもしれません。聖夜さんのお望みとあらばどうにかしてみせましょう」
 さっそくミミズは白頭の部下だった魔人たちへ体を向けた。
「皆さん、待って下さい」
 ミミズの声に魔人たちは扉にかけた手を止め立ちどまった。
「これからこの場所は新しいお店として生まれ変わるかもしれません。そこであなたたちを従業員として雇えないか、オーナーに相談してみます」
「つまり、ここを出て行かなくてすむのか ?」
 マーケが一目散に飛んで来て言った。
「えぇ、そういうことになります。ただし、オーナーが許可をして下さったらの話しですが」
「きっと、いい返事がもらえるよ !」
 ビケも飛んでくるとミミズの周りを飛びながら嬉しそうに言っていた。するとタニシがミミズの前へ出てきた。
「いいのかい ? どうにか新しい場所で働かせてもらえるようお願いしたい。本当はこれから先、どうすればいいのか皆路頭に迷っていたんだ。ありがとう、なんて素晴らしい話しなんだ」
「お礼を言うなら僕ではなく、聖夜さんに言って下さい。彼が提案してくれたんです」
 そう言ってミミズは皆に見えるように聖夜を指した。するとハエたちが一番乗りで聖夜の周りを飛んできた。お礼の言葉は嬉しかったのだが、うるさい羽音と皮膚にとまってくる感触がどうにも邪魔だった。
「さすが、坊っちゃん。素晴らしいアイディアですね !」
 タンクが拍手をしながら聖夜に近づいてきた。
「ありがとう、タンク」
 そう伝えるとタンクは聖夜の足に抱きついてきた。
「坊っちゃんが無事で本当に良かった」
「心配かけてごめんね」
 聖夜はタンクの背中をなでた。
「そういえば、あの部屋から出てるのに動けるんだね」
「坊っちゃんのためなら、どこまででも駆けつけますよ」
 それからミミズの大きな声が聞えた。
「さて、それではそろそろ〈死のはざま〉へ帰りましょうか !」
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