48 / 106
第二章 月ニ鳴ク獣
第二十七話 守り通した秘密(1)
しおりを挟む
真血の君を柘律殿に導けというのが、父の遺言だったと仁波は語った。
仁波が言う「柘律殿」という言葉に、朱昂は顔も知らぬ祖父の名を思い出した。
朱昂の祖父は柘律という。豪放磊落な性格の名君であったらしい。
歴代の真血の主らしく医学に精通し、安定した治世を敷いて吸血族の信頼も厚かった。ただ、柘律はある問題を抱えていた。後継者についてである。
真血の主は、その奇跡の力の代償か、不妊体質だ。柘律はいつまでも子ができなかった。壮年期以降、柘律の後宮には、妊娠可能な年頃の美姫が常時三百名いたという。
晩年の柘律は跡継ぎをもうける毎日から逃げるように、王城とは別に離宮を建て、心の通った妻や愛妾、才能ある若者だけを招いて遊び、議論する日々を送るようになった。その離宮こそ、柘律殿である。
「柘律殿は、焼失したと言われていました」
朱昂の隣で仁波が息を吐いた。青白い顔だが呼吸は安定している。
仁波の矢傷は幸い深手にはならなかった。もとより吸血鬼は治癒能力が高い。豪邸には食料と血液の他、薬も大量に保存されており、手当てを終えた仁波はすぐに朱昂のもとにやってきた。
仁波は、自分たちがいるこの宮こそが柘律殿ではないかと言うのだ。
「焼失した?」
「ええ。柘律殿は真血派の最後の砦だったそうです。真血派が壊滅した際に、運命をともにしたのだと」
真血派、と朱昂はつぶやく。柘律死後の内紛の際に生まれた派閥のはずだ。柘律は子を残さぬまま崩御し、吸血族は大きく二つに分かれた。
新たな真血の赤子の誕生を待とうではないかという真血派と、そのような奇跡を待っている間に一族は滅亡してしまう、新しい体制を作らねばならぬという新派である。
はじめ両者の関係は極めて穏やかであったが、ある女が新派に寝返り、真血派の武力制圧をそそのかしたことで、酸鼻極まる血まみれの戦争へと移行した。
女の名は莉燈。かつて柘律殿にて、柘律がいたく才能を褒め称え、我が子のように愛した若者。
柘律以後の真血の主を牢獄に繋ぎ、種馬としての価値しか認めなかった、吸血鬼の頂点を踏む女だ。
真血派の悲劇は新派に滅ぼされたことだけではない。彼らは、戦争の中で柘律の実子・涯樹が誕生していたことを知らなかったのだ。
柘律は子を遺していたのだ。新派に寝返った莉燈はかつて親友であった涯樹の母を捕らえ、牢獄で子を産ませていた。
涯樹は裏切り者によって育てられ、種馬として閨に閉じ込められ、やがて子を孕んだ女と人間界に出奔した。人間界で育てられた子どもは父である涯樹を殺害し、魔境に戻ってきた。――それが、朱昂を含めた真血家の歴史である。
「私の祖父は真血派でした。父の遺言は『柘律殿に真血の君を導け』だったのです。父から真血に関する話を聞いたのは初めてでした。ちょうどその頃、葵穣様がお生まれになった。私は近衛の士官として、殿下の護衛を拝命した。不思議な符号でした」
仁波が昔語りする横で、朱昂は辺りを見回す。
焼失したはずの屋敷に自分たちがいる。それは何を指すのか。
考えようとするも気が散って、頭が回らない。
「葵穣様がお育ちになるにつれ、私は王城のやり口が許せなくなってきました。そうなると、不思議と真血派の子孫や考えを同じくするものが集まるようになってきて、いつか葵穣様を王座にと我々は思っていました。ところが、葵穣様があまりに聡明すぎる、早く幽閉すべきではとの意見が出回っていると聞き、とても我慢ならないと、殿下のご了承もいただいた上で今回の――」
「導いて、なんなのだ」
集中できないことに耐えかねて、朱昂の口が開いた。
「……は?」
「『真血の君を柘律殿に導け』と言うが、続きは? 導いてどうする。というか、誰も近づくまでここが見えてなかったろうが? たまたま俺が発見しただけだ。ということはだ、真血の主にしかここは見えなかったということだろう。どうしてそんなことになるのだ」
ひとつひとつ、疑問を口に出す。
ぶつぶつ言いながら考え込む朱昂の隣で、仁波がそっと口を開いた。
「結界が張ってあった、とか」
「ここが柘律殿だと仮定しよう。柘律が死んだのは何年前だ」
「五百じゅう、」
「まー大体、五百年くらい前だろうな」
朱昂は指で床をこすった。指の腹を見るが、塵すらほとんど指についていない。眉をひそめる。
「五百年間放置されて、どうしてこんなに綺麗なのだ。食料も血も薬草も腐ってないのはどうしてだ? 結界内の時を止め、成体となった真血の主にしか見えないようにする結界なんて存在するのか。存在したとしてそんなものがひとりやふたりの術者で張れるか? ということは、術者は複数でかなりの数だ。しかも術者はとっくに死んでるだろ。死んでないかなぁ。いやでも生きてたらもちっとましな状況になってるよな。つまり死んでる」
複数の術者、死、真血派の最後の戦闘、真血派の滅亡。
朱昂の思考は加速する。結界が張ってあったというのは確かなように感じた。誰が張ったのか。
