王の愛は血より濃し 吸血鬼のしもべ第2部

時生

文字の大きさ
47 / 106
第二章 月ニ鳴ク獣

第二十六話 逃避行の始まり(2)

しおりを挟む
 空が明るければ見えていただろう血柱は見えず、背後から吹いた風が濃厚な鉄錆の匂いを運ぶ。

 朱昂しゅこうは、辺りの混乱など気にも留めず、手綱を操って仁波と葵穣きじょうのいる馬に寄った。仁波は手綱を放してはいなかった。力が失せた右腕を膝の上に置き、前傾姿勢ながらも何とか馬を操ろうとしている。

「何とかこらえろ、もう建物は見えている」

 今走っている道からそれて少し山を登ったところに、荘厳な建物が見えた。遠目にも壮麗なあの建物こそが目的地に違いない。励ます朱昂に、しかし、仁波の表情はさらに曇った。

「見えている……? まだ、あと四半刻は走らねば、目的地には着きません」
「あれが目的地ではないのか? だが、もうだいぶ周りも死んでしまった。これ以上走るのは無理であろう。俺がいれば門前払いはされまい、あそこに行って」
「あそことは、どこです」
「何を言っている。そこの上よ」
「うえ……?」

 朱昂が指さすも、仁波の視線がうろうろしている。よもや目か頭がいかれたかと思ったが、ますますはっきりと姿を現した御殿に、後ろに続く誰も言及しない。王子もまた、きょとんとした顔をしている。朱昂は、建物を指す指をそのままに、声を震わせた。

「あるだろうが、瑠璃瓦の建物が!」

 雲の切れ間から差しこんだ月光が、崖を背におおとりが翼を開くが如き屋根の形を浮き上がらせていた。翼の先は少し上向き、瓦ひとつひとつが月光を弾いて輝いている。うろついていた仁波の視線が、朱昂に戻ってきた。男の表情が、困惑から不審へと明らかに変化していた。

 冷たい雷が、朱昂の目を打った。乗り手の衝撃を察知したかのように、馬の足が緩やかになる。仁波と離れていく。皆が仁波の後を追う。仁波に呼ばれた朱昂はただ首を横に振った。建物は、依然として朱昂の右手の高台にある。たとえ自分以外には見えていなかったとしても。

 ――もしも伯陽だったら。

 朱昂はそう思わずにはいられない。
 伯陽であれば、見えないどこかへ行こうとする主に、困惑しながらもついてきただろう。「朱昂が言うなら、そうしよう。俺は朱昂を信じる」と、簡単に言ってのけて。だが、伯陽はいない。

 一旦は崩れた王軍の気配が近づいてくるのが分かる。鼓動の波が押し寄せてくる。手負いの吸血鬼たちが、四半刻走ることは不可能だと朱昂は分かっていた。

「父上!」

 葵穣の叫ぶ声が遠くなる。朱昂は唇を噛んだ。生きるためにはあそこに向かうしかない。
 朱昂は駒の鼻先を、豪邸に向けた。道をそれて馬を走らせながら、大音声だいおんじょうで我が子を呼んだ。今、自分を信じてくれる可能性があるのは、ただひとりしかいないと、朱昂は分かっていた。

「ついておいで! 俺を信じろ、葵穣!!」

 葵穣と何度も呼びながら、朱昂は走った。
 枝が、鋭い葉が、朱昂の頬を傷つける。自らの鼓動とは別に、近づいてくる蹄の音が大きくなる。視界が二重にぶれる。太い枝が前方から朱昂に迫るが対応できなかった。落馬する、と身構えた朱昂の横合いから伸びた剣が、枝を切り落とした。

 ――前見ろ、朱昂。

 聞きなれた声に、注意された気がした。
 はっと横を見た朱昂の横で、剣を構えていたのは幼い王子だった。

「葵穣様、お見事」

 少年らしからぬ厳しい表情で、王子は仁波の称賛にうなずく。
 やがて、朱昂は葵穣を従えて森を抜け、大邸宅の前に躍り出た。

「これは……」

 葵穣に寄りかかりながら荒い息を吐いていた仁波のつぶやきが、背後から聞こえた。少し遅れて驚嘆の声が次々と朱昂の耳に届く。

 眼前には黒を基調とした壁や柱が月光に清められて光っていた。崖の真ん前に忽然と現われ、悠々と腕を開く宮殿。明かりがないのを不審に思い、門前のきざはしまで朱昂が近寄ると、まるで息を吹き返したように、明かりが一斉についた。

 下馬して色々探索したいが、今にも鬣に顔を伏せて気絶しそうだ。誰か来い、と後ろを振り返った朱昂は、目を見開いた。
 一面、額づく吸血鬼しかいない。みな頭を朱昂に向けて地面にひれ伏していた。幼い王子までもが、朱昂の傍まで行くと小さな体を折ってひざまずく。

 追撃から生き残った六十三名が、若き王に終生の臣従を誓った瞬間であった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

番に見つからない街で、子供を育てている

はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。 異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。 現世の記憶は失われているが、 この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。 街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、 ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。 だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。 再会は望まない。 今はただ、この子との生活を守りたい。 これは、番から逃げたオメガが、 選び直すまでの物語。 *不定期連載です。

身代わり召喚された俺は四人の支配者に溺愛される〜囲い込まれて逃げられません〜

たら昆布
BL
間違って異世界召喚された青年が4人の男に愛される話

エリート上司に完全に落とされるまで

琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。 彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。 そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。 社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

入社1ヶ月のワンコ系男子が、知らずのうちに射止めたのはイケメン社長!?

monteri
BL
CM制作会社の新入社員、藤白純太は入社1ヶ月で教育係の先輩が過労で倒れたため、特別なクライアントの担当を引き継ぐことになる。 そのクライアントは、女子禁制ミーハー厳禁の芸能事務所だった。 主人公の無知で純なところに、翻弄されたり、骨抜きにされるイケメン社長と、何も知らない純太がドキドキするお話です。 ※今回の表紙はAI生成です ※小説家になろうにも公開してます

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

素直に同棲したいって言えよ、負けず嫌いめ!ー平凡で勉強が苦手な子が王子様みたいなイケメンと恋する話ー

美絢
BL
 勉強が苦手な桜水は、王子様系ハイスペックイケメン幼馴染である理人に振られてしまう。にも関わらず、ハワイ旅行に誘われて彼の家でハウスキーパーのアルバイトをすることになった。  そこで結婚情報雑誌を見つけてしまい、ライバルの姫野と結婚することを知る。しかし理人は性的な知識に疎く、初夜の方法が分からないと告白される。  ライフイベントやすれ違いが生じる中、二人は同棲する事ができるのだろうか。【番外はじめました→ https://www.alphapolis.co.jp/novel/622597198/277961906】

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...