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何時の日か陽だまりの下貴女と笑いあう日がくればと私は思うのです(3)

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 刻限丁度にいらっしゃったのはキースダーリエ様と使い魔の子猫でした。
 まさかアールホルン様を連れてこないとは思わず、私は一瞬で混乱に陥ってしまい言葉を失ってしまいました。
 私の異変に気づいた兄上のとりなしで何とか混乱から抜け出しぎこちなくではありますがキースダーリエ様に「お越し下さって有難う御座います」と言い席へ案内することができましたが。
 ですが兄上が椅子を引いた事に対して優雅にお礼を言っているキースダーリエ様を他所に私の心はまだ混乱から完全には抜け出せずにいました。
 それ程私はキースダーリエ様がアールホルン様を伴わず御一人で来ると私は思ってもみなかったのです。

「(これは……キースダーリエ様には『理解者』がいないという事なのでしょうか?)」

 それはとても悲しい事です。
 空虚な自分の一部を埋める事も分かち合う人もいないという事は孤独という事です。
 もし私がそのような立場なら悲しく様々な事に立ち向かう勇気も持てなかったかもしれません。
 この時私は自分が彼女の様に理解者の居ない状態という仮定の話になりますが確かに悲しみを感じておりました。
 そんな私の悲しみの心の内が表に出ていたのでしょう。
 お茶を入れた侍女が下がる瞬間キースダーリエ様に鋭い視線を向けてしまったのです。
 もう私のせいで傷つく人を見たくはないのに。
 それでも私は私のためと言って動く人を止める術を持っていない自分に嫌悪し、そして力不足を嘆く事しか出来ないのです。
 キースダーリエ様が気づいていないわけがありません。 
 気づいていながらも気づかない振りをなさっているのでしょう。
 帝国に見切りをつけたか、本当に気にしていないのか私には分かりませんが、どちらにしろ私に対しての信用は更に落ちた事でしょう。

「(もはや底に至り落ちる余地などないかもしれませんが)」

 表面上は全く変わりなく、何処までも優雅に微笑んでいるキースダーリエ様の貴族然とした姿に私は何故か一瞬だけ『あの人』を思い出しました。
 一体どうしてなのかは分かりませんが、今考える事ではありませんね。
 私は一体どうやって話を切り出そうか悩み、結局一人でいらっしゃった事を聞く事しか思いつきませんでした。

「アールホルン様といらっしゃると思い、兄上も招待してしまい申し訳ありません」
「あら? お兄様と共に来る事をお望みでしたか? それは申し訳ございません。今、お兄様は殿下方といらっしゃると思いますが」

 何か重要なお話なら今からでもお呼びした方がよろしいでしょうか? と聞くキースダーリエ様に「問題ありません」という事しか出来ません。

「ただキースダーリエ様はアールホルン様をとても信頼なさっているように思っていましたので……」

 その一言で次が続かない私に気を使ったお兄様が話を繋げて下さいました。

「妹のきゅうな誘いはすまないと思う。だが妹は「理解者と共に」と言ったとおもうのだが、アールホルンはあなたの理解者ではないのですか?」
「まさか! お兄様はワタクシを慈しんで下さっておりますし、ワタクシもお兄様を愛しております。お互いにお互いの理解者でありたいと思っておりますわ。――少なくともお互いに一番大切な方を見つけるまでは」

 「お兄様がパートナーを見つけた際はその役目はその方になる事でしょうから」と微笑むキースダーリエ様の笑顔は完璧でありながら隙が無く、言っている事は本音だと分かるのですが、私達を警戒している事も分かるものでした。
 饒舌にお話なさってはいますが、今のキースダーリエ様は帝国で出会った頃の私達を警戒し、王国に不利益が降りかからない様にしている時と同じ心持ちなのでしょう。
 最初に「ここでの話はおたがいの胸の内にひめることになります。今だけは地位を考えず何を言ってもしょばつはありません。ですからおたがい本音ではなしませんか?」と兄上が言いましたが、その言葉も信じては下さっていないのでしょう。
 侍女も騎士も下げましたが、キースダーリエ様にとって、ここは敵地と同じなのかもしれません。
 私達のせいでそうなったと分かっても悲しみは拭えません。……この被害者意識すら間違っていると言うのに。
 納得がいかない様子を見せる私達にキースダーリエ様はコトリと首を傾げました。

