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第一章 暁を之(ゆ)く少年
第三話 男の子と男の子(1)
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桃色の肉の中にうっすらと白いものがある。先端にやや細かめの凹凸があるも、全体的につるりとしている。透明な粘膜に覆われているようだ。思いの外美しいなと朱昂は紅い目を凝らす。
――ぶへっ。
突然のくしゃみを朱昂は間一髪で避けた。ひくんと、低い、形ばかりの鼻が動いたのが分かったのと、暁之が朱昂に鼻水をかけてはならじと顔を背けたお陰だ。
「ごめんね、朱昂ちゃん。かからなかった?」
「平気」
素っ気なく返して、朱昂は暁之の膝をつついた。瘡蓋を観察しようとしたのに、暁之はぱっと手でそれを隠した。
初めて会った日の翌日、朱昂は止める暁之の言葉を聞かずに瘡蓋を剥がしたのだ。
まさか、治癒しかけの傷が痛むなど、瘡蓋を剥がして出血するなど朱昂には思いもよらなかった。本には書かれていなかったのだ。
暁之の黒い目から次々と涙がこぼれたことに、朱昂は「大げさな」と思うだけだった。しかし次の日、白々と包帯が巻かれているのを目にし、さらには暁之の二重まぶたが腫れて重たくなっているのを見て、少し落ち込んだ。
ごめんねと、朱昂は心から謝った。そんな朱昂に、暁之は瘡蓋を剥がしたことを母に叱られ、治りが遅くなるんだと教えられたと、か細い声で告げた。痕が残るかもしれないよ!とも言われたらしい。
僕を許して。紅い目を潤ませる顔の裏で、瘡蓋を剥がすと治りが悪くなるらしい。痕とはなんだ。残れ、と朱昂が思っていることを、暁之は知らない。
見た目よりちょっと乱暴な朱昂が、しおらしく謝る様子に、暁之は微笑む。
『オレは強いから大丈夫』
自分を泣かせた原因が誰であるかを暁之は忘れて、腫れたまぶたの奥の目を輝かせる。
惚れた相手に見栄をはる、悲しいオトコの性であった。
ただ、暁之はそれから膝を見せなくなった。
失敗したと朱昂は臍を噛む。ニンゲンがこんなに頑固で過去のことにこだわるなど知らなかった。思っていたより賢いではないか。
暁之は、甘えた声でねだれば口は開いてくれるが、膝は手で隠してしまう。
――悲しい。やっぱり坊主の皮膚切っちゃおう。
悲しいのは治癒の経過が観察できないことである。
あっさりと暁之を傷つけることを決めた朱昂は、よく切れる紙のような鋭さの葉を帯から出した。
あ、でっかい松ぼっくり!叫ぶ朱昂。どれどれ?と暁之の意識がよそに向いた瞬間を狙って、びしりと葉で暁之の足首を切った。
「いたっ!」
暁之が叫んだ。慌てて足首を押さえる。手の下から血がたらたらと流れた。
「どうしたの?」朱昂は葉を捨てて、暁之の顔を覗き込む。
『俺が切ったのを見なかったろうなぁ、坊主』と、その目が語っている。
「足首、切れたみたい。いってぇの」
「血が出ているよ。見せて」
言いながら朱昂は暁之の柔らかい手を掴んだ。傷口から引き剥がす。
なぜかぎゅっと暁之が握ってきたが、構わない。ほんとはねちゃっと温かい手が嫌だったが、まあいいと、傷口を確認してから唇を寄せた。
朱昂は吸血鬼の幼体だ。さほど血は必要としないが、全く不要というわけでもない。
朱昂は父の真血を欠かさず与えられているため、特に欲しくもなかったが、血が流れているのだ。頂こう、と舌を伸ばし、よく日焼けした肌を伝う血をてろりと舐めた。
びく、と足が跳ねて手に力が篭る。朱昂の白い喉が上下に動いた。その瞬間、朱昂の頭の中心で、小さな気泡が爆ぜた。
< !>
薄い膜の小さな泡が弾けて、何かが生まれた。何か、言葉が。
――何か聞こえた……。
