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青年期編
青年期編(3)
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――やってしまった。
例の夜から、一週間。寄宿学校の授業が終了し、二ヶ月後の受験までの間、一時領地に帰る電車の中で、フラロアはぐったりと頭を下げていた。フラロアの座席周辺は、領地からの迎えの者で固められている。トーマスは通路を挟んでフラロアから見て前方にいるが、横顔からは何の感情も読み取れない。今朝も、乗車前に何とか挨拶を交すのが精一杯だった。
――あの日も、逃げ帰ったみたいになったしな……。
翌日の朝、フラロアは起きてきたトーマスに向かって床に膝をついて謝り倒し、とても朝食を一緒にとることなんてできないと、トーマスが止めるのを振り切って寮に戻ったのだ。
プロポーズどころか、口をきいてくれるのも奇跡だと、フラロアは窓に頭をつける。
悩みに悩んだ末に保護者である祖父に報告したのが、昨夜だ。電話での口調は静かだったが、祖父の全身が怒りで震えているのがよく分かった。祖父は何より無礼を嫌う。恩人であるトーマスに乱暴したのだから、怒りはもっともだった。
「今晩、卒業を記念したパーティーが行われます。……フラロア様?」
問いかけられて、フラロアは急いで姿勢を正した。笑顔を作って「楽しみだな」と答える。空気が和らいだのを感じて、フラロアは車窓の向こうにある氷岳を見つめ、もれそうになるため息をぐっと飲みこんだのだった。
*****
それから三時間後、たどり着いた家の前で、祖父・ハジャナが出迎えに立っていた。
「皆、疲れたろう。中に入ってまずはお休み。――フラァ、おかえり」
「はい、ただいま戻りました」
にっこりと満面の笑みで一行を迎えたハジャナは、やや笑みを抑えてフラロアの背を軽く叩いた。涙が出そうになるのをぐっとこらえる。独特な足音がして、トーマスがすぐ後ろに来たのが分かった。
「トーマス、おかえり! ランチはしっかり食べられたか?」
「はい、たくさん頂きました。ハジャナ様も変わらずお元気そうで何よりです」
「あはは。元気だけは保たねばなぁ。少し早いがお茶にしようか」
「えぇ。あ、っと、荷物を部屋に上げてから参ります」
「もちろん。一息ついてからでいいぞ」
にこにこと笑顔を浮かべるハジャナは、いつもと変わらぬ声音で応対している。トーマスはと言えばどこか遠慮がちな様子だった。
ハジャナが玄関へ歩きだしたので、フラロアは祖父の隣に立った。三歩後ろにトーマスが続く。
「今夜のパーティーだが、ナーナも来るからな、しっかりエスコートしろ」
ナーナはフラロアと同じユキヒョウ族で、フラロアよりひとつ年上の幼なじみである。フラロアの許嫁だ。今は王都の大学に通っている。
「ナーナ、帰ってきているんですか」
「今日のためにな。だからしっかりしろ」
ジャリ、ジャリ、と、トーマスが石畳を踏む音がする。フラロアは少し黙ってから、ハジャナを見た。
「ジジ様、少し確認したいことが。その、ナーナへの、あれこれ」
「あれこれ?」
「プロポーズの時期とか」
ジャリ。一瞬、足音が止まった。ハジャナがうなずく。気づくと、またトーマスの足音が再開していた。
屋敷に戻り、リビングでハジャナが人払いをする。ふたりきりになった瞬間、フラロアはハジャナへ頭を下げていた。
「大変申し訳ございませんでした」
ハジャナはしばらく沈黙した後に、長く息を吐いた。
「軽率な行動で、よりによってトーマスを傷つけるとは。お前が信頼を失っただけでなく、サハスとの友情すら複雑なものにしてしまったやもしれん。お前と違って、サハスは信頼を取り戻すことはできない。お前が背負っているのはトゥルマール公と書かれた看板だけではないのだぞ」
「はい」
「このようなこと、この一週間で嫌と言うほど後悔しただろうから繰り返さないが、信頼は自分で取り戻すこと。――さて、頭を上げて。座りなさい」
「はい」
ソファに座ると、隣にハジャナが座った。ぐしゃっと頭をなでられる。鼻を赤くするフラロアの背をしばらくさすっていたハジャナが、家の者を呼んで茶の準備をさせる。
「それで、ナーナの話は口実か?」
「いえ。……ナーナへのプロポーズは大学卒業時で変わりないですか?」
「うむ」
フラロアとナーナはお互い、立って歩くかどうかの内に、許嫁となった。プロポーズをはじめ結婚に関する全てが、両家の相談の上で決められている。たとえば、ナーナを妻に迎える前に、他の者と婚姻関係を結んで良いかなども、相談しなければならないのだ。
「トーマスへ三ヶ月後にはプロポーズする予定ですが、それも大丈夫でしょうか」
「いいよ。向こうもトーマスの素性は全て調査済だ。その上で了承されている。――プロポーズするのか」
「します。ここでしなければ、僕のやってきたこと言葉にしたこと全てが嘘で、トーマスを愚弄したことになります。フラれた後どうするかは決めていません。ただ、三ヶ月後にはします」
「ふむ。――まあ先のことを心配しすぎてもどうにもならない。フラァの気持ちは分かった」
ハジャナとフラロアの会話が途切れたタイミングで、茶をいれてから離れた場所に下がっていた執事が現われた。
