魔界カフェへようこそ

☆王子☆

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 〈死のはざま〉に戻るとロビンが一目散に駆け寄ってきた。一人で留守番をしている間、気が気ではなかったようだ。皆が無事に戻ってきたことにロビンはひどく安堵した。
ミミズといえば新しい服に着がえると休む間もなく、休業していたカフェをその日のうちに再開した。
 聖夜は一日ほど休みをもらい、タンクやチョモランマ、それに雪ノ盛と赤丸屋であったことを語り合った。特に話しの中で皆が興味を示したのは監禁されていた時のことだった。監禁されている間、何があったのかを聞きたがったのだ。聖夜は事細かに説明すると、皆は食い入るように話しを聞いていた。
 そのほかにも聖夜がいない間〈死のはざま〉で起きたことについても時間をかけて語り合った。どんなに話しても飽きるものは一人もおらず、結局、一日中夢中になって話した。
 二日目の朝、聖夜はタンクに起こされ目を覚ました。朝といっても外は夜の景色が広がり、紫色の月が出ている。聖夜は体を起すと懐中時計を開き時間を確認した。黄金色の時計の針は八時四十五分を知らせている。あと十五分で仕事の時間だ。
 赤丸屋での一件以来、聖夜の手元に携帯電話はなかった。帰り際に探したもののどこかへいってしまい見つからなかったのだ。といっても、足で思い切りふんで壊してしまったのだから、持っていたとしても使い物にはならなかっただろう。時間を見たいならミミズからもらった懐中時計で十分だった。
 聖夜は顔を洗うと急いで支度をすませた。そして肩にチョモランマを乗せ、一階へと降りた。それから手慣れたように仕事をこなしていたのだが、店を訪れる客たちが次から次へと白頭のことを口にするのだ。
 その大半が白頭を倒したことを称賛するものだったが、中にはどうやって倒したのか一部始終を聞きたがるものもいた。そこで聖夜は順を追って話しをしたのだが、どうにも話しがまとまらず時間がかかってしまう。それでも客は白頭との一戦が気になるらしく、動きを止め音も立てずに夢中で聞き入っていた。
 それから仕事を終えると聖夜は少し休んでから、雪ノ盛と剣術の稽古をするために外へ出た。この日の稽古はいつも以上に熱が入った。黒豚や白頭と闘っていた時の雪ノ盛を思い返すと、その剣術の腕は素晴らしいものだったからだ。雪ノ盛に習っていれば絶対に強くなれるという確信が持てたのだ。
 一時間ほどの稽古を終えた聖夜は厨房で休憩を取りながら、ミミズが来るのを待った。白頭のところから無事に帰って来て、聖夜にはどうしてもミミズに相談したいことがあったのだ。
「やはり聖夜さんがお店に立つとお客様が増えますね」
 ミミズが片付いた食器を持ち厨房に現れた。
「ミミズさん、あの、お話ししたいことがあります」
「はい、なんでしょう」
「僕、その … … 人間界に帰りたいんです」
 そう言った直後、ミミズは石のように動かなくなった。それと同時にロビンも動きを止めている。もちろん人間界に帰るためには途方もない金額を〈死のはざま〉で働いて返さなければいけない。勝手に帰ることができないことももちろん承知だ。
 しかし自分がここにいる一分 一秒、家族は行方不明になった自分を探し、身を削っているのだ。そのことを考えるとこの場所にずっととどまっているわけにはいかなかった。
 ところがミミズはあごを抱え黙りこんでしまった。重い空気が漂っている。
「だったら、いい考えがある」
 すると聞き慣れない声が沈黙を裂いた。誰だろうと不思議に思い聖夜は声の先を見たが誰もいない。かわりに小さな赤いとんがり帽子が上下に動いている。聖夜の前でガラスが大きく手を振り跳びはねていた。
「誰かと思ったら君たちだったんだね」
「そうだとも、小さくてわからなかっただろ」
 ガラフは赤ひげを触りながら得意げに聖夜に親指を立ててきた。いつの間にか厨房には袋を担いだノームたちが勢ぞろいしていた。どうやら仕入れにやってきたようだ。
「話しはすべて聞かせてもらった」
 そう言ってガラフはロビンを指さした。
「そこで、俺たちが山ほどここで食事をするって言うのはどうなんだ ?」
「協力できることなら何でもやるぜ。なあ、皆」
 ガラフに続きビーノは周りにいるノームたちに聞こえるように言った。日本語が話せないノームたちも腕を組んだりうなずいたりしながらビーノに共感している。そこですかさずガラフが横から入ってきた。
「そうだそうだ。なんて言ったって、あの白頭を倒したんだからな !  あいつには俺たちも本当に困っていたからな。それで、どうなんだ、店長さん。食事をたくさんすればそれなりに返せるんだろ ?」
「えぇ、そうです。しかし一度や二度、大量に食べたからといってすむ話しでもありませんが … …」
「だったら、毎日でも何回も通って食べるさ !  それしか方法がないならやるしかない ! 白頭を倒してくれたお礼をしなきゃな」
 ビーノは仲間のノームの肩を叩き聖夜に目で合図してきた。次にガラフも聖夜を見てきた。
「それじゃあ決まりだな。さっさと袋の中身を出してお茶にしよう。聖夜、お前のためにいっぱい食べるからな」
「ありがとう」
 ノームたちはあっという間に荷物を出すと店内へ姿を消した。その勢いにミミズは黙って様子を見ているしかないようだ。
 一方で雪ノ盛は眉間にしわを寄せながら唸り声を出していた。
「なるほど、その手があったか。聖夜、わしもお前のために一日中この店でうまいものを食ってやる。たくさん注文するから、休む暇がなくなるのを覚悟せい」
「うん、わかった」
 聖夜は笑顔で雪ノ盛に返した。すると難しい顔していたミミズが聖夜に向き直った。
