五番目の婚約者

シオ

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「奴が吐いた名は全て偽名で、実在しない人物だった」

 俺の目の前に置かれた資料には、フェルカー侯爵が聴取によって述べた言葉が書き記されていた。一言一句、逃すことなく書かれている。だが、その紙束は全て無意味なものだった。男の言葉に、価値のあるものなど何一つなかったのだ。

「……だろうな。本名を伝える馬鹿はいない」
「特に、あれだけ口の軽い男にはな。真実を語れない拷問なんて、意味がない」
「それでも、たっぷりと仕置きはしたんだろう?」
「お前が望むからな」

 口を割らない犯罪者にとって有効な手段である拷問。ぺらぺらと聞いていないことまで話すあの男には不要なものだったが、懲罰の意味も込めて俺が拷問の指示をした。あの男の口から有益な情報がひとつも出てこないことは、想定済みだ。

「奴は明日、断頭台に立つ。フェルカー家は取り潰しだ」

 簡易ではあるが正式な裁判をし、有罪判決も出た。男がスラヴィアに毒を要求する手紙も発見している。その手紙は、スラヴィア側が偽装したものだと俺やイーヴは考えているが、筆跡は完璧に模倣されており、丁度良いので証拠とさせてもらった。

 一旦、スラヴィアとはこれで手打ちとしておく。フェルカー侯爵を差し出した時点で、奴らも自分たちの悪手に気付いていることだろう。

 スラヴィアにはスラヴィアの密偵がおり、そういった連中がおそらくこの国にも紛れ込んでいる。その密偵どもが、ゾフィー・フェルカーの末路を本国に報告しているのであれば、俺の大切なものに手を出したらどうなるかを、あの国も理解するはずだ。

 これで暫く大人しくしていてくれるのであれば、こちらも侵略してまで征服したりはしない。新たな薬が開発出来たことと、フェルカー家という名の帝国の膿を出せたことはこの一連の騒動での利点だった。その利点と、ノウェを害したという事実は全く釣り合わないが、とりあえずはこれで痛み分けとしておく。

「ノウェの耳にはいれたくない」
「分かった。そのように配慮しよう」

 斬首刑は、見せしめという側面も持つ。そのため、城下町にある広場で行われるのだ。人々にとってそれは娯楽のようなものであり、血を見て猛る民衆たちもいる。あの光景をノウェには見せたくなかった。

 ノウェが、戦いを良しとするロア族の一員であることは分かっている。戦士の姿に憧れていたという話も、本人の口から聞いたことがあった。だが、俺はノウェには優しいものだけを見ていて欲しいのだ。どうしても、美しくて穏やかな世界で生きていて欲しいと願ってしまう。

「あとは妹だな。追ってはいるんだが、消息がつかめない」

 やれやれと、肩を竦めながら溜息をもらすイーヴァン。獅子の千眼の情報網をもってしてでも、その姿がつかめないという。ルイーゼ・フェルカーは、職業婦人ではない。家が取り潰され、あらゆる財産が没収されれば生きていく術を失う。食うにも困る未来が待っている可能性だってあるのだ。

「自死している可能性は?」
「皆無とは言わないが、どこであろうと死体が出れば千眼が見ているはずだ。ルイーゼ・フェルカーに該当する死体はあがっていない」

 そもそも、フェルカー家にも千眼が潜んでいたはずだ。彼らの情報では、今やフェルカー家は主を無くし、侍従や侍女ばかりが困惑しながらも勤めているらしい。ルイーゼ・フェルカーは自宅にもいない。その姿は、どこにもないのだという。

「最後の夜だから、もう一発でも侯爵を殴りに行くかと思った」

 情報が無い以上、話し合いを続けていても無意味だった。机の上に散乱していた資料を片付ける俺の背後に来たイーヴが、そんな言葉を口にする。最後の夜。つまり、フェルカー侯爵が生きる、最後の夜ということだ。

「そんな下らないことで夜を台無しにしたくない」
「最近はノウェ様と甘い時間を過ごしておられるのだとか?」

 俺の背後から隣にやってきて、にやにやとした顔でこちらを見てくる。イーヴァンには一切の隠し事が出来ないと理解している。だからこそ、糊塗することもなく俺は頷いた。

「光栄なことに、な」

 驕るつもりはないのだが、最近ノウェの態度が軟化してきたように思うのだ。あからさまな侮蔑の目を向けられることはなくなり、近づいても逃げられない。それどころか寄り添って眠ってくれるし、朝食も同じスプーンで食べてくれる。とても幸福で、極上な甘さを持つ時間を、ノウェが与えてくれるのだ。

