すべては花の積もる先

シオ

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「シーヤンの見せしめを終えるのが、早すぎたのでは?」

 不機嫌そうな顔で棘のある言い方をするヤザに一度視線を向けてから、俺は窓の外を見た。この窓から見える兄さんの部屋を見ていたのだ。こんな覗きのような行為が好ましくないものであることは分かっている。それでも、兄さんを一目見ることが出来たら、という思いでついついこの窓から外を見上げてしまうのだ。

「あれから、十日も晒した。腐敗も酷い。あの状態の足を兄さんが見たら一大事だ。それに、娼婦たちもこれでしばらくは馬鹿なことを考えたりはしないだろう」

 娼婦の足抜けがどれほど成功率の低いものであっても、女たちは甘い夢を見る。ここから逃げ出せば、ルーフェイから離れてしまえさえすれば、自由になれる。そう信じて、逃げて、捕まって。過酷な死を迎えるのだ。だからこそ、見せしめは重要だった。切り落としたシーヤンの足は、娼婦たちの心に刻み込まれたことだろう。だが、どれだけ恐怖を刻み込んだとしても、いずれは薄れる。だからこそ、定期的に足抜けは発生し、そしてそれと同時に罰してきたのだ。

 残酷な話ではあるが、このルーフェイで娼婦となった者に完全な自由が与えられることは滅多にない。自分の命を買い取って自由を選びぼうとしても、それを阻む仕組みがある。結局は、男に身請けされる以外に、娼館から出ていく手段はないのだ。それが好いた男であれば良い。だが、その可能性は極めて低かった。だからこそ、シーヤンのように己の命を賭して逃亡の道を選ぶ者が現れる。シーヤンの行いは、完全なる賭けだった。そして彼女は、賭けに負けたのだ。

「娼婦たちのことはどうでもいいんです。……バイユエの逆鱗に触れるとどうなるかを、ルーフェイの人間たちに知らしめる絶好の機会だったというのに」

 どうやら、ヤザにとってはもはや娼婦の件は興味の対象から外れたらしい。つい最近まで、この街の人間たちはバイユエとヘイグァンの対立する姿を面白半分で眺めていた。いつ争いの火蓋が切って落とされるだろうかと、興奮した眼差しで遷移を見守っていたのだ。ヤザは、それが気に食わない。

 バイユエと並び立つ者などおらず、バイユエを脅かす者などあってはならない。そんなことを至極当然のように考えているのが、ヤザだった。だからこそ、騒乱に慣れ、騒乱を楽しむようになってしまったルーフェイの人間たちの浮き足だった気持ちすら許容することが出来ないでいる。絶対的な恐怖をルーフェイの民に植え付けたくて仕方がないのだろう。

「ヘイグァンの大部分は捕えて、十分な報復をした。それで俺は満足している」
「ヨーリン川に沈めてやったことで、確かに胸がすく思いにはなりましたよ。ただ、我々はヘイグァンの頭を潰し損ねている。そのことをどうか、お忘れなきように」

 あの騒動のあった夜。バイユエは多くのヘイグァンを捕えた。背の者の組織と言っても、歴史もなく、統率もされておらず、組織の一員という認識も甘い。ただ、破落戸たちが群れているだけ。背の者として夜の世界で生きていく覚悟など当然持ち合わせておらず、捕えた直後から泣き喚いた。あまりにもうるさかったので、何人かは顎を砕いて喋れないようにさせたが、言葉にならない喚き声をあげるだけで余計に煩かったため、それ以上は顎を砕かせなかった。

 バイユエの徒弟たちも、街中で挑発行為を続けていたヘイグァンの連中に激しい怒りを感じていた。だが、小物を相手にするなという俺の命を忠実に守り続け、今までは大きな抗争に発展することがなかったのだ。だが、それもあの夜までのことだ。

 溜まった鬱憤は、捕らえたヘイグァンの連中へと向いた。一方的な暴力を、殺してくれと請われるまで振るい続けたバイユエの徒弟たちを、俺は止めない。最終的には奴らの手足を縛り、川に投げ込んだのだ。ルーフェイの街を流れるヨーリン川は海へと続く大きな川で、川幅も広く、とても深い。そこに溺れていく奴らをバイユエの徒弟たちは笑いながら見ていた。

 そんなバイユエの者たちを怯えた表情で見る市民の目があったそうだが、それでいい。ルーフェイの民たちはバイユエに心底恐怖すればいいのだ。それでこそ、バイユエが兄さんを守る盾足り得る。不安の芽は、全て摘み取らなければならない。それはつまり、ヘイグァンの頭のことを指している。

「――ジャンイン。名は分かった。必ず見つけ出して、叩き潰す」

 拷問の結果、ヘイグァンの輩は己らの頭の名を吐いた。ジャンイン。目下、俺が殺さなければならない男の名がそれだった。この男が兄さんの手に傷をつけた。それは許し難いことで、死ぬことでしか罪を贖えない。握った拳が震えたのは、ジャンインを縊り殺す日を夢見ているせいだ。