「聖夜さんが帰りたいとおっしゃっているのだから、僕たちもお手伝いしなければいけませんね。ノームたちの言うとおりです」
 
 それを機に〈死のはざま〉に客があふれるようになった。店内だけでは席が足りず、急きょ庭にも新しい席を作るほどだ。どうやらノームたちが話しを広げてくれたようで、聖夜を人間界に帰そうという客でごったがえしていた。
 おかげで聖夜たちは全くと言っていいほど休む暇がなくなった。おまけに手が足りず、タンクやミドルも仕事にかりだされる始末だ。
 雪ノ盛といえば一日中カフェに居座ると、ほかの客に負けじとテーブルに乗りきらないほどたくさんの商品を注文していた。この忙しさがどれほど続くのか聖夜には見当がつかなかったが、やり続けるしか帰る道はないのだ。
 そんなある日のこと、白頭に奴隷にされていた魔人たちが〈死のはざま〉に訪れた。久しぶりの再会に聖夜はさっそく出迎えると、どうやら例の噂を聞きつけてきてくれたことがわかった。
 さっそく庭に作った即席の席へ案内した。自分に協力してくれるのは嬉しかったが、やはりマーケとビケはうるさかった。ほかの客の食べ物にとまっては味見を繰り返していたからだ。聖夜はすかさず二匹に注意を入れた。
「ごめん。だって、美味しそうだったから」
 ビケが聖夜の肩にとまると、チョモランマは歯をむきだしにして怒っている。
「これは俺たちの習性だぜ。ところで聖夜、聞いてほしい話しがあるんだ」
 怒っているチョモランマに目もくれず、今度はマーケが肩にとまった。すかさずチョモランマが金切り声をあげた。すると二匹は聖夜を蹴り上げ宙を舞うと話しを続けた。
「どんな話し ?」
「実は俺たち、赤丸屋の跡地で新しく開くカフェ &レストランで働くことになったんだ」
「本当 ! ?  よかったね」
「君のおかげだよ。だから一日でも早く人間界に帰れるようにお手伝いするね」
 二匹のハエは羽音をたてながら店内を飛び回り、自分たちの席へと戻っていった。
 そこへまた一人、カフェに客がやってきた。薄汚れた布を一枚かぶっただけのみすぼらしい老人だ。
「いらっしゃいませ、お一人ですか ?」
 聖夜は入口に小さく立つ老人に話しかけた。腰は曲がり、腕や脚は枯れ枝のように細い。折れた枝を杖の代わりにしているが、足元は裸足で小刻みに震えている。
「うん、一人じゃ」
 ところどころ抜けた歯を見せながら老人が答えた。白髪の毛やひげははやし放題。頭のてっぺんの毛は薄くライトを浴びて光っている。
「今、お店が混んでいて、相席でも大丈夫ですか ?」
 聖夜がそう言うと、老人は笑顔でうなずいた。聖夜は店内を見渡し、雪ノ盛の座っている席が空いているのを確認すると老人をそこへ案内した。
「雪ノ盛さん、相席でいいですか ?」
「あぁ、かまわぬ。さぁ、ご老人。ここに腰をかけなさい」
「これはこれは、すまないの」
 雪ノ盛は聖夜とともにふらつく老人を腕で支えながら席へ座らせた。
「カフェラテとチョコレートクリームサンドクッキーをもらえるかな ?」
「は、はい、かしこまりました !」
 老人は席に座るとまだメニューを渡していないというのに、すぐに注文を始めた。この老人は常連客なのだろうか。とにかく聖夜は胸にある注文票を取り出し書きうつした。
 それから聖夜は厨房へ行き、頼まれた品をロビンに教えていると、ミミズがやってきた。客が多くてやりがいがあるとミミズはせわしなく動きながら話している。そこで聖夜はメニューも見ずに注文する老人の客の話しをした。
 するとミミズは目の色を変え、事細かにその老人のことを聞いてきた。聖夜は聞かれた通りに伝えると、ミミズはみるみる血相を変えて店内へ行ってしまった。ミミズにとって重要な客だったのだろうか。
 その間にロビンに頼んでいた品が出来上がった。聖夜はタニシたちの席に〈死のはざま〉オリジナルブレンドコーヒーとミルク、炭酸水、紅茶、果肉入りマンゴーシェイク、ピンクケーキ、それに食物繊維たっぷりの野菜パウンドケーキ、アップルパイ、ヨーグルトはちみつ添え、バナナと胡桃のマフィン五個を届けた。
 それから厨房へ戻ると老人が頼んでいたカフェラテとクッキーが出来上がっていた。聖夜は休む間もなく、商品を持って老人のもとへ向かった。
 すると立ったまま老人と話しているミミズの姿があった。二人の邪魔をしないように注文した品をテーブルに並べていると、老人が話しかけてきた。
「ここの仕事はどうじゃ ? 大変だろう?」
「えっと、初めは大変だったけど今は慣れてきました」
「そうかそうか」
 老人はカフェラテに口をつけるとクッキーをほおばった。するとミミズはカフェラテやクッキーの調理方法などを説明し始めた。老人といえばミミズの話しを聞いているのかわからないが無言のままカフェラテを飲んでいる。
 その様子を見ながら、聖夜はほかの仕事に戻ろうと背を向けた。すると老人に呼び止められた。
「待ちなさい、少年。少し、この老いぼれに付き合ってくれないか」
「はい、僕でよければ」
 聖夜は静かに雪ノ盛の隣に座った。老人は再びカフェラテに口をつけると立ったままのミミズを見上げた。
「ところで、お前は何をやっているんじゃ」
「何を、と申しますと ?」
 ミミズのあっけらかんとした答えに老人はため息を漏らした。
「こんなにたくさん人を呼んで、お前は〈死のはざま〉で何をしているんじゃ」
「さすがカガミさんですね。実は理由がありまして ……」
 そう言ってミミズは客が大勢いるいきさつを老人に説明していた。カガミという名前は確か〈死のはざま〉のオーナーと同じ名前だ。しかしどう見ても、このみすぼらしい老人がオーナーには思えない。
 長々と続いたミミズの説明が終わると老人は頭を抱え、再び深いため息をついた。
「まったく。契約書の下をよく読んでいないな」