朱昂は額を押さえる。思考の渦が緩みそうになるのを、言葉に変えることで止めようとする。
「真血派の一党しかないか。真血派は自分たちを生け贄にして、強大な結界を張った。やりすぎな話だが、まあそれしかない。そこまでしてあのババアから守らなければならないものが柘律殿にあったということだ。昔柘律殿に通っていた莉燈が存在を知りながら持ち出せなかったものが、ここに隠されている。それを真血派は隠したかった。なんなのだ。あー、えー! 真血の主を導き、主が手に入れれば真血派が形勢逆転できる何かだ。一体それはなんだ?」
朱昂は突然仁波に顔を向けた。仁波は圧倒されたような表情で見返してきた。
「それで、遺言の続きはあるのか?」
「導け、までです。申し訳ございません」
「大事なところを省くなよ。だから口伝は嫌いだ」
朱昂が頭をかきむしる。手を止め、はーっと息を吐いて壁に背をつけた。
仁波が言う「柘律殿」という言葉に、朱昂は顔も知らぬ祖父の名を思い出した。
朱昂の祖父は柘律という。豪放磊落な性格の名君であったらしい。
歴代の真血の主らしく医学に精通し、安定した治世を敷いて吸血族の信頼も厚かった。ただ、柘律はある問題を抱えていた。後継者についてである。
真血の主は、その奇跡の力の代償か、不妊体質だ。柘律はいつまでも子ができなかった。壮年期以降、柘律の後宮には、妊娠可能な年頃の美姫が常時三百名いたという。
晩年の柘律は跡継ぎをもうける毎日から逃げるように、王城とは別に離宮を建て、心の通った妻や愛妾、才能ある若者だけを招いて遊び、議論する日々を送るようになった。その離宮こそ、柘律殿である。
「柘律殿は、焼失したと言われていました」
朱昂の隣で仁波が息を吐いた。青白い顔だが呼吸は安定している。
仁波の矢傷は幸い深手にはならなかった。もとより吸血鬼は治癒能力が高い。豪邸には食料と血液の他、薬も大量に保存されており、手当てを終えた仁波はすぐに朱昂のもとにやってきた。
仁波は、自分たちがいるこの宮こそが柘律殿ではないかと言うのだ。
「焼失した?」
「ええ。柘律殿は真血派の最後の砦だったそうです。真血派が壊滅した際に、運命をともにしたのだと」
真血派、と朱昂はつぶやく。柘律死後の内紛の際に生まれた派閥のはずだ。柘律は子を残さぬまま崩御し、吸血族は大きく二つに分かれた。
新たな真血の赤子の誕生を待とうではないかという真血派と、そのような奇跡を待っている間に一族は滅亡してしまう、新しい体制を作らねばならぬという新派である。
はじめ両者の関係は極めて穏やかであったが、ある女が新派に寝返り、真血派の武力制圧をそそのかしたことで、酸鼻極まる血まみれの戦争へと移行した。
女の名は莉燈。かつて柘律殿にて、柘律がいたく才能を褒め称え、我が子のように愛した若者。
柘律以後の真血の主を牢獄に繋ぎ、種馬としての価値しか認めなかった、吸血鬼の頂点を踏む女だ。
真血派の悲劇は新派に滅ぼされたことだけではない。彼らは、戦争の中で柘律の実子・涯樹が誕生していたことを知らなかったのだ。
柘律は子を遺していたのだ。新派に寝返った莉燈はかつて親友であった涯樹の母を捕らえ、牢獄で子を産ませていた。
涯樹は裏切り者によって育てられ、種馬として閨に閉じ込められ、やがて子を孕んだ女と人間界に出奔した。人間界で育てられた子どもは父である涯樹を殺害し、魔境に戻ってきた。――それが、朱昂を含めた真血家の歴史である。
「私の祖父は真血派でした。父の遺言は『柘律殿に真血の君を導け』だったのです。父から真血に関する話を聞いたのは初めてでした。ちょうどその頃、葵穣様がお生まれになった。私は近衛の士官として、殿下の護衛を拝命した。不思議な符号でした」
仁波が昔語りする横で、朱昂は辺りを見回す。
焼失したはずの屋敷に自分たちがいる。それは何を指すのか。
考えようとするも気が散って、頭が回らない。
「葵穣様がお育ちになるにつれ、私は王城のやり口が許せなくなってきました。そうなると、不思議と真血派の子孫や考えを同じくするものが集まるようになってきて、いつか葵穣様を王座にと我々は思っていました。ところが、葵穣様があまりに聡明すぎる、早く幽閉すべきではとの意見が出回っていると聞き、とても我慢ならないと、殿下のご了承もいただいた上で今回の――」
「導いて、なんなのだ」
集中できないことに耐えかねて、朱昂の口が開いた。
「……は?」
「『真血の君を柘律殿に導け』と言うが、続きは? 導いてどうする。というか、誰も近づくまでここが見えてなかったろうが? たまたま俺が発見しただけだ。ということはだ、真血の主にしかここは見えなかったということだろう。どうしてそんなことになるのだ」
ひとつひとつ、疑問を口に出す。
ぶつぶつ言いながら考え込む朱昂の隣で、仁波がそっと口を開いた。
「結界が張ってあった、とか」
「ここが柘律殿だと仮定しよう。柘律が死んだのは何年前だ」
