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第十八話 龍背にて(1)
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なんで俺がこんな目に。この先死ぬ時ってのが来た時は、朱昂と共にと誓ったのに。もしくは、朱昂のために、と。
この死は朱昂のためなのだろうか、と月鳴は背を押されながら思った。
地響きを立てながら魁英が走ってくる。駄目だよ、来るんじゃない。龍騎兵が槍を構えているのが見えないのか?
どうして連れて帰っちまったんだろう。泣きながら血を吸ってきたからだっけか。十日かそこら前のことなのに忘れた。
はみだし者なのは見てすぐに分かった。痩せて目ばかりが目立って、着ている物も丈があっていなくてぼろぼろで。頂戴、頂戴と浮かされたように飛び掛かってきたくせに、いいだけ吸ったらごめんなさいと泣いていた。
目が覚めてもでかい図体でおどおど怯えてばかりで、自分を持て余していて。うっかり泣き顔が可愛いと思っちまったのが運の尽きだ。朱昂、俺はこいつに殺されるんだよ。ここに来ても死にそうな顔で腕を伸ばしてくるこいつに。お前と死にたかった。
あぁ、馬鹿。間に合わねえよ。間に合わねえから逃げな。早く。――魁英。
魁英の指が伸びてくる。灰色に近い瞳に月鳴の顔が映り込む。槍が、異形が、自分を殺す瞬間、
<伯陽!!>
主の声が頭の中に鳴り響く。主の召喚に応じるべく、体が溶ける。
視界が赤に染まり、自分の持つ全てが消失する。再び感覚が戻った時、自分を覗き込んでいたのは紅い目だった。
「朱昂、無事か!?」
首の繋がった主の姿に思わず叫ぶと、紅い目が丸くなり、やがて「あははは」と朱昂が笑い声を上げる。
無事だ。良かった。つられてえへへと笑っていると、着物を肩に掛けられる。裸なのに気づいて慌てて前を合わせる。
座り込んでいるのは龍の背だった。朱昂の後ろ、龍の首の辺りにもう一人、女人が乗っている。
緑がかった黒髪が風に靡いている。細い象牙のような指が髪を押さえて、月鳴を顧みた。扁桃型の目、小さな鼻と珊瑚色の口。真珠色の角に渋い銅色の尾。
濃いまつ毛で覆われた薄墨色の瞳と出会った瞬間だった、空気が一瞬止まった気がした。
嫌な予感に全身の毛が逆立つ。
「上へ!!」
朱昂が叫ぶと同時に、大気が爆発した。全身の骨を砕くような衝撃が辺りに走る。
龍女は間一髪、龍首を上に向けていた。素晴らしい速さで龍が雲を追い抜き、毒蠱の放つ瘴気を切り抜ける。
上昇を続ける龍の鬣にしがみつきながら、月鳴は傍らにいる主を見た。
「彼女は!?」
「龍王の妹君だ。首を繋げた上、血まで分けていただいた。龍玉“だった”方だ」
過去形に眉を寄せる月鳴に、朱昂はしもべと目を合わせる。
「全て龍王の狂言だったんだ。お前が正しかった、龍玉などいない。いや、いたのだが、二十五年前に消えたんだ」
風圧に耐えながら朱昂が語る。
二十五年前の龍騎兵を半壊させた事件が事の起こりだった、と。
実妹の龍玉の力を我がものにしようとした龍王が、龍玉の恋人を殺そうとしたこと。結局戦力を大幅に失った上に龍玉も恋人も姿を消してしまったこと。龍族の宝でもある龍玉を失ったことを隠すため、もう一人の妹――龍玉の双子の姉の精神を幻術で縛り、名だけの龍玉に仕立て上げていたこと。
「ちょっと待て!龍王が龍玉をどうにかしようとしてなぜ恋人が出てくるのだ!?」
「あぁ、また面倒な質問を……いいか。龍玉は真血と同じく秘蹟だ。だが真血は主がいないとあまり役に立たんだろう。龍玉も同じなのだ。真血は秘蹟とその主が一体になっているからいいが、龍玉は違う。龍玉と龍玉の主は別々に存在する」
分かるか?と聞かれ、頷いた。つまり、
「奴は龍玉の主じゃなかった。消えた龍玉には主がいなかった、ってことか」
冴えている、と朱昂が頷いた。
めちゃくちゃな話だ。主でないものが秘蹟を思いのままにしようだなんて。俺が朱昂の真血を好きなように使おうとするのと同じだ。結果は分かっている。無理だ。しかし、その無理を通そうとした。それで恋人を殺す?全く筋道が通っていない。
「狂っている……」