 そう言ってカガミは布きれの服から丸めた紙を取り出しミミズに渡した。
「ほれ、読んでみろ」
 ミミズは渡された契約書を広げ目で字を追った。
「何をどうよく読んでいないのか、僕にはわかりません」
 契約書を眺めながらミミズは首をひねった。その様子にカガミは細い人さし指を立てると、下から上に空気をなでた。
「まさか ……」
 カガミの仕草にミミズは契約書に人さし指を立て、下から上と紙をなでた。
「なんと !  契約書に続きがあったなんて !」
 興奮気味にミミズは契約書に書いてある内容を読んでいた。
「あぁ、なんということでしょう! 聖夜さん、今のような方法をとらなくても人間界に帰れるかもしれません」
「本当で ― ―」
「本当か ! ?  して、どのようにすればよいのだ ?」
 聖夜の声が雪ノ盛の大声にかき消された。
「契約書には働いて料金を返すというほかに、〈死のはざま〉の新しいメニューを作ると書いてあります。その新しいメニューを八人のお客様に試食していただき、五人以上に美味しいと言っていただけたら、無事に人間界に帰れるようです」
「なんと、それならば今のような方法を取らなくてもよいということだな。聖夜、よかったな」
 聖夜は雪ノ盛に頭をもみくちゃにされるほどなでられた。
「しかし条件があるようです。契約後、五十時間以内に試食してもらうこと。そして人間界に帰れるのは試食後、二十四時間以内。その時間を過ぎてしまうと無事に帰れなくなり、働いて料金を返す以外、選択肢はなくなります」
 条件を聞いても、長い間〈死のはざま〉働くより、新しいメニューを考えるほうがずっとずっと楽だと聖夜は思った。
「それにしても、契約書に続きがあったなんて !  カガミさん、このやり方、ちょっとというか、かなりわかりにくくありませんか。紙をなでて続きの文書を下から上に出すなんて … …」
 そう話すミミズにカガミは鼻で笑っていた。
「だって、契約書とか何枚もあったら面倒くさいじゃん。だから一枚にまとめてるんじゃ。楽じゃろ」
「いいえ、僕は何枚もあっても平気ですよ」
 ミミズは信じられないというような顔で何度も契約書に指を触れていた。それからミミズは聖夜に見えるように契約書を広げた。解読不能の魔界の文字がみるみるうちに日本語へと変わっていく。
「契約した時点から新しいメニューを考えなければいけません。先ほどもお伝えしましたが、タイムリミットは五十時間です。聖夜さん、どうされますか ?」
「僕、やってみます」
「わかりました。では、ここに聖夜さんの名前を書いてください」
 名前を書き終えるとミミズは契約書を丸めて内ポケットの中にしまった。これで契約完了だ。するとその一部始終を見届けたカガミはカフェラテを豪快に飲み干した。そして最後のクッキーを口にすると、聖夜に話しかけてきた。
「自己紹介が遅れたの。わしはこの店のオーナーのカガミじゃ。ほれ、そこの、その鏡… …」
 老人は柱にかけてある大きな鏡を指さしている。家族の様子を見たときの鏡だ。聖夜が鏡を確認するのを見て老人は話しを続けた。
「その鏡を通して君の活躍を十分、見せてもらったよ」
「あの鏡から見ていたんですか?」
「もちろんじゃ。わしは古くなった鏡の妖怪。鏡のある所ならばどこからでも覗けるんじゃ。そうそう、新しいメニューができたら、この店の新商品にする予定じゃ。ミミズの商品ばかりじゃ偏るからの。人間の考えたスイーツが今から楽しみじゃ ! 」
 カガミはなくなった歯を見せながら笑顔を向けた。
「それから、白頭に使われていた魔人たちだが、なかなか、いい働き手になりそうだ。あの二匹のハエを除いては ……じゃがの」
 カガミの言い草に聖夜は笑って返した。
「あの人たちを雇ってくれて、ありがとうございます」
「お礼を言いたいのはこっちの方じゃ。わざわざ求人募集をしなくてすんだ。それじゃ頑張っての」
 そう言ってカガミは席から立ちあがると、一瞬にして着物を着た若い女の姿に変わった。結った黒髪に色とりどりの宝飾品が飾られている。江戸時代のお姫様のようなきらびやかな姿だ。
 カガミは入口に向って背筋をぴんと伸ばし、赤く美しい着物の裾を床になびかせ歩いていく。
「カガミさんは鏡に映るすべてのものに姿を変えられるんです。便利ですよね。では僕はカガミさんを送ってきます」
 ミミズがいなくなり、雪ノ盛と二人聖夜は席に残された。雪ノ盛といえば美しく変わったカガミの姿を食い入るように眺めている。
「なんと、美しい ……。あれが老人だったとは ……」

 それからカガミを送った後、ミミズは〈死のはざま〉に残っている客たちに手を鳴らすと視線を自分に向けた。そして聖夜が人間界に変えるための手段が変わったと説明を始めた。
「いいですか、皆さん。聖夜さんが作った新しいメニューを試食していただき、美味しいかどうか判定してもらいたいのです。立ち会う人数は八人と決まっています。この中で試食を希望される方はいらっしゃいますか」
 すると店内にいる様々な客が試食を希望した。その中にはノームたちやハエたちも入っていたが、話し合いの結果、試食に立ち会う八人が決まった。一人目は隣にいる雪ノ盛。さらにタニシ、黒豚、ヒフミ、ドナ。そしてナメクジの魔人に、タコの顔をした紫色の魔人と続き死神となった。
ミミズは人数を確認すると口を開いた。
「新しいメニューを発表するのは二日後になります。その間〈死のはざま〉はお休みにします。試食を希望された方々は二日後、お店が開く直前にいらしてください」
 ミミズはそう説明すると新しい客を入れることなく、早々に客を返し店を閉めた。客がいなくなった静かな店内を掃除しながら、聖夜は新しいメニューのことを考えていた。
「どんなものを作るか、アイディアはあるんですか ?」
