すべては花の積もる先

シオ

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スイ編

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 倒れ込んだスイは、即座に立ちあがろうと体勢を整える。けれど、弾丸で足を撃ち抜かれた痛みは、スイに立ち上がることを許さない。血を流す足は地面についたまま、もう片方の足を立たせた状態で、スイはジャンインの出方を伺う。ジャンインも、私が放った弾が掠めた肩に手をおいたまま、スイを見ていた。

「バイユエの頭目を跪かせることが出来て、気分がいい」
「これは跪くと言えるのか? こんなもので満足出来るとは、随分と安いな」

 挑発するような言葉の応酬が続く。スイとジャンインを交互に見ていた私は、この場にいる生者が私たちだけであることに気付いた。スイを囲っていたヘイグァンたちは、逃げたか、スイによって殺されたかのどちらかだ。地面には、幾つもの死体が転がっている。直視することが恐ろしく、私には死体に刺さる凶器達を見ることしか出来なかった。

「お前のような傲慢な男は、地を這う姿がよく似合う。……もう片方の足も潰してやろう」

 そう言って、ジャンインは再び拳銃を構える。それはスイが私に贈ってくれたものなのだ。私が私の身を守るための、私がスイのもとへ帰るための道具。決して、スイを傷つけるためのものではない。これ以上、スイが傷つく姿を私は見たくない。震える手足を叱咤して、私はゆっくりと動きだす。

「やけに喋る。頼みの仲間が全員消えて、心細いのか?」
「仲間? あいつらが? あれはただ、目的が同じだっただけの他人だ。いれば便利なこともあるだろうが、いなければいないで、それだけのこと」

 ジャンインの冷たい言葉を聞きながら、私はさらに歩を進める。私の動きに気付いているようで、スイはジャンインの意識が私に向かないように会話を続けているようだった。ジャンインの背後で、私は死体から小さな剣を抜き取る。手に伝わる肉の感覚や、そこから溢れ出す血の匂いに吐き気と恐怖を覚えるが、ぐっと耐えた。血に濡れた凶器を手に入れ、私はジャンインの背後に立つ。

「それ以上、スイを傷つけないで」

 頬が濡れている。私はずっと泣いていた。ジャンインを殺すという覚悟があっても、私の銃口はジャンインを仕留めるに至らなかった。覚悟だけでは駄目なのだ。だからこそきっと、こうして剣を手にして脅しても、私は何の成果も得られないのだろう。だとしても、抗うことをやめられない。泣きながら懇願することしか出来ないのだとしても、私は無駄な抵抗を続けていた。

「そんなにこの男が大切なのか?」
「……何よりも、大切」

 洟を啜りながら答える。他人を脅してでも守りたいと思えるほどに、スイは大切な存在なのだ。大事な弟であり、最愛の人でもある。ジャンインによってスイの命が奪われる運命を覆すことが出来ないのなら、私も共に葬って欲しい。スイのいない世界に、私は生きている意味を見出せないのだ。ずっとそばにいてくれたレンには、申し訳ないと思う。それでも、私は心の全てをスイに明け渡してしまった。

 ジャンインは拳銃を持つ手を下ろし、スイに背を向ける。そして私のもとへとやってきた。手を伸ばせば触れられるところに、ジャンインが立っている。彼も私を殺せるし、私も彼を殺せることだろう。それでもジャンインは銃口を私に向けることはなかった。

「殺せるのなら、殺してみろ。……お前が俺を殺したいのなら、殺されてやってもいい」

 紅玉の双眸が私を見下ろしている。冷え冷えとした恐ろしい眼差しだ。けれど、悲しさと寂しさが込められている。あれほどまでにスイを殺すのだと息巻いていたジャンインだというのに、スイが生きている前で私になら殺されてもいいなどと言う。肩から流れ続ける血が服に滲み、腕の先を伝って指先から滴り落ちていた。

 私の放った弾丸はジャンインの命を奪うことはなかったが、それでも、それなりの怪我を負わせられていたようだ。顔色は悪く、青ざめており、少なくない量の血を失っていることが分かる。これ以上傷つけ合うことに、何の意味があると言うのだろうか。本当に、命を落としてしまう。スイか、私か、ジャンインか。あるいはその全てが、ここで死んでしまいそうだった。

