月と裏切りの温度

シオ

文字の大きさ
20 / 27

20

しおりを挟む
「あのお嬢様、これで諦めてくれっかなぁ」

 本当に微塵も気がないようで、ヨルハは酷薄にもそんなことを言っていた。ヨルハが彼女に興味が無いことを、喜んでしまう。そんな醜い己を自認している。

「今の人が……ヨルハの婚約者なんだよね?」
「いや、今の会話聞いたら俺が婚約なんかしてないの分かるだろ。向こうが一方的に盛り上がっちゃってるだけだって」
「……仮に、ヨルハがあの人と結婚したとしたら、ヨルハは貴族になれるの?」
「まぁー……そういうことには一応なるけど、あの女と結婚して貴族になるくらいなら、アサヒと一緒になって奴隷になる方が俺は幸せだね」

 事も無げに、ヨルハはそんなことを容易く口にする。胸が苦しくて、仕方が無かった。

 嬉しいと思ってしまう。それが許されない感情であることは分かっているのに。許さない。誰が許しても、僕は絶対に許さない。

 ヨルハの言葉は矛盾しているのだ。奴隷の身分が嫌で逃げ出したのではないのか。あの雨の日の別離は、奴隷から解放されたかったからではなかったのか。それなのに、奴隷になる方が幸せなどという。そんなわけはない。そんなわけが、ないのに。

 僕のせい、なのだろう。
 僕がヨルハを縛っている。

 別れの日に、僕が死んでいたら良かったのに。そうすれば、彼をここまで縛り付けることはなかった。

「……ヨルハ、ごめんね」
「ん?」
「僕が……ウェザリテで、ごめん」

 僕の立ち位置がウェザリテでなければ、もっと選択肢があったのかもしれない。僕の体が、これほど穢れていなければもっと違った関係性をヨルハと築けたかもしれない。

「謝るなよ。お前が男娼として売られてミファロストにいてくれたから、俺たちは出会えたんだ。お前が俺を救ってくれたから、俺は今、生きてられるんだ」

 ヨルハが僕の手を握る。大きな手だ。この手が好きだった。この手に、素直に縋れたらどれほど楽だろう。

 大好きだと告げて、こんな僕を受け入れて欲しい、と泣きわめいて懇願することが出来たなら、どれほど良かっただろう。

「お前と過ごした全ての時間の中で、感謝することはあっても、後悔することなんて少しもない」

 笑っていた。ヨルハは屈託のない笑顔で笑って、真っすぐに僕を見ていた。どうして、そんな澄んだ目で僕を見ることが出来るのだろう。どうして君は、そんなにも清く、正しく見えるのだろう。

 胸が苦しくて、瞼は熱くて、目頭は濡れて、気付いた時には頬を涙が通っていった。

「泣くなよ。俺はアサヒに笑って欲しいんだ」

 ヨルハの指先が僕の目元を撫でる。とても優しい手だった。僕に、その価値はない。ヨルハに大切に扱ってもらうだけの価値が、僕にはないのだ。

 もう、十分だ。
 僕は、もう十分に幸福を貰った。
 ここまでだ。

「ヨルハは、あの御令嬢と結婚すべきだ」

 声が震えないように、お腹に力を込めた。これ以上泣き出さないように、歯を食いしばった。優しいヨルハの手を、自ら離す。温もりが消えていく。冷たい空気が僕の手に纏わりついた。

「なん……っ、なんで、そうなるんだよ、俺の話聞いてなかったのか」
「じゃあ、あの御令嬢じゃなくてもいい。ちゃんと、普通にヨルハのことを幸せにしてくれる人と一緒になって」
「……何言ってんだよ、お前」
「ヨルハ。今日を、僕たちの最後の日にしよう」

 最高の日を、最後の日に。

 ちゃんとお別れをして、お互いに背を向けて歩いて行こう。

「嫌だ」
「ヨルハ、お願いだから」
「なんでそんなことしなくちゃいけないんだよ、俺はアサヒと一緒にいたんだ。俺のその願いを叶えるのって、そんなに難しいことなのかよ」

 難しいことだ。難しいに決まってる。

 この国は、同性婚を認めていない。国が認めなくても、結婚同然に二人で生きていく人たちもいるけれど、世間の冷ややかな視線を受けることは必至だろう。ただの愛し合う同性の二人ではないのだから。