 ミミズが楽しそうに聞いてきたが、聖夜は首を横に振った。
「それが、全然思い浮かびません」
「おや、そうでしたか。ちなみに新しいメニューは考えるだけでなく、聖夜さんご自身が分量からすべて作らなければいけないようです」
 雑巾をかける聖夜の手が止まった。
「一から僕が作るってことですか ?」
「えぇ、そのようです。多少のアイディアや作り方などの手助けは我々がしていいものの、盛り付けや味付け、材料や分量などは聖夜さんが中心になって考えなければいけないようです」
 その言葉に聖夜は頭が真っ白になった。お菓子など作ったことがほとんどないのだ。もちろん興味を持ったこともない。言葉を失う聖夜を見てミミズが慌ててつけたした。
「心配なさらなくても大丈夫です。我々がついてますから」
 そう言ってもらって少しは気持ちが楽になった。この日、聖夜はひとまず夕食をとって自分の部屋へ戻ることにした。
 するとタンクが部屋の中を往ったり来たりしながらそわそわと動き回っていた。顔の下には黒い蝶ネクタイがついている。聖夜が帰ってきたことに気づくと、タンクは満面の笑みを浮かべ聖夜に近づいてきた。
「これからわたくし、ミドルさんとのデートがあるんです」
「そうなんだ、楽しんで来てね」
「あの、スズメさんの部屋に行くので良かったら坊っちゃんも一緒にいきませんか ?」
「僕も … … ?」
 まさかの誘いに聖夜は一瞬戸惑った。スズメと聞くとどうしても胸が熱くなるからだ。しかし白頭のことがあってからスズメとゆっくり話す機会を持てていない。そこで聖夜はタンクと一緒にスズメの部屋に行くことにした。
 部屋を出ると外はすっかり朝になっている。聖夜はスズメの部屋の扉を二、三度叩いた。すると待たずに開いた扉にはスズメではなくミドルの姿があった。
 どうやらタンクのことを今か今かと待っていたようだ。タンクの姿を目にしたミドルはタンクにハグをして、何度もほっぺたにキスをしていた。見ているこっちが恥ずかしくなるほど二人からは熱い空気が流れている。
 腕を組み、部屋の奥へと消えていく二人を見ながらスズメがやってきた。
「どうしたの ? 何か用 ?」
「あの、よかったら少し外に出て話さない ?」
「うん、いいよ」
 スズメの返事にかすかな緊張を残しながら、聖夜はスズメと肩を並べ歩いた。そして店の外へ出ると、ほどよい木陰を見つけそこに座った。鳥の声が聞こえ、温かい太陽の陽ざしが降り注いでいる。
「あ、あの。助けに来てくれてありがとう」
「聖夜を助けに行くのは当然。だって白頭は嫌いだし、それに聖夜のお父さんにはよくしてもらってるから」
 こうやって二人きりで話すのは初めてだ。聖夜はチョモランマがいることも忘れ、次の言葉を探していた。
「僕、人間界に帰ることにしたんだ」
「知ってる。ミミズから聞いた」
 そっけない返事だ。どうやって話しを広げたらいいか考えていると、スズメから話しかけられた。
「私に殺されそうになって聖夜は怒ってる?」
「怒っていないよ。少し驚いたし、怖かったけど … …」
「私のせいで人間界に帰ることにしたのかなって思ったの」
「そんなことないよ。僕のことを思って取った行動だったから嫌な気分じゃないし、それに人間界に帰る理由はほかにあるんだ」
 こちらを見つめてくるスズメと目が合った。聖夜は照れ臭くなり、あわてて自分の手を見ながら口を動かした。
「家族を人間界に残したままなんだ。僕がここにいると、お父さんにお母さん、それにじいちゃんやばあちゃんに、ずっとずっと悲しい思いをさせたままにさせちゃうんだ。もうこれ以上家族を心配させたくないんだ。だから、一日でも早く帰ろうと思って … …」
 チョモランマのやわらかい毛が頬をさすった。聖夜はチョモランマがいることに気づき、そっとなでた。
「そうね、聖夜は生きた人間だもんね。ずっとここにはいられないのね。でも、本当は残っていてほしい……」
 スズメは今まで見せたことのない悲しい顔してうつむいていた。その表情を見た聖夜は何を言えばいいのかわからなくなってしまった。
「私、聖夜を困らせてる」
「そんなことないよ、僕だってスズメさんと離れるのは寂しいよ」
「その言葉だけでも嬉しい。聖夜には帰るところがあるから、私たちはそれを応援する。新しいメニュー、楽しみにしてるわ。頑張ってね」
 スズメはそう言って立ち上がると店の中へと戻ってしまった。それからしばらくチョモランマと朝の空気を吸って、聖夜も自分の部屋へと戻った。
 すると聖夜よりも先にタンクが部屋に戻っていたのだが、その顔はげっそりとやつれ暗い。タンクは肩を脱力させながらこちらに歩いてくる。話しを聞くとどうやらミドルと喧嘩をしてしまったらしい。聖夜はタンクの話しを聞きながら、その日は就寝した。

 次の日、朝食をとった聖夜は足早に部屋へ戻ると、目の前に紙とペンを広げた。今日までに新しいメニューを考えなければいけない。白い紙を見つめながら聖夜はどんなものを作ろうか考え始めた。
 ところが五分、十分と思いを巡らせても何も浮かばない。ひたすら白い紙を眺めるばかりだ。とうとう頭が熱くなった聖夜は考えることをやめ立ち上がった。そしてチョモランマを肩に乗せると部屋を出た。あそこでじっとしていても何も思い浮ばないのだ。
 聖夜は何か飲もうと厨房へ行ってみると、ミミズとロビンがテーブルを囲み、何やら真剣な顔で話しこんでいた。二人の前には美しく盛りつけされたスイーツがいくつも並んでいる。
 よほど集中しているのだろう。二人は聖夜が入ってきたことに気づいていないようだ。そこで聖夜はこっそり厨房の中に入り、様子をうかがうことにした。
 ミミズは銀の器に入ったメープルナッツのアイスクリームを前に、中腰になりハーブの葉っぱを乗せると手を止めた。