「ですが、海の中の神殿のお話と言っておりましたので。帝国の機密に関するお話の可能性も御座いますでしょう? まさかそのような場所に王族でもないお兄様をお呼びする事は出来ないと判断させていただいたのですが」
「それは、確かにそうですが……」

 キースダーリエ様は私のその言葉の裏を読んで下さったと思っていましたが違ったのでしょうか?
 いえ、違わないのでしょう。
 強引とはいえお誘いした時の表情を見たあの瞬間、私は自分の伝えたい事が伝わったと直感致しました。
 こうして対面で話してさえそう感じるのです。
 ならば、キースダーリエ様は分かっていながらもあえてアールホルン様をお連れにならなかったという事になります。
 何故か?

「(私達が信用出来ないから……なのでしょう)」

 敵地とも思う場所に皇族という格が上である私達が自分達に何を言いだすか分からないから。
 キースダーリエ様はそんな場所に大切な兄を連れてくる事を良しとはしなかった。
 そういう事なのでしょう。
 納得と共に悲しみに胸を締め付けますが、それも致し方ない事。
 キースダーリエ様の判断を間違っているとは私には思えないのですから。

「分かりました。……では神殿の話をすませてしまいましょう」

 神殿の話もまた本題の一つではあるのです。
 水の聖獣様がいらっしゃると言われている聖域。
 今までは誰が其処に至ろうとも決して現れる事は無く、皇族だけが読む事の出来る文献の中にしか存在を確認出来なかった神殿。
 あの神殿をまさかこの目で見る事なるとは私も考えておりませんでした。
 ましてや私は【水の恵み子】であり【愛し子】では無いのですから。
 
「(もしかしたら【光闇の愛し子】が揃った事で起こった奇跡なのかもしれません)」

 ああやって現れた神殿に入る方法は二つ。
 一つは魔法などを駆使し水の中を通り正門から入る方法。
 そしてもう一つ。
 この王宮内から入る方法。
 後者の入り方を知っているのは皇族だけです。
 帝国にとって決して他者に明かす事はないと思われている秘密の一つだと私はお聞きしておりました。
 ですが皇帝はその秘密の一つを他国の者に明かす決意をされたのです。
 それほどまでに王国から来た両王子とキースダーリエ様、そしてアールホルン様は皇帝の信頼を勝ち取った、という事なのでしょう。……同時に私達皇族のしでかした事がそのような決断を後押しする程の失態だったという事でもあるのでしょう。
 皇帝陛下から信頼を羨ましいと思わない事も御座いません。
 なれど今に至るまでの自分のしでかしてしまった事と、帝国と王国の関係まで考慮し動いていたキースダーリエ様の言動を考えれば当たり前ともおもってしまいます。
 キースダーリエ様は『私』と同じだと言うのに、どうして此処まで差があるのでしょうか?
 私は一体何をすればよいのか。
 今の私にはそれすら分からない状態なのです。
 真っ暗な場所に導もなしに立っている心もとなさを感じながらも口では神殿についてキースダーリエ様に説明しています。

「(この怯えた心が声が出ていなければ良いのですが)――聖域に聳え立つ神殿には聖獣がいらっしゃると文献に残っております。此度神殿が現れたのは【光闇の愛し子】であるキースダーリエ様達が聖域に近づいたために起こった事象ではないかと帝国側は考えております」
「何かの予見ではないという事ですか?」
「過去に神殿が現れた時に合わせるかのように帝国に災厄が降りかかったという話は御座いません。ただ神殿の現れた時期のみ聖獣様に謁見が可能であると記されているだけなのです」
「では皇女様サマ達は聖獣様にお逢いするという事ですか?」
「そのつもりですが、それだけではなく、皇帝陛下は皆さまにも同行を打診なさるそうです」