「何故、奴は兄さんを要求したんだ」

 シーヤンを使って、兄さんを誘き出した。いつから兄さんの存在を狙っていたのかは分からない。それでも、最終的に奴は兄さんに手を伸ばしたのだ。兄さんとあの男の間に、何か繋がりでもあるのだろうか。影を使って兄さんに纏わる情報を集めさせているが、あのような男との接点は確認されていない。解き明かすことの出来ない疑問を口にした俺に、ヤザは己の考えを述べた。

「兄君は人目を引く容姿です。単純に、我が物としたかったのでは?」
「そうだろうか。……俺には、何か別の意図があるように思えてならない」

 ただの勘でしかなく、何の根拠もないのだが、単純に兄さんを欲したという話ではないような気がする。もっと別の意図があるような。だが、それは俺の空想の域を出ない。

「理由が分からない以上、俺の心は穏やかではない」
「必ず見つけ、頭目の前へ引き摺り出します」

 俺の望む答えを、ヤザはすぐさま口にする。バイユエとヘイグァンが衝突したあの夜、ヤザが指揮をしたバイユエの徒弟たちは、ヘイグァンの多くを捕えた。包囲網は厚く、そこから逃れられたヘイグァンは少ない。少ないが、それでも逃げた奴はいた。奴は追うバイユエの手を掻い潜って逃げたのだ。

「今回、兄君に傷がつく事態を防げなかった影は粛清しました。影が一人減ってしまったことは、残念なことです」
「残念? 兄さんに傷がついたことこそが、何よりもの残念だろう」
「……人員配置に穴が生まれぬよう、後進の育成を進めさせます」

 ヤザの物言いに微かな苛立ちを感じ、それを俺はおもてに浮かべた。すると、ヤザはすぐに己の失言を補填するかの如く、今後の対応を口にする。その言葉が、俺の苛立ちをある程度慰めた。長年、バイユエに仕える影の者たちは、確かに稀有な存在だ。特殊な術に秀で、バイユエに絶対的な忠誠を誓う。己に失態があれば、粛々と罰を受け入れる者たちだった。可能ならば、手厚く扱い、重宝したい。だがそれでも、兄さんに傷がつくことを防げなかったことは、度し難いことだった。罰を与えなければならなかったのだ。二度とこのようなことが起こらないようにするためにも。

 視線を窓の外に向ける。真昼の太陽が、ちょうどその方角に登っており、随分と眩しい。目を焼くような光は、兄さんの輝きにも似ていた。今は何をしているのだろう。昼の時間、兄さんはあの犬と共に過ごす。不愉快ではあるが、その時間も兄さんにとっては必要な時間なのだと俺は理解しているのだ。視線を戻してヤザを見れば、兄の部屋ばかりを見る俺に呆れたような顔をしていた。

「おおよそ、頭目の狙い通りになりましたね」

 茶器に手を伸ばすが、その器が空であることにその瞬間気付く。一連の流れを見ていたヤザが、茶壺を手に持ち茶を注いだ。湯はぬるくなっているが、それでも喉を潤すのには丁度いい。程よい苦味と、心地よい香りを放つ茶を口に含み、喉へ流しながら俺はヤザの続く言葉を聞いていた。

「ヘイグァンはずっと目障りな存在でしたが、長年この土地に根ざす我々が新興の小物を相手にするのは、格好が悪い。そのせいで、叩き潰すのに相応しい機会が今まで訪れなかった。……けれど、バイユエの娼館であるハンファの娼婦が、ヘイグァンに蛇の依頼を出したことで、商売の邪魔をしたヘイグァンに対し、バイユエは大義名分を得る。ヘイグァンの頭を捕えることは出来ませんでしたが、かなりの弱体化させることが出来ました。そしてシーヤンの切り落とした足は、他の娼婦たち対して足抜けなど出来ないのだという警鐘となる。そしてついには、罰と称して兄君に触れることも叶った。……それはもう、あなたは満足でしょうね」

 澱みなく滔々と語るヤザの声は、読経する僧侶のようだ。その声が、的確に出来事を整理していく。ヘイグァンの頭目を含め、残党の生存を許してしまったが、それでもヘイグァン自体は壊滅させたと言っても過言ではないだろう。再起不能であり、再びヘイグァンとして徒党を組むことは難しい。娼婦の足抜けという商売道具の喪失を防ぐための見せしめも、シーヤンを使ってしっかりと行った。

 何よりもの僥倖は、兄さんと互いの熱を分かち合う関係へと進むことが出来たことだ。最初は罰だ何だと言って、兄さんの罪悪感に漬け込む形となった。だが今では、兄さんは自らの足でこの部屋へやって来る。ただ風呂に入るためではなく、ただ俺に会いに来たわけでもない。触れる合うことを理解して、あるいはそれを望んで、俺のもとへやって来てくれているのだ。

 思いが通じ合うまでは、口付けも挿入もしないと決めていた。だからいつも、兄さんの太腿を借りたり、手で扱いてもらうだけに収めている。俺は日々、必死になって自分自身を押さえ込んでいるのだ。本当は唇に噛み付いて貪りたいし、貫いて抱いてしまいたいと思っている。我慢が出来ている俺を、兄さんに褒めて欲しいくらいだった。