「五百じゅう、」
「まー大体、五百年くらい前だろうな」
朱昂は指で床をこすった。指の腹を見るが、塵すらほとんど指についていない。眉をひそめる。
「五百年間放置されて、どうしてこんなに綺麗なのだ。食料も血も薬草も腐ってないのはどうしてだ? 結界内の時を止め、成体となった真血の主にしか見えないようにする結界なんて存在するのか。存在したとしてそんなものがひとりやふたりの術者で張れるか? ということは、術者は複数でかなりの数だ。しかも術者はとっくに死んでるだろ。死んでないかなぁ。いやでも生きてたらもちっとましな状況になってるよな。つまり死んでる」
複数の術者、死、真血派の最後の戦闘、真血派の滅亡。
朱昂の思考は加速する。結界が張ってあったというのは確かなように感じた。誰が張ったのか。
朱昂は額を押さえる。思考の渦が緩みそうになるのを、言葉に変えることで止めようとする。
「真血派の一党しかないか。真血派は自分たちを生け贄にして、強大な結界を張った。やりすぎな話だが、まあそれしかない。そこまでしてあのババアから守らなければならないものが柘律殿にあったということだ。昔柘律殿に通っていた莉燈が存在を知りながら持ち出せなかったものが、ここに隠されている。それを真血派は隠したかった。なんなのだ。あー、えー! 真血の主を導き、主が手に入れれば真血派が形勢逆転できる何かだ。一体それはなんだ?」
朱昂は突然仁波に顔を向けた。仁波は圧倒されたような表情で見返してきた。
「それで、遺言の続きはあるのか?」
「導け、までです。申し訳ございません」
「大事なところを省くなよ。だから口伝は嫌いだ」
朱昂が頭をかきむしる。手を止め、はーっと息を吐いて壁に背をつけた。
0
あなたにおすすめの小説
番に見つからない街で、子供を育てている
はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。
異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。
現世の記憶は失われているが、
この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。
街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、
ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。
だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。
再会は望まない。
今はただ、この子との生活を守りたい。
これは、番から逃げたオメガが、
選び直すまでの物語。
*不定期連載です。
エリート上司に完全に落とされるまで
琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。
彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。
そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。
社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
入社1ヶ月のワンコ系男子が、知らずのうちに射止めたのはイケメン社長!?
monteri
BL
CM制作会社の新入社員、藤白純太は入社1ヶ月で教育係の先輩が過労で倒れたため、特別なクライアントの担当を引き継ぐことになる。
そのクライアントは、女子禁制ミーハー厳禁の芸能事務所だった。
主人公の無知で純なところに、翻弄されたり、骨抜きにされるイケメン社長と、何も知らない純太がドキドキするお話です。
※今回の表紙はAI生成です
※小説家になろうにも公開してます
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
素直に同棲したいって言えよ、負けず嫌いめ!ー平凡で勉強が苦手な子が王子様みたいなイケメンと恋する話ー
美絢
BL
勉強が苦手な桜水は、王子様系ハイスペックイケメン幼馴染である理人に振られてしまう。にも関わらず、ハワイ旅行に誘われて彼の家でハウスキーパーのアルバイトをすることになった。
そこで結婚情報雑誌を見つけてしまい、ライバルの姫野と結婚することを知る。しかし理人は性的な知識に疎く、初夜の方法が分からないと告白される。
ライフイベントやすれ違いが生じる中、二人は同棲する事ができるのだろうか。【番外はじめました→ https://www.alphapolis.co.jp/novel/622597198/277961906】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる