王の愛は血より濃し 吸血鬼のしもべ第2部

時生

文字の大きさ
20 / 106
第一章 暁を之(ゆ)く少年

第十一話 そして青年は死んだ

しおりを挟む
 若い人間が、幼体の吸血鬼の手を引いて暗い森の中を走る。

 夜明けにはまだほど遠いのか、それとももうすぐ空が白み始めるのかは分からなかった。人里はいつまでも見えてこない。

 もしかすると半刻はんとき程度か、それよりももっと短い時間しか経っていないのかもしれなかった。

 長いとも短いとも分からぬ時間の中で、暁之ぎょうし朱昂しゅこうの手を離さないようにして走るだけだった。抱え上げられている間に落ち着きを取り戻した朱昂は、やがて暁之の隣で走り出した。

 今は暁之の前になり後ろになり、周囲に用心の目を向けながら駆け続けている。

「暁之」

 荒い息の下で朱昂が斜め前にいる青年を呼んだ。暁之は足を止めずに顔だけを朱昂に見せる。暁之の視線の先で朱昂は後ろに首を向けたが、正面に戻すと、

「まけそうにない」と、短く告げた。

 松明の灯りが、木々の合間を動いているのが見える。五人から十人程度だろうか、距離がやや詰まってきている。

「どうする」

 そう聞きながら、暁之の頭には逃げる以外の選択肢はなかった。青年は腰に剣を佩いていたが、朱昂を連れながら斬り合うつもりはない。

 多勢に無勢であるし、捨て身で挑んで自分が死んでしまっては朱昂の安全はないだろう。先ほど気絶させた男たちは徴兵された農民であったから対処のしようもあったが、相手が訓練を受けた兵だということも考えられる。