トーマスが廊下で待っていると言う。ハジャナとフラロアは少し体を離して、トーマスを迎えた。
例の夜から、一週間。寄宿学校の授業が終了し、二ヶ月後の受験までの間、一時領地に帰る電車の中で、フラロアはぐったりと頭を下げていた。フラロアの座席周辺は、領地からの迎えの者で固められている。トーマスは通路を挟んでフラロアから見て前方にいるが、横顔からは何の感情も読み取れない。今朝も、乗車前に何とか挨拶を交すのが精一杯だった。
――あの日も、逃げ帰ったみたいになったしな……。
翌日の朝、フラロアは起きてきたトーマスに向かって床に膝をついて謝り倒し、とても朝食を一緒にとることなんてできないと、トーマスが止めるのを振り切って寮に戻ったのだ。
プロポーズどころか、口をきいてくれるのも奇跡だと、フラロアは窓に頭をつける。
悩みに悩んだ末に保護者である祖父に報告したのが、昨夜だ。電話での口調は静かだったが、祖父の全身が怒りで震えているのがよく分かった。祖父は何より無礼を嫌う。恩人であるトーマスに乱暴したのだから、怒りはもっともだった。
「今晩、卒業を記念したパーティーが行われます。……フラロア様?」
問いかけられて、フラロアは急いで姿勢を正した。笑顔を作って「楽しみだな」と答える。空気が和らいだのを感じて、フラロアは車窓の向こうにある氷岳を見つめ、もれそうになるため息をぐっと飲みこんだのだった。
*****
それから三時間後、たどり着いた家の前で、祖父・ハジャナが出迎えに立っていた。
「皆、疲れたろう。中に入ってまずはお休み。――フラァ、おかえり」
「はい、ただいま戻りました」
にっこりと満面の笑みで一行を迎えたハジャナは、やや笑みを抑えてフラロアの背を軽く叩いた。涙が出そうになるのをぐっとこらえる。独特な足音がして、トーマスがすぐ後ろに来たのが分かった。
「トーマス、おかえり! ランチはしっかり食べられたか?」
「はい、たくさん頂きました。ハジャナ様も変わらずお元気そうで何よりです」
「あはは。元気だけは保たねばなぁ。少し早いがお茶にしようか」
「えぇ。あ、っと、荷物を部屋に上げてから参ります」
「もちろん。一息ついてからでいいぞ」
にこにこと笑顔を浮かべるハジャナは、いつもと変わらぬ声音で応対している。トーマスはと言えばどこか遠慮がちな様子だった。
ハジャナが玄関へ歩きだしたので、フラロアは祖父の隣に立った。三歩後ろにトーマスが続く。
「今夜のパーティーだが、ナーナも来るからな、しっかりエスコートしろ」
ナーナはフラロアと同じユキヒョウ族で、フラロアよりひとつ年上の幼なじみである。フラロアの許嫁だ。今は王都の大学に通っている。
「ナーナ、帰ってきているんですか」
「今日のためにな。だからしっかりしろ」
ジャリ、ジャリ、と、トーマスが石畳を踏む音がする。フラロアは少し黙ってから、ハジャナを見た。
「ジジ様、少し確認したいことが。その、ナーナへの、あれこれ」
「あれこれ?」
「プロポーズの時期とか」
ジャリ。一瞬、足音が止まった。ハジャナがうなずく。気づくと、またトーマスの足音が再開していた。
屋敷に戻り、リビングでハジャナが人払いをする。ふたりきりになった瞬間、フラロアはハジャナへ頭を下げていた。
「大変申し訳ございませんでした」
ハジャナはしばらく沈黙した後に、長く息を吐いた。
「軽率な行動で、よりによってトーマスを傷つけるとは。お前が信頼を失っただけでなく、サハスとの友情すら複雑なものにしてしまったやもしれん。お前と違って、サハスは信頼を取り戻すことはできない。お前が背負っているのはトゥルマール公と書かれた看板だけではないのだぞ」
「はい」
「このようなこと、この一週間で嫌と言うほど後悔しただろうから繰り返さないが、信頼は自分で取り戻すこと。――さて、頭を上げて。座りなさい」
「はい」
ソファに座ると、隣にハジャナが座った。ぐしゃっと頭をなでられる。鼻を赤くするフラロアの背をしばらくさすっていたハジャナが、家の者を呼んで茶の準備をさせる。
「それで、ナーナの話は口実か?」
「いえ。……ナーナへのプロポーズは大学卒業時で変わりないですか?」
「うむ」
フラロアとナーナはお互い、立って歩くかどうかの内に、許嫁となった。プロポーズをはじめ結婚に関する全てが、両家の相談の上で決められている。たとえば、ナーナを妻に迎える前に、他の者と婚姻関係を結んで良いかなども、相談しなければならないのだ。
「トーマスへ三ヶ月後にはプロポーズする予定ですが、それも大丈夫でしょうか」
「いいよ。向こうもトーマスの素性は全て調査済だ。その上で了承されている。――プロポーズするのか」
「します。ここでしなければ、僕のやってきたこと言葉にしたこと全てが嘘で、トーマスを愚弄したことになります。フラれた後どうするかは決めていません。ただ、三ヶ月後にはします」
「ふむ。――まあ先のことを心配しすぎてもどうにもならない。フラァの気持ちは分かった」
ハジャナとフラロアの会話が途切れたタイミングで、茶をいれてから離れた場所に下がっていた執事が現われた。
トーマスが廊下で待っていると言う。ハジャナとフラロアは少し体を離して、トーマスを迎えた。
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