 キースダーリエ様はある程度は予測していたのか少し驚いていましたが、大きく反応する事無く「そうですか。では殿下達には事前にお話しがあった事をお伝えさせて頂きます」と言って再び微笑んだ。

「ではもう一度グラベオンに赴くという事ですね」
「いいえ。極限定的な期間ですが王宮内から神殿に行く方法が御座います。今回はその方法で赴く事になると思いますわ」

 流石にこの言葉には驚いたのか少し目を見開いたと思ったキースダーリエ様でしたが、直ぐに私の言葉の裏を探る様に目を細めたのが分かりました。
 心の内まで見透かされそうな、探るような紺色の眸に目を逸らしてしまい気持ちに駆られます。
 ですが、此処で目を逸らしてしまえば、私の言葉は信じてもらえなくなるでしょう。
 心の恐れをねじ伏せてキースダーリエ様を見つめていると、ふと彼女の視線が緩みました。

「王宮内からとなると、秘密事項に当たるのでは? 殿下達はともかくワタクシ達もよろしいのですか?」
「問題は御座いません。皇帝陛下の指示ですので」
「そうですか。……方法を今聞いても構いませんか?」

 この時初めてキースダーリエ様から喜びにも似た感情が伺えました。
 その目には少しだけ好奇心が見えたのです。
 どうやらキースダーリエ様は好奇心が御強い方のようです。
 私達を警戒している心よりも僅かながら好奇心が勝ったのではないかと思います。
 未知のモノに対して尻込みするよりも知りたいと考える。
 錬金術師としては大切な資質なのでしょう。

「(本当に彼女は『キースダーリエ』とは違うのですね)」

 『ゲーム』に出て来た『キースダーリエ=ディック=ラーズシュタイン』
 王国宰相の長女にして王国建国時から王家を支える貴族の家の出にして偉大なる錬金術師を輩出した家に産まれながらも錬金術を嫌悪し魔法に傾倒し続けた女性。
 『キースダーリエ』に魔法の才能が無かったわけでは御座いません。
 むしろ学園の魔法科に所属しながらも上位の成績をお取りになる程の才能を有しておりました。
 ただ、それ以上に錬金術師の才能に恵まれていただけで。
 一人の男性を妄信的に愛し、その男性のために全てを投げうち、自身が駒である事すら理解しながらも最期の時まで一人を思い続け、その唯一に捨てられた後、正気を保ったまま狂い死んでいった悲しくも恐ろしい女性。
 
 私の知る『キースダーリエ』という女性はそういう方なのです。
 目の前のキースダーリエ様のように貴族の女性として完璧な仕草を取りながらも好奇心を持ち、錬金術を愛している女性とは似ても似つかない方です。
 キースダーリエ様からは『キースダーリエ』のように誰かへの妄信的なモノなど感じません。
 この頃はまだ、と考えてもやはりしっくりこないのです。
 その事が私がキースダーリエ様が『同類』ではないかと思った理由の一つでした。
 
「(海の中で錬金術を嫌っていない様子を見るまで気づきもしなかった事ですが)」

 驚きの事実を知った後、改めてキースダーリエ様の言動を考えればすぐに違和感を見つける事が出来ました。
 むしろ今まで見逃していた事こそ愚かだったのだと感じる程です。
 キースダーリエ様は『キースダーリエ』と同じになる事は無い。――姉上と決して同じではない。
 
「(私は一体彼女の何を見ていたのでしょうか)――帝国の秘術になりますので方法まではお教えできませんが。そうですね一つだけ。礼拝の間に道が出来るとだけ」
「そうですか。それは失礼な質問をしてしまい申し訳ございません。だというのに僅かとはいえ教えて頂き有難う御座います」

