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第八話 真血を啜る化け物(3)
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「俺は、何だ。……お前は魔物だ魁英。鬼だよ。どれだけ人の心で理由をつけようとしても出てきやしない。たまたま現れた伯陽に流れる真血に惹かれて伯陽に出会い、その懐に潜り込んだだけだ。不幸なのは人に育てられたこと、今でも人だと思っていることそれ自体だ。鬼とて心はある故不憫には思うがどうしようもない。受け入れろ」
「かあさんは俺の……」
「だからよ。その女の胎から生まれたのではないのだろうよ」
甘い月鳴の血。甘すぎて意識が飛びそうになる朱昂の血。彼らの血だけが鈍いはずの味覚を刺激する。
『英ちゃんが生まれた夜はね、月がとても綺麗だったのよ。どうぞ無事に生まれてくださいって、あのお父さんがお祈りしたって。誰かにお祈りしたのは初めてだって、お父さんが笑って教えてくれたっけ』
生れてきた英ちゃんを見て、お父さんは泣いていた。お父さんが泣いているのを母さんは初めて見たのよと、満月を仰ぎながら母さんは繰り返し教えてくれた。そう言う母さんの目は涙が浮かんでいたのに、あれは作り話だったのだろうか。
――それとも、二人の本当の子どもは別にいたのか。
幼い子どもを、同じく幼い姿の自分が殴り殺す様が思い浮かぶ。血を洗い流して魔物の子どもは「英龍」になる。英ちゃんと呼ばれて、自分は笑うのだ。はい。おかあさん。
う、と魁英はせり上がる嘔吐感に口を押さえた。全て記憶にないことだった。だが、これがもし真実だとしたら。もしも、自分が人間の子を殺して、その子に成りすましたのだとしたら、説明がつく。母の語る思い出も、自分の記憶も、不可解な体質も、得心がいく。
自分は生まれつき魔物で、「英龍」と呼ばれた子を殺して、そしてその母も結果的に殺した。
殺した、俺が、殺シた。殺シしシシしシシシ死しシシ死死死死死―――――
背中を這い上るものがある。ヒ、ヒと息を吐きながら、必死に体を丸めた。膝を抱えぎゅっと抱きしめる。大丈夫、殻の中に閉じこもれば、怖いことなんてなくなる、と自分に言い聞かせる。
暴力を振るっちゃダメ。みんな死んじゃうから。みんなみんなみんな、俺より柔らかいんだもの。来ちゃ、ダメ。背中が熱くなる。こっち来ちゃダメ。お前は出てきちゃダメなんだ。
バリ、と身内で音がした。乾いた薄いものが破ける音。裂けた。出てきちゃう。出ちゃう。出しては駄目と背中に腕を伸ばす。肩甲骨の間。出てしまう。必死に押さえようとしているのに、手首が縛られた。足首も。これじゃあ押さえられない。
(魁英!)
(近寄るな伯陽!!)
月鳴の声。顔を上げると月鳴と朱昂が何かを叫んでいる。紅い目がこちらを見ていた。
目が、合った。
*****
『英龍』と、紅い目の主が呼ぶ。ふわ、と抱きしめられた。甘い匂いがする。このお兄ちゃんは、いい人。おれを虐めない。嫌わない。
『英龍、困ったら名前を呼んで。きっと助けてあげます。いいですね、私の名前は――』
*****
朱昂の血に拘束された魁英が床の上を痙攣するように這いながら、ガパリと口を開けた。頬は流れ続ける涙で濡れそぼっている。
(タスケテ『 』)
ギャアアアアアと魁英が天に向かって叫んだ。名前が思い出せないあの人に、助けを求める。顔も、姿も何もかも、会った記憶すら覚束ないあの人に届けと、声を放った。
瞬間、魁英を拘束していた真血がビクリと脈動すると、手足を離れ大きく開く魁英の口の中に流れ込んだ。魁英の意志を無視して喉を通過し消化器官に滴り落ちる。きゅうん、と胃が温かくなり、魁英は見開いていた目を少し細めた。口内にわずかに残った真血が舌を愛撫するように蠢く。甘いそれを飴玉のように舌で追い、しゃぶっていると急に気分が楽になってきた。背中の違和感も消え、全身の力が抜ける。強張りが解けると、急に眠くなった。
『どこにいるの、英龍』
意識を失う直前、呼びかけられた。ここはどこなんだろう、と魁英は瞼を下ろす。閉じた目から涙が一筋流れ落ち。口からは真血が流れ落ちて手首や足首に戻っていく。
後は静かな寝息だけが続いた。
「かあさんは俺の……」
「だからよ。その女の胎から生まれたのではないのだろうよ」
甘い月鳴の血。甘すぎて意識が飛びそうになる朱昂の血。彼らの血だけが鈍いはずの味覚を刺激する。
『英ちゃんが生まれた夜はね、月がとても綺麗だったのよ。どうぞ無事に生まれてくださいって、あのお父さんがお祈りしたって。誰かにお祈りしたのは初めてだって、お父さんが笑って教えてくれたっけ』
生れてきた英ちゃんを見て、お父さんは泣いていた。お父さんが泣いているのを母さんは初めて見たのよと、満月を仰ぎながら母さんは繰り返し教えてくれた。そう言う母さんの目は涙が浮かんでいたのに、あれは作り話だったのだろうか。
――それとも、二人の本当の子どもは別にいたのか。
幼い子どもを、同じく幼い姿の自分が殴り殺す様が思い浮かぶ。血を洗い流して魔物の子どもは「英龍」になる。英ちゃんと呼ばれて、自分は笑うのだ。はい。おかあさん。
う、と魁英はせり上がる嘔吐感に口を押さえた。全て記憶にないことだった。だが、これがもし真実だとしたら。もしも、自分が人間の子を殺して、その子に成りすましたのだとしたら、説明がつく。母の語る思い出も、自分の記憶も、不可解な体質も、得心がいく。
自分は生まれつき魔物で、「英龍」と呼ばれた子を殺して、そしてその母も結果的に殺した。
殺した、俺が、殺シた。殺シしシシしシシシ死しシシ死死死死死―――――
背中を這い上るものがある。ヒ、ヒと息を吐きながら、必死に体を丸めた。膝を抱えぎゅっと抱きしめる。大丈夫、殻の中に閉じこもれば、怖いことなんてなくなる、と自分に言い聞かせる。
暴力を振るっちゃダメ。みんな死んじゃうから。みんなみんなみんな、俺より柔らかいんだもの。来ちゃ、ダメ。背中が熱くなる。こっち来ちゃダメ。お前は出てきちゃダメなんだ。
バリ、と身内で音がした。乾いた薄いものが破ける音。裂けた。出てきちゃう。出ちゃう。出しては駄目と背中に腕を伸ばす。肩甲骨の間。出てしまう。必死に押さえようとしているのに、手首が縛られた。足首も。これじゃあ押さえられない。
(魁英!)
(近寄るな伯陽!!)
月鳴の声。顔を上げると月鳴と朱昂が何かを叫んでいる。紅い目がこちらを見ていた。
目が、合った。
*****
『英龍』と、紅い目の主が呼ぶ。ふわ、と抱きしめられた。甘い匂いがする。このお兄ちゃんは、いい人。おれを虐めない。嫌わない。
『英龍、困ったら名前を呼んで。きっと助けてあげます。いいですね、私の名前は――』
*****
朱昂の血に拘束された魁英が床の上を痙攣するように這いながら、ガパリと口を開けた。頬は流れ続ける涙で濡れそぼっている。
(タスケテ『 』)
ギャアアアアアと魁英が天に向かって叫んだ。名前が思い出せないあの人に、助けを求める。顔も、姿も何もかも、会った記憶すら覚束ないあの人に届けと、声を放った。
瞬間、魁英を拘束していた真血がビクリと脈動すると、手足を離れ大きく開く魁英の口の中に流れ込んだ。魁英の意志を無視して喉を通過し消化器官に滴り落ちる。きゅうん、と胃が温かくなり、魁英は見開いていた目を少し細めた。口内にわずかに残った真血が舌を愛撫するように蠢く。甘いそれを飴玉のように舌で追い、しゃぶっていると急に気分が楽になってきた。背中の違和感も消え、全身の力が抜ける。強張りが解けると、急に眠くなった。
『どこにいるの、英龍』
意識を失う直前、呼びかけられた。ここはどこなんだろう、と魁英は瞼を下ろす。閉じた目から涙が一筋流れ落ち。口からは真血が流れ落ちて手首や足首に戻っていく。
後は静かな寝息だけが続いた。
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