朱昂は胸を押さえる。聞こえた言葉は簡単なもの。はっきりと耳にした気がするのに、なんと言ったか思い出そうとしても、霧の向こうに目を凝らすような心もとなさがある。夢の中であったことを探っているような、不思議な感覚。
「朱昂ちゃん?」
朱昂が動かないことに不安を覚えた暁之が呼ぶと、朱昂ははっと顔を上げた。
眼下の切り傷を見る。やはり塞がっていない。
こんな小さな傷でもだめとは、本当に遅いのだなと、朱昂は眉をひそめた。
傷の大小に関わらず等しく治癒に時間がかかるのかも。思ったより人間は弱い。安易に傷つけるべきではなかった。これでは父と同じと、朱昂は肩を落とす。
「大丈夫だよ、朱昂ちゃん。これくらいすぐ治るよ」
朱昂の落胆を知ってか知らずか、暁之は笑顔を浮かべてそんなことを言う。朱昂はまだ他者を治癒する力を持たない。だから、暁之の言葉が嘘だと知っていても、傷つけた朱昂は暁之にうなずくしかなかった。
「そう……?」
「うん。朱昂ちゃんは森の中を歩いているのに足がきれいだね。ぼ、オレしょっちゅう切ってるよ。その時は水で洗いなさいってかあさんが教えてくれた。小さい傷はきれいに泥を流せば治りが早いよって」
「そうなんだ」
鬱々と心が沈んでいく。今日はもう暁之を帰そうかと思っていると、ふいに暁之に手を握られた。驚いて見ると、暁之が真剣な目をしている。内緒話を打ち明けるように、小さく朱昂に囁いた。
「……水浴びしにいく?」
朱昂は紅い目を少し見開いてから、なるほど、と微笑む。
「傷、洗ってあげる」
囁き返すと暁之は頬を真っ赤にしてうっとりと見上げてきた。朱昂の自尊心が少しずつ回復していく。
――暁之よ、そんなに俺が好きか。
水浴びだなんてませたガキめ。よかろう。たんと振る舞ってくれるわと、朱昂は小鼻を膨らませる。
実技は未履修だが、オトコとオンナのあれやこれ、果てはオトコ同士、オンナ同士のあれやこれやも書庫の中で履修済みだ。
医学書は朱昂の下がかった好奇心すら満たしてくれる。いつかは俺も種馬だからなと、朱昂は好奇心を満たす度に自嘲した。
「行こう」
朱昂は暁之の手を握ったまま、立ち上がった。
――ぶへっ。
突然のくしゃみを朱昂は間一髪で避けた。ひくんと、低い、形ばかりの鼻が動いたのが分かったのと、暁之が朱昂に鼻水をかけてはならじと顔を背けたお陰だ。
「ごめんね、朱昂ちゃん。かからなかった?」
「平気」
素っ気なく返して、朱昂は暁之の膝をつついた。瘡蓋を観察しようとしたのに、暁之はぱっと手でそれを隠した。
初めて会った日の翌日、朱昂は止める暁之の言葉を聞かずに瘡蓋を剥がしたのだ。
まさか、治癒しかけの傷が痛むなど、瘡蓋を剥がして出血するなど朱昂には思いもよらなかった。本には書かれていなかったのだ。
暁之の黒い目から次々と涙がこぼれたことに、朱昂は「大げさな」と思うだけだった。しかし次の日、白々と包帯が巻かれているのを目にし、さらには暁之の二重まぶたが腫れて重たくなっているのを見て、少し落ち込んだ。
ごめんねと、朱昂は心から謝った。そんな朱昂に、暁之は瘡蓋を剥がしたことを母に叱られ、治りが遅くなるんだと教えられたと、か細い声で告げた。痕が残るかもしれないよ!とも言われたらしい。
僕を許して。紅い目を潤ませる顔の裏で、瘡蓋を剥がすと治りが悪くなるらしい。痕とはなんだ。残れ、と朱昂が思っていることを、暁之は知らない。
見た目よりちょっと乱暴な朱昂が、しおらしく謝る様子に、暁之は微笑む。
『オレは強いから大丈夫』
自分を泣かせた原因が誰であるかを暁之は忘れて、腫れたまぶたの奥の目を輝かせる。
惚れた相手に見栄をはる、悲しいオトコの性であった。
ただ、暁之はそれから膝を見せなくなった。
失敗したと朱昂は臍を噛む。ニンゲンがこんなに頑固で過去のことにこだわるなど知らなかった。思っていたより賢いではないか。