 断られた事はあまり気にしていないようです。
 想定内だったという事なのかもしれません。

「定められた時期が判明するのが前日となりますので、急な謁見となりますが、そこは私共にもどうする事もできないのです。申し訳ございません」
「とんでもございません。本来なら他国の者を参加させるなど簡単に出来る事ではございません。だと言うのに、参加させて頂くだけワタクシ達にとっては幸いに御座います。むしろそのような決定に対して申し訳ない気持ちになります」

 頭を下げた私に慌てるキースダーリエ様。
 ですが、此方の都合で振り回している事には変わりないのです。
 聖獣様にお逢いする事は誉となるはずです。
 とは言え、今まで私達がかけた迷惑の代償になるとは決して思えないのです。

「(しかも私は神殿の話と言いながら本当に聞きたい事が違うという、聖獣様にも失礼な事をしようとしているのです)」

 神殿の事は説明してしまいました。
 表向きの話題が終わった今、キースダーリエ様がお帰りになる事には何の問題もないのです。
 ですが、それは私にとっては困る展開となってしまいます。
 身勝手な事は承知しておりますが、これでは私の我が儘を聞いて下さった様々な方にも申し訳が立ちません。
 
「(ですが、一体どうやって切り出せば……)」

 そんな私の葛藤が伝わったのでしょうか?
 優雅にお茶を口にしていたキースダーリエ様が顔を上げると真っすぐ私を見据えたのです。

「神殿のお話は分かりました。殿下達にもワタクシからもお話をお伝えしたいと思います。――ですが、何故ワタクシだったのですか?」
「それはどういう意味ですか?」

 兄上の返しにキースダーリエ様は苦笑なさると再び小首を傾げました。

「帝国の機密の話となれば一貴族でしかないワタクシよりも殿下方とお話した方が宜しかったのではないかと思いますが? と失礼ながら思いましたのですが?」

 カップを置いたキースダーリエ様は微笑んでいらっしゃいます。
 ですが眼は此方の心の内全てを見透かし暴くかのように鋭く、少しの隙も見逃さない強い眼差しなのです。
 完全に気迫負けしてしまった私は口を噤む事しか出来ませんでした。
 こん無様な姿を晒してしれば失望されキースダーリエ様はお帰りになってしまう。
 そして二度とこのような場所を開く事は出来ず、何も知る事は出来ない。
 色々な方に無理を言ってこの場を作って頂いたのに。
 そう思っていても自分を奮い立たせる事の出来ない弱い自身が情けない。

「(一体どうすれば?)」

 混乱し頭痛すら感じて来た時、突然キースダーリエ様が驚いたように目を見開いたのです。
 いえ、多分見開いたのだと思います。
 私は何故か霞む目の前に意味が分からず首を傾げていると私の侍女が慌ててやってくるのが分かりました。
 そうして侍女に拭われて私は自分が涙を流している事にようやく気付いたのです。
 クリアになった視界の中、此方を見ていたキースダーリエ様は平常に戻っていました。
 ですが、それよりも私は自分の隣……侍女から苛立ちの気配を感じて皇族らしくない大袈裟な動作で振り返ってしまいました。
 侍女はそんな私を咎める事無く、ただ只管キースダーリエ様を睨んでいます。
 平素では見られない恐ろしい表情に固まる私を他所に侍女は今にもキースダーリエ様に怒鳴りそうな雰囲気できつく睨みつけているのです。
 彼女は部屋ギリギリまで下がり、防音の魔道具を発動させていたために私達の会話は聞こえていなかった事でしょう。
 私も知られる訳にはいかないと下がるように指示しておりましたし、その命を破るような無作法をする人ではありません。
 会話が聞こえていないからでしょうか?
 彼女は私が泣いた原因がキースダーリエ様にあると考えてしまったのです。
 私は下がるように言わなければいけないのに、声が出ません。
 今まで彼女は私に良くしてくださいました。
 私には優しい人なのです。
 彼女は私なんかを慕って下さっているのです。
 そんな彼女に権力でもって強く言ってしまえば嫌われてしまうかもしれません。
 私の中には彼女に嫌われる事が怖いと叫ぶ自分が居るのです。……いえ、彼女だけではありません。
 私を「聖女」と呼び慕って下さっている方々の期待を裏切る行為が怖いのです。
 平民だろうと王宮で働いている方にも平等に優しい「聖女」のような皇女。
 そんな期待を裏切り権力を振りかざした時、彼女等は一体私をどう思うのか。