 官側は「紅眼の鬼」を捕らえ、予想外に騒ぎが大きくなったことで潰れた面目を取り戻そうと、躍起になっている。近隣で徴収した兵以外に、正規の兵を相当数配備したのだ。

 木の葉ががさがさと揺れる音が聞こえるほどに、追っ手が近づいてきた。

 一時強くなった雨は霧雨に変わって降り続いている。

 額から目元へと落ちるしずくを振り払うように首を振って、氷のようになってしまった朱昂の手を握り直した。目と目が合う。そのまま瞬きをすること三度。

 手を固く繋ぎ合ったまま、蒼白な顔色の朱昂に微笑もうとした暁之の笑顔が、途切れた。

「っ!!」

 前方から空を切り裂いて飛んできた矢が、暁之の右肩に突き刺さったためだった。

「暁之!!」

 二人の手が解ける。手のひら、人差し指。中指が離れた。
 急には止まれず、朱昂は足をもつれさせ、ぬかるんだ地面に倒れこむ。

 すぐに飛んできた二本目の矢が、朱昂の頭上を通り過ぎた。
 キリキリと弦が鳴る音が同時に四方から聞こえたことに、朱昂の背筋がぞっとした。

 狙いは自分。瞬時に悟った朱昂は、肩を押さえ、膝をついている暁之を見た。

「暁ちゃん」

 黒い瞳だけがきょろりと動き、朱昂を映す。

「逃げて」

 柔らかい唇が告げたのと、矢が放たれたのは同時だった。

 人間に捕らえられ、永劫鎖に繋がれても、暁之が助かるのならばそれでいいと、暁之の前に立ちはだかって矢を受けようとした朱昂は、逆に大きな体に抱きしめられていた。

 地面に背中から倒れた朱昂に覆い被さるようにして、燃えるような体が密着した。

 寸時、悲鳴が木々を揺らした。朱昂が目を見開くと、すぐ近くに苦悶に歪む暁之の顔。そしてその向こうに、針のように突き立った矢羽が見えた。

「暁之!!!」

 叫ぶ朱昂の肩に、暁之が血を吐いた。
 びくりと大きく体を痙攣させて、もう一度大量の血が朱昂の顔や肩を濡らす。

 ――致死量。

 頭の隅に浮かんだ冷酷な文字に朱昂は絶望した。破裂しそうな心とは裏腹に、この出血量ではと、頭が判断してしまう。

 腕を突っ張らせていた暁之の体が力を失い、まともに朱昂の上に落ちてきた。這い出ようとした朱昂の動きを読んだかのように第二波が暁之の全身を穿つ。

 数えきれないほどの矢。刺さる矢の激しさを暁之の体越しに感じながら、朱昂は動くことができなかった。

 針山のように背に矢の刺さった暁之が、息絶えようとする瞬間にも、固く朱昂を抱いているからであった。

「しゅ、こ」
「暁ちゃん、暁ちゃん暁ちゃん」
「ごめ、な」

 自分の心臓の音が鳴り響くだけで、痺れたように何も考えられない。恐怖に喘ぐ朱昂の目の前で、暁之の瞳孔が呆気なく開いた。

「あ……」

 目を見開いたまま事切れた青年の頬を、白い手が探る。ぺたぺたと指先で叩いても、返事はない。

「暁ちゃん。暁之、しっかりして」

 どうにもならない。分かっていても、朱昂の口は止まらなかった。

「起きて。早く行こう。起きて、起きて……あ、あぁ……暁ちゃん……。そうだ!真血しんけつ、真血が」

 名前を呼びながらはっとした朱昂は、自分の手首に強く噛みついた。皮膚ごと引きちぎるようにして手首を噛み切り、あふれ出る血液を開かれたままの暁之の口に流し込んだ。

「戻して。暁之戻してくれ。頼む、頼むっ!」

 しかし、幼い主の命令が真血に届くはずはなかった。朱昂は幼すぎた。条件さえ整えば、蘇生すら可能な霊薬はその効力を発揮しなかった。朱昂の成長はあまりにも遅い。遅すぎたのだ。

 傷の塞がった己の手首に噛みつく朱昂の耳に、再び矢をつがえる音が聞こえた。
 朱昂の瞳孔が縦に伸びる。

「おのれ……」

 眦を裂き、魔性を暴露した化け物を前に、取り囲む内の一人の指が震え、誤って矢が放たれた。

 ――ピュンっ!

 まっすぐに進む鏃の向こう側で目を見開く男と、朱昂の目が合った。

「うぬら、よくも“俺の”暁之を!!!」

 朱昂が全身を震わせて放った咆哮が、まるで波のように人間達に襲いかかる。

 男達は見えない壁にされるように上体を仰け反らせたかと思うと、奇妙に頭蓋を膨らませ、やがて口や鼻、眼窩から血を迸らせた。

 頭の内側に溜まった血液はとうとう頭蓋骨を破壊し、まるでそれぞれが血の柱になったかのように、天に向かって己が体液を噴きあげた。

「暁之、暁之……」

 自分の放った力の反動で、何歩か後ずさった朱昂は、やがてその場に倒れ込んだ。瞳を閉じた朱昂の血と煤で汚れた頬を、赤く染まった雨が濡らし続けた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

番に見つからない街で、子供を育てている

はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。 異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。 現世の記憶は失われているが、 この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。 街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、 ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。 だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。 再会は望まない。 今はただ、この子との生活を守りたい。 これは、番から逃げたオメガが、 選び直すまでの物語。 *不定期連載です。

身代わり召喚された俺は四人の支配者に溺愛される〜囲い込まれて逃げられません〜

たら昆布
BL
間違って異世界召喚された青年が4人の男に愛される話

エリート上司に完全に落とされるまで

琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。 彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。 そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。 社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

入社1ヶ月のワンコ系男子が、知らずのうちに射止めたのはイケメン社長!?

monteri
BL
CM制作会社の新入社員、藤白純太は入社1ヶ月で教育係の先輩が過労で倒れたため、特別なクライアントの担当を引き継ぐことになる。 そのクライアントは、女子禁制ミーハー厳禁の芸能事務所だった。 主人公の無知で純なところに、翻弄されたり、骨抜きにされるイケメン社長と、何も知らない純太がドキドキするお話です。 ※今回の表紙はAI生成です ※小説家になろうにも公開してます

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

素直に同棲したいって言えよ、負けず嫌いめ!ー平凡で勉強が苦手な子が王子様みたいなイケメンと恋する話ー

美絢
BL
 勉強が苦手な桜水は、王子様系ハイスペックイケメン幼馴染である理人に振られてしまう。にも関わらず、ハワイ旅行に誘われて彼の家でハウスキーパーのアルバイトをすることになった。  そこで結婚情報雑誌を見つけてしまい、ライバルの姫野と結婚することを知る。しかし理人は性的な知識に疎く、初夜の方法が分からないと告白される。  ライフイベントやすれ違いが生じる中、二人は同棲する事ができるのだろうか。【番外はじめました→ https://www.alphapolis.co.jp/novel/622597198/277961906】

従僕に溺愛されて逃げられない

大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL! 俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。 その傍らには、当然のようにリンがいる。 荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。 高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。 けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。 当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。 居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。 さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。 主従なのか、恋人なのか。 境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。 従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。

処理中です...