「あぁ、だめです。こんなに美味しいアイスクリームが目の前にあるというのに、盛りつけが全く浮かびません。この見た目では全然これっぽっちも美しくない」
「私は十分だーと思いまーすけど」
 ロビンはテーブルに並んだスイーツの数々を見ながら言った。聖夜もロビンと同じ意見だったが、ミミズはその出来栄えにあまり納得がいかないようだった。いろんな角度から盛りつけた試作品を眺めては首をひねった。
「最近、いいアイディアが浮かびません。美しい盛りつけも何もかも。これはまさにスランプ !」
「珍しいでーすね。ミミズさんがスランプなーんて」
「こんなにすごいのに、スランプだなんて信じられません」
 聖夜は思わず声をあげた。
「おや、聖夜さん。来ていたんですね」
 ようやく二人は聖夜がいることに気づいたようだ。
「何をしているんですか ?」
「お店を休みにしている間に、新商品を開発しようと相談していたんです。今はその試作品をこうやって並べているんですが、なかなか納得がいかないんです」
 〈死のはざま〉には豊富なメニューの種類があったが、ミミズの創作意欲は止まることを知らないようだ。
「僕はこれで十分だと思うけど ……」
 ミミズのような魔人でもアイディアが出ないことがあるのかと、聖夜は盛りつけられた試作品を見ながら思った。自分にはこんな豪華なものを生み出すアイディアなど全くない。そのことを話すとミミズはロビンからハーブティーを受け取り言った。
「これは僕の趣味のようなものですからね。でも、華やかさだけではダメなんです。いくら着飾っても中身の味がしっかりしていなければ意味がありませんからね」
 ミミズの話しを聞きながら、聖夜もロビンからハーブティーを受け取ると一口飲んだ。
「煮詰まった時はそう、人間界のカフェを少し覗いてみるんです。いいアイディアがたくさん転がっていますからね。ところで、聖夜さんは何を作るか決まったんですか?」
「それが、いくら考えても全く思い浮ばなくて」
「なるほど」
 すると黙って話しを聞いていたロビンが話しかけてきた。
「自分がー食べたいもの、なーんてどうでしょーうか」
「それもいいですね」
 食べたいもの、そのことを考えているうちに子供のころに母親が作ってくれたおやつを思い出した。ホットケーキの粉で作ったカボチャが入ったドーナツ。どれも形はいびつで美しい盛りつけなどなかったが、とても美味しくいつも何個も食べていた。
 そこで聖夜はそのドーナツの話しをすると、二人とも興味を持ったようだった。カボチャを使ったスイーツはあるらしいが、カボチャが入ったドーナツは作っていないという。そこでカボチャ入りドーナツを作ることが決まった。
 さっそく聖夜はロビンにドーナツの作り方を教えてもらった。まずは材料からだ。小麦粉、砂糖、牛乳、卵、など必要な材料は十分すぎるくらい備蓄してある。すべて魔界特産のものばかりだ。ロビンに聞きながらドーナツを作るのに必要な材料をテーブルに運んだ。
 次にカボチャだったが、何を使うかとても悩んだ。備蓄してあるカボチャが何種類もあったからだ。人間界で採れる見慣れたカボチャもあるし、奇妙な形をした魔界特産のカボチャが何種類もあった。
 そこでロビンにカボチャの特徴を教えてもらい、優しい甘みにしっかりしたカボチャの香り。そして色が濃い魔界特産の豆カボチャを使うことにした。とても小さなカボチャでリンゴサイズなのだがうまみが凝縮されているという。
 それから基本的な分量を教えてもらい、聖夜は材料や分量のメモを取った。それが終ると今度はカボチャの下ごしらえに取りかかった。そこでずいぶん時間を費やしてしまったが、小麦粉に砂糖や卵、牛乳に潰したカボチャを入れようやく生地が完成した。オレンジ色の生地の中にカボチャの緑色の皮が食を誘う。その生地を丸く整え油で揚げる。油の香ばしさと甘い香りが厨房に広がった。
 すべてを揚げ終えるまで、作り始めてから何時間もかかっていた。ようやく完成したドーナツを見ると、聖夜が思い描いていたものとは全く別なものに仕上がっていた。
 大きさはすべて違うし、それに油で揚げ過ぎたのか、やけに茶色いものが何個もあった。逆に上げ時間が足りなかったのか、色が白っぽいものまである。なかには膨らみすぎてドーナツの穴が無くなっているのもあった。どれもこれもあまり美味しそうには見えない。
「せっかくなので、盛りつけてみたらどうでしょうか。お皿も色んな形がありますし、それにドーナツに粉砂糖や生クリームに蜜、ミントの葉など色々トッピングもできますよ」
 ミミズが出来上がったドーナツを覗いている。そこで聖夜は丸く白い皿に二つほどドーナツを並べると、そこに粉砂糖を振り、生クリームを乗せた。これで完成だ。
 形がいいものを選んでみたものの、やはり皿に乗っているドーナツは不ぞろいで不格好だ。ロビンだったらもっと均等に作れるし、ミミズの盛りつけだったらもっと美味しそうに見えるはずだ。自分の作ったものが恥ずかしく思えてならない。
 しかし厨房には聖夜が作ったドーナツを目当てにスズメにタンクにミドルまでもが集まってきていた。
「どうやら皆さん、聖夜さんが作ったドーナツの味が気になるようですね。という僕も気になっている一人です … …おや、チョモランマさんも気になると !」
 ミミズは聖夜が盛りつけたドーナツの皿を鼻に近づけると、香りを楽しんでいる。
「せっかく、ドーナツもたくさんできたことですし、皆で試食会などしてみてはどうでしょうか ?」
「それはいい考えでーすね。私もこのドーナツの味が気になーっていたところでーす」
 つきっきりで教えてくれていたロビンもドーナツを眺めている。聖夜は急きょ決まった試食会にあわてて人数分のドーナツの盛りつけをすることになった。