暁之は、甘えた声でねだれば口は開いてくれるが、膝は手で隠してしまう。
――悲しい。やっぱり坊主の皮膚切っちゃおう。
悲しいのは治癒の経過が観察できないことである。
あっさりと暁之を傷つけることを決めた朱昂は、よく切れる紙のような鋭さの葉を帯から出した。
あ、でっかい松ぼっくり!叫ぶ朱昂。どれどれ?と暁之の意識がよそに向いた瞬間を狙って、びしりと葉で暁之の足首を切った。
「いたっ!」
暁之が叫んだ。慌てて足首を押さえる。手の下から血がたらたらと流れた。
「どうしたの?」朱昂は葉を捨てて、暁之の顔を覗き込む。
『俺が切ったのを見なかったろうなぁ、坊主』と、その目が語っている。
「足首、切れたみたい。いってぇの」
「血が出ているよ。見せて」
言いながら朱昂は暁之の柔らかい手を掴んだ。傷口から引き剥がす。
なぜかぎゅっと暁之が握ってきたが、構わない。ほんとはねちゃっと温かい手が嫌だったが、まあいいと、傷口を確認してから唇を寄せた。
朱昂は吸血鬼の幼体だ。さほど血は必要としないが、全く不要というわけでもない。
朱昂は父の真血を欠かさず与えられているため、特に欲しくもなかったが、血が流れているのだ。頂こう、と舌を伸ばし、よく日焼けした肌を伝う血をてろりと舐めた。
びく、と足が跳ねて手に力が篭る。朱昂の白い喉が上下に動いた。その瞬間、朱昂の頭の中心で、小さな気泡が爆ぜた。
< !>
薄い膜の小さな泡が弾けて、何かが生まれた。何か、言葉が。
――何か聞こえた……。
朱昂は胸を押さえる。聞こえた言葉は簡単なもの。はっきりと耳にした気がするのに、なんと言ったか思い出そうとしても、霧の向こうに目を凝らすような心もとなさがある。夢の中であったことを探っているような、不思議な感覚。
「朱昂ちゃん?」
朱昂が動かないことに不安を覚えた暁之が呼ぶと、朱昂ははっと顔を上げた。
眼下の切り傷を見る。やはり塞がっていない。
こんな小さな傷でもだめとは、本当に遅いのだなと、朱昂は眉をひそめた。
傷の大小に関わらず等しく治癒に時間がかかるのかも。思ったより人間は弱い。安易に傷つけるべきではなかった。これでは父と同じと、朱昂は肩を落とす。
「大丈夫だよ、朱昂ちゃん。これくらいすぐ治るよ」
朱昂の落胆を知ってか知らずか、暁之は笑顔を浮かべてそんなことを言う。朱昂はまだ他者を治癒する力を持たない。だから、暁之の言葉が嘘だと知っていても、傷つけた朱昂は暁之にうなずくしかなかった。
「そう……?」
「うん。朱昂ちゃんは森の中を歩いているのに足がきれいだね。ぼ、オレしょっちゅう切ってるよ。その時は水で洗いなさいってかあさんが教えてくれた。小さい傷はきれいに泥を流せば治りが早いよって」
「そうなんだ」
鬱々と心が沈んでいく。今日はもう暁之を帰そうかと思っていると、ふいに暁之に手を握られた。驚いて見ると、暁之が真剣な目をしている。内緒話を打ち明けるように、小さく朱昂に囁いた。
「……水浴びしにいく?」
朱昂は紅い目を少し見開いてから、なるほど、と微笑む。
「傷、洗ってあげる」
囁き返すと暁之は頬を真っ赤にしてうっとりと見上げてきた。朱昂の自尊心が少しずつ回復していく。
――暁之よ、そんなに俺が好きか。
水浴びだなんてませたガキめ。よかろう。たんと振る舞ってくれるわと、朱昂は小鼻を膨らませる。
実技は未履修だが、オトコとオンナのあれやこれ、果てはオトコ同士、オンナ同士のあれやこれやも書庫の中で履修済みだ。
医学書は朱昂の下がかった好奇心すら満たしてくれる。いつかは俺も種馬だからなと、朱昂は好奇心を満たす度に自嘲した。
「行こう」
朱昂は暁之の手を握ったまま、立ち上がった。
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