王の愛は血より濃し 吸血鬼のしもべ第2部

時生

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第二章 月ニ鳴ク獣

第二十八話 研鑽(2)

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 昼前の柘律殿しゃりつでんは行きかう者も多い。葵穣きじょうと別れた朱昂は、挨拶に軽くうなずきながら見えてきた階段の後ろに回った。つま先にやや力をこめて床を蹴ると、赤い光によって複雑な文様の術式が浮かび上がった。人界への入り口だ。

 朱昂が術式を練ったのではない。柘律殿にもとからあったものだった。朱昂が何かにいらついて床を蹴った時に、浮かび上がったのだった。
 吸血鬼は血を糧にする。魔族や獣でもいいが、相性がいいのは人間だった。柘律殿を含む結界内では満足に血も得られず困っていたところに発見された人界への扉は、朱昂や朱昂の従者たちを癒し、肥えさせてきた。

 この出入り口が、祖父が生前に使っていたものか、真血派が残した後世への贈り物かは分からない。もしも後者であれば準備が良すぎると思う。もしかすると柘律は真血の主と吸血族が反目する現状を予想していたのかもしれない。
 三十年経っても変わらずにある柘律殿の結界すら、いざとなったら張るようにと祖父が周囲に指示していたのではないかと朱昂は考えていた。

 ――余計なことを考えずに子作りをしておれば良かったろうに。

 そう悠長に構えていられる状況ではなかったのかもとは思うが、今となってはすべて推測で答えは出ない。ただ、柘律とそれに付き従った者たちの意思が、朱昂を生き永らえさせているのはたしかだった。

 朱昂が術式の中央に立つ。くらくらと平衡感覚が狂い、空気が薄くなる。界をまたぐ際に火薬っぽい匂いが一瞬たちこめるのが好きではない。平衡感覚が戻ると、朱昂は盛大にくしゃみをした。
 術式から一歩踏み出すと、ギシと床が嫌な軋み方をした。雨の音がする。

「またくしゃみをしている。顔を見なくても、お殿が来たってすぐに分かる」
「寒い」

 若いなりに落ち着いた女の声が朱昂をからかった。

 軽装の朱昂の肩に上着をかける者がいる。どうぞと火鉢の近くの椅子を勧められた。椅子といってもただの木箱に近い。乾いた草の匂いが立ち込めている。火鉢から、盛んに炎の先が見えていた。

 柘律殿の反対側にあるのは薬草を収める倉庫だった。中々に広い。朱昂はほぼ中央にいるが、入り口近くにいる者を呼び寄せるにはそれなりの声量が必要だ。屋根は高く、見上げると太い梁が縦横に走っている。両側のほとんどが小さな引き出しの集合だった。屋根裏には、薬草を干すのに使った。焙煎で使う火を、火鉢に移して暖をとっているのだろう。大釜の近くでも、いくつかくつろいでいる姿が見える。

 人界は魔境とちょうど時が反転している。あちらで正午近かったから、こちらは深夜である。

「急に呼び出してごめんね」

 朱昂の隣に、先ほど真血の主をからかった女がいた。真っ黒の、肩から足元までをすっぽりと覆う外套を着ているせいで体つきは分からない。黒髪を頭の高いところで結っている。口布を下ろして、女は干し柿にかぶりつく。朱昂の使い魔・玄姫げんき。白郎の双子の姉だ。

 朱昂の使い魔は生殖に縁のない幽鬼の女が孕んで産んだ双子の姉弟だ。片方は死者、片方は生者として生まれた。それだけでも理外の者だが、一番奇怪なのは双子の間で生死が反転することだった。今は白郎が死者で玄姫が生者だが、玄姫が死ねば、白郎が生者となり姉が幽鬼となる。姉弟で死と転生が完結していた。いつから生きているか、ふたりとも分からないという。

 双子は、他殺がほぼ不可能な真血の主を殺害した朱昂を気に入り、自ら降ってきた。いつか自分たちを終わらせてくれると信じている。朱昂はそれほど熱心に関わる気はないが、互いの暇つぶしにはなるだろうと答えた。

「西にね、詳しいことは地図にあるけど、西に頭を病んでいる者がいるよ。死にそうだけど、まだ死んでいない」
「年は?」
「三十五。男。ちょうどいいと思って。脳の病で間違いない」

 ふむ、と朱昂は渡された柿のヘタをむしった。
 玄姫は人界と魔境を行き来しながら薬を売り歩いている。魔境では朱昂のしもべに関する情報を得るため、人界では朱昂が行う医術の「実験体」を探すためだ。魔境での結果は芳しくないが、人界の方は順調だ。

「正直に告白すると、死んでても好都合かなーとは思うよ。お殿、五臓六腑ほとんど治せるでしょう? もうそろそろ蘇生を試していいと思うけどね」
「今朝がた柘律殿の裏手でさいが死んでいた。試したが、失敗した」

 玄姫は朱昂の手から奪った柿のヘタを火鉢に投げ込んだ。

「ままならないもんだわね……。じゃ、さっぱり御大尽を治して、たんまりお代をいただきますか!」
「御大尽?」
「知事の息子らしいよ。あ、そうそうあの家年の離れた三姉妹がいる。ひとりはじじいに嫁いだ出戻りだってよ。欲求不満ですって顔に書いてあった。がんばってね、お殿」

 美人だったと付け足され、額をかく朱昂に、周りの男たちがくつくつと笑う。

「余計な世話をする」
「玄姫が言わなくとも、殿のお顔を見ればあちらから飛びついてきますよ」
「そんなにか」
「そういう噂です。我らにまで粉をかけてきたくらいで」

 玄姫と行動しているのは、人界によく慣れた年配の者が多い。朱昂は柿を頬張り、飲み込んだ。

「くれるというなら頂こう。生で血も飲みたかったところだ」

 手を火にかざした朱昂はしばらく炎の先を見ていたが、持参する道具や薬について指示をするために立ち上がった。雨の音が、続いていた。
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