 そして店内で椅子に座って待つ皆のもとに、完成したドーナツを置いていった。するとミミズが聖夜に合わせてドーナツの隣に湯飲み茶わんを置いた。中にはほうじ茶が入っているようだ。香ばしい香りが漂っている。
 聖夜は最後にチョモランマ用に切り分けた小さなドーナツをテーブルに置くと席に着いた。
「それでは皆さん、いただきましょうか」
 ミミズの声とともに皆はいっせいにドーナツに手を伸ばした。まだ、聖夜も味見をしていないため、どんな味かわからないままだ。
 目の前のミミズは小指を立てながらナイフとフォークでドーナツを切り分けると、生クリームをたっぷりつけて口へ運んだ。
 緊張の一瞬だ。しばらく無言のまま食べ続けるとミミズはほうじ茶を口に含んだ。 
「なんて素朴で優しい味 … … !」
「さすが坊っちゃん。とっても美味しい !」
「キキッ」
 ミミズの声に続き、タンクとチョモランマが顔を見合せドーナツを食べている。どうやらまずくはないようだ。
 聖夜はほっと肩をなでおろすと、いびつなドーナツにかぶりついた。ほんのりと甘く、カボチャの香りが鼻を抜けた。見た目はおいといて、味は大満足だ。
「このドーナツにぴったりの飲み物は何でしょうね……」
 ミミズは自分の世界に入りこんでいるようだ。
「私にはなーい味でーす。とっても美味しいでーす」
 ロビンは小さく切ったドーナツを満足げに食べながら言った。
「教えてくれた先生が良かったから」
 そう言うとロビンは笑顔を見せ、残りのドーナツをほおばった。チョモランマは食べきれないのか、せっせと頬袋にドーナツを詰めしこみ、タンクはミドルに食べさせてもらっている。どうやら仲直りしたようだ。
 それから聖夜はそっとスズメに目線を移した。するときれいにドーナツを完食していた。その様子に嬉しくなりスズメに話しかけようとしたとき、聖夜はタンクに話しかけられた。
「ところで、坊っちゃん。この美味しいドーナツはなんという商品名なんですか ?」
 タンクに言われて初めて気づいたが、肝心の商品名を考えていなかった。
「えっと、カボチャの ……ドーナツ、かな」
 何も考えずに口から出た言葉はおそろしく普通のネーミングだった。
「カボチャのドーナツ ! 素晴らしい !」
 普通の名前を言ったつもりだったが、ミミズの甲高い声が響いた。これで聖夜の新しいメニューの完成だ。

 次の日、新メニュー、カボチャのドーナツのお披露目の日がやってきた。聖夜はいつもより早起きをすると、カフェを開ける何時間も前からドーナツを作る準備をしていた。生地をこね、形を整えたドーナツの生地を次々油へ入れていく。ロビンにコツを教えてもらいニ度三度と揚げているうちに、少しは要領がわかるようになった。
 それからしばらくしてミミズは聖夜がドーナツを揚げ終えた様子を見計らい、外の景色を朝から夜へと変えた。もうすぐ試食会の時間だ。〈死のはざま〉には続々と新しいメニューを試食するために魔人たちが次々やってきていた。ミミズが店を開けると客のざわめきが店内に広がった。
 聖夜は八人分のドーナツを盛りつけると、ミミズとスズメが客に新商品を運んだ。さらにドーナツの隣にはミミズが考案したキャラメルとナッツが入った濃厚カフェラテがサービスで添えられている。
 八人の客のうち、五人が美味しいと言ってくれれば聖夜は人間界に帰れる。聖夜は店内の様子が気になり、こっそり厨房から顔を出した。テーブルに並べられたドーナツが次々と客の口に入っていくのが見えた。しかし会話はなく、食器のぶつかる音しか聞こえない。店の中全体に緊張の糸が張り巡らされているかのようだ。
「うまい !」
 沈黙を破るかのように雪ノ盛の声が響いた。それをきっかけに黒豚の鳴き声が聞こえ、タニシとナメクジの魔人の美味しいといった声が聞こえた。しかし、残りの四人は無言のままだ。
 ドナは手を左右に振り、いまいちといった仕草をとった。同じようにヒフミも顔をしかめたまま、ミミズが用意したカフェラテを口にしている。さらに紫色のタコの顔をした魔人も一口食べて手をつけようとはしなかった。
 最後に残ったのは死神だけだ。死神は無言のままゆっくりドーナツを完食し、カフェラテを飲み干したが何の反応もない。ここで死神が美味しくないと感じれば聖夜の帰る道は長いものになってしまう。
 皆の視線が嫌でも死神に向く。すると足もとから地鳴りが聞こえ、店内が小刻みに揺れ出した。地震なのだろうか、聖夜は強くなる揺れにテーブルに手をつけた。しばらくすると揺れが収まったのだが、その直後、死神が勢いよく立ちあがった。そして聖夜の方を振り向き、口から白い湯気を吐きだしている。
「お ……かわ……り。うまい……」
 死神がざらついた声で言った。すると突如、魔界の言葉で歌が流れ出した。入り口にある防犯ブザーのミイラが陽気なメロディーに乗せ歌いだしたのだ。
「聖夜さん、やりましたよ。防犯ブザーが人間界に帰れることを歌っています !  これでいつでも人間界に戻ることができます」
 ミミズが満面の笑みで聖夜の手を握ってきた。これで人間界に戻れる。聖夜は店内に出て客たちにお礼を言うと、祝福する拍手が鳴り響いていた。
 試食をしてくれた客たちが帰り支度をすませるなか、聖夜はフロントの前を通りすぎる死神に話しかけた。
「あの、色々ありがとうございました」
 初めは怖くて仕方がなかったが、何かと協力的な死神にお礼の気持ちが言いたくて思わず声をかけたのだ。すると死神はのどの奥をごろごろと鳴らし、ゆっくりうなずき店から出ていった。

 それから聖夜はいつものように六時まで〈死のはざま〉で仕事をこなした。この日は一日中、厨房の中で仕事をすることになった。次々やってくる客がドーナツの話しを聞きつけ食べにやって来たからだ。