龍が上昇を止めた。垂直に近かった龍の姿がやがて水平に戻る。反動でふわりと浮いた月鳴が鬣を掴む手に力を込めると、その上から朱昂が手を重ねてくる。白い手はまだ冷たい。本調子ではないだろう、といつもより青褪めた朱昂の横顔に不安を覚える。
龍の背から眼下を見下ろした朱昂が眉を寄せ、硬く目を閉じる。
「ひどいな……。見ない方がいい」
そう言われると見てしまう。月鳴が不意に見下ろした地表には地獄が広がっていた。原型を留めぬほどに切断された異形や龍、龍騎兵がバラバラと地表に落ち、降り積もる。その中心で堂々とした六本の脚が放射線状に伸びる。毒蠱。その中心にいるのは魁英だ。
「まるで二十五年前の焼き直し。――それよりもひどい。……もう、龍族は終わりです。金龍までも失ってしまった」
今まで無言を貫いていた龍女が感情の抜け落ちた声で呟いた。
「狂っている、とおっしゃいましたね。ええ、もうあの時には兄は狂っていました。龍族はここ百年の間で出生数が減り、龍も育たない。妙な疫病は流行る。水質も落ちました。兄も妹も龍玉の真の力を引きだす玉主を待ち続けた。でも待てなくなった。
龍玉は感情の強い表出で力が強くなることが分かっていました。まるで図ったように、妹の、我々の感情を揺さぶるように現れたのがウリャル殿でした」
毒蠱が龍や異形の体を切り刻んでいる。子どもが虫を踏みつぶすような躊躇いのない様子に、見ていられなくなった月鳴は顔を上げた。
「ウリャルというのが龍玉の恋人か」
「はい、そして毒蠱の宿主でした」
ぽつりと零された真実に、愕然とする。二十五年前の焼き直しと龍女は言った。二十五年前も今の惨状が生み出されたということになる。勇壮、最強で知られた龍騎兵に訪れた一夜の悲劇は一時魔境を震撼させた。その原因はあの虫のような脚か、と月鳴は下唇を噛んだ。
「強い喜びを作り出すのは難しいですが、強い悲しみを作るのは簡単です。ただ、大切な人を奪えばいいのですから」
「たとえそれで龍玉が力をつけても、操ることなどできないだろうに」
月鳴の言葉に龍女が頷く。
「だから、兄は狂っていたんです。そんなことも分からないくらいに。せめて、兄はウリャル殿が毒蠱だったことを知らなかったと信じたい。あまりにも多くを失ってしまった。あの時とて、我々は地獄に堕ちたような思いでした」
でも、全て終わりましたね。龍女が小さく呟く。魁英を見下ろしながら、涙を落とした。
この死は朱昂のためなのだろうか、と月鳴は背を押されながら思った。
地響きを立てながら魁英が走ってくる。駄目だよ、来るんじゃない。龍騎兵が槍を構えているのが見えないのか?
どうして連れて帰っちまったんだろう。泣きながら血を吸ってきたからだっけか。十日かそこら前のことなのに忘れた。
はみだし者なのは見てすぐに分かった。痩せて目ばかりが目立って、着ている物も丈があっていなくてぼろぼろで。頂戴、頂戴と浮かされたように飛び掛かってきたくせに、いいだけ吸ったらごめんなさいと泣いていた。
目が覚めてもでかい図体でおどおど怯えてばかりで、自分を持て余していて。うっかり泣き顔が可愛いと思っちまったのが運の尽きだ。朱昂、俺はこいつに殺されるんだよ。ここに来ても死にそうな顔で腕を伸ばしてくるこいつに。お前と死にたかった。
あぁ、馬鹿。間に合わねえよ。間に合わねえから逃げな。早く。――魁英。
魁英の指が伸びてくる。灰色に近い瞳に月鳴の顔が映り込む。槍が、異形が、自分を殺す瞬間、
<伯陽!!>
主の声が頭の中に鳴り響く。主の召喚に応じるべく、体が溶ける。
視界が赤に染まり、自分の持つ全てが消失する。再び感覚が戻った時、自分を覗き込んでいたのは紅い目だった。
「朱昂、無事か!?」
首の繋がった主の姿に思わず叫ぶと、紅い目が丸くなり、やがて「あははは」と朱昂が笑い声を上げる。
無事だ。良かった。つられてえへへと笑っていると、着物を肩に掛けられる。裸なのに気づいて慌てて前を合わせる。
座り込んでいるのは龍の背だった。朱昂の後ろ、龍の首の辺りにもう一人、女人が乗っている。
緑がかった黒髪が風に靡いている。細い象牙のような指が髪を押さえて、月鳴を顧みた。扁桃型の目、小さな鼻と珊瑚色の口。真珠色の角に渋い銅色の尾。
濃いまつ毛で覆われた薄墨色の瞳と出会った瞬間だった、空気が一瞬止まった気がした。
嫌な予感に全身の毛が逆立つ。
「上へ!!」
朱昂が叫ぶと同時に、大気が爆発した。全身の骨を砕くような衝撃が辺りに走る。