「(『前』の時だって私は周囲から外れる事を恐れた。周囲の目を気にして何も出来なかった)」

 こんな状況だと言うのに、この世界に転生したと自覚した頃が懐かしいと思うのは私にまだ覚悟が足りないからなのでしょうか?
 ですがあの頃の自分が一番私らしく生きていた、とそう思ってしまうのです。
 今の私は『前』の『私』と同じです。
 周囲の期待を裏切り、周囲から嫌われる事を恐れて「良い子」でいようとする。
 憧れていた『あの人達』のよう自分を貫く事など決して出来ない。
 今だって嫌われる事ばかり考えて言葉が出ない。
 これ以上キースダーリエ様に迷惑を掛けるわけにはいかないのに。
 自己嫌悪と嫌われる恐怖に言葉が出ず、再び頬が濡れるのが分かりました。

 涙を流し一言も話す事が出来ず、ただぼんやりと眺めている私はキースダーリエ様がじっと私を見ている事にようやく気付きました。
 侍女に睨まれていても、何も言わずじっと。
 私の心の内を見透かし、見定めるかのように。
 紺色の双眸に宿っているのは私が話すに値するかどうかを見極めるいっそ冷徹ともいえる色。
 今、私は見定められようとしているのです。……今後一体どのように関わるのかを。
 そんなキースダーリエ様の態度も気に入らなかったのでしょう。
 再び涙があふれ出た私に今度こそ侍女が怒鳴り声を上げようとしました。
 ですが侍女を止める間も無く、突然キースダーリエ様の使い魔が机に上がった事により、彼女はタイミングを逃し口を噤む事になったのです。
 無作法と言ってしまえば、そうですが、あまりのタイミングに誰もがそれを指摘する事無く、彼女も怒鳴るタイミングを失い無言でキースダーリエ様と使い魔を睨んでいます。
 いえ、違うのかもしれません。
 多分彼女はその使い魔の鋭い眼光に気圧され言葉が出なくなってしまったのだと思います。
 主を守ろうとする使い魔に対してキースダーリエ様は褒めるように使い魔の背を撫ぜると私に対して微笑みました。……何処までも美しくありながらも何処までも冷ややかに。
 子供では決して出来ない微笑みに侍女が気圧されるのが分かりました。
 同時に兄上と私もまたキースダーリエ様の笑みに気圧されていました。
 
「これが帝国の礼儀なのですか?」

 冷ややかで感情のこもらない声音こそがキースダーリエ様の微笑みがただの作り物である事の証左なのでしょう。
 キースダーリエ様は私では無く、侍女に向けて微笑みました。……冷ややかさはそのままに。

「忠義の篤い方ですわね。――羨ましいとは思いませんし、ワタクシのメイド達に見習わせたいとは微塵も思いませんけれど」

 嘲るように紡ぐ言葉に侍女が怒りを口にしようとしますが、それもキースダーリエ様と使い魔の冷ややかな気迫に押され口を開く事が出来ないようです。
 もしかしたら魔力での威圧も混じっているのかもしれません。
 ですが、あれは自分の意志で左右出来るモノではないかと思っておりましたが、違ったのでしょうか?
 どんな理由であれど、誰もが口を開けない中キースダーリエ様だけが微笑みながらも言葉で私達を切り刻んでいきました。

「確かにワタクシは一貴族。皇族の方に口出しする事などもってのほかですわ。ですが……だからと言ってこの身に流れる公爵家の血をを蔑ろにされて黙っていられる程、ワタクシ優しくはあれませんの。――――ここまで言ってもお判りいただけません?」