 誰にも死んで欲しくないと思ってしまう。それが私の甘ったれた思考であることは分かっている。それでも、スイを傷つけないでいてくれるのであれば、私がジャンインの死を願うことはない。それでもまだ、この場には殺し合いの空気が漂っていて、私はジャンインに向けた剣先をおろせずにいる。だと言うのにジャンインは歩き続け、私に近づき続けたのだ。

「どうして……そんなことを言うの、あなたは何なの……」

 私はこの悲しい瞳を知っているような気がした。今日名前を知ったばかりの男だと言うのに、私はジャンインとの間に名状しがたい繋がりを感じてしまうのだ。これは一体何なのだろう。その赤い目に見つめられると、胸が苦しくなる。

「何故、バイユエを憎むの」

 理由が知りたい。スイを殺したい理由は、スイがバイユエの頭目だからだ。それはスイ個人に対する恨みではない。ジャンインは、バイユエを憎んでいる。私は、その理由が知りたいのだ。深く知れば、分かり合えると思った。この人は寂しいだけなのだと、私にはそう見える。問いかける私の目を、ジャンインは見つめた。そんな彼の瞳の中に迷いが生まれる。全てを拒むような姿勢であったジャンインの殻が、少しだけ開かれたような気がした。

「……それは」

 逡巡を語るジャンインの唇。葛藤が見えたその瞬間。私が握っていた剣が奪われる。奪い去っていった手は、ジャンインのものではなかった。スイの手だ。対峙する私とジャンイン。その背後で、スイは立つことも出来ずに地に伏しているはずだった。私の場所からは、ジャンインの姿が壁となってスイの行動を知ることが出来なかった。だからこそ、いつスイが立ち上がり、いつ間合いを詰めていたのかも分からない。

 私から奪った剣を手に、スイは私とジャンインの間に入る。ジャンインが拳銃をスイに向けるよりも、スイがジャンインの胸に剣を突き立てる方が、早かった。全ては、瞬きの間の出来事。ジャンインはスイの動きに反応することが出来なかった。血を失ったことで意識が朦朧としたのか、それとも、私と会話をしていたせいか。己の胸に差し込まれた剣を、苦悶の表情で見つめている。

 だが、ジャンインも一方的にやられるだけではなかった。銃を握る手を上げ、引き金を引く。爆音と共に飛び出した弾丸は、スイの足を撃ち抜いた。私は悲鳴を上げることも出来ずに息を呑む。崩れ落ちるスイとジャンイン。ジャンインが握っていた拳銃が、激しい音を立てて地面に落ちる。

「スイ……!」

 私はすぐさまスイに駆け寄った。その体を支えるだけで私にも血がつくほどに、スイは血だらけだった。両足を撃ち抜かれ、もう一歩も動けないのだろう。それでも必死になって何かに手を伸ばしている。スイが伸ばす手の先には、ジャンインが落とした拳銃が転がっていた。それを再びジャンインが使うことのないようにしたいのだろう。スイの代わりに私が掴み、スイの手に握らせた。

 座り込む私の腕の中に、スイの体をしまいこむ。これ以上傷つくことがないように。これ以上苦しむことがないように。ぎゅっと抱きしめて、私はスイを包み込んだ。額に浮かぶ汗を拭ったり、頭を撫でたりは出来るのに、スイにかけるべき言葉を見つけることが出来なかった。悲鳴のような、嗚咽のような、言葉になりきれない半端な音だけが私の口から溢れていく。それでも、腕の中のスイは微笑みながら、そんな情けない私の声を聞いてくれた。

「……トーカ」

 私を呼ぶ声が聞こえる。けれど、それはスイの声ではない。ジャンインだ。胸に剣が刺さったまま、地面に背中をつけているジャンインが私の名を呼ぶ。か細い声だった。命が尽き始めていることを感じさせる声。あまりにも悲しくて、寂しくて、涙が溢れる。どうして私は、ジャンインのために泣いているのだろう。ズーユンが死んだ夜と、今日。この二回しか顔を合わせていない男のために、どうして私はこんなにも涙を流しているのだろうか。

