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第一章
③出立の日
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半月が経ち、ついに雛緋の出立の日が来た。到着までがひと月ほどかかることと、婚儀が東天国に到着してからということから、装いは見苦しくない程度に整えることとなった。春を司る青龍を信仰する東天国に合わせ、花々の模様が浮かぶ衣に袖を通し、雛緋は椅子に腰を下ろした。
「殿下の婚礼時のお姿はさぞやお美しいことでしょうね。ああ……こうして殿下の髪に櫛を通すのも久方ぶりでございますね。けれどこれが今日を最後となるかと思いますと……なんとも寂しゅうございます……」
姉付きの年配の女官はそう言って瞳を潤ませた。彼女は雛緋にとっても幼い頃から親交のある女官である。これが最後と思うともらい泣きをしてしまいそうになる。それに気づき、女官は涙を拭った。
「ああ、いけません、いけませんね。輿入れという喜ばしき日に、涙など……さあ、髪を結い上げましたら改めてお化粧も直して……」
「ふんんっ! んおおおおっ!」
「……梨杏殿は先ほどから何をしているのです」
「鍛錬だそうよ。この前、力負けしたのがとても悔しかったそうなの」
梨杏は準備をそっちのけで鍛錬に励んでいる。輿入れに必要なものを収納した箱を肩より上に持ち上げては腰より下に下ろすという動きを繰り返し、腕力強化を狙っているらしい。
「ここ半月、ああなの」
「梨杏殿……気持ちはわかりますけれど」
「私に! 力があれば! 殿下を! 危険に! 晒すことも! なかったのに!」
「そうは言っても相手は成人男性。梨杏殿は殿下と同い年の少女。護衛のための鍛錬を重ねていても、体格差や腕力はなかなか覆せないものでございますよ」
「母様は言っておりました! 不可能は鍛錬で乗り越えられると! 私も蒼嵐王太子殿下の護衛役、珊岐様のように! たくましくなってみせる!」
「かの女官はこうも言っておりました。優先事項を違えてはいけないと。今は何を最優先とすべきでしょうか? 梨杏殿」
「……輿入れの準備です」
「よろしい」
「荷物を運んでまいります……」
「その調子です」
とぼとぼと歩いていく梨杏を見送り、女官は改めて準備を進めた。髪を結い上げて化粧を施し終えた頃には荷物もほとんど運び終えたらしい。いつでも出立できます、という声に、雛緋はいよいよ姉と、南天国との別れのときなのだと実感してうつむいた。
(姉様……母様……)
ぎゅっと胸元で手を握る。もうこの国に戻ることはない。ここにはもう自分のような雛鳥が生きていける場所はない。他国に安住の地を求めるしかないのだ。それがどうしても飲み込みきれない。気持ちを、呼吸を整えようとするたびに、針で刺されるかのようでいて、喉がつかえて、息苦しい。
(母様……私は……この先を生きられない?)
「支度は終わりましたか? ……殿下? どうかされましたか?」
「梨杏……」
すっかり表情が曇っている主人に気づき、戻ってきた梨杏は雛緋に近づき、手に何かを握らせた。首を傾げてそれを広げると、桃の花の刺繍が目に入った。蒼嵐から譲ってもらった手巾だった。
「先ほど蒼嵐王太子殿下がこう仰いました。これからも泣いてもよいと。そのときにはこれで涙を拭き、自分の言葉を思い出してほしいと」
『いいよ』
『弱くたって大丈夫』
『貴女を守るよ』
弱いままでいいのだと彼は言った。
「……蒼嵐様」
夫となる彼の名をつぶやき、雛緋は手巾を握った。目を閉じてしばらく呼吸を整える。
(大丈夫、私は生きられる)
そう自分に言い聞かせ、雛緋は立ち上がった。最後にしなければならないことがある。
「陛下に別れの挨拶をします。案内を」
姉との別れだ。
「陛下。最後のご挨拶に伺いました」
「雛緋……」
執務室にいた姉のもとに行くと、姉もまた手巾で目を拭っていたらしい。化粧をし直さなくてはいけないほどに崩れていたが、それさえもかえって美しさを引き立たせている。どこまでも姉は美しいままだ。
椅子から腰を上げて駆け寄った姉は雛緋を抱きしめた。これが最後なのだと思うと目頭も熱くなってくる。
「雛緋、妾の可愛い雛鳥……よもやこんなにも別れが早いとは……!」
「姉様……私も……私も……」
「わかっておるよ、妾も同じ気持ちじゃ。胸が引き裂かれそうなほどに辛い! こうなった運命を与えた天を妾は恨むほどじゃ……! なれど……なれどこれもそなたの幸福のためじゃ……」
名残惜しさを振り切るように姉は雛緋から身体を離した。頬を撫でながら姉は語りかける。
「いつまでも泣いてもいられぬ……雛緋よ、結婚、おめでとう。そなたと蒼嵐王太子殿下の幸せを、この地よりこの先もずっと祈っておる。幸せになれ、そのために必要なことを妾から告げよう」
「必要なこと……?」
雛緋は首を傾げて姉の言葉を待った。
「強くあれ、雛緋」
「つよ、く?」