「本当に、ノウェ様がお前と仲良くしてくれて助かる。何か不機嫌になることがあっても、ノウェ様にちょっと優しくしてもらえばお前は上機嫌だ」
「最愛の人に優しくされて、上機嫌にならない人間なんているのか?」
「生憎と、最愛なんてものが存在しないんでね」

 イーヴァンには妻がいない。婚約者もいなかった。アナスタシアのように、誰のことも愛さない主義なのかと思えば、適当に気に入った女性に声をかけることもある。自分自身の恋愛や、性交渉を嫌悪するアナスタシアとはそのあたりが異なっていた。

「適当に色町で発散してるんだろう?」
「まぁな。笑えることに、この前、娼館でアリウス様に会った」
「あの人も元気だな」

 五十歳を超えて、色町へ繰り出せる先帝の逞しさに呆れを感じる。奥方が夜の相手をしないというのは有名な話だが、だからといって俺なら色町になど行かない。そんなところに行かずとも、ノウェのそばにいるだけで幸せなのだ。

 呆れはするが、先帝の存在は重要だった。ノウェのことを気に入ったようで、後見人の役を快く引き受けてくれたのだ。先帝と現皇帝の寵愛を受ける皇妃を害そうなどという愚者が、この国にいないことを祈る。

 イーヴァンが部屋から去り、執務室に備え付けられた浴室で湯浴みを済ませ、厚手のガウンを羽織って寝室へ向かう。夜遅い時間になると、俺は執務室で入浴を済ませることが多い。ノウェが寝ている時間に寝室で入浴をすると、その音でノウェを起こしてしまう可能性があるのだ。

 だが、今夜のノウェは起きていた。ベッドの中に入って座り、枕元のランプの火を頼りに読書をしていた。随分と熱心に読んでいるようで、俺が部屋に入ってきたことに気付いていないようだ。

「ノウェ」

 声を掛ければ、ノウェの華奢な肩がびくりと震える。慌てた手で本を閉じて、俺から見えないようにクッションの下に隠していた。

「い、今、ノックしたか!?」
「したよ。気付かなかった?」
「そ、そうか……、気付かなかった」

 いくら、俺たちの寝室だとはいえ、ノウェがいるのであれば俺はノックをする。寝ているかもしれないと思ったから、小さなノック音ではあったが、それでもしっかりとノックはした。

「また、アナが貸してくれたっていう本か?」
「う、うん……、そう」
「どんな話なんだ?」
「……内緒」

 いつも、内緒、と言われてしまう。数日前から、ノウェがたくさん本を読むようになった。どんな内容の本を読んでいるのか、としつこく聞けば、それ以上聞いてきたら嫌いになるから、と最強の脅し文句を言われてしまう。

 その本が、アナから借りているものだということは教えてくれた。アナスタシアが貸したのであれば、それはきっと恋愛小説なのだろう。軍記物や戦争の記録などばかり読んでいたノウェにとっては、新しいジャンルだ。

「面白いか? アナの本は」
「……面白い、のかも。読み始めると止まらないんだ」

 俺がベッドにもぐりこんだ瞬間に、ノウェはクッションの下に隠した本を取り出して、ベッド近くの背の低いテーブルの上に、手を伸ばして置いた。背表紙だけでも見えないだろうか、と目で追ったけれど暗くて文字を判別することは出来なかった。

 座り込んでいた体をベッドの中に潜り込ませたノウェに、毛布をかける。風邪をひかないように、首元までしっかりと。そんなノウェにぴったり寄り添うように、俺も横になった。共寝が出来る幸福を、強く噛みしめる。

「そんなに面白いなら、俺もアナに借りようかな」
「えっ」
「冗談だよ」
「……驚かせるなよ」

 どうして、そんなに恥ずかしがるのだろう。アナスタシアは恋愛小説しか読まない。ノウェが持っている本だって、恋愛にまつわる物語なのだろう。男同士の恋愛なのだろうか。それとも、過激なまぐわいの描写でもあるのだろうか。知りたい。だが、ノウェに嫌われるのは嫌だ。