「そうだな、お前よりは不満は少ないかも知れない」

 ジャンインを殺せなかったこと。大きな不満と言えばそれくらいだ。それを凌駕してしまうほどに、兄さんと過ごせる日々が俺を喜ばせた。いつか、己の欲望を捩じ込む日を夢見て、俺は毎夜少しずつ兄さんの後ろを広げている。指の二本をすんなりと飲み込むようになった兄さんは、後ろでも感じるようになっていた。穴の中の、こりのある部分を撫でるように刺激すると背中を振るわせて小さく震えるのだ。その光景を思い出していただけで、俺の下半身は反応してしまいそうだった。慌てて思考を切り替える。

「随分と不機嫌そうだが、お前の機嫌が良くなる知らせもあっただろう」
「フユン様からの手紙のことですか?」
「あぁ。もうすぐシアさんの命日だ。今年も兄さんに同行するのか?」

 父には何人もの女がいた。正妻は俺の母だが、最愛の妻としたのは兄さんの母。それ以外にも情婦がおり、その中には命を落とした女もいる。だが、父が毎年命日に弔うのはシアさんだけだった。彼女の墓は王都にある父の邸宅にあり、毎年この時期になると墓参りに来るかどうかを問う手紙が兄さん宛に届く。俺にその誘いが来ないのは、俺の母の墓ではないからだろう。

 兄さんが墓参りのために王都へ行く時は、ヤザも同行していた。かつては、王都に不慣れな兄さんの案内役としての意味合いが強かったが、最近では父に会いたいがために兄さんの案内役を買って出ていたように思う。だからこそ、今年もヤザは父のもとへ行くのだと俺は考えたのだ。そしてヤザにとって父は、憧憬の対象であり、心酔する相手だ。そんな父に会えるのであれば、ヤザの機嫌も直るはずだという気持ちで、俺はそんな言葉を口にした。

「今年はやめておきます」

 帰ってきた言葉は俺の予想を裏切るもので、驚いてしまう。きっと俺は目を見開いてヤザを見ていたことだろう。喜んで父に会いに行くだろうと思われていたことが気恥ずかしいのか、ヤザは妙にわざとらしい咳払いをした。俺は問いを重ねる。

「父に会いたくないのか?」
「会いたいですよ。久々に、直にお顔を拝見したいです。……でも、今はそんなことをしている場合ではない。私はあの方にバイユエを託されていたんです。ならば、今すべきことはフユン様に会いにいくことではありません。兄君の同行については、兄君の意向を確認しつつ要すれば他の者を当てます。それで宜しいですか?」

 つまりは、ジャンインの息の根を止めるまでは父に合わせる顔がないということだ。俺は、ヤザが同行しない場合の兄さんの王都行きについて考える。ヤザがいれば、何かと俺も安心ではあるが、ヤザ自身は戦闘に長けた男ではない。その点で言えば、あの犬の方が兄さんを守る肉の盾となれるだろう。それに、兄さんも王都に行くことが初めてというわけでもない。ヤザが同行せずとも、無事に父の元には辿り着くはずだ。

「……ヘイグァンの残党が兄さんを追って王都にまで行く可能性は低いか」
「そのように思います。それに、背の者たちが暴力で自治をするルーフェイよりも、国軍の軍人が警邏している王都の方が、安全です」

 兄さんを狙ったヘイグァンが、兄さんを追って王都まで行く可能性を考えたが、その低さを己で理解する。そんな俺の考えに同意したヤザが、言葉を継いだ。国軍の警邏もあり、さらには父もいる。父は、最愛の女の忘れ形見である兄さんを必ず守るだろう。道中はあの犬が、命を賭して兄さんの安全を保証するはずだ。

「分かった。今年、兄さんがどうするかはまだ確認していないが、行くと言った場合でもお前は同行しなくていい」
「承知しました」

 恭しくヤザが頭を下げる。こうされると、己は王や貴族であるかのような気持ちになった。だが、それもあながち間違いではないのだろう。このルーフェイにおいて、バイユエは特別な家だ。背の者の中でも格別であり、王都の貴族に負けぬ豪勢な邸宅を持つ。だがそれは俺の力ではない。父までの何世代かで築き上げられ、俺はそれを受け継いだだけ。背の者の王になるなど、不毛であり、面倒だ。

 それでも俺は、この街で兄を守るため、その厄介な座を引き受けた。全ては兄さんのため。だが、それを恩着せがましく兄さんに訴える気は毛頭ない。俺が好きでやったことだからだ。

 それでも俺がバイユエの頭目を務めるという行為には、否定することの出来ない下心があった。それはすなわち、兄さんに愛されたいということ。あの犬ではなく、俺を選んで欲しい。選ばれる価値のある男になりたい。ずっと、そう思ってきたのだ。俺の生きる理由など、それだけだった。

 たったひとつの愛を求めている。惨めなほどに、浅ましいまでに。それでも俺は、生涯この生き方を変えることは出来ないのだろう。
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