告げられた言葉に雛緋はぽかんと口を開いた。
『弱くあれ、雛緋。羽ばたくことなく、鳥籠の中で弱々しく生きよ』
母の遺言を打ち消すように姉は再び告げる。
「強くあれ、雛緋。これからのそなたは強くあらねばならぬ。生き残れ。風を切って飛べ。東天国で飛翔せよ、妾の可愛い雛鳥……」
「殿下の婚礼時のお姿はさぞやお美しいことでしょうね。ああ……こうして殿下の髪に櫛を通すのも久方ぶりでございますね。けれどこれが今日を最後となるかと思いますと……なんとも寂しゅうございます……」
姉付きの年配の女官はそう言って瞳を潤ませた。彼女は雛緋にとっても幼い頃から親交のある女官である。これが最後と思うともらい泣きをしてしまいそうになる。それに気づき、女官は涙を拭った。
「ああ、いけません、いけませんね。輿入れという喜ばしき日に、涙など……さあ、髪を結い上げましたら改めてお化粧も直して……」
「ふんんっ! んおおおおっ!」
「……梨杏殿は先ほどから何をしているのです」
「鍛錬だそうよ。この前、力負けしたのがとても悔しかったそうなの」
梨杏は準備をそっちのけで鍛錬に励んでいる。輿入れに必要なものを収納した箱を肩より上に持ち上げては腰より下に下ろすという動きを繰り返し、腕力強化を狙っているらしい。
「ここ半月、ああなの」
「梨杏殿……気持ちはわかりますけれど」
「私に! 力があれば! 殿下を! 危険に! 晒すことも! なかったのに!」
「そうは言っても相手は成人男性。梨杏殿は殿下と同い年の少女。護衛のための鍛錬を重ねていても、体格差や腕力はなかなか覆せないものでございますよ」
「母様は言っておりました! 不可能は鍛錬で乗り越えられると! 私も蒼嵐王太子殿下の護衛役、珊岐様のように! たくましくなってみせる!」
「かの女官はこうも言っておりました。優先事項を違えてはいけないと。今は何を最優先とすべきでしょうか? 梨杏殿」
「……輿入れの準備です」
「よろしい」
「荷物を運んでまいります……」
「その調子です」
とぼとぼと歩いていく梨杏を見送り、女官は改めて準備を進めた。髪を結い上げて化粧を施し終えた頃には荷物もほとんど運び終えたらしい。いつでも出立できます、という声に、雛緋はいよいよ姉と、南天国との別れのときなのだと実感してうつむいた。
(姉様……母様……)
ぎゅっと胸元で手を握る。もうこの国に戻ることはない。ここにはもう自分のような雛鳥が生きていける場所はない。他国に安住の地を求めるしかないのだ。それがどうしても飲み込みきれない。気持ちを、呼吸を整えようとするたびに、針で刺されるかのようでいて、喉がつかえて、息苦しい。
(母様……私は……この先を生きられない?)
「支度は終わりましたか? ……殿下? どうかされましたか?」
「梨杏……」
すっかり表情が曇っている主人に気づき、戻ってきた梨杏は雛緋に近づき、手に何かを握らせた。首を傾げてそれを広げると、桃の花の刺繍が目に入った。蒼嵐から譲ってもらった手巾だった。
「先ほど蒼嵐王太子殿下がこう仰いました。これからも泣いてもよいと。そのときにはこれで涙を拭き、自分の言葉を思い出してほしいと」
『いいよ』
『弱くたって大丈夫』
『貴女を守るよ』
弱いままでいいのだと彼は言った。
「……蒼嵐様」
夫となる彼の名をつぶやき、雛緋は手巾を握った。目を閉じてしばらく呼吸を整える。
(大丈夫、私は生きられる)
そう自分に言い聞かせ、雛緋は立ち上がった。最後にしなければならないことがある。
「陛下に別れの挨拶をします。案内を」
姉との別れだ。
「陛下。最後のご挨拶に伺いました」
「雛緋……」
執務室にいた姉のもとに行くと、姉もまた手巾で目を拭っていたらしい。化粧をし直さなくてはいけないほどに崩れていたが、それさえもかえって美しさを引き立たせている。どこまでも姉は美しいままだ。
椅子から腰を上げて駆け寄った姉は雛緋を抱きしめた。これが最後なのだと思うと目頭も熱くなってくる。
「雛緋、妾の可愛い雛鳥……よもやこんなにも別れが早いとは……!」
「姉様……私も……私も……」
「わかっておるよ、妾も同じ気持ちじゃ。胸が引き裂かれそうなほどに辛い! こうなった運命を与えた天を妾は恨むほどじゃ……! なれど……なれどこれもそなたの幸福のためじゃ……」
名残惜しさを振り切るように姉は雛緋から身体を離した。頬を撫でながら姉は語りかける。
「いつまでも泣いてもいられぬ……雛緋よ、結婚、おめでとう。そなたと蒼嵐王太子殿下の幸せを、この地よりこの先もずっと祈っておる。幸せになれ、そのために必要なことを妾から告げよう」
「必要なこと……?」
雛緋は首を傾げて姉の言葉を待った。
「強くあれ、雛緋」
「つよ、く?」
告げられた言葉に雛緋はぽかんと口を開いた。
『弱くあれ、雛緋。羽ばたくことなく、鳥籠の中で弱々しく生きよ』
母の遺言を打ち消すように姉は再び告げる。
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