龍女は間一髪、龍首を上に向けていた。素晴らしい速さで龍が雲を追い抜き、毒蠱の放つ瘴気を切り抜ける。
上昇を続ける龍の鬣にしがみつきながら、月鳴は傍らにいる主を見た。
「彼女は!?」
「龍王の妹君だ。首を繋げた上、血まで分けていただいた。龍玉“だった”方だ」
過去形に眉を寄せる月鳴に、朱昂はしもべと目を合わせる。
「全て龍王の狂言だったんだ。お前が正しかった、龍玉などいない。いや、いたのだが、二十五年前に消えたんだ」
風圧に耐えながら朱昂が語る。
二十五年前の龍騎兵を半壊させた事件が事の起こりだった、と。
実妹の龍玉の力を我がものにしようとした龍王が、龍玉の恋人を殺そうとしたこと。結局戦力を大幅に失った上に龍玉も恋人も姿を消してしまったこと。龍族の宝でもある龍玉を失ったことを隠すため、もう一人の妹――龍玉の双子の姉の精神を幻術で縛り、名だけの龍玉に仕立て上げていたこと。
「ちょっと待て!龍王が龍玉をどうにかしようとしてなぜ恋人が出てくるのだ!?」
「あぁ、また面倒な質問を……いいか。龍玉は真血と同じく秘蹟だ。だが真血は主がいないとあまり役に立たんだろう。龍玉も同じなのだ。真血は秘蹟とその主が一体になっているからいいが、龍玉は違う。龍玉と龍玉の主は別々に存在する」
分かるか?と聞かれ、頷いた。つまり、
「奴は龍玉の主じゃなかった。消えた龍玉には主がいなかった、ってことか」
冴えている、と朱昂が頷いた。
めちゃくちゃな話だ。主でないものが秘蹟を思いのままにしようだなんて。俺が朱昂の真血を好きなように使おうとするのと同じだ。結果は分かっている。無理だ。しかし、その無理を通そうとした。それで恋人を殺す?全く筋道が通っていない。
「狂っている……」
龍が上昇を止めた。垂直に近かった龍の姿がやがて水平に戻る。反動でふわりと浮いた月鳴が鬣を掴む手に力を込めると、その上から朱昂が手を重ねてくる。白い手はまだ冷たい。本調子ではないだろう、といつもより青褪めた朱昂の横顔に不安を覚える。
龍の背から眼下を見下ろした朱昂が眉を寄せ、硬く目を閉じる。
「ひどいな……。見ない方がいい」
そう言われると見てしまう。月鳴が不意に見下ろした地表には地獄が広がっていた。原型を留めぬほどに切断された異形や龍、龍騎兵がバラバラと地表に落ち、降り積もる。その中心で堂々とした六本の脚が放射線状に伸びる。毒蠱。その中心にいるのは魁英だ。
「まるで二十五年前の焼き直し。――それよりもひどい。……もう、龍族は終わりです。金龍までも失ってしまった」
今まで無言を貫いていた龍女が感情の抜け落ちた声で呟いた。
「狂っている、とおっしゃいましたね。ええ、もうあの時には兄は狂っていました。龍族はここ百年の間で出生数が減り、龍も育たない。妙な疫病は流行る。水質も落ちました。兄も妹も龍玉の真の力を引きだす玉主を待ち続けた。でも待てなくなった。
龍玉は感情の強い表出で力が強くなることが分かっていました。まるで図ったように、妹の、我々の感情を揺さぶるように現れたのがウリャル殿でした」
毒蠱が龍や異形の体を切り刻んでいる。子どもが虫を踏みつぶすような躊躇いのない様子に、見ていられなくなった月鳴は顔を上げた。
「ウリャルというのが龍玉の恋人か」
「はい、そして毒蠱の宿主でした」
ぽつりと零された真実に、愕然とする。二十五年前の焼き直しと龍女は言った。二十五年前も今の惨状が生み出されたということになる。勇壮、最強で知られた龍騎兵に訪れた一夜の悲劇は一時魔境を震撼させた。その原因はあの虫のような脚か、と月鳴は下唇を噛んだ。
「強い喜びを作り出すのは難しいですが、強い悲しみを作るのは簡単です。ただ、大切な人を奪えばいいのですから」
「たとえそれで龍玉が力をつけても、操ることなどできないだろうに」
月鳴の言葉に龍女が頷く。
「だから、兄は狂っていたんです。そんなことも分からないくらいに。せめて、兄はウリャル殿が毒蠱だったことを知らなかったと信じたい。あまりにも多くを失ってしまった。あの時とて、我々は地獄に堕ちたような思いでした」
でも、全て終わりましたね。龍女が小さく呟く。魁英を見下ろしながら、涙を落とした。
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