王の愛は血より濃し 吸血鬼のしもべ第2部

時生

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第一章 暁を之(ゆ)く少年

第二話 好奇心と初恋と(2)

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「あっちいけ!」

 急に視界が覆われた。何かを被せられたのだ。

 突然世界が真っ暗になったことに焦る朱昂しゅこうの耳に、子どもの声がした。続くガサガサと草が揺れる音。カァ!と烏が一鳴きしたのを合図に、辺りは静かになった。

 汗の匂いがする衣を頭から外して朱昂は腹這いのまま顔を上げた。そこには、屈みこんでこちらを覗く少年がいた。手には太い枝。そして、朱昂の鼻先にある膝には大きな瘡蓋。

「あ、ありがとう」
「……」

 ニンゲンがとっさに自分の上着を被せ、枝で烏を追い払ってくれたのだと分かり、朱昂はお礼を言う。

 吸血族の若君として育てられた朱昂が、人間風情にあっさりとお礼を言ったのには当然わけがあった。ぜひともお近づきになりたい。この坊主の瘡蓋と。

 やましい下心がある朱昂を、人間の少年はじーっと見つめた。その内黒い瞳がゆらゆらと揺れ始め、そっとそれが逸らされた。

「大丈夫?」
「うん」

 夕日は沈みかけている。それなのに、少年の頬がじわりと赤らんだのを、朱昂は見逃さなかった。

 ――惚れたな。

 朱昂は確信した。

 ――俺は美しいからしょうがない。人間まで虜にするのだから困ってしまうわ。

 方法はどうあれ、父に溺愛され、蝶よ花よと育てられた朱昂である。自意識は肥大していた。

「大丈夫だよ。ありがとう、優しいんだね」

 愛らしい子猫の声で礼を言い、褒めそやすと、少年の日焼けした頬はますます赤くなっていく。

「よ、良かった……」

 ぽやぽやとした眉を下げ、少年は微笑んだ。正面から顔、その口元を見て朱昂は仰天した。

 ――こ、この坊主前歯が欠けておる!?

 少年は上の前歯の一本が抜けていた。
 人間の乳歯の生え代わりについては未履修だった朱昂はおろおろする。

 吸血鬼には牙の生え代わりはあっても、その他の生え代わりはない。顎の成長に伴って新たな歯は生えるが、もとあった歯が一度抜けるなんてことはなかった。

「歯が、歯が……!」

 もしや烏につつかれたのかと朱昂は冷や汗を流す。
 突然狼狽し始めた紅い目の「」を前に、少年はむんと胸を反らした。

「昨日の夜抜けた!」

 どうだ、ぼくはもう大人だぞ! と言いたげに少年は勇ましい態度を見せる。
 なぜ自慢げなのだと、呆然としている朱昂に向かって、少年は抜けた歯の隣を指差した。

「こっちはもう大人の歯だぞ」
「大人の歯? え、じゃあこっちは?」
「それはまだ、子どもの歯なの……」

 ちょん、と朱昂が別の乳歯を指差すと少年はうな垂れた。一方で朱昂は目を輝かせる。

「すごい!!」
「え」
「すごいなぁ! 子どもの歯と大人の歯があるの? すごい、すごいね!!」
「そ、そう?」

 うん!
 朱昂は満面の笑みを見せる。
 歯が生え代わるなど知らなかった。未知との遭遇を果たした朱昂は、少年のかさぶたを盗み見てから、歯の抜けた痕を見る。

「ねーえ、じゃあこれから大人の歯が生えてくるの?」
「そうだよ」
「へーえ、そうなんだあ」

 にやにやにやにや。
 朱昂はいやらしい笑みを隠せない。見たくて見たくてしょうがなくなってきた。歯が生えてくるところも、かさぶたが皮膚になるところも、全部俺に見せておくれ。
 誘惑する気でにこりと笑ってみせると、少年の頬がバーッと赤くなる。まだ幼げな眉をきりりと上げ、少年は何か決心した表情で手近な枝を拾った。

「オ、オレ暁之ぎょうしっていうの!」

 少年は名乗ってから枝を使ってごりごりと地面に字を書いた。
 暁之ぎょうし。歪で、ようやく読める字ではあるが、朱昂は少しだけ子どもを見直した。字を扱うなんて人の子は思ったより知能が高いと感心する。加えてそこそこ趣味の良い名だ。

「暁之ちゃん」

 呼んでやると、少年は濡れたように見える黒い瞳をきらきら輝かせた。頬がますます赤くなる。りんごのような頬になった暁之に、朱昂の心がとくんと跳ねた。

 ――なんだその顔は。か、かわいくないわけでもないな。

 朱昂の唇が本当の意味でほころび始める。「良い名前だね」と追加で褒めると、「ありがとう」と少し眉を下げ、可憐、と言えなくもない満面の笑みが返ってきた。
 つられてへらへらと笑いそうだった朱昂は、慌てて魅了するための笑みを浮かべる。そのまま子猫のような声を出した。

「ぼくはね、朱昂だよ」

 暁之の字の隣に、「朱昂」と書く。歪な文字と整った文字が隣りあう。

「しゅ、朱昂ちゃん」

 くすり。
 朱昂は無礼な呼び方を笑って許した。何しろ大切な実験体だ。俺は父と違って優しいのだ。大切に取り扱ってあげよう。

「夕日が沈む頃に、ここら辺をお散歩してるんだ。だから会いに来てね」
「わ、わかった」

 きっと待ってるよ、暁ちゃん。
 子どもがするにはあまりにも妖しい笑みを見せて、朱昂は家路につく暁之の背中を見送った。

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