「最近は寒くなって来たから、こうやって身を寄せあって眠ると温かくて気持ちがいいな」

 腕を回して、少しだけ抱き寄せる。腕の中のノウェは、ぽかぽかとしている。眠たいのだろうか。抱きしめていても、逃げられないし、嫌がられない。それがどれほど嬉しいことなのかを、きっとノウェは理解してくれないだろう。

「……俺は別に、寒くないけど。クユセンはもっと寒かった」
「ああ、そうだな。クユセンの冬は、リオライネンより厳しかったな」
「でも、リオライネンみたいに雪はたくさん降らないんだよな。クユセンの方が寒いのに。変なの」
「クユセンは乾燥しているからだよ。リオライネンは海があって、川もある。湿度が高いから雪も降りやすい」
「……ふーん」

 あまり分かっていなさそうな反応だった。寒い地域で育ったノウェは、寒さに強く暑がりだった。風邪をひかないようにと、色々着こませてしまうのだけれど、当の本人は熱いと言って嫌がるのだ。

「でも……たしかに、こうして寝ると、気持ちいいな」

 夢の中に落ちていく寸前のノウェが、身を摺り寄せてきた。懐かなかった猫が、一瞬だけ甘えてくるような、そんな感覚がある。嬉しくて、嬉しくて、俺の体は震えた。穏やかな夜が過ぎていく。

「おやすみ、ノウェ」

 ノウェの穏やかな日々は俺が守る。こうして、ノウェを慈しむことが出来る時間を守りたくて、俺は皇帝の務めを果たしていると言っても過言ではない。守り抜く。何度も傷つけてしまったけれど、これ以上ノウェが傷つかないように。

 甘い夢が覚めれば、目の前には巨大な断頭台があった。連行される男は最後まで、自分の無実を叫び続ける。その姿を見て人々は同情するのではなく、往生際の悪い奴めと罵った。

 市井の人々が妙にノウェに対して好印象を抱いているようで、皇妃様を苦しめやがって、といった罵声も聞こえた。イーヴに尋ねれば、アリウス様がノウェのことを好いてもらえるように町中で喧伝しているのだそうだ。

 後ろ手で縛られ、真っすぐに刃が首へ落ちるように首筋の髪が無残に切り取られている。フェルカー侯爵は断頭台の上に寝かせられた。処刑人が、男の罪を大きな声で述べて集まった幾千の民衆に告げる。皇妃暗殺の企て。それが男の罪だった。

 貴賤なく、平等に下ろされる刃。首を切り落とし、血を噴出させてるのに要した時間は僅か数秒。瞬きの間をもって、男の首と胴体は永遠の別れを果たした。フェルカー侯爵であった物が、そこに転がっている。

「これで終わりだな」

 侯爵の首を持ち、広く民衆に見えるよう掲げた処刑人。その光景を見て、隣に立っていたイーヴァンが漏らした。だが俺はその言葉に頷かない。

「まだだろう、イーヴ。ルイーゼ・フェルカーが残っている」
「だが、姉は妹と袂を別ったと言ってた」
「ノウェに対する敵意が無いとは言っていない」
「……殺しつくすのか、フェルカー家を」
「ルイーゼ・フェルカーに敵意がないのなら、生かしておくさ。まずは身柄を押さえろ」

 父と姉が同じ企てのもとで動いていたのだ。そこに妹が全く関与しておらず、何も知らされていなかったなどという方が不自然だ。ルイーゼ・フェルカーもきっと、何かを秘めている。不安要素は全て潰さなければならなかった。

「妹が見つかったら、そろそろ本腰入れてノウェ様の帰郷の検討を始めないとな」
「……今でもノウェは帰りたいのだろうか」
「おいおい。約束しただろ、晩餐会に出る代わりに帰郷させるって」
「だが、もう望んでいないかもしれない」
「だったらそう聞いてみると良い。約束を破るのか、ってノウェ様に怒られても知らないけどな」

 帰りたいと、ノウェは頻りに言っていた。それだけが望みなのだと。クユセンへ帰る日のことだけを考えて、八年間耐えてきたのだと。今もその願いは変わらないのだろうか。俺のそばを離れ、遠い場所へ帰りたいと、そう思っているのだろうか。

「……怒られるのは、嫌だな」


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