 僕はウェザリテで、あまりにも多くの人に抱かれてきた。そのことが、さらに僕の心に重く圧し掛かる。

「僕にはもう、分からないんだよ」

 耐えられなくなった。涙はこぼれ、体も震える。胸の前で、自分の手を自分の手で握った。震えが全身に伝わっていく。震える声で、僕は必死に訴える。

「……ヨルハに幸せになってほしい。でも、それは僕には出来ないことなんだよ、僕じゃヨルハを幸せに出来ない」
「なんでそんなこと決めつけるんだよっ」
「だって! だって……っ、僕は男娼なんだ……その生き方しか知らない……僕じゃ、駄目なんだよ」
「……分かんねぇよ、なんでアサヒがそんなこと言うのか、俺には分かんねぇ。俺のことが、嫌いなのか?」
「そんなわけない! それだけは……、絶対にない」

 その言葉は咄嗟に出ていた。反射のような速度と勢いで。その誤解だけはして欲しくなかったのだ。僕がヨルハを嫌うことなんて、あり得ない。そう出来て、彼を拒めたなら事態は簡単に終息するのかもしれないけれど、それは出来ないことだった。

「……僕の体が綺麗なままだったなら、ヨルハの言葉を受け入れられたかもしれない。男同士で、奇異の目に晒されるかもしれないけど、それでも一緒に生きていく夢を見続けられたと思う」
「だったらっ」
「でも僕は、あまりにもウェテとして……ウェザリテとして生き過ぎた……。……自分に、自信が持てない。ヨルハに愛してもらえる人間であるっていう……自信が、ないんだ」

 それだけの価値が無いと、自分自身がいやというほど理解している。僕は客に道具として抱かれるしか価値がないのだ。どうやったら自信をもって生きられるのだろう。どう生きていれば、胸を張ってヨルハと生きていけたのだろう。

「学も無いし、手に職だってない。出来ることといえば、体を売ることだけ。……そんな自分が、大嫌いだ」

 どうして、金を払ってでも僕に会いに来ようとする人がいるのか、僕にはわからない。こんな、何の価値もない自分に大金を払うなんて間違っている。

 ヨルハが僕に拘るのは、間違っている。

「ごめんね、ヨルハ」

 幼いあの日々は、今だって僕の宝物だ。大好きな人と過ごした、大切な日々だ。美しいものは、美しいままにして宝箱にしまっておこう。僕たちの日々は、ここで終わり。ここまでだ。

「アサヒっ」

 僕はヨルハに背を向けて走り出す。さよならを、何度も言うのは辛い。これが最後のお別れになりますように。

「追いかけてこないで! ……もう、顔も見たくない」

 二度も、この言葉を言うなんて思いもしなかった。こんな悲しくて苦しい言葉を、最愛の人に二回も言わなければならないなんて、僕の人生は呪われている。徹底的に幸福に嫌われている。

「さよなら」


しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。

キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ! あらすじ 「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」 貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。 冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。 彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。 「旦那様は俺に無関心」 そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。 バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!? 「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」 怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。 えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの? 実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった! 「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」 「過保護すぎて冒険になりません!!」 Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。 すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。

ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました

あと
BL
「お兄ちゃん!人肌脱ぎます!」 完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け 可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…? 攻め:ヴィクター・ローレンツ 受け:リアム・グレイソン 弟:リチャード・グレイソン  pixivにも投稿しています。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。

批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

アプリで都合のいい男になろうとした結果、彼氏がバグりました

あと
BL
「目指せ!都合のいい男!」 穏やか完璧モテ男(理性で執着を押さえつけてる)×親しみやすい人たらし可愛い系イケメン 攻めの両親からの別れろと圧力をかけられた受け。関係は秘密なので、友達に相談もできない。悩んでいる中、どうしても別れたくないため、愛人として、「都合のいい男」になることを決意。人生相談アプリを手に入れ、努力することにする。しかし、攻めに約束を破ったと言われ……?   攻め:深海霧矢 受け:清水奏 前にアンケート取ったら、すれ違い・勘違いものが1位だったのでそれ系です。 ハピエンです。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。 自己判断で消しますので、悪しからず。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

【bl】砕かれた誇り

perari
BL
アルファの幼馴染と淫らに絡んだあと、彼は医者を呼んで、私の印を消させた。 「来月結婚するんだ。君に誤解はさせたくない。」 「あいつは嫉妬深い。泣かせるわけにはいかない。」 「君ももう年頃の残り物のオメガだろ? 俺の印をつけたまま、他のアルファとお見合いするなんてありえない。」 彼は冷たく、けれどどこか薄情な笑みを浮かべながら、一枚の小切手を私に投げ渡す。 「長い間、俺に従ってきたんだから、君を傷つけたりはしない。」 「結婚の日には招待状を送る。必ず来て、席につけよ。」 --- いくつかのコメントを拝見し、大変申し訳なく思っております。 私は現在日本語を勉強しており、この文章はAI作品ではありませんが、 一部に翻訳ソフトを使用しています。 もし読んでくださる中で日本語のおかしな点をご指摘いただけましたら、 本当にありがたく思います。

処理中です...