 キースダーリエ様の言葉に私はとんでもない失態を犯している事にようやく気付いたのです。
 王宮に勤め皇族の侍女である彼女は確かに貴族です。
 ですが、公爵家であるキースダーリエ様に正面から意見する事が許される身分ではありません。
 他国とは言え……いえ他国の客人だからこそ身分を弁えぬ言動はそのまま帝国の評判に繋がります。
 万が一キースダーリエ様に非があった場合ならば、私達も彼女を庇う事は出来ます。
 ですが、今に至るまでキースダーリエ様には一切非はありません。
 だと言うのに、一侍女が身分も弁えずキースダーリエ様を睨みつける。
 あまつさえ怒鳴りつけようとしていたなんて。
 場合によっては職を辞さなければいけない程の失態となる事でしょう。
 そこまで思い当たり私は自身の血の気が引く音がしたような気がしました。
 今まで私は身分など気にせず接して欲しいと周囲に言ってきました。
 『日本』で培われた道徳心が生まれによる序列に馴染まなかったのが理由です。
 ですから侍女の方や護衛の方とお茶をするなどして仲良くして下さっていたと思います。
 ですが、それはあくまで私的な空間だから許されていた事です。
 他国の御客人の前でまでそのような事は許されません。
 私のしていた事は彼女達から悪い意味で身分という考え方を消してしまったのかもしれません。
 その結果が王宮に勤める誇り高い侍女である彼女の失態ともいえる今。
 
 この状況を造り出してしまった事こそ私の罪だったのです。    
 
 しかも私はキースダーリエ様に言われるまで気づきもしなかった。
 父上……皇帝陛下はきっと、そんな私の態度に対して遠まわしに指摘し自ら気づくように言葉を下さっていたのでしょう。
 今まで幾度となく言われた「常々皇族として律する」とは身分制度を崩壊させかねない私に対する遠まわしの警告だったかもしれません。
 同じ世代のキースダーリエ様の態度が完璧だったからこそ、皇妃は私に見習うように言われたのでしょう。
 私は今までそんな両親の想いまで踏みにじっていたのだとようやく気付きました。……それも遅すぎる自覚なのです。
 侍女たちと仲良くなる事が悪い事ではありませんが、あくまで公私を分ける事が出来る……それが大前提であるという事を。
 両親は遠まわしに指摘して下さっていました。
 そして、それは兄上も同じでした。……ならば兄上は?
 私はそっと隣の兄上を伺いました。
 すると兄上は私を見て苦笑いをしていたのです。

「(ああ。やはり兄上や父上は私が自分で気づく事を待っていてくださっていたのですね)」

 だからこそ気づいて青ざめている私に対して兄上は言葉をかける事無く苦笑なさった。
 自らの不明を嘆く事は何時でも出来ます。
 ならば私は見守って下っていた兄上や父上にどう返せばよいのか。
 あの一言から何も言わずにお茶を飲んでいらっしゃるキースダーリエ様に対してどうすればよいのか。

 私はこのまま泣いているままでいいのでしょうか?

 だってここは現実であり、私は帝国の皇族の一人なのです。
 『前』はもはや変える事はできません。
 ですが「今」なら?
 私は涙を拭うと前を向きました。
 このまま皇族として失格な姿ばかりを晒していては兄上や父上に申し訳が立ちません。
 嫌われる事は怖いです。
 こんな事を言っては侍女達や護衛の方達と二度と笑いあう事はできないかもしれません。
 それでも、私はこれ以上自分達のせいで侍女たちの失態が増えていく事を見過ごすわけにはいかないのです。
 手が震えているのが分かります。
 ですが、私は声が震えないように気を付けながらも口を開きました。
 
「ミルトーティヒ。下がりなさい」
「姫様?」
「貴女が私を思って下さっているのは嬉しく思います。ですがキースダーリエ様は我が国の御客人であり公爵家の方です。貴女の行為は許されません」
「ですが!」