 そしてノームたちやほかにも聖夜に協力してくれた魔人たちに人間界に帰れることを告げると、別れの挨拶とともに健闘を祝福してくれた。
 ようやく仕事を終えた聖夜は少し休むと、雪ノ盛との剣道の稽古をするために裏庭へ出た。何も言わずいつも通り稽古をしていたが、稽古を終えると雪ノ盛が話しかけてきた。
「少し、話さぬか ?」
「うん、いいよ」
 二人はカフェの裏に回ると腰をおろした。虫の鳴く声が聞こえ、青い月が二人を照らしている。
「ドーナツ、うまかったぞ」
「形は悪かったけどね」
「そんなことはない。わしは十個も食ったぞ」
 暗がりの中、沈黙が流れる。
「これで元の世界に戻れるな」
「うん」
「して、いつ帰るんじゃ ?」
 その問いに聖夜は少し考えてから口を開いた。
「今日はここに泊って、明日の朝 … …。朝っていてもここは夜だけど。起きたら帰ろうと思ってる」
「そうか … …。聖夜がいなくなると寂しくなるな」
「僕も」
 そう言った直後、聖夜の腹の虫が鳴った。
「わしも腹が減った。飯にしよう」
 二人は厨房へ戻るとロビンが用意してくれた夕食を食べた。この日のメニューはコーンスープにサラダ、熱々のパンにステーキが用意されていた。雪ノ盛はその食事に目の色を変えるとあっという間に一人前をたいらげていた。
 それから雪ノ盛は用事があるといってすぐに〈死のはざま〉から出ていてしまった。もう少し雪ノ盛と話しをしたかった聖夜だったが、どうしても外せない用事だというのだ。
 雪ノ盛と別れた聖夜は〈死のはざま〉の皆に起きたら帰ることを告げた。そのことに関してだれも引き留める者はおらず、悲しげな空気が漂った。
 魔界で過ごす最後の夜。聖夜はタンクとチョモランマと三人で布団に入ると寝るのも惜しんで話しを続けた。最後だと考えると眠ってしまうのがもったいなかったのだ。思う存分三人は話し込むと、いつしか聖夜に深い睡魔が訪れていた。
 
 そして気づいたとき、聖夜はタンクにいつものように起こされていた。空には青い月がのぼっている。寝ている頭を起こそうと、聖夜はコップ一杯の水を飲んだ。
 それから洗面台に立ち、顔を洗い髪を整えた。それが終ると魔界に来た時に着ていた服にそでを通した。タンクが洗濯してくれたおかげで石鹸の優しい香りがしている。
 聖夜はチョモランマを肩に乗せると、タンクを連れて一階へ降りた。店内にはミミズやロビンのほかにスズメとミドルも集まっていた。
「聖夜さん、朝食の準備が出来てますので良かったらどうぞ」
 ミミズにそう言われ厨房に向かうといつも以上に豪華な朝食が用意されていた。ブルーベリーのチーズケーキタルトにふわふわのシフォンケーキ。フルーツがたっぷり入ったヨーグルト。そこに大量のサンドイッチが並び、色とりどりのクッキーもある。まるでパーティーのようだ。
「せっかくなので、皆で食事をしようと思いまして」
 聖夜は笑顔でミミズに返事をした。それから皆で食事を店内に運ぶとテーブルを囲んだ。こんなに賑やかな朝食は初めてだ。聖夜はエスプレッソを飲むとサンドイッチに手を伸ばした。中にはアボカドにテリヤキチキンが挟んである。いつものことながら、ここのカフェの食事は舌がとろけるほど美味しい。
 食事も終り、食器を片づけるとロビンが温かいハーブティーを入れてくれた。
「本当にお別れなんですか ?」
 隣にいるタンクがこちらを見つめている。
「いつも洋服を洗ってくれてありがとう。いい匂いがしてるよ」
「毎朝、起こす人がいなくなるなんて … …。もう、坊っちゃんの面倒が見られないなんてわたくし、とてもとても寂しいです」
 タンクは目に涙を浮かべている。
「絶対にタンクのこと忘れないよ」
「私もです」
 それから聖夜は厨房へ向かい、食器を洗うのを手伝った。帰る時間が刻々と迫る中、雪ノ盛が姿を現さないのが気がかりだった。帰る時間はしっかり説明したはずだ。
 結局、雪ノ盛が現れないまま聖夜はミミズたちとともに〈死のはざま〉を出ることになった。白い霧を抜けた先、目の前には細い道が四つ並んでいる。
「一番右の道にあるのは魔界専用の石像です。そして残りの三つの道の先には人間界へ戻れる石像がそれぞれ設置してあります。注意していただきたいのは、入って来た時と同じ石像を通るということです。間違えてしまうと人間界に戻った時に死んでしまいます。聖夜さん、どの石像だったか覚えていますか ?」
 ミミズが心配そうな顔でこちらを見てきた。魔界にやって来たときの石像といわれ思い浮かぶのは古いお地蔵様しかない。しかしそれが魔界へつながる石像だったのか聖夜には確信がなかった。
「正直、わかりません。でも、心当たりがあるので確認してきます」
 そう言って聖夜は一番左端の道へ足を運んだ。細い道の先、行き止まりにお地蔵様の姿が見えた。両手にフルーツが入ったカゴを持っている。全く見覚えのないお地蔵様だ。これは違う。聖夜は来た道を戻りミミズたちに首を横に振った。
 次に隣の道を進んでいくと、苔がたくさん生え、古ぼけた姿のお地蔵様があった。踏切のそばに立っている、見慣れた団子地蔵だ。
 聖夜は念のため三本目の道にある石像も確認した。案の定そこに置かれていたのは湯呑茶碗を持った見たことのないお地蔵様だった。二番目の道にあるお地蔵様で間違いない。
「入って来たときの石像を見つけました」
 その言葉に皆の顔が安堵した。いよいよ聖夜が帰る時がやってきた。
「一緒に食材をー取りに行ったり、料理を教えーたり本当に楽しかったでーす。これかーら寂しくなりまーす」
 ロビンが一歩前に出てくると長く大きな足で聖夜を優しく包んだ。
「僕もです。ロビンの作る料理、すごく美味しかった」
 その様子を見ながら涙を流しタンクが足に抱きついてきた。
「坊っちゃん、どうかお元気で」
