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第二章 月ニ鳴ク獣
第二十六話 逃避行の始まり(1)
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王軍による追撃は、最初から殲滅戦だった。
後ろから弓矢で射落とされた者は、いくらになるだろう。半刻近くが経った今、すでに半数近いのでは、と朱昂は考えていた。
真血は、その主の体を命令がなくとも守る。朱昂と葵穣は致命傷であっても勝手に治癒してしまうので、乱暴に攻め潰してしまおうという追っ手の考えはよく分かった。王親子ともども誘拐犯らを完膚なきまでに殺しつくしてしまえ。親子は死なないだろう。そのような考えのはずだ。
これは、いくらも保たない。増援も望めぬのならば、潰されてしまうだろう。
終わりか、と朱昂は目を伏せる。不思議に、朱昂の心には波風ひとつ生じなかった。
――せめて俺を捨て置けば、追っ手を削ることができたろうに。
伯陽、と朱昂の唇は蹄と悲鳴の音に紛れるようにして、しもべの名を紡いだ。
伯陽であれば、捨て置けという自分に何と言っただろう。頭から怒鳴られて、それならば自分も残ると言い張るだろう。もしくは、怒り狂いながら自分を縛るか背負ったはずだ。そして、伯陽の一番は自分であると知っているから、朱昂は決して己の命を軽んずることはしなかった。
しかし、朱昂の心を守ってくれた友はもういない。再び空の下に出たというのに、自分はひとりになってしまったという事実が、朱昂を打ちのめしていた。
ひゅん、と矢が空を切る音が、朱昂の思考を断ち切った。
すぐ後ろでうめき声がしたかと思うと、朱昂の背中に重いものがもたれかかってきた。朱昂の体を支えていた男は、首の後ろに矢を突き立てた状態でしばらく朱昂に身を寄せた後に、落馬した。
朱昂は馬の鬣に身を突っ伏したまま、ぶら下がる手綱を掴み、握りしめた。不安定な体を固めるようにしがみつくと、必死に息を吐き出す。突然のことに、心拍が上がり、脈が耳のすぐそばでうるさく鳴っている。
「仁波! しっかりして、仁波!」
近くで高い悲鳴が聞こえた。しきりに名を呼んでいる。声のする方を見た朱昂は、身を低くしたまま目を見開いた。
近くの馬に乗る仁波の肩に二本、矢が刺さっていた。仁波の体は前のめりになり、前にいる葵穣に寄りかかった状態だ。意識はあるらしく、歯を食いしばりながら手綱をさばこうとしている。だが、朱昂の見ている前で、もう一本、背の中心辺りに矢が刺さった。仁波の顔が痛みに崩れる。葵穣が仁波の胸に抱きつくようにして蒼白な顔で叫んでいる。
「仁波ァ!」
朱昂は、過去の幻影を見ている気がした。トク、トクと、自分の拍動が遅くなったような気がする。雨の匂いを感じた。自分に覆い被さる伯陽の重さ、息の熱さ、
自分の拍動に、誰か別の鼓動が重なる。トクトク、トクトク。鼓動が集まっていく。
伯陽の背に矢が当たった時、彼の体ごしに感じた衝撃。血の匂い。キリリ、と矢をつがえる無情な音。
――トクトクトクトクトクトク。
仁波の体が馬の首に崩れる。葵穣が救命の叫びをあげる。
朱昂は、背後を見て手の中に集まっていた拍動をすべてつぶした。右手で作った握りこぶしによって、悪鬼の血流を操り、心臓を破裂させたのだ。かつて、同じようなことをした。その記憶のままに敵を屠った。
複数の断末魔が、夜の森に響き渡った。
朱昂が集めることができた拍動はどれほどかわからない。味方の奥で、倒れ伏す音が聞こえる。追撃の蹄の音が絶えた。
後ろから弓矢で射落とされた者は、いくらになるだろう。半刻近くが経った今、すでに半数近いのでは、と朱昂は考えていた。
真血は、その主の体を命令がなくとも守る。朱昂と葵穣は致命傷であっても勝手に治癒してしまうので、乱暴に攻め潰してしまおうという追っ手の考えはよく分かった。王親子ともども誘拐犯らを完膚なきまでに殺しつくしてしまえ。親子は死なないだろう。そのような考えのはずだ。
これは、いくらも保たない。増援も望めぬのならば、潰されてしまうだろう。
終わりか、と朱昂は目を伏せる。不思議に、朱昂の心には波風ひとつ生じなかった。
――せめて俺を捨て置けば、追っ手を削ることができたろうに。
伯陽、と朱昂の唇は蹄と悲鳴の音に紛れるようにして、しもべの名を紡いだ。
伯陽であれば、捨て置けという自分に何と言っただろう。頭から怒鳴られて、それならば自分も残ると言い張るだろう。もしくは、怒り狂いながら自分を縛るか背負ったはずだ。そして、伯陽の一番は自分であると知っているから、朱昂は決して己の命を軽んずることはしなかった。
しかし、朱昂の心を守ってくれた友はもういない。再び空の下に出たというのに、自分はひとりになってしまったという事実が、朱昂を打ちのめしていた。
ひゅん、と矢が空を切る音が、朱昂の思考を断ち切った。
すぐ後ろでうめき声がしたかと思うと、朱昂の背中に重いものがもたれかかってきた。朱昂の体を支えていた男は、首の後ろに矢を突き立てた状態でしばらく朱昂に身を寄せた後に、落馬した。
朱昂は馬の鬣に身を突っ伏したまま、ぶら下がる手綱を掴み、握りしめた。不安定な体を固めるようにしがみつくと、必死に息を吐き出す。突然のことに、心拍が上がり、脈が耳のすぐそばでうるさく鳴っている。
「仁波! しっかりして、仁波!」
近くで高い悲鳴が聞こえた。しきりに名を呼んでいる。声のする方を見た朱昂は、身を低くしたまま目を見開いた。
近くの馬に乗る仁波の肩に二本、矢が刺さっていた。仁波の体は前のめりになり、前にいる葵穣に寄りかかった状態だ。意識はあるらしく、歯を食いしばりながら手綱をさばこうとしている。だが、朱昂の見ている前で、もう一本、背の中心辺りに矢が刺さった。仁波の顔が痛みに崩れる。葵穣が仁波の胸に抱きつくようにして蒼白な顔で叫んでいる。
「仁波ァ!」
朱昂は、過去の幻影を見ている気がした。トク、トクと、自分の拍動が遅くなったような気がする。雨の匂いを感じた。自分に覆い被さる伯陽の重さ、息の熱さ、
自分の拍動に、誰か別の鼓動が重なる。トクトク、トクトク。鼓動が集まっていく。
伯陽の背に矢が当たった時、彼の体ごしに感じた衝撃。血の匂い。キリリ、と矢をつがえる無情な音。
――トクトクトクトクトクトク。
仁波の体が馬の首に崩れる。葵穣が救命の叫びをあげる。
朱昂は、背後を見て手の中に集まっていた拍動をすべてつぶした。右手で作った握りこぶしによって、悪鬼の血流を操り、心臓を破裂させたのだ。かつて、同じようなことをした。その記憶のままに敵を屠った。
複数の断末魔が、夜の森に響き渡った。
朱昂が集めることができた拍動はどれほどかわからない。味方の奥で、倒れ伏す音が聞こえる。追撃の蹄の音が絶えた。
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