 此処まで粘られるのも私が不甲斐ないからなのです。
 身分の差など必要ないと思っていました。
 いえ、その気持ちは今も変わりません。
 命が平等であった『日本』で育まれた道徳観は私の今までの行為が間違っていなかったと囁いています。
 ですが此処は『日本』ではないのです。
 身分制度が確立された世界。
 命の価値が身分によってもたらされてしまう世界。
 そんな世界に私は今、居るのです。
 此処が「今」私が生きている世界なのです。
 私は深呼吸をすると侍女を見据えます。

「貴女の行為が帝国の品位を貶めているのだと気付きなさい。もう一度言います。――下がりなさい」

 私の引かぬ態度に侍女は数度口を開きましたが、結局何も言わず深々と私に頭を下げると下がりました。
 そんな侍女の態度に私は内心悲しく思いながらも防音の魔道具を切ると立ち上がり深々とキースダーリエ様に頭を下げました。

「私の侍女がご無礼を致しました。申し訳ございません」

 部屋の彼方此方で息を呑む音と「姫様」という言葉が聞こえてきます。
 ですが、この場に置いて私は彼女達を総括する立場なのです。
 その内の一人が粗相をしたのだから私はキースダーリエ様に謝罪をしなければいけません。
 そんな事を考えていると隣から兄上が席を立つ音がしました。

「わたしも止めることができず申し訳ございません」

 私に続き兄上まで頭を下げた事に部屋の中はもはや収集がつかない程騒がしくなりました。
 ですがこれはケジメです。
 今までの帝国がキースダーリエ様にした数々の無礼な行為の全てを雪げるとは思いません。
 ですがせめて、この場に置いての事ぐらいは謝罪しなければいけません。
 皇族として、なにより人として通さないといけない筋なのですから。
 あれからどれだけの時間がたったとかは分かりません。
 ですが静かな沈黙の後、小さな溜息が聞こえてきました。

「侍女の方の事は見なかった事に致します。お気持ちもお受けいたしますので頭をお上げ下さい」

 感情が籠っていない声音でしたが、頭を上げ見たキースダーリエ様は何処か呆れた表情をなさっていたように見えました。
 なにより周囲を見回して私は苦笑を隠せませんでした。
 皇族が二人、頭を下げる程の事をしでかしてしまったのだと理解したのか、私によって植え付けられた悪習ともいえる馴れ合いが何処でも通じるモノではないと思いだしたのか……皆が真っ青な顔で私達を見ていました。
 中には膝をつき頭を下げる者までいます。
 ミルトーティヒにおいては真っ青な顔でキースダーリエ様の横で跪き深々と頭を下げていました。

「(確かにこんな状況の中に置かれれば呆れるかもしれませんね)」

 この状況を造り出した私が考える事ではありませんが、内心少しだけ笑ってしまいました。

「キースダーリエ様、有難う御座います。ミルトーティヒ……他の方々も部屋から出て下さいますか? 私共は大丈夫ですから」
「ごえいの方は扉の外にたいきしていてください」

 私達の命令に本当に下がってよいのかと悩みながらもキースダーリエ様を見ている侍女たちにキースダーリエ様が小さくため息をつきました。

「今回の事は王国には一切報告致しません。皇族の方に直々に謝罪を頂いた以上これ以上事を荒立てるつもりはワタクシには御座いませんので。更に言えばこの先のお話はワタクシ達にとっても秘密事項に当たる可能性が御座います。分を弁えるというならば皇族の方々のおっしゃる通り外に出る事をお勧め致しますわ」

 キースダーリエ様の許しとも脅しともとれる言葉に侍女と護衛の方々は再び顔を青ざめながら次々と部屋を出ていきます。

「私のせいでごめんなさい。そして、私の事を思ってくれてありがとうございます」

 部屋を出ていく侍女たちにそう声をかけると彼女達は振り向き微笑むと深々と頭を下げて部屋を出ていきました。
 ――そんな私を見て兄上が苦笑しキースダーリエ様が少しだけ呆れた顔をしていた事に私は気づきませんでしたが。


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