 ジャンインは何かを語ろうとしている。そう感じて、私は彼の言葉に耳を傾けた。けれど、なかなか言葉は続かない。喉を通る呼吸は、ひゅうひゅうと音を立てているのに、言葉だけが一向に出てこない。きっともう、ジャンインの魂は空へと飛び立ち始めているのだ。それでも、彼の唇は微かに動く。

「……トーカ……、俺のお、」

 言葉は、最後まで聞くことが出来なかった。スイが握る拳銃が、ジャンインにとどめを刺したからだ。その一発は、ジャンインの頭蓋を射抜く。一瞬で、全ての苦しみから解き放たれた。スイとジャンイン。二人はきっと、どちらかを殺すまで止まらなかっただろう。死者の座に腰を下ろしたのがスイではないことを、私は祝うべきなのだ。それが分かっているのに、私の瞳から流れる涙が止まることはなかった。

 ジャンインは、何を言おうとしていたのだろう。俺のお、と言うところまでは聞き取ることが出来たが、それ以降は彼が死後の世界へと持っていってしまった。私はもう二度と、ジャンインの続く言葉を知ることは出来ないのだ。

「怖い思い、させてごめん」

 スイが私の頬に手を添える。満身創痍であるのはスイだと言うのに、私のことを気遣ってくれた。そんな弟の優しさが嬉しくて、それと同時に、そこまでの献身が申し訳なくて、私は胸が苦しくなる。私の頬を撫でるスイの手をぎゅっと掴んで、握りしめた。

「……私こそ、迷惑ばかりかけて、本当にごめんなさい」
「俺が兄さんを悲しませて、怒らせたんだよ。俺こそ、謝らなくちゃ」

 私は首を左右に振る。もうそんな次元の話ではないのだ。確かに、私たちは兄弟喧嘩をしていたかも知れない。スイの行いが、私を怒らせたのは事実だろう。だが、私は許されなほどの身勝手さで、多くの人を巻き込んだ。全て私が悪い。スイに腹が立ったのだとしても、自分の部屋に篭ればよかった。そうすれば、スイが足を撃たれることもなかったのだ。

「そんなに泣いたら、目が溶けてしまうよ。兄さん」
「……目は溶けたりしない」
「どうかな。兄さんは泣き虫だから」

 ここがスイの部屋で、周りに死体などなければ、甘やかな会話になったことだろう。けれど、私たちの周囲にはヘイグァンの亡骸が転がっており、腕の中のスイも傷だらけなのだ。甘い空気になっている場合ではない。それは分かっているのに、スイに引き寄せられて仕舞えば、私はそのままの流れで唇を重ねてしまうのだ。

「ずっと兄さんに触れたかった」
「……私だって」
「本当に? 兄さんも、俺に触れたかったの?」

 私はスイが好きで、スイだってそれを理解しているはずだ。だと言うのに、何故そんなことを驚いたように確認するのだろう。触れたかったに決まっている。母の墓参りのため、ルーフェイを出てからもう何日もスイに触れていないのだ。肌を直に触れたい。そして、触れて欲しい。そういう欲が、私にだってある。

「あぁ、くそ。一刻も早く帰りたい」
「スイ、歩けそう?」
「少し……難しいかも」

 両足を撃たれているのだ。歩けるはずがない。かといって、私がスイを背負って帰ると言うのは現実的ではなかった。私は弟よりも体が小さく、貧弱なのだ。きっとスイを引きずって運ぶことも難しいだろう。

「申し訳ないけど、兄さん先に行って誰か呼んで……」

 スイが言いかけた言葉は、最後まで言い切られることがなかった。きっと、私が一人でバイユエの屋敷に戻って誰かを呼んで来てくれないか、というような話だったのだろう。だが、それを伝える前にスイが異変を感じて口を閉ざす。一体どうしたのだろうと疑問に満ちた目でスイを見ている時に、私もそれに気付く。焦げ臭いのだ。この小屋を包み込むように、何かが焼ける匂いがする。直後、スイのおもてが青ざめ、逼迫したものに変わった。

「兄さん、早く逃げて」
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