「うん、タンクもね」
 聖夜は泣きじゃくるタンクの背中をなでた。すると今度はスズメがやってきた。スズメの顔を見ると帰るという気持ちが揺らいでしまいそうだった。
「聖夜、やっぱり帰ってほしくないから死んで」
「スズメさんに殺されるんだったらいいよ」
 そう話すとスズメは笑顔を見せ、聖夜の頬にキスをした。
「寂しくなったらキョウチクトウを見つけて。私はいつでもそこにいるわ」
「うん、必ず、必ずスズメさんを探すよ」
 聖夜は胸の高鳴りを感じながら力強く答えた。こんなことなら本当に殺されてもいいとさえ思えた。
 するとその時、遠くから聖夜を呼ぶ声が聞えた。雪ノ盛だ。白い霧を巻き上げ勢いよく走ってやってきた。しかしその姿といえばそれはひどいものだった。
 普段からきれいだとはとても言えないが、そこにさらに小汚さが上乗せされていたのだ。どこに行ったのか、頭には小枝がいくつも突き刺さり、長い髪の毛には葉っぱも絡まっている。顔や服は泥まみれだ。
「聖夜、聖夜 !  いや、間に合ってよかった」
 雪ノ盛は息を切らしている。
「カフェに行ったら誰もいなくて、大慌てで探し回ったんだ。いや、聖夜がまだいてくれって本当によかった。実はこれを渡したくてな !」
 笑顔で突き出した雪ノ盛の手にはこんぺいとうをが入った袋が握られていた。
「なかなかその辺にはなくてな。あちこち探し回ってようやく見つけたんだ」
「大事な用事って、もしかして ……」
「そうじゃ。聖夜にこんぺいとうをやろうと思ってな。いやいや、何とも時間がかかってしまった」
 するとミミズが不思議そうに雪ノ盛が握るこんぺいとうの袋を覗きこんでいる。
「それは一体何ですか ?」
「これは砂糖の菓子じゃ。知らんのか?」
「えぇ、初めて見ました。緑に黄色にピンク色。それに白もありますね。それになんて可愛らしい形でしょうか」
 ミミズは興味津々だ。
「あの、よかったら一粒分けていただけないでしょうか ?」
「おう、そうであった」
 雪ノ盛は袋からこんぺいとうを取り出すと、皆に渡して歩いた。ミミズは小さなこんぺいとうを指でつまむと、あちこち角度を変えながら眺め、味わうようにこんぺいとうを口に入れた。
「なかなか面白い食感ですね。ふんふん、なるほど。これは新しいメニューになりそうです !」
 聖夜も雪ノ盛から緑色のこんぺいとうをもらい口にした。砂糖の甘い香りが広がっている。
「ところで聖夜、あの時はすまなかった。お前の気持もわかってやれず、言い過ぎてしまった。ほら、これ … …」
 そう言って雪ノ盛はこんぺいとうと一緒に壊れた携帯電話を渡してきた。
「これ、携帯 … …」
「白頭の屋敷の中で見つけたんだ。これはお前の大事なものだろう」
 聖夜は壊れた携帯電話を受け取ると強く握りしめた。
「雪ノ盛さん、ありがとう。あの時、僕が悪かったんだ。携帯なんかなくても十分楽しく生きていけるってわかったよ。雪乃城さんが言っていることが正しかったんだ。僕、ちゃんと生きるよ。いじめにだって立ち向かうよ」
「そうか、そうか … …」
 雪ノ盛は鼻をすすりながら聖夜を力強く抱きしめていた。すると耳元で聞きなれた甲高い声が聞えた。チョモランマだ。
「チョモランマさんもお別れの挨拶を言っています」
 ミミズが言った。
「『元の世界に戻っても俺のこと忘れるなよ。俺はお前の守護霊なんだからな、いつでも見まもっているぞ』と、おっしゃっています」
「忘れるわけないよ。ずっとそばにいてくれてありがとう」
 聖夜はチョモランマをなでた。そしてポケットから懐中時計を取出した。
「これ、すごく役に立ちました」
 聖夜はミミズに懐中時計を手渡した。ミミズはなでるように懐中時計を受け取ると聖夜を見つめた。
「僕に目を向けてくれる人間がいてとても嬉しかった。聖夜さん、もし人間界で困ったことがあったら、そして寂しくなったら、僕を探して下さい。僕はいつも土の中にいます。あ、たまに地表にいますけどね」
 ミミズの頬から一筋の涙が落ちるのが見えた。そしてミミズは人差し指を立てると、聖夜が着ているTシャツの文字をなぞった。すると文字がTシャツの中でうねり始め「A M A N S T A N D U P (一人の男が立ちあがった)」から「I LOVE SEIYA」に変わった。
「僕的には、こちらのほうが好みです」
「これ、ちょっと恥ずかしい。センス … …ないかも」
 聖夜はTシャツに書かれた文字を指さし、笑いながら言った。ミミズもまんざらではないようだ。
「いいセンスしていると思いますよ。ねえ、タンク ?」
「はい、わたくしもそのシャツ、一枚欲しいです」
 それから聖夜は肩に乗っているチョモランマをミミズに渡した。黒い瞳が寂しげにこちらを見つめてくる。聖夜はもう一度、チョモランマの頭をなでた。
「人間界に帰るお手伝いをしてくれて本当に感謝しています。寂しくなったらキョウチクトウも探すし、それに土の中も探します」
 聖夜の頬を涙が濡らした。皆の顔にも涙が光っている。聖夜はこれ以上涙をこぼさぬように青い月が出る空を見上げると、ゆっくり背を向けた。そして帰り道へと足を動かした。
「石像の前まで行ったら目を閉じて歩いてください」
 後ろからミミズの声が聞こえる。それに続くようにタンクや雪ノ盛、そしてチョモランマの甲高い鳴き声が聞こえた。聖夜は右手をあげ、聞こえているという合図を送るとそのまま振り返ることなく歩き続けた。振り返れば、帰ると決めた自分の気持ちが揺らいでしまいそうだったからだ。
歩き続けると岩の塊のような団子地蔵が見えてきた。聖夜は目を閉じるとお地蔵様に向かっていった。
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