王の愛は血より濃し 吸血鬼のしもべ第2部

時生

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第二章 月ニ鳴ク獣

第三十三話 月の痣

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 白い肌に針を刺し、椀に半分ほどの真血を狐の血管に直接流した。全身に回る血液を操りながら、衰弱した体を癒していく。白火はくびの治療は昨日、夢王宮むおうきゅうにて行われた。頭蓋の六分の一まで肥大化した腫瘍を朱昂しゅこうは摘出し、全身に伝播していた小さな腫瘍を除いていた。

 夢王宮の一室で眠る白火を、家族が心配げに見つめている。術後の内臓の衰弱を真血で癒していると、白火のまぶたがぴくりと動いた。黄色の瞳が現れる。しばらくぼんやりと天井を見ていた白火は、突然驚いたように目を動かし始めた。両目とも視力が回復していることに気がついたのだろう。朱昂を見て、凍り付いている。

「いくつか質問するから、答えなさい。分からなくても心配しなくていい」

 白火がうなずいた。朱昂は白火に対して家族の名前や簡単な計算などを質問する。最初はためらいがちだった回答も、質問が十を過ぎる頃には、よどみなく答えられるようになっていた。

「発音も、記憶も、認知能力も問題なさそうだ。視力も戻ったようだし、あとは寝ついて萎えた体を元通りにすればいい。歩行も積極的にした方がいいが、必ず付き添いをつけてくれ。――何か質問はあるかな」

 白火の妻が、頭を振ってからひれ伏した。涙に途切れながら感謝の言葉を口にする。
 立ち上がった朱昂を、白火が呼び止めた。

「真血公――」

 朱昂が改めて白火を見ると、すぐに目を伏せる。信じられないという面持ちだった。混乱している老狐に朱昂が水を渡す。両手で湯飲みを受け取った白火はぼたぼたと敷布に涙を落とした。

「夢王の依頼でそなたを治した。夢王は、月鳴から頼まれたそうだ」

 はっと白火が顔を上げた。

「月鳴に興味があるゆえ夢王の依頼を受けたとだけ、今は言っておこう。心労を増やさず静養に努めよ。体は癒えている。元の生活に戻ることは十分可能だ。夢王はそなたの床上げまで夢王宮に留まってよいと言っていた」

 悪いようにはしない、と言外に伝えて朱昂は部屋を去る。戸を閉める瞬間、目覚めを喜ぶ家族の声が聞こえた。
 供を連れ、いささか安堵の息を吐いた朱昂は、正面を向き絶句した。今さっきまで誰もいなかったすぐ目の前に、長身の男が立っていたのだ。

 腰まで伸びた黒髪を頭上で結い、金の刺繍をした白い袍が浅く日焼けをしたような肌の色に似合っている。年の頃は測りがたい。青年のようにも壮年に入りかけのようにも見えた。
 濃いまつげに縁どられた黒い瞳を見て、朱昂は息が詰まった。「伯陽」と言いかける口を押しとどめる。微笑を浮かべていた月鳴が腰を折った。

「夢王様がお呼びです。ご案内いたします」

 朱昂は連れに廊下で待つように告げて、月鳴に一歩近寄った。歩き始める月鳴の後ろに続きながら、朱昂は夢王の力に舌を巻いた。月鳴が歩けば衣擦れが聞こえ、くつ音までする。もちろん、本物でないことは分かっていた。幻術に違いないが、いくら夢王宮の中とはいえ、ここまで生の気配のする幻影を朱昂は初めて見た。
 角を曲がる時に、パタパタと別の方向から軽やかな足音がした。

費南ひなんくんこっちー!」
章佳しょうか前を見て!」

 後ろを気にしながら走っていた子どもが月鳴にぶつかる。思わず手を伸ばした朱昂に一瞬もたれかかった月鳴は、すぐに体勢を立て直した。葵穣きじょうよりも少し幼い少女が「ごめんなさい」と謝るのににこやかに応えている。

 朱昂は、月鳴の笑顔よりもその首筋を見ていた。体勢を崩す一瞬、首の後ろに白茶けた痣が見えたのだ。

 ――伯陽にあんなものはなかった。

 朱昂は再び歩き出した幻影の袖を引いた。驚いたように振り向いた月鳴は、すぐに微笑みを浮かべる。同じ顔のように見えるが、表面的な笑顔は記憶の伯陽とかけ離れている。気味悪さに腹の底をゾッと震わせながら、朱昂は問うた。

「首の裏に痣のようなものが見えたが、それはずっとそこにあるものか?」

 似ているだけで、月鳴は伯陽ではないかもしれない。そう思った途端、心が軽くなるのを朱昂は感じた。強張っていた力が抜ける。思わぬ心の動きにたじろぐ朱昂の目の前で、月鳴は首の裏に指をやった。一瞬、横顔に憂いが浮かぶ。
 半ば目を伏せ少しだけうつむく横顔を、朱昂はよく知っていた。

「朱昂を想うと、痛むんだ」

 朱昂の足が止まる。絶句する朱昂を置いてしばらく進んだ月鳴は、ある戸の前で朱昂に体ごと振り向いた。

「こちらです」

 月鳴の表情は、見知らぬ笑みに戻っていた。
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